広島カープの25年ぶりのリーグ優勝は、素晴らしい本拠地球場とファンの存在とともに、なかなか見事なものだった。が、日本のプロ野球に関しては、少しばかり気になることがある。
私はいくつかの大学で教壇に立ち、スポーツ論やスポーツ・ジャーナリズム論を教えている。そこで最近某大学で長嶋茂雄の話をしたところが、教室にいた50人ほどの学生が全員ポカーンとした顔つきをした。
彼らの誰一人として、長嶋茂雄のことを知らなかったのだ。これを世代間ギャップと言うのかもしれない。
しかし私の授業を専攻するくらいだから、学生は全員スポーツが大好き。ほとんどの学生が球場へも足を運んだことがあり、熱心なファンとして何度もメガホンを振りに通った学生も半分以上いた。
が、彼らは日本のプロ野球史上最高のスーパースターの存在を知らなかったのだ。
なかには数人、元メジャーリーガーの松井秀喜とともに国民栄誉賞を受けた人物だと知っていた学生がいた。それでも、その人物が素晴らしい野球選手だったことは知らなかった。
私は愕然とした。
過去の歴史が忘れられたところに文化など存在しない。ということは、日本の野球は文化と呼びうるものではなく、ただ毎日娯楽として消費され、忘れ去られていく存在でしかないのか?
彼ら学生たちは、長嶋以前のヒーロー「赤バットの打撃王・川上哲治」のことも(残念ながら)知らず、「青バットのホームラン王・大下弘」が「つれづれなるままにありし日の事ども書きつづらん」という書き出しで『球道徒然草』と題した見事な日記を残したことも(もちろん)知らなかった。
さらに彼らは、夏目漱石の『吾輩は猫である』の一節に、明治時代の学生たちが野球に興じる面白いシーンがあることも知らなかった。また、漱石の友人でもある正岡子規が「恋知らぬ猫のふりなり球遊び」という俳句や、「今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな」といった短歌を、数多く残していることも知らなかった。
十年以上前のことになるが、日本の野球に関する見事な著作を数多く書いているR・ホワイティング氏と一緒に甲子園へ高校野球の取材に訪れたときは、若い新聞記者が飛田穂洲を知らなくて驚いた。
明治時代に早稲田大学の選手として活躍し、その後同大学の監督となり、「千本ノック」「一球入魂」などの言葉で「精神修養の野球」を唱え、昭和まで評論家として日本の野球界に多大な影響を与えた「学生野球の父」の存在を、高校野球の記者が知らないのは、学生が長嶋を知らない以上に大問題と言えるだろう。
そんなことを思い出したのは(少々手前味噌になって恐縮だが)最近新潮文庫から『9回裏2死満塁―素晴らしき日本野球』と題した野球作品のアンソロジーを上梓したからだ。
もちろん本書には、漱石、子規、大下弘の作品も選び、飛田穂洲については元巨人投手の桑田真澄氏の見事な評論を選んだ。
他にも小林秀雄の野球論、草野進の長嶋茂雄論、佐瀬稔の野茂英雄論、伊集院静の松井秀喜論、小西慶三のイチロー論など、明治時代に野球が伝播して以来、最近までの日本野球の歴史が俯瞰できよう諸作品を並べた。
こういう日本野球の歴史が常識として広がり、日本野球が確固たる文化として発展してほしいものだ。 |