「政治のことなら自民党でも民主党でも、いくらでも批判できるのですけど、スポーツのことは話しにくいですね」 テレビやラジオに一緒に出演したタレントの方から、何度かそんな言葉を聞かされたことがある。
たしかに、そのとおりだろう。夏の高校野球の主催者は朝日新聞社であり、センバツは毎日新聞社。プロ野球のジャイアンツの親会社は読売新聞社で、それぞれのグループ企業であるテレビ局やラジオ局の番組で、高校野球やジャイアンツに対する批判は、たしかに口にしにくい。
たとえば、ジャイアンツの人気低迷、視聴率凋落といった話題が取りあげられれば、その原因は誰が考えても読売巨人軍会長の渡邊恒雄氏の横暴にあることは明らかなのだが、タレントの方は、それを口にすると読売系メディアの仕事が消えるかもしれないという怖れから口にできない。
今夏の桐生第一高校野球部員が起こした事件も同様で、朝日系のメディアでは思ったままのこと(たとえば、「甲子園まで進めばどんな事件を起こしても許されるのか?」といった意見)は、ついつい差し控えてしまうに違いない。
小生のように、巨人批判、ナベツネ批判、高校野球批判を繰り返しているスポーツライターなら、プロ野球の話題で読売系メディアから呼ばれることなど端からなく、高校野球の話題で朝日系のメディアから出演依頼や原稿依頼がくることもなくなった。
それでも、プロ野球のストライキのときに朝日系メディアのワイドショウに招かれ、「これは高校野球の組織にも通じる問題で、プロ野球が親会社企業に支配された限界を示したのと同様、高校野球が教育機関のなかでプロのような興行を行っていることも問題にされるべき…」といった発言を口にした折は、司会者も他のコメンテイターも、次にどう言葉を続けていいかわからなくなったためか、一瞬スタジオが凍り付いてしまった。
このような例でもわかるように、我が国には真っ当なスポーツジャーナリズムが存在しにくい情況が形成されている。当然表明されるべき批判精神を、メディアが暗黙のうちに押さえ込んでいる。
その原因は明らかで、メディアがスポーツ・イベントの主催者となったり、スポーツ団体の所有者となったり、はたまた独占放送権を手に入れるという形で事業体としてスポーツから利益を得ているからに他ならない。
自らの利益拡大を臨むメディア事業体は、その利益を減少させる批判を許さない、というわけだ。 このような事態に陥った原因は、明治時代末期に東京朝日新聞が展開した「野球害毒論」のキャンペーンにまで遡る。
明治44(1911)年、大学を中心に日本全国に野球ブームが起こり、学生たちが勉学を忘れて野球に熱中するなかで、東京朝日新聞は、その狂乱的な人気沸騰を危惧し、約3週間にわたって「野球と其害毒」というキャンペーンを張った。
執筆者には新渡戸稲造(第一高等学校校長=当時)や乃木希典(学習院院長=同)を動員し、野球がいかに若者たちの心身を堕落させ、悪影響を及ぼしているかについて「筆誅」を加えた。
それに対して国民新聞を初めとするメディアが「野球擁護論」を展開し、野球がいかに若者たちの教育に寄与しているかという反論を展開した。そして両者の対決弁論大会(さしずめ今日なら「朝ナマ」で野球賛成派と反対派が対論するようなもの)まで開催された。
その結果、野球人気の一層の盛りあがりを招き、4年後の大正4(1915)年、大阪朝日新聞社が全国中等学校(現在の高等学校)野球選手権大会の主催開催を宣言する。東京と大阪で本社が異なるとはいえ、それまで系列新聞が「野球批判」を激しく繰り返していた手前、掌を返す形になった大阪朝日は、今度は「批判」に勝る「野球教育称賛」を展開した。
その全国中等学校野球大会が大人気を集めたことに倣い、他紙も次々と野球の主催者に名乗りをあげた(毎日のセンバツ=大正13年、同都市対抗野球=昭和2年、読売新聞の米大リーグ招聘=昭和7年、同職業野球リーグ創設=昭和11年)。
そして、このようにメディアが主催者や親会社となったスポーツの形態が、マラソン、駅伝、ゴルフ、ラグビー、フィギュアスケート…へと広がっていった。
もちろん、メディア企業の傘下に入ったまま自立できずにいるスポーツ団体の側にも問題はある。が、報道と批判というジャーナリズム精神を最も尊び推進すべきメディアが、それを封殺する形態を維持推進している情況は、恥ずべき事態というほかあるまい。 |