19世紀後半に西欧で誕生した近代スポーツは、20世紀の100年間を通して世界に広がり、衛星中継技術の進歩とともに、世界共通の文化として、地球という共同体を形成する「祭典」の中心的存在にまで発展した。
なかでもオリンピックは、最も重要な意味を持つ、地球上最大の祭典といえる。
国旗・国歌に象徴される「国家」の闘い、アトランタ五輪でのパレスチナ共和国の登場、シドニー五輪での朝鮮半島統一旗による入場行進。それらは、国家のあり方をスポーツの側から問い直し、TV放送権料の高騰や多国籍企業のスポンサーシップによる肥大化した運営は、国際経済の問題点を浮き彫りにするまでに至った。
また、ドーピング問題をきっかけに、スポーツは、未来の人間の身体と精神のあり方に対して、重要な問題を提起しはじめた。
21世紀を迎える今日、スポーツは、国際政治、国際経済、そして地球規模の社会に影響を与え、さらに、未来の人間(の身体と精神)のあり方を考えるうえで、思想的影響を及ぼすまでの存在になったのだ。
では、未来のスポーツ、未来の地球社会、未来の人類が、いったい、どんな方向へ進んでいくのか?
IOC(国際オリンピック委員会)委員の猪谷千春氏とともに、考えてみたい。
――シドニー五輪の閉会式でIOCのサマランチ会長は"Best games ever"(これまでで最高の大会)という言葉を口にしました。これはリップサービスとしても大変な誉め言葉ですね。
猪谷 それは、もう、大変なものです。
――それほどの言葉が出た理由は?
猪谷 オリンピックを成功させるには、素晴らしい組織と素晴らしい施設、それに素晴らしいフェアな観客が必要だけど、加えてホスト国の選手の活躍が必要だと、サマランチ会長は常々言ってました。長野の冬季五輪でも日本選手が活躍して盛りあがりましたが、オーストラリアも60個というメダル獲得目標を掲げ、結果的に58個と、ほぼ目標を達成しました。そういうオリンピックを成功させる要素が、すべて重なって盛りあがった結果、"Best
games ever"という言葉になったと思います。
――大会の始まる直前までチケットが売れ残っていたと聞きましたが。
猪谷 ええ。百数十万枚も売れ残っていましたが、大会が始まるとチケットセンターに長い行列ができて、ほぼ売り切れました。まあ、オーストラリアの人々がのんびりしていたというより、人間誰しも、まだ時間があると思うと、なかなか動かないじゃないですか。でも、オーストラリアの観客は本当にフェアで自国の選手以外にも大きな声援を贈りsports
loving peopleであることがよくわかりました。
――オーストラリアは、オリンピック開催に合わせて、「文化スポーツ観光省」が中心となって「スポーツ国家建設計画」を推進してきました。それは、スポーツをする人が10%増加するごとに心臓疾患と腰痛症の患者が5%減るというデータをもとに、スポーツ人口が40%増えると23億豪ドルの国家利益になると試算し、国民のスポーツ活動を援助したのですが、そういうことがメダル獲得につながったのでしょうね。
猪谷 オーストラリアのマスコミも、大会の終わるころから、どうしてここまで強くなったのかという分析をはじめていました。結論は、やっぱり政府がお金をつぎ込んで選手の育成に務めたからで、今後も同じようにスポーツにお金を使うべきかどうかということで、侃々諤々の議論がはじまっていました。
――ただ、かつては社会主義国や新興国をはじめとして、スポーツ・エリートの育成でメダルを獲得しましたよね。日本も東京五輪のときにそのような政策で16個もの金メダルを獲得したのですが、いまではそのようなエリート教育だけではメダル獲得が不可能になってきたように思います。
猪谷 生涯スポーツというか、市民スポーツというか、スポーツの裾野を広げないとダメだということですね。
――はい。特にシドニー大会でその傾向が顕著になり、メダル獲得国は、スポーツ施設やクラブが充実し、多くの競技人口が存在することが条件になってきたように思います。
猪谷 私は、かねてより、エリート・スポーツと生涯スポーツはアンビバレントなものでなく、クルマの両輪のようなもので、どちらも発展しないとスポーツの発展はないと主張してきたのですが、その傾向が明確になってきたといえますね。
――それは、エリート・スポーツのレベルが高くなり、一夜漬けのエリート教育では強い選手を育てられなくなったからでしょうが、その結果、スポーツが政治から独立してきたといえると思います。ヒトラーが政治宣伝に利用したナチ・オリンピックにしろ、社会主義諸国のメダル獲得政策にしろ、あるいは戦後復興の象徴である東京五輪にしろ、政治的プロパガンダとして国家の威信を賭けてオリンピックを開催したり、メダルの大量獲得を目指したわけですが、もはや、そういうことはできなくなった。日本のサッカーが強くなったのはJリーグのおかげですし、水泳が復活したのは町の水泳教室が増えた結果で、国家の威信という以前に、地域住民のスポーツ環境を整えなければならなくなったわけです。これは、オリンピックやスポーツが、政治に勝った、あるいは政治に勝ちつつある、といえるのではないでしょうか。
