2016年オリンピックの開催都市にリオデジャネイロが選ばれ、東京は敗れ去った。
IOC総会直後に「敗因はわからない」と語った石原都知事に代わって、その敗因を考えてみたい。
「本命」と言われたシカゴが最初に落選。日本のメディアは「サプライズ」と騒いだが、市長の側近が競技場建設予定地の土地の一部を買い占めていたことが発覚したり、USOC(アメリカ国内五輪委)がシカゴ五輪のために独自のテレビ局を創設してIOCの怒りを買ったり、そのため招致委員長が変わるなどゴタゴタが続いていた。
オバマ大統領のIOC総会参加は、おそらく事情を深く読めなかったシカゴ出身のミシェル夫人が招致委(の誰か)に動かされ、大統領が夫人に動かされた結果だろう。その裏でアメリカ大統領を総会に招き、IOCの力を誇示したかった「勢力」による「甘い囁き」があったと言う事情通もいる。
ともかくシカゴの落選は、メディアが騒ぐほどのサプライズではなかった(オバマ大統領へのノーベル平和賞は、IOC総会に出席してくれたことに対する「欧州貴族たち」の「御礼」だと、穿った「陰謀史観」を口にする関係者までいる。ホンマカイナ)。
次に東京が落選。しかも第1回投票で獲得した22票を2票下まわった。固定票すら不安定で、浮動票を一票も上積みできなかった。つまり東京には、「縁」の遠い人の心を動かすほどの魅力がなかったわけだ。
環境に留意したエコ大会、選手本位のコンパクトな会場と主張しても、「南米で初」という一言に優るほどのインパクトは明らかになかった。
東京は第一次選考で最も高い点数を獲得し、一方リオは第一次選考で落選した中東のドーハよりも低い点数で最下位だった。その時点で、これは何か「大きな力」が働いていると想像することも可能だった。
IOCのロゲ会長が、就任中にその名を残すほどの歴史的成果を示したかったのかどうかはさておき、IOC評価委員会の報告書が東京の計画を「ハイ・クオリティ(高い質)」と評したのに対して、リオに対しては「ベリー・ハイ・クォリティ(とても高い質)」と評した時点で、再度「政治的誘導」を試みる何らかの意志が働いたと考えるのが妥当だろう。
そのうえ今年になってブラジルのルラ大統領はフランスからジェット戦闘機36機を購入する契約を結び、その直後にサルコジ仏大統領から「リオ支持」の約束を取り付けた。フランスは近代オリンピック創設者のクーベルタン男爵の母国で、現在も旧植民地を中心に隠然たる力を持っている。
前回の総会で2012年開催都市にロンドンがパリを破って選ばれたときは、イラク戦争に反対したフランスの落選を企図したアメリカの「勢力」が働いた。今回はシカゴが最初に落選し、マドリッドが最後まで残ったことも含めて、フランス・ラテン系のパワー(リベンジ?)が働いたともいえる。
昨年の北京五輪でも中国を国際舞台に引き出そうとする勢力の「力」が働いたように、オリンピックとは国際政治の力関係によって動くものである。東京には、その「動き」の中に入る要素が存在しなかった。
おまけに東京都民の支持率がIOCの調査で55%と極めて低かった。東京の招致委は、支持率を上げようと懸命になったが、そこにこそ東京の最大の敗因があった。
他の都市は、それぞれの都市を本拠地とするスポーツクラブと密接な関係にある。それらのクラブの頂点には世界的に有名なサッカーやバスケットボールのチームがあり、頂点のクラブは裾野の市民と一体化した関係にある。
学校体育と興行スポーツしか存在しない日本(東京)が、再びオリンピックを招致しようとするなら、市民からプロまでつながるスポーツクラブづくりから始めるべきかもしれない。
そうすればたとえ招致に失敗しても、市民には幸福なスポーツ環境が残され、税金の無駄遣いなどと非難されることもないはずである。
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