新型コロナ禍のために開催が1年延期された「東京2020オリンピック・パラリンピック大会」だったが、終わってみれば「喉元過ぎて熱さを忘れた」のか? あっと言う間に「過去のモノ」になってしまった感がある。が、それではいけない。
延期の結果、総費用が4兆円にも膨らむ(『週刊ポスト』8月13日号)とも言われる巨大イベントを、ハイ終わりましたで済ませられるわけがない。新型コロナの感染拡大で緊急事態宣言が発せられるなか、無観客で「強行開催」された「東京オリパラ」。それがわれわれに残した「最大の遺産」とは何だったのか? そのことを考る必要があるだろう。
それは、大きく分けてふたつある。ひとつはIOC(国際オリンピック委員会)の様々な問題点が露呈したこと。行き過ぎた「商業主義」によって「肥大化」したオリンピックを運営するIOCの独善性が露わになった(それについては『スポーツゴジラ第52号特集・理想のオリンピックとは?』に「根本問題(IOC)を解決して素晴らしさを残す方法」と題した文章を書いたので、そちらを読んでいただきたい)。
そして、もうひとつ。今回の「東京オリパラ」では「日本のスポーツの問題点」も浮き彫りになった。 オリンピックで日本の選手団は「金27銀14銅17」という史上最多のメダル数を記録した。が、素直に喜んではいられない「問題」も露わになった。
その「問題」を一橋大学の坂上康博教授(スポーツ社会学)は、具体的に次のように指摘した。
《1952年(サンフランシスコ講和条約が結ばれ、第二次大戦戦後の日本が独立した年)以降で計算して(2021年東京五輪開催までの約69年5か月のうち)58年4か月、実に84%にあたる期間を(日本は)オリンピックの誘致運動、あるいは開催に向けての準備に費やしています。いちばん間の空いたのが1972年の札幌冬季オリンピックの後ですが、5年半です。常に日本のどこかの都市がオリンピックに関わっているという状態がずっと続いてるんです。日本はオリンピック中毒あるいは依存症になっている。今も札幌が手をあげていますね》(後藤逸郎『亡国のオリンピック』での対談よる=文藝春秋・刊)
戦後五輪招致に手を挙げた日本の都市は東京が4度、札幌も4度、長野、名古屋、大阪が各1度。坂上氏と会った機会に「日本がそれほどオリンピックと関わっていたという事実には驚きました」と言うと、「私も改めて驚きました」と言われたあと、次のように付け加えられた。「要するに日本では、スポーツが文化として認められていないのです。だから、オリンピックに頼らざるを得ないのですね」
確かにその通りだが、ここで「文化」という言葉に少々註釈を入れる必要があるだろう。
「スポーツ文化」とはどういう意味か? 正確に説明できる人は、存外少ないようにも思われる。
そもそも「文化」とは何か? 「文」の反対語は「武」。「文武両道」という言葉は誰もが御存知だろう。だから「文化」の反対語は「武化」。武力を用いて人々を支配する社会が「武化社会」。その政治を「武断政治」という。
「文化社会・文化政治」はその反対。武力を用いずに触れ書き(法律)や話し合い(議会)など、言葉で人々を治める社会をいう。江戸時代に「文化・文政」という年号が存在するが、まさに武力が用いずに世の中を治めた時代を指し、「化政文化」と呼ばれる呼ばれる「庶民の文化」も花開いた時代だった。
が、「化政文化」「庶民の文化」と言うときの「文化」という言葉は、いま述べた「武化」の反対語としての「文化」という意味とは異なる。
それは明治時代に「カルチャー culcure」という言葉が西洋から伝播したときの翻訳語として用いられた言葉。日本語には「カルチャー」にぴったり相応する言葉が存在しなかったため、少々むりやり適用された言葉なのだ。
では「カルチャー」とは、どういう意味か? それは「みんなで育て実らせ実らせた作物」といった意味で、頭に「土」という意味の「アグリagri」が付くと「アグリカルチャーagriculture」で「農業(土から実らせた作物)」となる。
