1年延期となっていた東京オリンピックーー第32回オリンピアード競技大会・東京大会の開幕が間近となりました。
新型コロナ・ウイルスの感染拡大によって開催が危ぶまれ、今尚、日本国民のなかには、多くの人々が開催の延期や中止を求めているのも事実です。そんななかでのオリンピックの開催は、過去のどんなオリンピックとも異なる、特別な環境、特別な事情のなかでの開催と言えるでしょう。
そのような特殊な状況での開催の今こそ、いったい何故、東京オリンピックを開催することになったのか? 何のために東京オリンピックを開催するのか? その意義を、改めて考え直してみたいと思います。
東京オリンピックは、いったい何のために開催されるのしょう?
そのように問われると、2011年3月11日の東日本大震災、いわゆる3・11からの復興を世界に示すため、と答える人が多いのではないでしょうか?
しかし、東京オリンピックの招致が決まったのは、3・11よりもずっと以前のことでした。
それは今世紀、21世紀が始まった頃、日本のスポーツ関係者やJOC関係者の
なかから、もう一度日本でオリンピックを開きたい、という素朴な希望が出始めたことが、最初のキッカケでした。 1964年の東京オリンピックが開かれて以来、もうすぐ半世紀となる時期の話です。
その間、1988年のオリンピック大会に向けて、名古屋が立候補したものの、韓国のソウルに敗れ、五輪の招致はなりませんでした。 また2008年の大会に向けて、大阪が立候補したものの中国の北京に敗れ、再びオリンピックの招致に失敗しました。
そんななかで、やはり日本でオリンピックを開催するなら、最も大きな都市である首都・東京が、2度目のオリンピック招致に立ちあがるべきではないか、という声がスポーツ関係者のなかから高まってきたのです。
それとちょうど同じ頃、超党派の国会議員の有志たちの集まりである、スポーツ議員連盟のなかからも、日本のスポーツ界に関するけっして小さくない動きが起こります。
それは、1964年の東京オリンピックをきっかけにつくられた、スポーツ振興法の改正という問題でした。
なにしろ半世紀ほど前につくられた法律でしたから、そこに書かれているスポーツは、学校教育の体育が中心で、プロスポーツのことは一切書かれていません。
さらに障碍者スポーツ、パラリンピック・スポーツに関する記述も一切なかったのです。
そのため、さまざまなスポーツ政策に関わる国の省庁もバラバラで、学校教育としての体育は文部科学省、障碍者スポーツは厚生労働省、プロスポーツは経済産業省、さらにスポーツ施設のスタジアムやアリーナなどの建設は国土交通省……といった具合に分かれ、一貫したスポーツ政策が取れない状態にありました。
そして、スポーツ・イベントの入場券の売上げなどは娯楽産業に分類され、スポーツ・ウェアは繊維産業、スタジアムでの食事や飲み物は飲食業……といった具合に分けられていたので、はたして日本のスポーツは、産業としてどのくらいの規模で動いているのか、判然としない状態にありました。
スポーツ王国と言われるアメリカのスポーツ産業は、おおよそ40兆円〜50兆円。プロ・サッカーの巨大市場を持つヨーロッパが約20兆円〜30兆円で、人口比から考えると、日本は、15兆円程度のスポーツ産業の規模が存在する可能性があると思われます。
しかし、スポーツ産業に関する統計が存在しなかったこともあり、各家庭のスポーツに対する消費から類推できる数字は、約5兆円程度でしかありませんでした。
このように小さな日本スポーツのマーケット、小さなスポーツの規模を大きくし、発展させたいという狙いから、まず古色蒼然とした時代遅れのスポーツ振興法を改正して、新たにスポーツ基本法を制定すること。
その新しいスポーツ基本法のもとで、教育的体育だけでなく、プロスポーツも、障碍者スポーツも、すべてのスポーツ含むスポーツ政策を確立し、日本のスポーツ産業を人口規模に見合った、合計15兆円程度の規模にまで引きあげ、発展させることを目指す計画を立てようということになりました。
そして、その計画を実現させるためには、スポーツ政策を集中的に統括・管理するスポーツ庁の創設が欠かせない、との結論に至ったのです。
しかし折しも、行財政改革が叫ばれる時代で、新たな省庁の設置を求めるのは極めて難しい問題に思われました。
が、もしもオリンピック・パラリンピックの招致に成功し、東京での開催が実現することになれば、その開催と足並みを揃える形で、スポーツ基本法の制定も、スポーツ庁の創設も可能になり、さらなるスポーツ産業の発展も期待できるかもしれない。
そういった日本のスポーツ界の大改革は、当時の石原慎太郎東京都知事のキャッチフレーズ『東京から日本を変える』という言葉と結びつき、東京オリンピック・パラリンピックの招致運動が正式に開始されたのでした。
一度目に立候補した2016年大会の招致は、まだスポーツ基本法の改正も間に合わず、2009年のデンマーク・コペンハーゲンでのIOC総会でリオデジャネイロの前に敗れました。
が、東京は、2年後の2011年3月11日にも、再度五輪招致に立候補することを表明。その日が偶然東日本大震災と重なり、東北地方の復興も東京五輪開催の「目的」の一つに加え、招致運動を続けると同時に、その年の6月にスポーツ振興法を改定する形でスポーツ基本法が公布されました。
さらに翌々年の2013年、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会で、スペインのマドリッド、トルコのイスタンブールと争い、7年後の2020年のオリンピック・パラリンピックの東京招致に成功したのでした。
そうしたあとに、スポーツ基本法に書かれたスポーツ庁の設置も2015年10月に実現。日本体育協会は日本スポーツ協会に、体育の日という国民の祝日もスポーツの日に、国民体育大会も国民スポーツ大会に名称が変更されることになり、日本のスポーツ界は、体育からスポーツへの転換の基礎をつくることができたのです。
体育は身体を鍛えることが中心で、子供たちの身体を鍛える体育教育は極めて重要です。が、スポーツには、体育だけでなく、スポーツの練習方法を考えたり、試合での作戦を考えたり、またスポーツやオリンピックの歴史を学ぶ知育という面があります。
またポーツ競技では、一緒にプレイする相手選手を、スポーツを行う仲間としてリスペクトする、敬愛の念で接するという徳育もふくまれます。
つまり日本のスポーツ界は、過去の体育一辺倒だった体育教育主義から、体育も知育も徳育も含む真のスポーツへと転換を遂げるべくオリンピック・パラリンピックを招致し、それを開催することになったのです。
オリンピック東京大会2020は、不幸にして新型コロナ・ウイルスの蔓延によって、大部分の競技が無観客での開催となりました。また、今後、開催期間中にも、どのような出来事が起こるのか、同様な事態が生じるのか、まったく予想することはできません。
フランスのクーベルタン男爵が「平和運動」として始めたオリンピックですが、東京オリンピック・パラリンピック2020は、日本のスポーツ界の体育からスポーツへの大転換という大きな目標を達成するために開催されたものだということは忘れてはならないでしょう。
それは日本社会全体も、体育的な社会からスポーツ的な社会へ、すなわち体育に加えて知育も徳育も大切にする社会へ、身体を鍛えるだけでなく知性も愛情も大切にする豊かな社会への脱皮と成長をめざしたものだということを、確認しておきたいと思います。
それこそが、東京に、日本に、オリンピック・パラリンピックを招致し、開催する最も重要な理由なのですから。
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