《2020東京オリンピック・パラリンピックの招致開催の目的は、日本のスポーツ産業を15兆円規模に拡大し、日本のスポーツ文化を体育からスポーツへと発展させることだったのだ!》
1年延期となった東京オリンピック・パラリンピックは、来年(2021年)7月23日に開会式を迎えることができるのか? それとも中止となるか? IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長は、再度の延期はないと明言している。ならば、すべてはコロナとワクチン次第と言うほかない。
新型コロナウイルスCOVID19の世界的蔓延が、今後どのような終息を迎えるか? あるいはまだ危険な感染状況が続くのか? ワクチンは、いつ頃から実用化されるのか? 通常は数年かかると言われているが、日本政府が希望するように、来年(2021年)の前半にはそれが手に入るようになるのか?
この原稿を書いている現時点(2020年9月)での予想は不可能だ。が、そんなときこそ、改めて考え直してみたい問題がある。
それは、いったい何のために東京オリンピック・パラリンピックを開催することになったのか?−−ということだ。 それは意外と、あまり知られていない。
3・11東日本大震災からの復興のため、あるいは復興したことを世界に示すため、という人がいるかもしれない。が、東京にオリンピックを招致しようと決定したのは、3・11よりもはるかに前のことだった。
2016年に開催されるオリンピックの開催都市は、その7年前の09年にコペンハーゲンで開催されるIOC総会で決定されることになっており、JOC(日本オリンピック委員会)やスポーツ議員連盟の面々は、21世紀に入った頃から日本でのオリンピック開催を画策し始めていた。
当初は1964年の東京五輪以来半世紀で、もう一度日本でオリンピックを! というシンプルな理由から始まった動きだった。が、その声に呼応して手を挙げたのは、福岡と札幌だけだった。しかも、その2都市に五輪招致運動の勝ち目があるとは思えなかった。
1984年のロサンゼルス五輪で、組織委員会会長のピーター・ユベロス(43歳)という実業家が実践した「商業化」の結果、税金を1セントも使わずに多額の黒字を出す大会運営に成功。以来そのやり方をそっくりIOCが奪い取り、商業化と肥大化の拡大路線を歩み始めたオリンピックは、財政的にも豊かで国とも強い関係のある首都クラスの巨大都市でなければ事実上開催は無理と言われるようになっていた。
このままでは88年大会の招致合戦でソウルに敗れた名古屋、08年大会招致で北京に敗れた大阪に次ぐ連続敗退になりかねないと思ったJOC関係者は、石原慎太郎東京都知事の特別秘書官だった高井英樹氏に、なんとか東京が五輪招致に立候補してくれないものかと話を持ちかけた。
そこで、高井秘書官が05年2月に東京五輪招致を石原都知事に進言したところが、都知事は即座に「面白い!」と即断即決。それは「東京から日本を変える!」をスローガンにしていた石原都知事にとって、五輪が自らの活動を力強く後押ししてくれる巨大イベントにほかならなかったからだった。
そんな動きの一方で、スポーツ議員連盟の面々には、まったく別の狙いもあった。
それは64年の東京五輪開催をきっかけに制定されたスポーツ振興法(61年制定)の改定という問題だった。何しろ半世紀前に作られたスポーツに関する法律だから、アマチュア・スポーツと体育に関する記述しかなく、プロ・スポーツのことは1行も触れられていない。そればかりか、障碍者スポーツ(パラリンピック・スポーツ)についての記述も皆無。
時代遅れも甚だしい法律を中心に動いていた日本のスポーツ界は、スポーツ行政においても制度が整っておらず、学校教育としての体育とアマチュア・スポーツは文部科学省、障碍者スポーツは厚生労働省、プロ・スポーツは経済産業省、スポーツ施設の建設補修は国土交通省……といった具合に、縦割り行政が定着していた。
そんななかで日本のスポーツ産業の規模は年間約5兆円と言われていたが、それは企業や家庭内の消費額から予測計算してみた概算で、スポーツ・ウェアは繊維産業、スポーツ・イベントに入場券は娯楽産業、スタジアムでの食事は飲食業……等々、スポーツ産業としての統計データすら存在しなかった。
それに対してスポーツ産業王国のアメリカは約30〜50兆円、プロサッカーの巨大市場を誇るEU(ヨーロッパ連合)は約20〜30兆円で、この数字を人口比で考えれば、日本のスポーツ産業は約15兆円まで伸ばすことが可能と考えられた。
