イギリスでは1960年に「賭博解禁法 Betting & Gambling Bill」が施行され、誰もが登録制で自由にブックメーカー(賭け屋)を開業できるようになった。
そこで突然100軒以上の「賭け屋」の店が生まれた。
それらは法律が生まれる以前は、ギャングなどの反社会的勢力が運営していたものだったが、やがて自由競争の営業行為のなかで、暴利を貪(むさぼ)るギャング系の「賭け屋」は淘汰され、顧客(利用者)サービスの行き届いた「賭け屋」だけが残った。
そして今では、数軒程度の「健全な賭け屋」によって、あらゆるスポーツの勝敗から王室に生まれる赤ん坊の性別や名前まで、すべての「未来の出来事の予想=賭博」が大人の遊びとして楽しまれている。
なかにはトランプやルーレット等で、ギャンブル・アディクション(賭博依存症)に陥る人もいるが、そんな患者を治療する病院も、「賭け屋」から徴収する特別税で運営されているという。
一方、我が国では賭博は刑法で犯罪として禁止され、競馬、競輪、競艇、toto等、一部の賭博だけが国の運営で認められている。
しかし、《パチンコやカジノバーでは換金が堂々と行われているのが現状であり、まさしく「一部公認・一部黙認」の世の中といえる》(谷岡一郎『ギャンブルフィーバー』中公新書より)
こういう状況は禁酒法(1920〜33年)の存在した時代のアメリカ社会と酷似しており、アル・カポネらのギャングが密造酒、密輸酒、秘密バーなどで大儲けしたのと同様、国家が国民の欲求を禁止抑制すると反社会勢力の利益源を生むとも言える。
日本のバドミントンの優秀な選手が、暴力団と関係のある闇カジノに出入りしていたことが判明し、五輪出場を棒に振った。
あまりにも無知な彼らの行為はスポーツ庁の鈴木長官も口にしたように、本当に「バカ」としか言いようがない。
が、彼らが賭博に手を出したきっかけが、海外での合法カジノなら、日本でも「健全な賭博」のあり方を考えてみたほうがいいかもしれない。 |