猪谷 私の口からは、まだ、政治に勝ったなどとはいえません(苦笑)が、シドニーでは199の国と地域が参加し、そのうち80がメダルを獲得しました。以前は50程度で、アトランタでも70くらいです。IOCには、発展途上国のスポーツを援助する基金があり、そこから奨学金を得た発展途上国の選手も、多くのメダルを取りました。先進国のスポーツ政策が、エリートだけでなく、地域社会や多くの人々に浸透するのと同じように、スポーツ先進国だけでなく、発展途上国にもスポーツが浸透しつつあるというのも、大きな世界の流れだと思います。
――さらにシドニーでは、南北朝鮮が統一旗を掲げて合同行進したり、まだ国旗もできていない東チモールが、五輪旗を掲げて入場しました。オリンピックは、政治的に、かつての国家の威信を発揚する場から、かなり変化してきましたね。
猪谷 そうですね。シドニーではオリンピック停戦も実現しました。長野のときも、イランでの紛争が、オリンピックの直前に現地に飛んだ国連のアナン事務総長の手で、停戦にこぎつけました。以前からピンポン外交などもあったのですが、80年代頃から、スポーツというものが世界平和に役立つツールかもしれないということが、世の政治家にわかってもらえるようになってきたといえるかもしれません。これは、ちょっとナイーヴ過ぎる意見かもしれませんが(笑)。
――かつてオリンピックを政治利用したヒトラーの第三帝国も社会主義諸国も崩壊しましたが、オリンピックはまだ存続している。その事実だけでも、スポーツは政治に勝ったといえるはずですが、今回の朝鮮半島の統一旗の問題は、どのように展開したのでしょう?
猪谷 南北両首脳会談がありましたよね。そのときにスポーツ関係者も会談をして、そのような案が出て、韓国のIOC委員からサマランチ会長に打診が入りました。
――すんなりと決定したのですか?
猪谷 話のあったのが開会式の4〜5日前で、サマランチ会長は歓迎の意を表明したのですが、そこからが大変でした。五輪旗を先頭に南北二つの国旗が続き、その後に両国の選手が行進するとか、それでは両国の出場選手数に違いがあって行進の列に差が出るからダメだとか。でも、一緒に行進するのに、ユニフォームは間に合うのか……と、二転三転したあと、なんとかユニフォームを間に合わせるから統一旗だけで一緒に行進することになったのです。
――しかし、統一旗は、IOCが認めているものではないですね。
猪谷 はい。
――ということは、超法規的措置?
猪谷 そういうことになります。オーストラリアのフリーマン選手がアボリジニの旗を持ってウイニングランをしたのも、同じです。
――IOCの認めていない旗をオリンピックの場に持ち込むのは、本来ならば、政治的プロパガンダとしてIOC憲章によって禁止されていますよね。
猪谷 はい。そうです。が、我々は、個々のケースに関してIOC憲章には固執せず、拡大解釈することにしています。それらが「いい方向」であるなら、認めるということです。
――それは、難しいところですね。
猪谷 はい。でも、オリンピックは紅白歌合戦ではないわけで(笑)、同じことを繰り返しているだけでは意味がありません。社会の変化に応じて、それを先取りする必要はないけれども、変化の最後尾にくっついていく必要はあります。
――しかし、世界の変化を先取りした例もありましたね。
猪谷 はい。ありました。
――アパルトヘイト政策をとっていた南アフリカの追放、それを廃止した同国の復帰。それらは、どちらもIOCが国際社会のなかで先陣を切って決定しました。アトランタ五輪でのパレスチナ共和国の入場行進も、そういえますね。
猪谷 はい。そういうときこそ、IOC憲章が力を発揮します。たとえば、絶対に人種差別はしない、という一項があるわけです。その基準だけでも、参加を許可できるか否かが、かなり判断できます。
――そうなると、この先、コソボやクルド、あるいはチベットといった地域が、IOCに加盟を申し込んだ場合も、それらの地域と当該国に対処するのは、原則論と拡大解釈の両面で対応していけると……。
猪谷 はい。いけると思っています。難しい問題ではありますが。
――確かに難しい問題でしょうが、さらに心配なのは、経済との関係ですね。シドニー五輪では、放送権料の合計だけで、約1500億円にもなりました。
猪谷 はい。そうです。
――わずか二週間の放送権料でそれだけの金が動き、スポンサー企業の動かす金、大会開催のための施設の建設費等もふくめると、これほど莫大な金の動くイベントは、他にありません。それに対して、オリンピックをもっと縮小すべきだという意見があり、日本のメディアのなかには、「オリンピックは、いちど原点にもどるべきだ」と発言したニュースキャスターもいました。
猪谷 メディアの方々はオピニオンリーダーなのに、そういう軽はずみなコメントをされるのは困りますね。オリンピックの原点にもどるとは、どういうことでしょう? クーベルタン男爵のいったとおりにすることですか? そうなると、どうなります?
