《スポーツは、民主主義の社会からでなければ誕生しない》 本欄にも何度か書いたが、ドイツ系ユダヤ人社会学者ノルベルト・エリアス(国籍はイギリス人1897〜1990)が「発見」したこのスポーツに関する決定的真理を、小生が初めて知ったのは、哲学者・多木浩二氏(1928〜2011)の著作『スポーツを考える−−身体・資本・ナショナリズム』(ちくま新書)を通じてのことだった。
エリアスがこの「真理」を発見する以前、スポーツは、近代工業を発達させて経済的に裕福な社会になった19世紀のイギリスが、そこから生じた余暇のなかから生み出した文化だという考えが、一般的だった。
また紀元前の古代ギリシアで、オリンピアの祭典(古代オリンピック)をはじめとする多くのスポーツ大会と呼べる競技大会が発展したのも、オリーヴ・オイルや陶器(壺)の生産、造船などで経済的に豊かになった古代ギリシア社会が、そこから生じた余暇に身体文化=スポーツを生み出したと解釈されていた。
しかし経済的に裕福になり、余暇が生まれると、そこから文化としてのスポーツが生まれるというのなら、古代ギリシアよりもはるかに豊かだった古代ペルシアや、近代イギリスよりもはるかに高いGDPを誇った明朝清朝の中華帝国や、イスラム帝国で、なぜスポーツ文化が生まれなかったのか、という説明ができなかった。
そこにエリアスが現れ、民主主義社会というキイワードを持ち込んだのだ。では、民主主義社会とは、どんな社会か? それは、まず「暴力の否定」という考えが基本になっている。
民主主義以外の社会では「力」(暴力・武力・戦力)に優った者が、その「力」を用いて権力者となり、支配者となって社会を統治する。が、民主主義社会は、暴力(武力・戦力)を否定し、社会の指導者は選挙で選び、議会を設けて話し合いで社会を導く。
そのような「力(暴力)」を否定する社会が発展すると、あらゆる「力(暴力)」が無力化し、殴り合いはボクシング、取っ組み合いはレスリングというスポーツに変化し、太陽を象徴する丸い物(ボール)の暴力的奪い合いは,サッカー、ラグビー、ホッケーなど、暴力を否定したスポーツ(ゲーム)に変化した、というわけだ。
柔道も、明治時代に明治天皇が「五箇条の御誓文」を唱え、「万機公論に決すべし」と、すべては話し合いで決定せよとの暴力否定の(民主主義的な)世の中となる方針が打ち出されたなかで、武士の戦場での人殺しの技術だった柔術(武術)が、嘉納治五郎によって柔道という武道(スポーツ)に変化したと言える。
このエリアスが唱えたスポーツ誕生の画期的「真理」を、いったいどれだけの日本人が理解、認識しているだろう?
何も私は、自分の知識を披瀝したいわけではない。私も、多木浩二氏の書籍と出逢う43歳頃までは、スポーツ文化が民主主義社会の所産であることも、民主主義の基本原理が非暴力・反暴力にょって成り立っていることも認識していなかった。
だから、なおさら強調したいのだが、スポーツと民主主義のこの素晴らしい成り立ちを、是非とも多くの人に知ってもらいたいのだ。
過日、TBSの『サンデー・モーニング』を見ていたら、アメリカのトランプ大統領がスポーツ界からトランスジェンダーの選手を一切締め出す大統領令にサインしたことが取りあげられていた。
これは明らかに弱者である少数者に対する暴力的排除宣言であり、反スポーツ的、反民主主義的決定と言える。
トランプ大統領は独善的勝つ独断的に、人間には「性別は男性と女性の二つだけ」と何の根拠もなく事実に反する言辞を弄しているが、少数派の暴力的排除がファシズムの特徴であることは、ナチスの身障者・同性愛者・ユダヤ人などの排除による非人間的行為が存在したことで、歴史によって証明されている。
現在IOC(国際オリンピック委員会)や各種IF(国際競技団体)は、トランスジェンダーをはじめとする少数派のアスリートたちの国際スポーツ大会への参加の方法を、様々な形で模索している。
が、トランプ大統領のような一方的「男女二元論」は、明らかに少数派に対する差別で、現在のIOCのオリンピック精神に受け入れられるものではない。
『サンデー・モーニング』では居並ぶコメンテイターの方々から、このニュースに対するコメントは何も出なかったと記憶しているが、映像に出た最近のオリンピックにトランスジェンダーのアスリートも出場していることを踏まえて、せめてトランプ大統領の下でのロス五輪に対する懸念と危惧くらいは、コメントしてほしかった。
それに、この番組は「天晴れ!」と「喝!」でアスリートのパフォーマンスを評価することを「売り」にしているようだが、せっかくの人気スポーツ・コーナーなら、是非ともこの危険なトランプ大統領の反スポーツ的妄言を取りあげ、「喝!」と一括してほしいところだった。
が、この番組に限らず、最近のテレビのスポーツ報道は、報道(ストレート・ニュース)と言う以上にエンターテインメントとして取りあげられている。
ドジャースの大谷・山本・佐々木のキャンプインの様子も,多くのテレビのニュース番組に取りあげられた(NHKの7時のニュースや9時のニュースでも取りあげられた)が、はたしてそれが、ニュース(報道)として取りあげられるべき出来事かどうか,思わず首を傾げてしまった。
テレビのニュース番組に携わっているプロデューサーやディレクターやキャスターの皆さんの知識を勝手に推量するのは失礼なことと承知で書くのだが、スポーツが民主主義社会の反暴力の思想から生まれた文化であり、そこからしか生まれない大切な文化であることを御存知の方も少ないように思われる。
政治や経済の知識を身に付けることも重要だろうが、マスメディアに籍を置く人々は、スポーツに対する基本的知識も身に付けてほしい。特にスポーツに関する思想は、学校ではまったく学ばないことですから……。
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