ひょっとして関東地方の、それも東京近郊に住んでいる人だけの話題かもしれないが、来年の東京オリンピック・パラリンピックのチケット(入場券)購入の抽選に申し込み、当選して大喜びした人や、落選してガッカリした人が話題になった。
私の知人のなかにも、サッカーの準決勝とバスケットボールの決勝のチケットを射止めた人もいれば、8種類の競技の入場券を申し込んで、すべて落選しした人もいた(彼は「15万円の出費が消えて、ホッとしてますよ」と、強がりを言っていた)。
また、ある友人はチケット申し込みの際に、最後の「確認」のキイを押し忘れ、すべての競技の申し込みに失敗てしまった(パソコンを使い慣れてない人が、良くやる失敗だったそうです)。
それに、6枚申し込んで3枚当選した人もいた。が、3枚とも水球で、水球は狙い目だとの読みが当たったものの、当選した彼自身もこれまで水球など見たこともなければ興味を持ったこともなく、それでも「オリンピックを見れるんだから」と複雑な喜び方をしていた。
しかしーー、ここでちょっと考えてみてほしい。
そもそも「オリンピックを見る」とは、どういうことなのだろう?
私が思い出したのは1964年の東京オリンピックのときに、記録映画を撮影していた市川崑監督が話してくれた逸話だった(これは本欄の第5回にも書いたことなのですが、非常に興味深いエピソードなので、再度簡単に紹介します)。
駒沢競技場で市川監督が、スタッフと一緒にサッカー競技を撮影していたときのこと。和服姿の妙齢のご婦人方が10名あまり、手に日の丸の描かれたチケット握り締め、ぞろぞろぞろと市川監督の傍までやって来て、こう言った。
「ちょっとお訊きしますが、オリンピックは、いったい何処でやっているのですか?」
世間が大騒ぎしているオリンピックというものを一目見ようと「オリンピックを見に来た」ところが、目の前では男たちが泥にまみれてボールを蹴っているだけ。
この一件をきっかけに市川監督は「オリンピックとは何か?」ということを深く考え始めたそうだが、はたして妙齢のご婦人方は、「オリンピックを見る」ことができたのだろうか?
もう一つ。面白いエピソードを紹介しよう。それは2002年の日韓ワールドカップ・サッカーでのことだ。
私はそのとき、仕事でワールドカップ・サッカーの試合を何試合か見ることができたのだが、面白かったのは、まず札幌ドームで見たイングランドvsアルゼンチンの試合だった。
とはいえ、話題となった因縁の試合に注目したわけではない。前回のフランス大会でイングランドのベッカム選手がアルゼンチン選手の少々狡猾とも言えるプレイからレッドカード(一発退場)となり、試合は結局PK戦でアルゼンチンの勝利。札幌での試合は、その因縁の勝負のあとのベッカムの復讐戦となったのだが……そんなことより、私にとって面白かったのは、大勢イングランドからやって来たサポーターたちだった。
彼らは誰もが驚くほどの大男揃いで、フーリガンと呼ばれるほど暴れまくったわけではなかったが、試合開始前から呆れるほど何杯ものビールを飲んでいた。しかも札幌ドームの小さな座席に座ることができず(彼らのデカイ尻は、日本製の小さな椅子の肘置きの間に入らず)、ずっと立ったまま観戦していた。
なかにはグイと尻を押し込んで椅子に座った大男もいたのだが、今度は尻を椅子から抜くことができず、膝が前の座席に支(つか)えて前方へ動くこともできず、ハーフタイムの間中大騒ぎとなった。
そのとき私は、サッカー好きの(労働者階級の)イギリス人のビールを飲む量の桁違いの多さと、身体のデカさと、尻とビール腹のバカデカさと、咆吼のような大声と、底抜けの陽気さ……に、自分の知らなかったイギリス人像を発見したのだった。
W杯サッカーでの話を、もうひとつ。横浜総合競技場(現・日産スタジアム)で行われたドイツvsブラジルの決勝戦の日、試合前はJR新横浜の駅からスタジアムまでの舗道にサッカー関係のグッズを道端に並べて売る店が連なり、客引きのポルトガル語やドイツ語や英語や、何語かわからない外国語などが大声で飛び交っていた。
その日がW杯の最終日。品物を売り切りたい外国人たちは、必死に愛想を振りまいていた。
そんな雰囲気のなか、試合前に食事を済ませておきたかった私は、小さなうどん屋へ入った。すると店内はブラジル人で満員。おまけに店の人と何やら揉めていた。そこで事情を聞いてみて、私は思わず(店の人には申し訳ないが)噴き出してしまった。
ブラジル人達は「アペリティボ(前菜)のヌードル(うどん)は食べたので、プリンチパル(メインディッシュ)を待ってる」と言うのだ。私が、この店ではヌードルがメインディッシュだと言うと「それでは値段が高すぎる」と彼らは一斉に顔を顰めた。
そのあとどうなったか、昼飯抜きで決勝戦を見ることにした私は知らない。が、2対0でブラジルが勝利した試合結果以上に、路上の物売りの様子やうどん屋での出来事のほうが、私にとってはワールドカップとして強く印象に残った。
そう言えば仕事抜きで長野オリンピックへ子供連れで足を運んだときは、スケート会場で入場券が手に入らず、近寄ってきた黒人とチケット購入の交渉を始めたところが、思わぬ安値で交渉が成立。ところが、喜んでいざチケットを買おうとしたら、相手の黒人(青森の三沢基地からやって来た米軍人だった)も、ズボンのポケットから財布を取り出し、お互いに大笑い。どっちも相手がダフ屋だと思っていたのだ……。
はたして来年の東京オリンピック・パラリンピックは、どのような大会になるのか?(チケットは購入した個人の登録情報入りで、ダフ屋は不可能ですね)。
私は、おそらく猛暑となるに違いない太陽の下で、東京という街をぶらぶら歩いてみるつもりだ。そうすれば、きっと「2020年の東京オリンピックを見る」ことができる、と確信している。スポーツの試合はテレビで見れば十分だから。 |