――今度、札幌にお邪魔しますので・・・。
「えっ、そうですか。札幌に来られるんですか。そうですかそうですか。ウェルカムですよ。今回は特別な野球ですからね。じっくりと見てみてください」
長嶋茂雄さんと――いや、日本代表チームの長嶋茂雄監督とそんな言葉を交わしたのは、日本シリーズ第7戦で福岡ドームを訪れたときのことだった。記者席の裏の通路で、ぐうぜん出逢った長嶋監督は、頬がピンク色に輝くほどに血色がよく、その顔色に優るほど、言葉にも元気があふれていた。
その態度と言葉に少々気圧されしてしまったわたしは、「がんばってください」と右手を差しだす以外になかった。
「ええ、やりますよ」
そういって握り返してくれた力強くも柔らかい大きな右手のぬくもりを感じながら、戸惑った。というのは、わたしは、長嶋氏の日本代表監督就任に対して、否定的な考えを持っていたからである。
監督としての長嶋氏の能力には多くの疑問がある。ジャイアンツ時代の選手起用や作戦の采配をここで改めて詳しく述べる必要はない。それは多くのスポーツ・ジャーナリストや評論家の一致した見解である。日本代表監督がまだ決定していないときにアマチュア野球界のドンと呼ばれる山本英一郎氏(日本野球連盟会長=当時)にインタヴューしたときも、「古田君のプレイングマネージャーはあるかもしれないが、長嶋君の監督はない。彼には監督以外の仕事でがんばってもらう」と明言していたくらいだった。
ところが結局「長嶋監督」となったのは、ひとつにはスポンサーの意向だったといわれている。ユニフォームを着た長嶋茂雄が存在しない代表チームでは、スポーツ・マスコミの話題にならず、テレビの視聴率も稼げず、スポンサーにとっての価値がない。そして「日の丸」のユニフォームを着ることに意欲を燃やした長嶋氏自身の意向とも合致した、というわけである。
そうして誕生した長嶋監督が、オリンピックをはじめとする国際試合での経験が豊富で、山本栄一郎氏も高く評価している古田捕手(スワローズ)を代表チームのメンバーからはずした。そのことから、近年成長の著しい韓国や台湾に勝てないのではないか、下手をすれば中国にも・・・という声もあがっていた。
わたしも、同様の危惧を抱くと同時に、日本の野球界に横たわる諸問題(ジャイアンツの横暴ばかりが際立つプロ野球や、中学、高校、大学、社会人が分離した組織でプロとの交流も少ないアマチュア野球の諸問題)を、根元から解決するきっかけをつかむには、国際試合でのショック療法(試合に敗れること)も有効なのではないか、とも考えていた。
が、長嶋監督と握手をした瞬間、そういう考えは吹き飛んでしまった。この人を応援したくなる。長嶋茂雄氏とは、そう思わせるオーラを持っている人物である。戸惑ったのは、そのためだった。
そして蓋を開けてみれば、長嶋ジャパンは3連勝。新興中国を赤子の手をひねるように破り、韓国に勝って意気あがる台湾も圧倒し、アテネへのチケットを手に入れるために必死に粘った韓国をもねじ伏せた。
その采配に、疑問の声が出ていないわけではない。国際試合で最も信頼できる上原を、どうして格下の中国戦に先発させたのか? 韓国戦にぶつけるべきではなかったか? 中国戦では、もっと多くの選手を使って国際試合に慣れさせることができたのではなかったか? 送りバントではなくヒットエンドランでもっと揺さぶることができたのではないか? 個々の選手の守備力や打撃の技術の差を考えれば、もっと楽に勝てたのではないか?
しかし今大会で、長嶋ジャパンが結果的に文句のつけようのない成績をおさめたのは事実である。選手の全力疾走も、熱のこもったヘッドスライディングも、見事なファインプレイの連続も、選手の技量だけの問題ではあるまい。そのように仕向けた監督の存在は、けっして小さなものではなかったはずだ。
「ファインプレイの連続は、けっして偶然に生まれたものではないと思います」
長嶋監督は3連勝後の記者会見で、そう語った。
「それは、フォー・ザ・フラッグという意志の表れであったはずです」
しかし、さらに、オーラを持つ監督の存在も大きかったように思えるのである。
そうして、大砲不在といわれるなかで、さらに4番打者の城島のバットが湿り、3番を予定していた小笠原がスランプに陥っても、中国や台湾や韓国の選手たちよりもはるかに「野球をよく知っている選手たち」が渋く粘って打線をつなぎ、足を使って攪乱し、堅い守りで、試合に勝ったのだ。
「国際試合では、ホームランというイッパツの出るような局面が少ないですからね」
記者会見で、「アテネでの課題は何ですか?」と訊いたわたしの質問に対して、長嶋監督はそう答えた。「やっぱり今回のチームと同じように、誰もが走ることができて、ディフェンスがしっかりしている選手でチームを作ることですね。プロでいうところの空中戦とかは期待できませんから、一発屋の選手はアテネでの本戦のときにも選ぶつもりはありません」
その答えを聞きながら、わたしは、長嶋監督が一度目にジャイアンツの監督を解任された直後、大リーグのプレイオフを視察中にカナダのモントリオールでインタヴューしたときのことを思い出した。
――長嶋さんのほんとうにやりたい野球というのは、どのようなものですか?
