世界選手権やワールドカップは、そのスポーツ競技の世界一のスポーツマンやチームを決める大会だ。
が、オリンピックは違う。
オリンピックには「オリンピズム(オリンピック精神)」という理念がある。それはひとことで言えばスポーツを通して世界平和を構築することである。
フランス人のクーベルタン男爵は、普仏戦争(1870〜71)に敗れたフランスで、プロシア(ドイツ)に対する復讐の声が高まるなか、古代ギリシアのオリンポスの祭典が祭典競技期間中の停戦を実現した事実にならい、スポーツによる平和を訴え、近代オリンピックを創設した。
だから選手たちは「平和の戦士」であり、世界のスポーツマンと交流し、スポーツを通して平和を築くことに努めるのが本義なのだ。
「オリンピックで重要なのは勝つことでなく参加すること」とは、そういう意味なのだ。
だからIOC(国際オリンピック委員会)が4年後の東京大会のボート・カヌー会場を、オリンピック村から遠く離れて分村せざるを得ない宮城県長沼ボート場での開催に難色を示すのも理解できなくはない(世界のスポーツ選手の平和交流の機会が減りますからね)。
しかしオリンピックの理念であり、大会開催の最大のテーマである平和は、戦争だけでなく3・11東日本大震災のような激甚災害によっても破壊される。
そこからの復興の一つの手段としての五輪競技の開催は、第二次大戦からの「平和復興五輪」として開催された60年ローマ、64年東京、72年ミュンヘンの各大会と同様、五輪精神の発露として大きな意味を持つはずだ。
ボート・カヌーの関係者は東京での競技開催を望んでいるらしい。が、世界大会やW杯とは根本的に性質が異なるオリンピックでは、震災からの復興の大切さを東北の地から世界にアピールするのも、「平和復興の戦士」としてのスポーツマンたちの大きな役割と言えるはずだ。 |