――女性は参加できなくなりますね(註・クーベルタンは、女性の参加に反対していた)。また「原点」を古代ギリシアのオリンポスの祭典に求めても、女性は参加できません。そして男子は全裸でスポーツをすることになります(笑)。
猪谷 おっしゃるとおりです。社会はどんどん変わっているんですから、その時代にマッチしたスポーツのあり方、オリンピックのあり方を考えなければならないはずです。
――オリンピックの「原点」という考え方がナンセンスなのはわかりますか、現在の肥大化したオリンピックを反省して、次回のアテネ大会からは規模を縮小するとか…。
猪谷 IOCには参加選手10000人、役員5000人という数字を上限とするガイドラインがあります。が、アトランタでは26競技だったのがシドニーでは28競技になり、種目数も280種目という目安が300種目近くに増え、選手の数も11000人近くになりました。アテネでは規模は縮小しないけど、何とか1万人の280種目にしたいということです。
――競技数を減らすわけではないのですね。
猪谷 それは無理です。オリンピック競技からはずされることは、その競技団体が納得しないでしょう。また、いまでも、オリンピックに加えてほしいと申し込んでいる競技団体が20近くあり、それを拒否しつづけるのも、逆に、差別だといわれかねません。
――その競技というのは?
猪谷 ラグビー、ゴルフ、ボウリング、水上スキー、サーフィン、パラシューティング、ビリヤード、それに、相撲などです。
――しかし、現在以上に競技数を増やすのは無理では?
猪谷 私は、夏の大会のインドア・スポーツを冬に移せばいいと思っています。そのアイデアは、もう10年前からいってるのですが、冬の大会は参加選手が3000人くらいですから、それを倍くらいにすれば、夏の大会に3000人の余裕ができるわけです。かつて冬の大会は、アオスタとかコルチナのように、小さな冬のリゾート地でやっていたのですが、いまでは、長野やソルトレイクシティのように、大きな都市を巻き込まないとできない規模になっています。だったら、そこで、インドアのアイスホッケーをやるだけでなく、バスケットボールやバレーボールもやれるはずです。あるいは、長野と東京は新幹線で1時間20分の距離ですから、長野五輪のインドア競技を東京でやってもいいのです。そのほうが大会後の施設利用の面でも有効でしょう。
――そのご意見に対するIOCの反応は?
猪谷 サマランチ会長などは「オリンピック憲章で、冬の大会は雪と氷の上でやるスポーツと規定されてるから」と否定的ですね。
――猪谷さんは、マスコミ的にいうなら、オリンピック拡大路線の支持者になりますね。
猪谷 単に拡大すればいいといってるんじゃありません。オリンピックとは単なるショーではなく、やはり世界平和構築のための人類の祭典であり、ある程度それに貢献できるようになった組織団体であるわけです。それなら、できるだけ多くのスポーツを入れて、地球上の地域性なども加味して、ほんとうにグローバルに、多くの人々の関心が向くようにすべきです。そのためには、オリンピック競技にしてほしいといっているスポーツを、排除しつづけるわけにはいかないでしょう。
――でも、そのためには、ますますお金が必要になります。現在の規模を維持するだけでも巨額の費用が必要ですが、その背景には、放送権料のさらなる値上げというか、高騰が考えられるのでしょうね。
猪谷 いえ、そういうわけではありません。あくまでも、オリンピック大会をどうすればいいかという意見です。
――しかし、これからはケーブルTVや衛星TVによる有料TV化も考えられるうえ、アテネ大会以降は放送権料が種目別に売り出されることを危惧する放送関係者もいます。実際サッカーのW杯は、明らかに有料TVを中心にした放送権料の設定をはじめています(註・フランスW杯でNHKの支払った放送権料は約5億円だったが、2002年の日韓大会では250億円を要求された)。さらに、巨額の放送権料を扱う代理店が、国際金融のヘッジファンドにも手を出し、オリンピックの放送権の取引から巨額の金を動かそうとしているようにも聞きますが。
猪谷 いや、放送権料がどう動くかはともかく、種目別にというのは無理でしょう。オリンピックにはテレビに向かないトラディショナルなスポーツも少なくありませんから。
――近代五種とか……。
猪谷 ええ。まあ、そういう競技は、オリンピックからはずしてしまえという極論もないわけではないですが……。
――そういうテレビ向きでない競技を、高く売れる競技と抱き合わせで売るというのは?
