パリ・オリンピックが幕を閉じた。 改めて嘆くことでもないのだろうが、日本のメディア(特にテレビ)のオリンピック報道は、常に日本の選手たちのメダル獲得を騒ぐばかりで、パリ・オリンピックの"全貌"を伝えるものではなかった。
オリンピックはスポーツ競技だけでなく、文化プログラムとして様々な文化イベントが開催されている。たとえばパリでは市中の50カ所以上で様々なイベントが行われ、パリで活躍した画家の藤田継治(1886〜1968)の住居兼アトリエだった"メゾン・アトリエ・フジタ"でも、絵画の展示の他、武道や日本文化の紹介等が行われたという。
が、そのような文化プログラムを報じたメディアは(小生の知る限り)まったく存在しなかった。
かつて五輪の創始者であるクーベルタン男爵は、人間は身体と精神を伴って初めて人間たり得るとの考えから、身体競技だけでなく芸術競技もオリンピックの正式競技として採用した(1912年ストックホルム大会〜1948年ロンドン大会)。
が、芸術文化は競うものではないとして正式競技からはずされ、様々な文化的イベントを、オリンピック選手村の開村時からパラリンピック選手村の閉村時まで、開催することを義務づけたのが文化プログラムなのだ。
その認知度は極めて低く(メディアが報じないから?)、2013年に東京五輪の開催が決まったあと、小生が文部科学省と文化庁の局長クラスの幹部職員を相手に、オリンピックというイベントの解説を頼まれたときも、文化プログラムの存在を知っている官僚は、一人もいなかった。
しかしスポーツ競技ばかりを大騒ぎして文化プログラムをまったく無視というのでは、オリンピックの全貌は全く見えてこないはずだ。
その文化プログラムの片鱗を垣間見ることができたのが、開会式と閉会式での様々な文化的アトラクションだった。が、日本のメディアは、そこでも大きな出来事を見逃した(キチンと伝えなかった)。
それは、ジョン・レノンの名曲『イマジン』が歌われたことだった。
『イマジン』の歌詞の大意は、次のようなものである。
?誰もが、想像(イマジン)してほしい……(と呼びかけるなかで)?天国なんて存在しない……地獄も存在しない……だから宗教も存在しない……国も存在しない……そんな世界を想像することで、我々はみんな兄弟となって、一つになることができる……
その歌詞のラジカルさ(根源的で過激で急進的なこと)から、1991年の湾岸戦争時にはイギリスの放送局BBCが放送禁止にしたり、2001年の9・11同時多発テロのあとにはアメリカ政府が放送自粛の通達を出したりした。
オリンピックでは1996年のアトランタ大会の開会式で、スティーヴィ・ワンダーが歌ったのを皮切りに、18年平昌冬季五輪、21年東京五輪、北京冬季五輪などで、様々な歌手によって歌われ、今回のパリ五輪ではセーヌ川に浮かんだ舞台(船の上)で、フランス人女性歌手のジュリエット・アルマネが、炎で燃え盛るピアノの伴奏で歌いあげた。それは明らかに、戦火の止まない現実世界で、?国も宗教も存在しない世界を想像してみよう……と歌う強烈なメッセージだった。
しかも、そのとき生放送していたNHKのアナウンサーが、この『イマジン』の楽曲を「今後、オリンピックの開会式で必ず歌われることになった歌です」と紹介したのだ。
その決定を下したのがIOC(国際オリンピック委員会)の理事会なのか、バッハ会長なのか、誰なのかは現時点ではまだよくわからない。が、NHKのアナウンサーが淡々と口にしたことが本当なら(嘘を言うはずもないから)これは、凄いことだ!。
今後、『イマジン』がオリンピックで、どのように歌い継がれていくかはわからないが、パリ五輪では、開会式だけでなく様々な競技場でも流されたという。
ビーチバレーの決勝では、ネット越しに激しい口論が続き、気まずい空気が流れたときに『イマジン』が流れ、選手たちは思わず笑顔に変じ、間キャの大合唱となった。
ならば、やがて選手たちが声を揃えて歌う大会が出現する可能性もあるだろう。そのときは、ロシアの選手もベラルーシの選手もウクライナの選手も、イスラエルの選手もパレスチナの選手も、中国の選手も台湾の選手も、アメリカの選手もイランの選手も……みんな一緒になって、?国も宗教も存在しない世界を想像しよう……そのとき我々は一つになる……と歌いあげるのだ。
だからどうした? たかが歌じゃないか! と言わないでほしい。
かつて東西ドイツに分裂していたとき、東ドイツのパンク歌手ニナ・ハーゲンが歌った『カラー・フィルムを忘れたのね』が、どれほど東独の暗い実情を歌い、人々を勇気づけ、ベルリンの壁崩壊のエネルギーとなったことか……。その因果関係の証明は難しいが、東独出身のメルケル首相が退任式で、最後に流す音楽として『カラーフィルムを忘れたのね』を要求したことは、「歌の力」のけっして小さくないことを示した証左と言えよう。
ほかにもソヴィエト連邦政府が禁止していたビートルズの音楽を、多くの若者たちが求め、そのゲリラ的コンサートがロシア国内からバルト三国にも広がり、ソ連邦を崩壊に導いたとも言える。さらに、ルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽が全国的に広がるなかでチェコのベルベット革命が起きたこと……等々、「音楽の力」は、世界の国々で様々な力を発揮したことも事実なのだ。
パリ五輪の閉会式でIOCのバッハ会長はこう言った。「オリンピックに平和を創ることはできないのはわかってる。だが、五輪は平和の文化を創り世界に影響を与える(インスパイア)することはできる」
クーベルタンが、「世界平和」の創出を目指して始まったオリンピック。過度な商業主義が「ボッタクリ男爵」と非難されたりもするが、ジョン・レノンの『イマジン』が今後どんな「オリンピックの平和」を創るのか……それこそメディアが注目し、論じるべきオリンピックの最重要課題と言えるだろう
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