渡邉恒雄氏は、スポーツを知らない。
読売ジャイアンツのオーナーに就任した直後、東京ドームでゲームを観戦した彼は、解説者としてそばに座った人物に向かって「バッターは三塁へ走ってはいかんのかね」と訊ねたという。また、二死走者三塁で打者が内野ゴロを打ち、一塁でアウトになったときも、「バッターが一塁でアウトになるよりも走者のほうが早くホームへ帰ってきたのに、点数は入らんのかね」と訊いたという。そして、それらが嘲笑の的にもなった。
たしかに彼は、野球というスポーツのルールに対して、甚だしく無知だった。が、それをもって、渡邉恒雄氏はスポーツを知らない、といったのではない。それらの疑問は、けっして悪いものではない。
ここで詳述する紙幅はないが、走者が反時計回りの方向に走ったり、走者の進塁よりも打者の封殺を優先するといったルールには、はっきりした理由がある。それらは単なる「ボール遊び」が野球というスポーツとして確立される歴史的過程において生まれたものであり、その点に疑問を抱き、徹底的に検証すれば、この精緻に組み立てられたボールゲームの文化の奥義に触れることにもなり、アメリカ人の思考法に迫ることにもなる。
サッカーやラグビーがヨーロッパ文化の歴史を体現しているのと同様、ベースボールの歴史はアメリカの文化史そのものでもあり、そのルールを子供のころから教え込まれ、疑問を抱かないまま信じ込んでいる「スポーツマン」よりも、そのルールに疑問を抱く「非スポーツマン」のほうが優れた感性の持ち主ともいえ、スポーツに対するよりよき理解者になりうる、と断言できる。
もっとも、メディアが報じた渡邉恒雄氏のさまざまなスポーツに関する言動を見聞きするかぎり、彼のスポーツに対する「優れた感性」は、開花されないまま枯れてしまったといわざるをえない。おそらく、「打者が三塁へは走れません」「打者のアウトがすべてに優先します」といった解説を聞いた彼は、それ以上の「なぜ?」という疑問を抱くことなく、「ルールだから」という理由で「納得」したのだろう。
要するに、彼はスポーツに興味がないのだ。
ジャイアンツが川上監督のもとでV9を達成していたころ(昭和40〜48年)、毎年日本シリーズに勝利したジャイアンツ・ナインは、チーム全員で優勝旗を先頭にして読売新聞本社ビルの各階を練り歩いた(練り歩かされた?)。そのとき、地下にあった印刷所では職員のあいだから大拍手が湧き起こり、万歳の大歓声にあふれたが、階上の政治部や経済部のエリート記者たちの部屋は、長嶋や王といったスター選手の出現にも静まりかえり、なかには邪魔だから早く出て行けといいたげに、追い払うような仕種をする人物もいたという。その筆頭が政治部部長の渡邉恒雄氏だったらしい。
その時期に渡邉恒雄氏の英語の家庭教師をしていたロバート・ホワイティング氏によれば、「彼は野球にはまったく興味がなかった」という。当時、上智大学の留学生として日本の政治を研究していたホワイティング氏は、日本の野球人気の大きさに驚き、日米の文化比較研究のテーマを政治から野球にシフトして、ベネディクトの『菊と刀』に想を得た『菊とバット』の執筆に取りかかっていた。そこで渡邉恒雄氏に対しても、野球用語で英語を教えたほうが理解しやすいと判断して実行したが、「まったくダメだった」という。
「彼はナガシマという名前を知っている以外、野球については何も知らなかったし、興味を持とうとも思わなかった。彼の興味の中心は政治で、中曽根は日本のJFKになる、といった話ばかり聞かされた」
そんな渡邉恒雄氏が、プロ野球とかかわりを持つようになったのは、昭和52〜53年の「江川事件」からだった。「空白の一日」を利用しての江川卓投手の巨人入りをコミッショナーも他球団も認めず、ドラフトで指名した阪神とのあいだでトレードが成立したとき、渡邉恒雄氏は、ジャイアンツを放出されることになった小林繁投手の説得にあたった。が、そのとき渡邉氏は、ジャイアンツのエースであり人気選手だった小林投手の顔を知らず、彼に同行してきた相談者に向かって説得を続けてしまったという。