猪谷 今のところ、そんな動きはないですね。
――だったらオリンピック全体としての放送権料は、何処まで値上がりするのでしょう?
猪谷 わかりません。逆に、ひょっとして、大暴落することもありえます。BS、CSなどの様々な電波が飛び交い、さらに、インターネットがテレビ並みの動画を送れるようになれば、放送権のあり方も大きく変わらざるを得ないでしょう。事実、シドニーでは、携帯電話を持って開会式や閉会式に参加していた選手が大勢いたわけです。
――テレビのアナウンサーは、「家族と話してるんでしょうか……」などといてましたが、地元のラジオ局と契約して実況中継やインタビューをしている選手もいたわけですね。
猪谷 おっしゃるとおりで、それは放送権を獲得したメディアに対する権利の侵害です。
――IOC憲章では、参加選手役員がオリンピック大会期間中に独自のマスコミ活動をすることを禁じていますが、携帯電話やビデオカメラの高性能化と小型化を考えるなら、将来的に取り締まることは難しいですね。
猪谷 難しいとはいえ、取り締まらざるを得ないでしょう。選手だけでなく、観客席でもデジタル・ビデオ・カメラをまわして、それを携帯電話に直結してインターネットに流されたら、放送権料というものが意味をなさなくなりますからね。また、シドニーでも、カメラ付きのパソコンを使っている新聞記者がいましたが、それも、問題になるでしょう。
――それは、未来のオリンピックを考えるうえできわめて重要な問題ですが、将来的にどうなるか、まったく想像できない問題ですね。
猪谷 はい。私も、開催都市の評価委員長をやっていて、それが最も困る問題なのです。たとえば、IBC(インターナショナル・ブロードキャスティング・センター)やMPC(メイン・プレス・センター)は、これまで何千平米という単位の巨大な広さを必要として、長野でもビルディングをそっくりそのまま用意して、放送機材やコンピュータを設置したわけです。けど、数年後には、それらの機材が、鞄一つで済むかもしれなくなるわけです。7年後の開催都市を評価するのに、IT技術の進化は予想不可能です。
――1896年にアテネで第一回大会が開かれたときは、参加国が13か国で参加人員が300人ほど。もちろんラジオ中継もなかったわけです。それから100年を経て、衛星中継で世界中の人々がオリンピックを見るようになったわけですが、この先、10年、20年後を想像することすら難しいですね。
猪谷 はい。どうなるか、まったくわかりません。
――しかし、放送権料が大暴落すると、大変な問題になりますね。現在の規模のオリンピックが崩壊しかねない……?
猪谷 そこで大切なのは、健全なスポーツというものが常に中心に存在しつづけることだと思います。そして、健全なスポーツの運営というものを常に中心に考えることだと思います。たとえば、まだアフリカでオリンピックを開いたことがないから、開催地をアフリカに、という意見があります。やろうとおもえばやれるでしょうが、それがスポーツをする選手のためにベストなのかどうか。常にスポーツにとってのベストを考えるべきで、そうするかぎり、政治や経済の問題は、解決する方法が見出せると思います。
――では、その「健全なスポーツ」についてお訊きしますが、現在、最も難しいのがドーピング問題じゃないかと思います。現代人は、多かれ少なかれ、薬物に頼って生きているところがあります。なのに、スポーツマンだけが厳格なドーピング検査を受けなければならないというのは、矛盾していませんか?
