新型コロナ・ウイルスによるスポーツ界への悪影響が治まらない。
ウイルス禍は人間の生死に関わる問題で、スポーツは言わば不要不急の文化。すなわち「人生の飾り」で、生死の問題より優先されるはずがない。
夏の甲子園大会もインターハイも、大学野球もインカレも、はっきり言えば高校大学生活のなかでの余技(部活動)であり、本筋ではない。
新型コロナ禍からまず取り戻すべきは高校大学の授業であり、その目処が立って初めて次の課題――スポーツ復活の問題と取り組めるはずだ。そのことを忘れてはならないだろう。
夏の甲子園大会の中止が報じられたときは、小生もいくつかのメディアから意見を求められた。
そこで私が、先に書いた大原則を口にすると、何人かの取材記者から反論された。高校野球にはファンも多く、経済的影響も大きい。だからなんとか開催できなかったものか……。
私はこのような、とにかく開催を願う意見には賛成できない。
たしかに高校野球ファンは多い。それは一所懸命野球をプレイする若者たちの姿に感動するからだが、野球というスポーツは、本当に見ていて面白い劇的な要素の多い競技といえる。
その証拠に近所の公園で行われている子供たちの草野球を見ていても(野球好きには)十分に楽しめるシーンが訪れるものだ(もちろんコロナ禍以前の話だが)。
だから高校生の野球が面白いのは当然で、おまけに日本のプロ野球が百パーセント地域社会の代表とは言えない企業野球の要素を含んでいるなかで、ほぼ完全な地方の代表対抗試合の色彩を濃厚に宿している高校野球は、プロ野球以上に広範な人々の支持を得る要素まで有している。
そこで高校野球は多くのファンを獲得し、主催する新聞社が多大なる利益を得たことは想像に難くない。
が、その多大なる利益が、全国の高校や高校生たちに還元されたというニュースは聞いたことがない。
高校野球の人気が高いのなら当然テレビやラジオの放映権料も高くできるはず。高校野球グッズのライセンス料も高くできるはず。
そこから得られる大きな利益は、当然高校野球の主役たる全国の高校と高校生に還元され、高校教育の環境改善に利用することができるはずだ。
そのような利益の生み方で教育現場を潤わせているのはアメリカの大学で、NCAA(全米大学体育協会)という組織がアメフトやバスケットボールから得た利益を分配し、他の大学スポーツを援助したり、学生スポーツマンの勉学の規則(落第点ではスポーツ活動のできないこと)を定めたりして、大学教育の環境を整えることに寄与している。
が、高野連(日本高等学校野球連盟)は高校野球の放送権料取っていないらしく、グッズのライセンス料も格安だという。
それは高校教育の一環でアマチュア・スポーツだから利潤を生まないやり方が当然だと考えられた結果らしい。
高校野球は汗と涙と青春ばかりが強調され、「美しい見世物」として消費されているだけで、利益も生まなければ、教育としても中途半端に思える。
はたして高体連(全国高等学校体育連盟)にも所属しない高野連が、主催新聞社とともに「高校教育」に関与するやり方が正しいのかどうか?
コロナ禍で、早く元の姿に……との声を聞く。が、私はコロナのあとは、高校野球だけでなく他の日本のスポーツも、元の姿でなく新しい進化し変わってほしいと願ってやまない。 |