私は、高校野球があまり好きではない。
高校時代、バドミントンという少々マイナーな競技に励んでいたため、インターハイに出場しても騒がれず、1回戦で敗れた同級生の野球部のほうが新聞に大きく報道されたことに嫉妬し、同じ高校生の部活動でありながら、その不公平さを不愉快にも思った。
スポーツの取材をするようになってからは、訪れた「名門」高校野球部で監督や先輩が体罰(暴力)を繰り返していることを何度も目撃し、美化された報道と実態との乖離に落胆もした。
もちろん高校野球には素晴らしい面もある。野球と懸命に取り組む高校生や、熱心に指導する先生方の努力まで否定する気はない。
私の高校時代の野球部の友人も職員として母校に就職し、部員の指導に汗を流し続けた。母校が1勝すれば嬉しいし、いつかは甲子園に……とも思う。
しかし高校野球の現状には、一刻も早く改善してほしい点も数多くある。
夏のスポーツ大会なら、熱中症の心配がある関西地方でなく(犠牲者が出る前に)開催地を北海道に移すべきだろう。
それに投手の多くが投げすぎから(投球数に制限がないため)、肩や肘を故障している。それを防ぐため、アメリカの高校野球のように、1週間に70球まで、1試合50球まで、連投は禁止…といった投球制限の規則を設けるべきだろう。
……といった具合に、改善してほしい点は山ほどあるが、私がいちばん望むのは、監督を高校生にすること、である。
現在の高校野球では、選手はすべて(と言えるほど)監督のサイン通りに動く。
走者が出たときには、必ず打者がベンチを振り向き、バント、ヒットエンドラン等の監督のサインを伺う。いや走者がいないときでも「待て」「打て」等の監督の指示を仰ぐ選手も多い。
高校教育のあるべき姿というものを考えるなら、基本的な戦術や戦法を教えたあとは「自分で考えてみろ」というほうが、私には「教育的」に思える。だから試合では、大人の監督(指導者)はベンチを離れてネット裏に座り、サインを出さずに高校生を見守ることにすればどうか?
かつて高度経済成長と呼ばれた時代は、上司の命令に盲目的に従って働く体育会系のモーレツ・サラリーマンが大活躍した。が、現在は、自分で企画を考え、計画を練り、プロジェクト・チームを立ちあげて目的を達成するビジネスマンの時代。彼らに必要なのは、時間と共に変化する局面に対して、臨機応変に新たな作戦を選択し、対応するスポーツ・インテリジェンス(SI)と呼ばれる才能だ。
その瞬間的な思考力をケーススタディとして学ぶことのできるスポーツ(高校野球)の場で、監督の命令どおりに動くことしか学べない高校生は、不幸というほかない。
高校生だけで作戦を考えるとレベルが落ちて試合が面白くなくなる……などという意見は無視。高校野球は見世物でなく教育のはずだ。高校生監督は試合に勝つため同級生投手を現在以上に酷使するかも……ということは考えうるが、そのときこそ勝敗と無縁の大人たちが投手の球数制限規則を作ることができるはずだ。
高校野球は高校生のために存在する。大人は前面に出るべきではないだろう。 |