猪谷 シドニーでは、ルーマニアの女子体操選手が個人総合の金メダルを剥奪されましたが、あの事件は、私も個人的には非常に同情しています。
――彼女は、チームドクターから不用意に風邪薬を飲まされ、エフェドリンが検出されたらしいですが、それは世界体操連盟の禁止薬物リストに入っていません。なのにIOCはドーピングとして摘発し、CAS(国際スポーツ仲裁裁判所)もIOCを支持したのは、少々杓子定規に過ぎるのではないですか。
猪谷 しかし、あの薬物はIOCの禁止薬物リストに入っており、各競技団体はIOCに従うことになっています。医者は、そのことを知ってなければなりません。それに、この問題を同情で見過ごせば、同じような例を、知っていながら知らないといって行うドクターが出てくる可能性があります。ですから、少々非常でも杓子定規に判定する必要があったと思います。
――しかし、ドーピング検査はイタチゴッコで、一流選手の多くは何らかの薬物を使用し、検査が追いつかないのが現実ですよね。
猪谷 そういう面があることは否定できません。薬が開発されてから検査方法が生まれるのですから。でも、シドニーでは、それまでの尿検査に血液検査も加えられ、中国の選手が直前になって30人ほど参加しなくなった。ギルティ・コンシャスな選手が参加しなくなったのは非常に意味のあることです。
――でも、来年神戸で行われる第13回世界移植者スポーツ大会では、臓器移植をしたスポーツマンが100メートルを11秒前後で走っています。彼らは当然のことながら全員が薬物を使用しています。パラリンピックでも薬物を必要としている選手は大勢います。ヒトゲノムが解明された今日、遺伝子治療が進むと同時に、遺伝子ドーピングが出現するのも時間の問題といえます。
猪谷 はい。これから出てくるでしょう。
――つまり、未来の人間が改造人間(サイボーグ)になるのか人造人間(アンドロイド)になるのかわかりませんが、そんな時代に、一流のスポーツマンが紅茶やコーヒーや風邪薬を飲むのに注意しなければならないというのは、ナンセンスでは?
猪谷 おっしゃる意味はわかりますが、我々の定義では、健康を害する薬を、まず排除しています。さらに、薬物を許可した場合、一流選手のみならず子供たちにも蔓延する恐れがあります。じっさい、アメリカ大リーグのマグワイア選手が筋力増強剤を飲んだと発言したことで、子供たちが真似をし、社会に悪影響を及ぼしました。また、薬物を許可することによって、それを手に入れられる先進国の選手と、手に入れられない発展途上国の選手とのあいだに、大きなハンディが生まれます。そういう事情も無視できません。
――IOCは、昨年末に、各国政府の協力を得て、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)という組織をつくりましたね。
猪谷 IOCには、選手村とか練習場とか競技場しか取り締まれませんから、運び屋さんを取り締まるうえで、各国政府の協力が必要だったわけです。
――そして、年間3500人のスポーツマンの抜き打ち検査をすることにしましたが、その費用が一人あたり1000ドルで、これは、かなりの利権になりますね。
猪谷 そういわれれば、そうかもしれません。
――薬品メーカーはドーピングで儲け、検査でも儲ける。禁酒法時代のアメリカのように、ドーピングが禁止されるほうが儲かる構図になっているのではありませんか?
猪谷 そういう悪い面が出てくる可能性も、まったくないとはいえません。一台が何千万円もする検査機械をつくっているメーカーも同じです。億単位のビジネスになります。でも、それは仕方ないでしょう。ドーピングを取り締まるためには必要なことですから。
――ドーピングを自由にする考えは?
猪谷 少なくとも現在はないですね。
――自由にしたほうが、副作用を抑える研究も進歩し、未来の人類たちが飲むべきクスリの開発につながるのでは?
猪谷 それは……。考えるポイントが違うとしかいいようがありません(苦笑)。まあ、30年後、50年後になってみれば、あのころは馬鹿なことをやっていた、なんていうことになるのかもしれません。当事者としては、そうならないことを希望しますが。
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「オリンピックは単なるショーではない」
猪谷氏いったこの言葉の意味は重い。
いまも「スポーツに何ができるか」と思っている人は少なくないだろう。朝鮮半島の統一旗を掲げた南北合同行進にしても、「単なるスポーツの場での出来事」にすぎない、と。
しかし、それなら、「国連に何ができたのか?」ともいえる。
東京オリンピックで東西ドイツが合同行進をして以来、統一までには四半世紀の歳月を要した。が、「形」だけにしろスポーツの場で演じられた「夢」は、その後、実現した。
今後も、オリンピックは、多くの問題に揺れるなかで、多くの「夢」を描くだろう。が、それを、単なる幻想に過ぎない、といって否定するのは、おそらく間違っている。幻想のなかにこそ、人間のあるべき姿が存在しているのだ。それが、人類の未来の青写真なのだ。
もっとも、まだ青写真の描けない未来もある。それは、人間と経済との関わりでもあり、人類自身の身体の変化でもある。が、そのような問題も、スポーツの現場に顕在していることを見据え、考えていく材料にしなければならない。
猪谷氏がいったように、オリンピック(スポーツ)とは世界平和実現のために、おおいに利用できるツールに違いないのだ。 |