元々の日本語の「文化」という言葉は「上(支配者)から下(一般人)」への行為を指す。が、「カルチャー」は上下関係とは無関係で、「スポーツ文化」とは「みんなで育て実らせたスポーツ」となる。
スポーツを「育て実らせる」役割は、欧米では主に地域社会のスポーツクラブが担った。が、明治時代に西洋から伝播したスポーツの面白さや楽しさは理解できても、どのように「育て実らせればいいのか」わからなかった日本人は、まずスポーツを大学や高校で受け入れ、「カルチャー」ではなく「体育教育 physicaleducation」として取り入れることになった。
そして数多くの輸入スポーツのなかで抜群の人気を博したベースボール(野球)は、様々な競技大会が新聞社の手によって開催されるようになった。
1915(大正4)年には朝日新聞社が全国中学校(現在の高等学校)野球大会を開始。毎日新聞社が1924(大正13)年に選抜野球大会、1927(昭和2)年に都市対抗野球(社会人野球)を始め、1936(昭和11)年には読売新聞社が自ら創設した読売巨人軍を中心に、職業野球リーグ(現在のプロ野球)を開幕したのだった。
こうして日本の野球は「みんなで育て実らせるカルチャー」ではなく、新聞社の発行する新聞の宣伝や販売拡張の道具として利用されるなかで発展するようになり、このビジネス・モデルが一般化し、日本では多くのスポーツが企業の宣伝媒体として利用されるようになった。そして「カルチャーとしてのスポーツ(スポーツ文化)」はなかなか実を結ばせることができず、日本社会におけるスポーツの発展史は、スポーツという「カルチャー」を作り上げた欧米とは相当異なるものとなったのだった。
一例を挙げるなら、アメリカ・メジャーリーグのオールスター戦はシカゴ・トリビューン紙に寄せられた子供の投稿「ナショナルリーグとアメリカンリーグのチームの試合を見たい」という声を取りあげた運動部長の提案で1933年に始まった。が、シカゴ・トリビューン紙が自ら主催者になることはなく、メジャーリーグ機構(MLB)が主催した。
一方、その4年後に日本の職業野球でも、朝日新聞記者の発案で今日のオールスター戦につながるイベントが始まるのだが、それは「朝日新聞本社事業団主催職業野球オールスター東西対抗戦」との名称で、朝日新聞社が主催し、開催するものとなった。
その他、日本の新聞社やテレビ局などのマスメディアは、箱根駅伝(読売新聞社主催)をはじめとする各種駅伝やマラソン大会、フィギアスケート(NHK杯)、女子サッカー(日テレ・ベレーザ)をはじめ、サッカー、ラグビー、バレーボールなど様々なスポーツ大会で、主催・後援・独占放送・チームの所有等、極めて強い結びつきのなかで運営に関わることが当たり前になった。
メディアだけでなくスポーツに参入する企業も、自社の宣伝や社員の福利厚生などにスポーツを利用することが多く(企業スポーツ)、教育に利用するスポーツ(体育)や、伝統文化を残すためのスポーツ(大相撲)など、「みんなで育て実らせるカルチャーとしてのスポーツ(スポーツ文化)」ではなく「何かに利用するスポーツ」という考えが、日本のスポーツの世界では一般化したのだった。
そこで思い出されるのは、1993年、日本で初のプロサッカーリーグが生まれたときの記者会見のあと、川淵三郎チェアマン(当時)が新聞記者と交わしたやりとりだ。「Jリーグを作って、いったい何をするつもりですか?」と訊く新聞記者に向かって、川淵チェアマンは「サッカーをやります」と答えた。
それは見事な答えだった。スポーツとは何かに利用したりするものでなく、「カルチャー」として「育て実らせる価値のあるもの」だと、川淵チェアマンは答えたのだ。が、そういう考えは、まだ日本の社会に浸透していなかった。
