平成最後の年。日本のスポーツ界は、レスリングの吉田沙保里と横綱稀勢の里の「引退劇」で幕を開けた。
リオ五輪決勝での涙の敗北について「初めて負けた選手の気持ちがわかった」と語った吉田。「ケガに強い力士を育てたい」と言った稀勢の里。それらの言葉は、指導者としての二人の今後の活躍に、十分期待を抱かせる内容に思えた。
それはさておき、最近のスポーツマンの「引退」は、昔とかなり様変わりした。
昨年末、スポーツ議員連盟の関係者の会議に出席したところが、「私、阪神タイガースでピッチャーをやってました」という人物に出逢った。彼から渡された名刺には「△△会計事務所
公認会計士奥村武博」と書かれていた。
97年に岐阜県土岐商高からドラフト6位で阪神に入団し、一軍経験のないまま01年に戦力外通告を受けた彼は、そこから一念発起。超難関とされる国家試験に合格。現在39歳で、公認会計士として活躍している。
他にもJリーグのガンバ大阪やヴィッセル神戸などで3試合に出場した八十祐治さん(49)は、JFLの横河電機に移籍して43試合に出場したあと00年にサッカー界を引退。
そこから猛勉強を開始して05年に司法試験に合格。現在、大阪弁護士会所属の弁護士として活動している。
また福井大学卒業後、91年に横浜大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)からドラフト1位指名でプロ野球入りした水尾嘉孝さんは、ブルーウェーブや西武の中継ぎ投手として活躍したあとMLB目指して渡米。エンゼルス傘下のマイナーリーグのチームでプレイしたあと06年に退団。大阪の老舗レストランで修業を積んだ後、50歳の今は東京自由が丘で人気のイタリアン・レストランのオーナー・シェフとなっている。
古くは元東映フライヤーズ(現・日本ハムファイターズ)で投手として活躍したあと、親会社だった東映の役者に転身。俳優集団「悪役商会」を結成し、映画『仁義なき戦い』などで大活躍した八名信夫さんのように「異色のセカンドキャリア」で成功したスポーツもマンもいた。
が、最近もNHKの大河ドラマ『平清盛』や、朝の連ドラ『花子とアン』などに出演し、俳優として活躍している藤木隆宏さん(47)は、バルセロナ五輪400m個人メドレーで8位に入賞したアスリートだ。
その藤本さんは水泳留学をしていたオーストラリアで、ミュージカル『レ・ミゼラブル』を見て、舞台と観客が一体になっていることに感激。
「こういう世界に関わりたい」と思うと同時に「劇場のライブ感と五輪会場の観客とパフォーマーの一体感は同じ」で「選手と俳優は同じ」に思えたと言う(『スポーツゴジラ』34号17年3月15日発行より)。
欧米ではスポーツマンの「引退」を「リタイア(引退)」と呼ばないことも多い。代わりに「アジャスト」という言葉を使う。それは、スポーツマンとしてのそれまでの人生を「清算(アジャスト)」すると同時に、次の人生に「適応(アジャスト)」することを意味する。
そのためにはスポーツだけに専念するのではなく、セカンドキャリアも見据えて様々な経験を積むべきで、また、そのほうがスポーツの成績向上にもプラスになる。だからアスリートは「デュアルキャリア(二重の経験)」を積むべし、という考えが主流になっているというのだ。
現在では日本のアスリートのなかにも将来は医者を目指しながら柔道の世界選手権で優勝した朝比奈沙羅さんのようなアスリートも生まれている。
世界レベルのスポーツマンは誰もが英語も堪能(でなければ、レフェリーに抗議もできませんからね)。もはや「スポーツ馬鹿」なんて言葉は死語になりましたね。 |