日本のスポーツや日本人アスリートの登場するスポーツは、連日多くの時間をかけてテレビで放送され、新聞でも政治面や経済面や社会面と同程度の紙面が割かれて報じられている。が、解散総選挙の現在、メディアが各政党のスポーツ政策を分析し、報じることは、まったくない。 それどころか、前の国会に提出されていた「スポーツ基本法」の審議が解散のためにストップし、審議未了で廃案になったことは新聞が小さく報じただけで、テレビではまったく取りあげられなかった。
スポーツと呼ばれている文化(人間の営み)は、いまやアメリカで20兆円規模のGDSP(Gross Domestic Sports Products=スポーツに関連して生産された付加価値の総和)があるともいわれ、経済的産業的にも無視できない存在といえる。が、日本では、スポーツ・ウェアは衣料産業、スポーツ・シューズは靴産業、プロ野球やJリーグの入場料や、ゴルフクラブの代金等は娯楽産業に分類され、GDSPのデータは存在しない。
その一方で、オリンピックのとき、あるいは世界規模のスポーツ大会のときのみ「ニッポン、ニッポン」と騒ぎ、また、国のスポーツにかける予算の少なさが叫ばれるだけだ。
今回の総選挙で示された(自民、公明、民主各党の)マニフェストを読めば、各党ともにスポーツ政策を取りあげてはいる。
たとえば自民党のマニフェストには、『4教育・文化』の項目に、『国家戦略としてのスポーツ・文化芸術の振興』として『「スポーツ基本法」を制定し、スポーツ庁を新設する。トップレベル競技者の育成・強化や地域スポーツを振興する。2016年の東京オリンピック・パラリンピックを国を挙げて招致する』
と書かれている。
公明党も、『スポーツ振興政策の抜本強化を図るため「スポーツ基本法」(仮称)の制定』と『「スポーツ庁」(仮称)の設置を目指し』たうえ、『総合型地域スポーツクラブ』の拡充、『国民に夢を与えるトップアスリートの育成支援』、『障がい者スポーツの振興』などを書き連ねている。
これに対して民主党は、『スポーツ基本法の制定をめざす』と書く一方、『小学校の校庭や公共スポーツ施設の芝生化事業を強く推進』し、『地域密着型の拠点づくりの推進』『地域のスポーツリーダーの育成』そして『スポーツ医学の振興』等を書いている。
各党とも、テーマがスポーツだけに、夢にあふれた未来を書き連ねている。が、よく読めば自公と民主では基本理念に相違があり、自公(とくに自民)は、トップアスリートの競技力向上に重きを置いてスポーツ界全体を発展させようとする「トップ・ダウン型」、民主は、地域スポーツの基盤整備を重視する「ボトム・アップ型」といえる。
どちらのスポーツ政策が優れているかはさておき、前国会で提出されたスポーツ基本法は、当初は与野党のスポーツ議員連盟所属議員が中心になって提出される予定だったのが、(もちろん政局の影響もあり)理念の対立が際立つようになり、与党単独提出となっていた。
このスポーツ基本法とスポーツ庁設置に最も熱心だった(ロビー活動をした)のは日本オリンピック委員会(JOC)と日本体育協会(体協)で、この2団体が最も強く求めたのがオリンピック出場選手の強化費獲得だったため、与党の政策と合致したともいえる。また体協の会長が森喜朗・元首相であることや、元オリンピック選手の何人かが自民党議員になっていて、スポーツ界が自民党に(という以上に、半永続政権政党ともいうべき政党に)陳情するというスタイルが日常化していた。
が、二大政党時代を迎えようとしている現在、スポーツ界全体と、あらゆるスポーツ団体が、日本社会にあるべきスポーツの未来像を明確にし、その実現にふさわしい政権を選ばなければならなくなった。
もちろん、その「あるべきスポーツの未来」を示すために、各スポーツ団体内部でも議論が活発化し、明確な方針を持ったリーダー(各団体の会長)が、選挙で選ばれるべきだろう。
また、そのようなスポーツ政策を示すスポーツ団体には、JOC、体協、およびそれらに所属する団体だけでなく、すべてのスポーツ団体が参画し、新設されるスポーツ庁(もしくは文化省スポーツ局)には、すべてのスポーツ団体が加わるべきだろう。
たとえば、パラリンピックなどに出場する障害者スポーツは、現在では厚生労働省の管轄で、障害者の治療やリハビリやメンタルケアの一環と考えられている。が、世界的な常識として障害者スポーツも、スポーツと考え、スポーツ基本法とスポーツ庁(または文化省スポーツ局)の管轄とすべきだろう。
また、高校野球や大学野球はどうとらえればいいのか。全国高等学校野球連盟(高野連)や全日本大学野球連盟は「教育の一環」であり「スポーツ」ではなく「体育」ととらえている。つまり「スポーツ庁」が誕生しても、所轄官庁は現状のまま文部科学省に留まるべき存在と主張するかもしれない。
ならば文科省は、試験期間中の野球大会の開催を規制したり、高校生や大学生のスカウト活動を禁じるなど、高校野球や大学野球を教育(体育)の範囲内にとどめ、スポーツとしては、地域(野球)クラブの育成に務めるべきだろう。
また、現在文科省管轄の大相撲はどうだろう。プロ・スポーツの一種として当然スポーツ庁(または文化省スポーツ局)の管轄に移行するべきと考えられるが、日本の伝統文化を守り伝えるものとの考えから文科省に留まることを(文科相と相撲協会は)主張するかもしれない。
解散前の国会で廃案となったスポーツ基本法とスポーツ庁構想でも、そのあたりがきわめて曖昧で、という以上にまったく考慮されておらず、JOCと体協は(さらに政党も)、スポーツ、アマチュア・スポーツ、プロ・スポーツ、障害者スポーツ、体育、健康スポーツ、リハビリテーション・スポーツ、レクリエーション・スポーツ、伝統競技・・・といった定義と分類を避けたまま、スポーツ庁の新設という結果(とメダリスト育成予算の獲得?)を急いだようにも思える。
いずれにしても日本の新しいスポーツ政策は、今回の解散総選挙の結果、一から新たに考え直さなければならなくなった。
かつてのように、政権政党への陳情でなく、また省庁やメディアの既得権と利権に阻まれることなく、日本のあらゆるスポーツの真の総合的発展への第一歩となるような「日本のスポーツ政策」が、二大政党制とスポーツ界の自覚のなかから生まれてほしいものだ。
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