本書には45人の「スポーツ人」(スポーツと関わった人々)の人生が凝縮されている。
その「スポーツ人生」も見事だが、それを記述した簡潔な表現にも唸らされた。
五輪聖火の最終走者に選ばれながら選手としては成功できなかったランナーも……、甲子園で大人気のヒーローになりながら、その後全く活躍できなかった野球選手も……、父親の強烈なスパルタ教育から独立しようと足掻いたプロ・ゴルファーも……、45通りの様々な人生が過不足のない鮮やかな文章で紹介され、描かれているのだ。
スポーツ・ノンフィクションと呼ばれる読み物は、書き手の作家が一人称で登場し、スポーツマンの行動を見つめ、インタビューするなかで、「僕は……と思った」といった表現で、スポーツマンの人生が劇的に描かれる場合が多い。
作家の目――作家というフィルターを通して、「スポーツマンの人生ドラマ」が描かれる。
が、本書は通信社の記者が書いた地方紙への配信原稿で、そんな悠長な表現は許されない。
わずか2千字足らずの文字で表現された人生は、書き手の感傷など一切排除した、言わばスポーツのエッセンス(精髄)のみとなる。
政治に翻弄されたオリンピック体操金メダリストも……、陸上競技の五輪メダリストが手にする砲丸を作り続ける職人も……、男性との戦いに挑む女流棋士も……、芸能界のアイドルからオートレーサーに転進した若者も……彼らの語る「人生」には、スポーツという素晴らしい人間の行為へのオマージュが常に含まれている。
人生とは生きる目的を見出しにくいもの。そこにスポーツがあれば救われる? あるいは、苦労が倍増する?
それはわからないが、生きてる実感だけは確固として存在する。そんな確信を教えてくれる一冊でもある。
おそらくスポーツは人生の中にあるものではなく、スポーツの中に人生があるのだ。 |