千年に一度とも言われる未曾有の大震災。さらに大津波にも襲われ、多くの犠牲者を出した東北・関東の太平洋沿岸地域。今なお被災地で、さらに避難場所で、不自由な生活を強いられている人が大勢おられることを思うと、胸が痛む(おまけに「原発事故!」という人災まで……)。
この震災の4日後、小生の友人の某政治評論家が、全国ネットのラジオ番組で、東京のスタジオと被災地を結び、現地の人々の生の声を伝えた。
すると緊急に必要な食料や不足している物資、ボランティアの受け入れなどが話されたあと、避難場所にいた母親と思しき女性から、音楽のリクエストがあったという。
「子供たちも大勢いるので、アンパンマンのテーマをかけてほしい」
この番組では、最初は音楽は予定になかったが、急遽『アンパンマンのマーチ』を流したという。
♪そうだ、嬉しいんだ! 生きる喜び、たとえ胸の傷が痛んでも…今を生きることで、熱い心、燃える……。
そのとき東京のスタジオにいたキャスターやコメンテイター、さらにディレクターやプロデューサーのスタッフたちの誰もが、改めて「歌の力」の素晴らしさを感じたという。
そして、避難場所にいた人々から寄せられたリクエストに応えて、『となりのトトロのテーマ』や、そのオープニングテーマの『さんぽ』、それに美空ひばりの『川の流れのように』などを、次々と流したという。
「歌」は、言葉の意味する内容を「音楽」(リズムやメロディやハーモニー)で何倍にも強調し、聴く人の心を鷲掴みにして、直接ふるわせる。ならば、「がんばれ!」「がんばろう!」と何度も繰り返す以上に、「歌」が被災者を励まし、「音楽」が被災者の心を慰めることもあるだろう。
「スポーツ」も「歌」や「音楽」と似たような効果を持っている、といえるのではないだろうか。
一流のスポーツマンは、我々には不可能な超人的な見事な身体の動きで、困難な状況を突破し、素晴らしい記録を打ち立てたり、チームを勝利に導いたりしてくれる。そのしなやかで美しく、力強い身体の動きは、見る人にも
「力」を与えてくれる。
たとえ一流とはいえなくても、たとえば高校生が高校野球で見せる必死の形相や、勝ったときの喜びの表情、また残念ながら敗れたときの悔しい表情なども、一つの物事を達成しようと挑戦することの尊さを、改めて教えてくれる。
東日本大震災から3週間も経ってないときに行われたサッカーの日本代表チームvs Jリーグ代表チームのチャリティ・マッチでは、日本代表のエース本田圭佑選手が、「今、サッカーをやっていいのかどうか、よくわかりませんが、サッカーで少しでも被災者の皆さんを元気づけることができれば……」と語っていた。
たしかにスポーツ(や音楽)は、衣食住などとは根本的に異なる「文化」で、生きるうえで絶対に必要といえるものではない。音楽(芸術)とは非生産的な感情表現であり、スポーツも身体エネルギーの浪費ともいえる。
が、それだけに人間以外の生物には創造できない、人間ならではの「文化」といえ、だからこそ人間は芸術やスポーツで、互いを励ましたり、癒やしたりすることができるのだ。
被災地では、まだまだ苦しい日々が続くだろう。しかし復興の槌音は芸術やスポーツとともに響くはずだ。カズが放ったゴールのように! |