それほど野球というスポーツに興味のなかった渡邉恒雄氏が、ジャイアンツのオーナーとなり、プロ球界のすべてを牛耳るようになったのである。野球というスポーツを愛する選手やファンにとって、これほど迷惑なことはない。一見プロ野球選手の権利を認める制度に思えるフリーエージェント制度も、結局はジャイアンツが他球団の主力打者を掻き集めるだけの手段にほかならず、社会人や大学野球の選手の「逆指名」を認めてドラフト制度の「戦力均衡」という理念を踏みにじったのも、ジャイアンツさえ強くなればいい(プロ野球界全体の発展などどうでもいい)という考えとしか思えない。
そのような「考え」に少しでも異を唱える球団があれば、「リーグから出て行け」と恫喝し、それらの球団が複数生じそうになると、「新リーグを創る(反対する球団は新リーグに加えないぞ)」と露骨に脅迫する。さらにプロ野球選手会長の古田敦也氏(ヤクルト)が、選手の諸権利要求のためのストライキを示唆すると、「古田はファンに殺されるぞ」と白色テロもどきの暴言を吐き、憲法にも保障された基本的人権である「代理人」の契約更改交渉を認めようとしない。
それらの脅迫に屈してしまう他球団も、また、それらの暴言や違法行為を追求しないジャーナリズムも、まったく情けないというほかない。が、それが新聞協会会長までも務めたメディアのトップの「権力」というものなのなのだろうか。
しかし、ここでひとつの疑問が生じる。はたして渡邉恒雄氏は、日本のプロ野球界(スポーツ界)で、それほどまでに畏怖しなければならないほどの「権力」を、ほんとうに有しているのだろうか?
そのことを考えるうえで参考になるのは、Jリーグのチェアマンだった川淵三郎氏(現・日本サッカー協会会長)と渡邉恒雄氏の「闘い」の顛末である。
1993年に発足したプロ・サッカー・リーグのJリーグは、プロ野球チームのような企業色を排除し、地域社会に密着した日本で初のクラブ・スポーツの発展を企図した。それに対して渡邉恒雄氏と読売グループは、プロ野球と同じように、親会社がチームを所有し、親会社の利益(宣伝や販売促進)につながる組織をめざした。そしてさらに読売日本サッカークラブ(ヴェルディ川崎=現在の東京ヴェルディ1969)がプロ野球における読売ジャイアンツと同様の地位(人気と利益を独占する地位)を得る、という読売グループの戦略を実行に移そうとした。
《Jリーグの開幕直前、読売グループの放送機関である日本テレビの会長は、ヴェルディのスタッフに向けたスピーチで次のような発言を口にした。「日本のサッカーが成功するためには、ジャイアンツが日本のプロ野球界を牽引しているのと同じように、ほかのチームが是非とも倒したいと思う強いチームがひとつ、絶対に必要だ。そのひとつのチームとは、もちろんヴェルディ
である」》(Sebastian Moffet"Japanese Rules"Yellow Jersey press Londonより拙訳)
そうして「読売ヴェルディ」は、カズ、ラモス、北澤、武田といった日本代表クラスのスター選手を高額の年俸で擁し(選手年俸の合計は14億円にも達した)、Jリーグの開幕から2年連続して年間チャンピオンシップも獲得したのだった。
そうして読売ヴェルディは、プロ野球の読売ジャイアンツと同様の地位を得たかに見えた。が、ここで誤算が生じた。というのは、開幕から爆発的な人気を獲得したJリーグの「バブル人気」が崩壊し、観客数もテレビ視聴率も、急激な低下を見せ始めたのである。
