今年の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)は、地方予選の段階で大きな出来事があった。
岩手県の某高校に身長189pで時速160キロ以上の快速球を投げる超高校級の投手が現れ、メディアは彼を大きく彼を取りあげた。が、その高校の野球部監督は彼を決勝戦で投げさせず、その高校は敗れ、甲子園に進めなかった。
それに対して張本勲、中畑清、金村義明らの元プロ野球選手各氏が異口同音に「非難」の声をあげた。高校球児の夢を取りあげたのはケシカランというのだ。
「私なら投げさせた」と公言する高校野球の元監督も現れ、岩手県の某高校には「抗議」の電話が相次いだ。
しかし、これらの「非難」や「抗議」はまったく無責任な暴言と言うほかない。
この超高級投手が「投げすぎ」の結果、肩や肘を壊しても無責任な彼らが責任を取ることはないだろう。いや、誰からも抗議の声など起こらないと高(たか)を括(くく)っているから、平気で無責任な放言を口にできるのだ。
超高校級の投手は前日に129球を投げ、予選を通じて4試合で435球を投げていた。それを「多くない」(張本氏)と評した人物も出たことには、もう呆れかえるほかない。
これほどの酷使を投手に強いることなど、現在のプロ野球ではありえない。身体の十分に成長した大人でも、身体への負担が大きいと許されないことが、まだ身体(骨)が成長過程の高校生に許されるはずがないだろう。
アメリカでは各州によってルールが異なるが、高校生が公式戦1試合で投げる球数は約30球程度。それを超えると連投は許されず、上限は約80球で、それを投げた投手は中4日以上の休養を求められる。
また全国大会はなく、リーグ戦中心の州大会だけで、優秀な高校球児の多くがバスケットボールやアメリカンフットボールの選手も兼ねるアメリカでは、高校野球がメディアで騒がれることもまずない。
おまけに優秀な高校生投手を試合で酷使し、身体を壊すことにでもなれば、高校の監督は裁判に訴えられる可能性も高い。その際メジャーで活躍して受け取れるはずの年俸の補償を要求されれば、とても高校野球の指導者に支払うことのできる金額ではない。
そこで選手の身体を守る意識も自ずと生まれるという。が、日本では高校生投手をどれだけ酷使しても非難されないばかりか、その投手がプロ入り前に肩や肘の故障が発覚しても、またプロ入り後に手術を受ける羽目に陥っても、訴訟を起こされることもなく、それどころか投手の酷使が優勝旗につながれば「名将」とか「名監督」と讃えられることにもなる。
今回超高校級の投手の身体を守って投げさせなかった監督は、アメリカ・マイナーリーグでの経験もあり、きわめて真っ当な判断を下したと言え、非難の声こそ非難されるべきだ。
決勝で打者としても出場させなかったことは少々残念にも思うが、自分の監督としての「栄誉」を省みず、高校生の健康を守ったという意味では大いに賞賛されるべきで、投げさせなかったことに対する非難は、まったくのナンセンスと言うべきだろう。
メジャー経験のある桑田真澄元投手や、現役メジャーのダルビッシュ投手などは、この監督の選択を大いに評価し、加えて夏の高校野球の過密スケジュールや試合のあり方を批判した。
まるで第二次大戦中の特攻精神のような闘い方を口にする無責任な老人だけでなく、真っ当な意見を口にする元プロ野球選手が出てきたのは喜ぶべきことだ。
が、過去100回も繰り返し続いてきた高校野球が、高校生の故障者のデータすら蓄積していないのは残念と言うほかなく、高校教育のうえでは職務怠慢と言うべきだろう。高校野球は見世物などではないはずなので、お祭り騒ぎの前に高校生の健康を考えるべきだろう。 |