アメリカのメジャーリーグの野球場やヨーロッパ各国のサッカー場など、欧米諸国の多くのスポーツ施設は税金や多額の公的援助で建設される。が、私企業の宣伝や販売促進などに利用されるスポーツが多い日本では、その施設に公的資金(税金)を使うことは難しい。プロスポーツが公営のスポーツ施設を使う場合も、高額の使用料を支払うのが普通だ。
最近ではJリーグやBリーグなど、親会社の宣伝としてのチームではなく、多くの企業や支援者から援助を受けたスポーツクラブとして、地域社会との交流を深くして活動するチームに、税金で援助する地方自治体も出てきたようだ。が、そのような「みんなで育て実らせるカルチャーとしてのスポーツ(スポーツ文化)を育てよう!」という一般的な意識はまだまだ希薄というほかない。
となると「オリンピックを利用して……」という考えが頭をもたげる。オリンピックが日本で開催されれば、多額の税金もスポーツに投入される。スポーツ施設も整えられる。その結果「オリンピック依存症・五輪中毒」(さらに国民体育大会というイベント依存症)にならざるを得なくなってしまったのだ。
ここでもうひとつ。今回の「東京オリパラ」で露呈されたさらなる問題も指摘しておく必要がある。 それは、朝日・読売・毎日・日経・産経の全国紙に加えて、北海道新聞の合計6紙
の新聞社が「東京オリパラ」のスポンサー(オフィシャル・パートナー/オフィシャル・サポーター)になったことだ。 私自身、この事実を知ったときは愕然とした。前出の坂上教授も、《これで日本も終わりだなと思いました》と対談で語られている。《オリンピックへの批判がタブーとなってしまうと思ったからです》
開幕前から東京オリンピックへの鋭い批判を繰り返していた著述家の本間龍氏も、最新刊『東京五輪の大罪』(ちくま新書)で次のように記している。 《東京五輪の問題点は数多あるが、その中で特に深刻だったのが(略)全国紙すべてが五輪スポンサーとなり、批判的な報道をできなくなったことであった。複数の巨大メディアが揃ってスポンサーになるなど、過去の五輪では一度もなかった。さらに、これらの新聞社とクロスオーナーシップ*で結ばれた民放キイ局も、同様に五輪翼賛側に与していた。つまり、我が国の主要メディアのほとんどが、東京五輪を批判できなくなっていたのだ》(*新聞社とテレビ・ラジオ局などが同じ資本で経営されるシステム。日本では許されているが、ジャーナリズムの多様性が失われるとして多くの主要国で禁止されている)
本間氏によると《報道を生業とする企業が五輪スポンサーとなったのは、過去に2000年のシドニー五輪でローカル紙があったくらいで、その国のオピニオンを代表する新聞社全社が協賛したことなど、まったく例がなかった》という。
東京五輪開幕直前に、朝日新聞はコロナ感染者数の激増から「菅総理は五輪中止を」と社説で主張した。が、スポンサーは降りなかった。ということは、五輪開催を応援しながら中止を主張するという、まったく矛盾した意見表明に終わってしまったのだ。
今回のようにスポーツの国際的ビッグイベントのスポンサーになる先鞭をつけたのも朝日新聞で、02年のワールドカップ・サッカー日韓大会で朝日新聞社は「オフィシャル・サプライヤー」となったのだった。朝日は「オフィシャル・ニュースペーパー(公認新聞)」という言葉を宣伝に用いたが、それは「広報紙」のことで「サッカー・ジャーナリズムの放棄」では? と首を傾げるほかなかった(日韓大会のスポンサーになった韓国メディアはなかった)…………
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つづきは『スポーツゴジラ53号』でお読みください。また、54号以降の『スポーツゴジラ』も、バックナンバーもよろしく!
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