それは、高額年俸のスター選手を数多く抱えるヴェルディにとって、最も大きなダメージとなった。しかもスター選手にはベテランが多く、試合にも勝てなくなった。おまけに企業色を取りのぞき、地域のクラブ・スポーツを育てることを目的にしたJリーグは、発足当初の10チームから、翌年は12チーム、翌々年は14チーム、さらに16、17、18と、毎年チーム数を増やした。
このJリーグの方針に対して、渡邉恒雄氏は、「全体のマーケットを考えず、既成チームの経営を危うくするもの」と批判した。が、川淵三郎チェアマンは「各チームはそれぞれのホームタウンで身の丈に合った運営が可能」という立場から取り合わず、「将来は各県すべてに最低1チームはJリーグのクラブをつくる」と、「Jの理念」を推し進めた。
この対立は、読売ジャイアンツと同様の「読売ヴェルディの全国人気」をめざした渡邉恒雄氏と、「Jリーグの各クラブはホームタウンに根ざし、全国的支持は日本代表チームが得る」という考えの川淵三郎チェアマンという、根本的な見解の相違によるものだった。
そこで渡邉恒雄氏は、川淵チェアマンを「独裁者」と非難し、プロ野球界を牛耳るときに用いる手段と同様のブラフを口にした。「新リーグをつくる考えがある」ことを公言したのである。が、それに対して川淵チェアマンは「どうぞ、ご自由に」と語り、取り合わなかった。そして、じっさい渡邉氏の「新リーグ構想」は実現せず、読売新聞社は、ヴェルディ川崎の経営から撤退し、渡邉恒雄氏はJリーグへの関与をやめた(あきらめた?)のである。
この「渡邉VS川淵」の闘いに、渡邉恒雄氏がなすすべなく敗れ去ったのには、いくつかの理由が考えられる。そのなかで最も大きかったのは「国際的な位置づけ」である。
Jリーグは、日本サッカー協会のなかに生まれたプロ・リーグ組織であり、日本サッカー協会はFIFA(国際サッカー連盟)に属し、FIFAは、ワールドカップやオリンピックのサッカー競技を統括している。ということは、渡邉恒雄氏が「新リーグ」を組織したところで、そのリーグに所属する選手はワールドカップにもオリンピックにも出場できないことになるのだ。そんな「新リーグ」に参加しようとする選手など、誰もいない。
しかも、サッカー関係者もサッカー・ファンも、さらに(読売グループ以外の)メディアも、「Jの理念」である地域密着型のクラブ・スポーツという新しい考え方を圧倒的に支持していた。ヴェルディ川崎、浦和レッズ、横浜マリノスといった企業名を冠しない名称が定着してゆくなかで、読売グループの報道機関だけが、読売ヴェルディ、三菱浦和レッズ、日産横浜マリノスといった名称を用いつづけたことにも、批判と非難が集中した。
渡邉恒雄氏の「敗北」は、国際的な状況と、新しいスポーツの思想、および、それを支持する世論の動向を完全に読み誤った結果だったのである。
ならば、ひるがえって、プロ野球界の状況を考えてみよう。
2000年のシドニー五輪で、野球の日本代表チームは、パ・リーグ6球団しかプロ選手を出場させず、セ・リーグはペナントレースという「興行」(利益)を優先させた。それは渡邉恒雄氏の方針に従ったもので、読売グループはその批判をかわすため、「オリンピックはアマチュアの祭典」などという、世界の笑い者にもなりかねないような稚拙な理屈を展開した(「アマチュア」という概念が、労働者をスポーツの場から排除するために貴族がでっちあげた差別思想であることは、いまや世界の常識である)。
このとき、パ・リーグ各球団のなかから、「オリンピックという国際的祭典にセ・リーグも協力すべき」という声があがったが、それに対して渡邉恒雄氏は、「そんなにオリンピックに出たいなら、出て行け」といった。