その問いに対して、彼はこう答えた。
「わたしのような人間なら、打ちまくる野球とか、豪快な野球と答えたほうがいいのかもしれませんが、じつはそうではなく、『ゴーゴー・ベースボール』と呼ばれた時代のドジャースの野球が大好きなんですよ」
それは1960年代にドジャースが展開した野球で、大砲不在といわれながらも、モーリー・ウイルス、ウイリー・デービスといった俊足好打の選手がヒットで出塁し、盗塁し、タイムリーを放ち、そうしてもぎ取った最少得点を、サンデー・コーファックス、ドン・ドライスデールという二人の超エースの好投によって守り切るという野球だった。
「背筋がゾクゾクとふるえるような僅差の勝利。それも野球の醍醐味でしょう」
そしてさらに、「生まれ変わったら、今度はバッターではなくピッチャーになって相手をねじ伏せてみたい」とも語ったのだった。
アテネの本戦でも同じようなチームを・・・と、長嶋監督がいったのは、けっして「国際試合」では「イッパツの出るような局面が少ない」からだけではあるまい。
セオリー無視の采配がカンピューターと呼ばれたり、他球団の4番打者を次々と獲得するジャイアンツのやり方を「何でもほしがるナガシマさん」と揶揄されたり・・・。
しかし、いま、オリンピックという国際舞台で、長嶋監督の考える「ドリームチーム」を組むことによって、はじめて「長嶋野球」が実現しようとしているのだ。
じつは、いまから数年前の秋、初のON対決と騒がれたジャイアンツ対ホークスの日本シリーズが始まる直前。宮崎でのミニ・キャンプを訪れたわたしは、清原、江藤、工藤といった選手をFAで次々と手に入れる渡邉オーナーと長嶋監督のやり方を「ジャイアンツの横暴である」と、面と向かって批判したことがあった。
長嶋監督は、最初のうちは「それはルールに則ってやっていることだから」と穏やかに答えていた。が、わたしが何度もしつこく「横暴」であると非難し、このやり方で納得されているのか、と問い質すと、
「いまは、そんな話をするときじゃない!」
長嶋監督は、大声を張りあげて、わたしをにらみつけたのだった。
それは、出逢う人すべてを幸せで包むような笑顔しか見せたことのない長嶋さんが、わたしに向かって初めて、たった一度だけ見せた、ほんとうに怖い顔だった(同行していた編集者もカメラマンも、同席していたジャイアンツの広報担当者も、全員がふるえあがるような迫力だった)。
たしかに、その質問は日本シリーズの直前に口にするような質問ではなかったかもしれない。が、彼の「怒り」は、いま思うと、自分の野球がやれないことに対する苛立ちであったとも思えるのである。
アテネ五輪は、これで見所が定まった。それは「長嶋野球の花道」である。はたして、今回のアジア予選と同様に、その「長嶋野球」にふさわしい選手たちを、ペナントレースの真っ最中に集めることができるかどうかわからない(大リーグにわたる選手も出てくるはずだ)。
が、アテネは、ミスター・プロ野球が、野球人生の総決算をする場となるはずである。大学時代から日本の野球界をちょうど半世紀にわたって担いつづけた人物が、キューバ、カナダといった大リーガー・クラスの強豪を相手に、最後にどんな花を咲かせるのか。これはおおいに見物である。
しかし――
そのあと、日本の野球は、どうなる?
親会社が所有し、親会社の宣伝に利用されるだけの企業野球でしかないプロ野球は、好選手をアメリカ大リーグに輩出するだけの組織でしかなくなるのか? 社会人野球は、そのようなプロ野球の「三軍」でしかなくなり、高校野球はただただドメスティックな興奮を呼ぶイベントとして存在しつづけるのか?
そしてアメリカ大リーグが参加を拒否するまま、オリンピックでの野球競技はアテネを最後に打ち切られるのか? 大リーガーもくわえたベースボールのワールドカップは、ほんとうに2005年から開催されるのか?
未来のことはわからない。が、問題は、どんな未来にしたいのか、という青写真を、日本の野球関係者が打ち出せないでいることである。
かつて山本英一郎氏にインタヴューしたとき、彼は、
「野球も、将来は、サッカーのJリーグと同じような地域社会に密着したクラブチームを中心とした、プロもアマも同じ組織にならないといけない」
と、断言した。
が、そのような意見を口にする人物は、日本の野球界にはあまりにも少ない。
多くの野球人は、自分が野球さえできればいいと考え、組織のあり方など考えてこなかった。野球の「人気」は、長嶋茂雄という真のカリスマが、半世紀にわたって支えつづけてくれた。その結果、日本の野球は、野球を行うひとびとの手によって運営されるのではなく、野球を利用して利益を得ようとする人物の手に支配されつづけた。
それでも長嶋茂雄がいたから・・・という時代は、いま「終わりの始まり」が幕を開けた。
「長嶋茂雄の花道」が、日本の野球界の終焉にならないことを、それが新たな時代の幕開けにつながることを、いまは、ただ祈るばかりである。
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ホンマに「ポスト長嶋」の日本の野球は、どないなってしまうんやろう?
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