スポーツマンとは、常に「上のレベル」をめざすものである。ひとつの山を征服すれば、より高い山に挑む。国内選手権で優勝したスポーツマンは世界選手権やオリンピックでの勝利をめざし、日曜日にゲートボールを楽しむ老人でも、先週以上の好成績をめざす。それがスポーツの世界の「常識」であり、スポーツの楽しみといえる。
ところが、カネがからむとその常識が崩れる。高度経済成長の後、世界第二の経済大国となった日本のスポーツ界には、その結果、「常識はずれ」の考えがはびこってしまった。
プロゴルファーは高いレベルの海外ツアーに参加するより、レベルの低い日本のツアーにとどまるほうが、高額の賞金を獲得できるようになった。プロ野球選手も、高いレベルのアメリカ大リーグなど無視して、国内でプレイするほうが、安定した収入が約束されるようになった。
野球協約に書かれた《世界選手権を争う》という目的は有名無実化し、レベルの高い大リーガーたちをカネで呼び寄せ、親善試合でお茶を濁すようになった。
もっとも、交通網と情報網が高度に発達した現代社会のなかで、そんな「鎖国」がいつまでも続くはずもなかった。まず「アマチュア」の野球チームが世界選手権やオリンピックに出場するようになり、大リーガー級のキューバやアメリカの選手たちと対戦しはじめた。
そこで活躍した日本の選手たちは、「世界」に目を開いた。とりわけ大リーグ級の世界の選手たちを抑えた投手は、スポーツマンとしての「常識」を取り戻し、より高いレベルのアメリカ大リーグにあこがれるようになった。
1995年、アメリカ大リーグのロサンゼルス・ドジャースと契約した野茂英雄は、その理由を「近鉄バファローズが、僕の主張する複数年契約を認めてくれなかったから」と語った。が、それだけではあるまい。
ソウル五輪や世界選手権で対戦し、三振を奪った相手チームの選手たちがメジャーリーガーとして活躍していることに、心を動かされなかったはずがない。
野茂の決意と行動、そしてドジャースで新人王を獲得するほどの活躍によって、日本の野球選手は、さらに「常識」にめざめるようになった。長谷川、伊良部、吉井、佐々木・・・といったメジャーリーガーが次々と誕生し、イチロー、桑田、工藤、田口、上原、井口・・・といった選手も大リーグを語り、視野に入れるようになった。
一方、日本のプロ野球界は、いまなお多くの「非常識」がまかり通っている。球界全体の発展など無視して一球団だけがメディアの力によって人気と利益を独占し、選手は契約時に代理人すら認められず、球界の将来の目標も青写真もないまま親会社の宣伝と販売促進のために野球が行われ続けている(註・現在では「代理人制度」は認可を得た弁護士にかぎり認められている)。
そんななかで、野茂は「常識の世界」の扉を開いた。が、彼が大リーグ入りを表明したとき、いまでは既に忘れられているが、「身勝手な行動」「日本のファンを見捨てるのか」といった非難が轟々と湧き起こったことでもわかるように、非常識な世界で常識を貫くのは、かなり困難なことのようである。 |