大谷翔平投手の活躍に注目しているアメリカのMLB(メジャーリーグベースボール)ファンなら既にお気付きだろうが、彼は今季から「ピッチコム」と呼ばれる電子装置を、捕手とのサイン交換に用いている。
それは捕手のリストバンドと投手の袖口に取り付けられた無線送受信装置で、何種類かの小さなボタンを押して球種やコースを伝えることができ、さらに投手の帽子や捕手のヘルメットに取り付けられた極小マイク兼スピーカーによって、簡単な会話もできるスグレモノだ。
MLBは今季から、平均3時間10分を超えた試合時間を2時間半程度に短縮するため、「ピッチクロック」と呼ばれるルールを採用。
投手は捕手から受け取ったボールを走者ナシの場合は15秒以内、走者アリの場合は20秒以内に投球しなければならなくなった(時間をオーバーすると自動的にボールが宣告される)。
そこで大谷投手もバッテリー間(投手と捕手)のサイン交換の時間を短縮するため、昨年から使用が許可された「ピッチコム」を使い始めたというわけだ。
が、このニュースを聞いて、私は少々複雑な気持ちになった。というのは無線によるサイン交換装置は、日本のスポーツ用品メーカーM社が、ずっと早くに完成していたからだ。
それは捕手のミットと投手のグラヴに、各々3個の押しボタンと3色の極小色電球が取り付けられ、ボタンの組み合わせで7種類の球種を伝えることができ、スイッチを切り替えれば投球の高低左右のコースも伝えられるものだった。
当初私が、井口監督の投手交代を支持したのにも、もちろん理由がないわけではなかった。
その新製品を、M社の社員が1980年代初期に高知市で行われていた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の春季キャンプに持参。当時の上田利治監督に見せ、ちょうど取材に訪れていた私も見せてもらった。
が、そのとき上田監督は、手にとってちょっと確かめたあと、「アカン! ジャミングでやられる」と言ってグラヴとミットを無造作に投げ捨てたのだった。
「ジャミング」が「妨害電波」のことだと知っていたのは、当時プロ野球で広く流行していた「サイン盗み」について深く取材していたからだった。
スコアボードから双眼鏡で捕手のサインを盗み見て、投手の投げる球種やコースを無線でヘルメットの耳当てに付けた打者の受信装置やベンチに置いた受信機に伝える。
または打者のストッキングに付けた微弱電流の流れる受信装置に、ビリッと電流を流せば直球、ビリビリッと2度流せば変化球といった方法で伝える……など、当時は様々な「スパイ野球」が横行していたのだ。
そして、そのようなスパイ行為を防ぐ目的で開発されたのがグラヴとミットに取り付けられたサインの送受信装置だった。
が、既に妨害電波の発信装置まで開発され、手遅れだったというわけなのだ(ネット裏で、妨害電波を発生する装置を操作していた球団関係者がいたという)。
その後プロ野球の「スパイ野球」は禁止され、罰則規定も設けられ、消滅した(と信じたい)が、注目したいのは野球での無線装置(ピッチコム)の日米の扱い方の「違い」だ。
日本のプロ野球での無線装置の使用は、自分の球団が他球団との試合に勝つための装置として開発された。が、MLBでは試合時間短縮のために、つまり試合を面白くして観客(ファン)を喜ばせるために開発されたのだ。
日本のプロ野球関係者には、この日米の大きな違いを、是非とも深く再認識してほしいと思う。
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