「やっぱりオリンピックは面白いねえ」 東京五輪の期間中、10人近い人物からそんな電話やメールをもらった。
確かに面白いシーン、興奮し、激するシーンは数多くあった。卓球の混合ダブルスで日本人ペアが中国人ペアを破って金メダルを獲得したことも、ソフトボールで接戦をものにしてアメリカに勝って優勝した試合も、女子バスケットボール・チームがベルギーやフランスのチームを撃破して決勝に進んだゲームも、また水泳でも陸上競技でも、野球や新たに五輪競技加わったスケートボードや、その他の競技でも、思わずテレビの前で大拍手を送りたくなる素晴らしいシーンが山ほどあった。
が、「オリンピックは面白い」と言った人物に対して、私はその都度言い返した。「間違っちゃいけない。オリンピックが面白いんじゃない。スポーツが面白いんだ」
オリンピックは4年に1度の「特別に大きなスポーツ・イベント」だけに、出場選手たちの気持ちも高揚し、素晴らしいパフォーマンスとなって現れたシーンもあっただろう。しかしオリンピックという特別な重圧から、明らかに日頃の実力が出し切れなかった選手もいれば、凡戦に終始した試合もあった。
それらは、ワールドカップや世界選手権といったイベントで見られるスポーツマンやスポーツウーマンのパフォーマンスと、根本的に異なるものではないはずだ。
ところがオリンピック(IOC=国際オリンピック委員会)や、それを報じるメディアは、他のスポーツ大会とは異なる「特別な主張」を発信する。オリンピックは「世界平和のための祭典」であり「人類の祭典」であり「世紀の祭典」だというのだ。
今回の第33回オリンピック東京大会が、新型コロナの世界的感染拡大(パンデミック)で、開催すべきか否か、その是非が問われたときから、私は「オリンピックの意義」を考え続けた。そして、それらオリンピック(IOC)の「特別な主張」は、スポーツの本質ではなく、スポーツの周辺に纏わり付けた「属性(付随物)」に過ぎず、スポーツを利用した巨大イベントをより価値のある物に見せるための方便(幻想)に過ぎない、という結論に達したのだった。
オリンピックの開催都市とその組織委員会は、毎回国際連合に対して「オリンピックとパラリンピック期間中の休戦決議」の採択を求める。今回の東京大会でも国連は総会でその決議を採択した。が、そのことは大きく報道されることもなく、知らない人も多い。
おまけに過去のオリンピック大会を振り返るなら、第一次世界大戦のため大会の開催が中止されたのをはじめ、ヒトラー率いるナチス・ドイツのプロパガンダに大会が利用されたり、第二次大戦で2度の大会中止が生じたり、さらに五輪開催のため反政府デモに参加した国民の大量殺害事件が起きたり(メキシコ大会)、過激派集団による選手村襲撃事件が起きたり(ミュンヘン大会)、冷戦時代には2度の政治的ボイコット合戦もあり(モスクワ大会、ロサンゼルス大会)、爆弾テロにも見舞われた(アトランタ大会)等々……、そこにオリンピックが世界平和に貢献してきた、貢献できた、という事実も痕跡も見つけ出すことはできない。
今回の東京大会の開催1年延期が決定したのも、安倍総理(当時)が発案したことをバッハIOC会長が同意する形を取り、大会は「オリンピアード(4年間)の最初の年に開催する」と定められたIOC憲章を改定することなく、理事会の承認のみで決定された。つまり大会延期は「政治的に決定」されたのだ。
「戦争は政治の延長」という言葉があるが、ならば「平和(反戦)も政治的」になるのは必然的結果と言え、「オリンピックの政治からの独立」は不可能なこととも言えよう。
しかも「政治的に延期された大会」は、新型コロナの蔓延(感染者数)が、大会延期を決定した年以上に拡大したなかで「強行開催」されることになってしまった。その結果、世界のコロナ感染がどのような状態に陥ったのかは、まだパラリンピックの開催を控えている現在、判断はできない。
が、リオデジャナイロ大会の閉会式に安倍総理がマリオ姿で登場したのと同様、今回の東京大会の閉会式でも、次回パリ大会のPRにフランスのサルコジ大統領が登場。近年完全に「政治的イベント」の様相を露骨に表しているオリンピックは、経済的にも過度の商業化と肥大化の極限にまで達し、東京大会招致時に7340億円だった開催費用は1兆6千億円以上に膨れあがった(合計は4兆円になるという週刊誌報道まである)。
またオリンピックがスポーツに不向きな酷暑の真夏に開催され、けっして「アスリート・ファースト」と言えないのも、最も多額のTV放送権料を出しているアメリカが、春や秋には数多く多くのスポーツイベントの放送を予定しているから、という経済的事情(IOCの収入の問題)によることも明らかになった。
さらに東京大会招致が決定して以来、エンブレムの盗作疑惑や新国立競技場のコンペのやり直しから、組織委会長や開閉会式の責任者の女性蔑視発言等での交代など、ここに書き並べることができないほど数多くの「恥ずべき事件」も次々と起きた。
それらIOCの問題と日本側の問題のすべてを、包み隠すことなく(長野冬季五輪の会計帳簿が焼失されたようなことなく)すべて記録に残し、発表され、その原因がいったいどこにあったのかを分析して未来の財産とすること。それが東京オリンピックの最も重要なレガシー(遺産)と言えるはずだ。
問題だらけのオリンピックだったが、それでも「素晴らしかった」との感想を抱く人が少なくなかったのは、やはり「スポーツの力」「スポーツという文化の素晴らしさ」と言えよう。
ならばオリンピックなど必要ではなく、ワールドカップや世界選手権などのスポーツ大会があれば十分ではないか……。
世界平和などという理屈抜きに、アスリートにとっての最高の環境でスポーツ大会を開催すれば、そこにはきっと世界平和にもつながる友情も、感動も、生まれるはずだ。
妙な理屈をつけて政治と合体したり、経済的に肥大化することなく、純粋にスポーツを行い、楽しめばいいはずなのだ……というのが、2度目の東京オリンピックを連日テレビ観戦したあとの小生の素直な感想、正直な感想である。
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