このとき、実際にいくつかの球団が「出て行」って、アマ球界のドンといわれる山本英一郎氏(財団法人日本野球連盟会長)と協力し、オリンピック(や、2005年からの開幕が予定されている野球のワールドカップ)などの出場を最高の目標とする新リーグを立ちあげていたならば、日本球界の勢力図は大きく塗り変えられたかもしれない。
もちろん、野球を「文化」とは考えず、親会社の宣伝手段としかとらえていないことでは、渡邉恒雄オーナー以外の11球団のオーナーも、コミッショナーや両リーグ会長もすべて「同類」で、そこまでのエネルギーを注ぎ込むことを現在のプロ野球関係者に期待するのは無理というほかない。が、国際的なスポーツ状況を見渡してみると、渡邉恒雄氏の「権力」なるものも、さほどのものとは思えないということも事実といえそうである。
現状では、プロ球団の売買によって新たな球団がプロ野球機構に加盟する場合は30億円、新球団が参入する場合は60億円、という途方もない加盟料が設定されていることによって、既存球団の(親会社の)利益を守ると同時に、球団数の減少と1リーグ制への移行による利益の拡大を視野に入れ、読売ジャイアンツの支配が強固なものとなっている(ジャイアンツと試合をしないと儲からない、という構図を構築している)。が、それは全体的に拡大可能なマーケットを狭めていることにほかならず、読売グループはプロ野球という組織のなかでの利益において大きなシェアを得ているかもしれないが、さらに大きな発展(利益拡大)の障壁になっているともいえるのである。
じっさい、アメリカではメジャーの30球団を頂点に、マイナーリーグまでふくめると300球団前後のプロ野球チームが存在し、各球団はJリーグと同様、各地域社会に根ざし、地域住民の幸福と地域社会の経済活性化に貢献している。
単純に考えるならば、野球人気がアメリカ並みに高い日本でも100球団くらいのクラブ・チームの存在が可能で(その結果として高校野球や大学野球の衰退は免れないが)、ファンは地域社会に根ざした「おらがチーム」を応援すると同時に、プロ・アマ合同組織の日本代表チームによるオリンピックやワールドカップでの闘いに声援を送るとなれば、莫大な経済効果も期待できるはずだ。
が、現在のような「プロ」とは名ばかりの企業野球のままでは、アメリカ大リーグに好選手を供出する(奪われる)だけのアメリカ野球の植民地に堕し、いずれ崩壊してしまうにちがいない。
そこに気づかず、目先の読売の利益にしか目が向かない渡邉恒雄氏は、やはりスポーツを知らない、といわざるをえない。そして、スポーツを知らない人物の、狭い島国のなかでしか通用しない論理と恫喝に右往左往している日本の野球界は、このちっぽけな権力者の掌中から飛び出さないかぎり、未来の発展はないと断言できるのである。
そして、ポスト工業化社会である先進諸国が、スポーツをふくむ文化産業の発展に力を注ぎ、それを経済発展と雇用問題の核とも考えていることを思うと、日本で最も人気のある野球という文化を私物化し、その発展を妨げ、自社の利益のみを追求している渡邉恒雄氏は、日本スポーツ界の癌という以上に、「亡国の徒」ともいえるのである。
もっとも、スポーツという文化に、それほどまでの価値のあることに気づいていない人物がまだまだ多い日本社会が、渡邉恒雄氏の言動を、おもしろおかしいものとして容認していることこそ問題というべきなのだろうが。
★この文章を読んで、もっと渡邉恒雄氏について知りたいと思った方は、魚住昭・著『渡邉恒雄 メディアの権力』(講談社文庫)をお読みください。
★読売グループ批判ばかりを書いたので、ついでに一言。朝日新聞社はJリーグの理念(百年構想)に賛意を表し、スポンサーともなり、地域密着型クラブの発展を応援しているが、ならば、高校野球に力を注ぐのはやめ、野球というスポーツにおいても、同様のクラブ化を主張するべきだろう。 |