バンクーバー冬季五輪には多くの人々が熱中し、興奮したに違いない。が、最近の冬季五輪は大きく「変化」してきた。それは「大都市開催」という事実である。
1998年の長野(人口38万人)以降、02年ソルトレイクシティ(同108万人)、06年トリノ(同90万人)、10年バンクーバー(同57万人)、そして2014年のソチは40万人。
それ以前にも、88年カルガリ(同98万人)、84年サラエボ(同30万人)、72年札幌(同180万人)、52年オスロ(同57万人)など、大都市開催はあった。
が、第1回大会1924年のシャモニー・モンブラン(人口9千8百人)以来、28年と48年のサンモリッツ(同5千人)、32年と80年のレークプラシッド(同2千7百人)、36年ガルミッシュ・パルテンキルヘン(同3万人)、56年年コルチナ・ダンペッツォ(同6千人)、92年アルベールビル(同1万7千人)、94年リレハンメル(同2万5千人)……と、小都市というより、雪山の田舎の村での開催が一般的だった。
その「冬の山村での長閑(のどか)な祭り」の様子は、68年グルノーブル冬季五輪の記録映画、クロード・ルルーシュ監督『白い恋人たち』に美しく記録されている(フランス南部のグルノーブルは人口15万人だが、冬季五輪はロワール川沿いの都市部でなく、郊外の山間部で開かれた)。
そのような「長閑な雪と氷の祭典」が、近年夏季五輪と大差のない大都市で開催されるようになったのは、ひとつにはスノーボードやカーリングなど競技種目(参加人数)の増加と、世界中に情報(映像)を発信するメディア・センター等の必要性から、「田舎の山村」では施設が不十分になったから、といわれている。
しかし、それ以上に重要な理由がある、と指摘するIOC関係者もいる。
それは、夏季大会で行われている競技のいくつかを冬季大会に移すことを企図するIOC委員が少なからず存在するから、というのだ。
現在夏季五輪は、その名のとおり、スポーツ発祥の地であるイギリスで「サマーゲーム」と呼ばれている競技が中心になっている。が、たとえば、アメリカの雪深いマサチューセッツ州の冬でもフットボールを楽しみたいと思って、YMCAの体育教師ジョン・ネイスミスによって考案されたバスケットボールは、はたして「サマーゲーム」といえるのか?
そもそもフットボール(サッカーやラグビー)のシーズンは本来冬ではないのか? また少々暑苦しい防具を身につけるフェンシングや、衣類を着ての格闘技である柔道のシーズンも、本来は冬ではないのか?
そのようなスポーツ・シーズンのルーツ探しは少々面倒なので、インドア・スポーツはすべて「サマーゲーム」ではなく「ウィンターゲーム(スポーツ)」として冬季五輪に移す。すると夏季五輪の競技種目に大きな余裕が生まれ、野球とソフトボールの復活のみならず、サーフィン、スカイダイビング、フリークライミング、ビーチサッカーといったスポーツを、新たに多種類加えることが可能になる……と主張するIOC委員もいるのだ。
それにはまず現在「雪と氷の競技」に限られている冬季大会を「ウィンター・インドア・スポーツ」に拡張し、そのすべてを開催できる大都市で行う……。そんな流れのなかでの近年の冬季大会大都市開催(田舎の山村開催の消滅)というのだ。
もちろん「オリンピック肥大化」に対する批判の声はあがるだろう。が、どうやらそれが、商業主義五輪の近未来の姿のようだ。
****************
2018年の冬季五輪開催地に決まった韓国の平昌は、人口4万6千人。人口135万人のミュンヘンとの招致争いに勝って、時代の流れを(一時?)ストップした? |