「日本のプロ野球はポルノ小説である」というのが、私の持論である。
べつにイヤラシイという意味ではない。ポルノ小説には、主義主張や理屈は必要ない。中味はどうでもいい。ひたすら男女の営みを描写する。だから誰もがいつかは飽きる。が、飽きる人がいると同時に、新たに興味を持つ人も現れる。子供が思春期を迎えてポルノに手を出す。その結果、拡大再生産は期待できないが、一定の読者を相手に、それなりの商売を維持し続けることができる。
私がスポーツライターを名乗って以来四半世紀の間、日本のプロ野球は、そのような歴史を繰り返してきた。やれ巨人が勝った、やれ負けた、やれ西武の時代だ、やれ阪神フィーバーだ・・・と繰り返すだけで、セ・パ12球団は増えもしなければ減りもせず、ただ「騒動」だけを繰り返してきた。
だからまったく価値がない、というのではない。野球を通して、楽しい瞬間、興奮する一瞬をファンに提供することは、多くの人々に精神的健康と明日への活力を与えることであり、それはそれで、素晴らしいことといえる。
しかし、スポーツの持っている「力」とは、たったそれだけではあるまい。そのことをJリーグが教えてくれた。コンサドーレのような「おらがチーム」は、地域住民との交流と地域活動を通してホームタウンのシンボルとなり、地域経済にも好影響を及ぼし、地域社会を活性化させる(可能性がある)。
もちろんコンサドーレには、まだまだ不備な点もある。が、Jリーグは「百年構想」のヴィジョンを掲げ、そのようなスポーツによる豊かな地域社会の未来像を打ち出している。
ところが、まったく残念なことに、プロ野球は未来の青写真を持っていない。百年後どころか、十年後の未来ですら誰も語れない。プロ野球を将来どんな姿にしたいのか? コミッショナーもセ・パ両リーグ会長も、12球団の関係者も、誰も語ることができない。
未来像のない組織など誰も信用できず、ありえないはずだが、プロ野球界は、野球文化を発展させるのではなく、親会社の宣伝と利益を第一の目的にしているから、そんないい加減な組織のままあり続けたのである。
野球によって豊かな社会を築くのではなく、野球を利用しているだけだから、野球がダメになればほかの宣伝手段に乗り換えればいいのである。
そんなプロ球界のなかで、北海道日本ハム・ファイターズだけが地域社会に根ざした活動(スポーツによる豊かな社会づくり)に取り組むのはきわめて困難というほかない。が、それを承知で挑戦するのなら、百年とはいわなくても、十年二十年後の球団の青写真を示すべきだろう。
その青写真には、プロアマ交流(北海道地域の高校生や大学生への指導と交流)やコンサドーレとの合併といった、中央(東京)の方針を打ち砕くくらいの革命的な案も含まれてほしい。
Jリーグは社会革命なのだから、同じことをするにはそれくらいの気概が必要である。でなければ「ポルノ」を描き続けるほかあるまい。
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追記・コンサドーレは、どないなっとるねん?
J2に落ちてJ1復帰の見通しがない・・・という成績はさておき、まさか、地方官僚の天下り先になってるのんとちゃうやろなぁ・・・。 |