そのためには、時代遅れのスポーツ振興法を現在のスポーツ事情に即したスポーツ基本法に改め、スポーツ政策・スポーツ行政を統合的に司るスポーツ庁の新設が期待された。が、折しも行財政改革が唱えられる時代にあって、法律の改定だけなら可能でも、新しいスポーツ専門省庁を設けることなどまったく考えられることではなかった。
しかし、もしもオリンピック・パラリンピックを日本に招致することができれば、ひょっとして、すべてのことが一気に実現に向かって走り出すかもしれない……。
そこで、東京都(石原都知事)、JOC、スポーツ議員連盟などの思惑が一致するなか、まず05年8月に石原都知事が東京オリンピック・パラリンピックの招致を正式に表明。翌06年8月にスポーツ団体関係者による投票で福岡と東京が争い、東京が日本のオリンピック・パラリンピック招致の代表都市に選定された。
が、東京都民の五輪招致への意識が低かったことや、スポーツ基本法等の法整備が遅れたことなどから、16年の五輪招致ではコペンハーゲンでのIOC総会でリオデジャネイロの前に敗退。
任期満了が迫っていた石原都知事は、後任に前神奈川県知事の松沢成文氏を内定。五輪招致は「次の知事が決めること」と言いながらも、招致委員会は「国際スポーツ東京委員会」と名前を変えて残し、いつでも20年五輪のための招致委員会として活動を再開できる態勢を整えた。
そこへ新都知事への立候補を表明した東国原英夫氏が、東京五輪招致の見直しを表明。世論調査で彼がリードしていることもわかり、石原都知事は四選に立候補することを決定。自らの手で再度五輪招致を手掛けることになったのだった。が、その立候補表明の日が、奇しくも11年3月11日。東日本大震災の日となった。
そして4月10日に四選を果たした石原氏の周辺には、当然オリンピック招致見直し論も湧き起こったのだが、「復興五輪」を新たな東京五輪招致目的に加えたうえで、石原氏は国政への復帰を目指して都知事を引退(後継者には副都知事を務めていた猪瀬直樹氏が当選)。
同年6月にはスポーツ振興法を改定したスポーツ基本法が公布され、8月より実施。プロ・スポーツ、障碍者スポーツの発展やスポーツ産業の育成が唱えられるなか、13年9月7日アルゼンチンのブエノスアイレスで行われたIOC総会で、東京はイスタンブール、マドリードと争い、2020年の第32回夏季オリンピック大会、第16回夏季パラリンピック大会の開催都市に選ばれたのだった。
その後は、エンブレムの盗作疑惑問題、国立競技場設計・建設やり直し問題、ボート・カヌー会場の東北地方への移転問題、そしてマラソンと競歩の札幌への移転問題等、様々な問題が噴出。しかしその間、当初のオリンピック招致の目的は、ほぼ順調にクリヤーされてきた。
スポーツ基本法にもその設置が望まれると書き入れられたスポーツ庁は15年10月1日に創設された。18年4月には日本体育協会も日本スポーツ協会と名を変え、20年からは体育の日もスポーツの日に変更。国民体育大会も、23年の佐賀大会から国民スポーツ大会と名称を変え、「身体を鍛えるための教育的体育」が中心だった日本のスポーツ界は、「自発的に仲間と楽しむスポーツ」へと中身も変化しようとしている。
それによって、体罰、パワハラ、セクハラ等の「体育会系運動部」にありがちだった「軍隊的傾向」(国際NPO法人・ヒューマン・ライツ・ウォッチの指摘)をなくそうとする努力も始まっている。
そして体育教育が中心で、ビジネス化(産業化)が進まなかった点にも、メスが入れられた。16年4月には日本政府によって『日本再興戦略2016―第4次産業革命に向けて』がまとめられ、スポーツ産業を成長産業と捉え、《約5・5兆円だったスポーツ市場の規模を20年までに10兆円、25年までに15兆円に拡大することを目指す》という国家目標も示されたのだった(森高信『スポーツビジネス15兆円時代の到来』平凡社新書)
現在の日本スポーツ産業は「約8・3兆円の規模」(スポーツ議員連盟・馳浩氏)まで伸びたらしいが、目標額を下回っているのは新型コロナのせいもあるのだろう。
が、オリンピック・パラリンピックを「開催」できるかどうかはともかく、「招致」することによる目的は、ほぼ達成することができたと言っていいだろう。以後、日本のスポーツ産業が、現在以上にさらに成長できるかどうかは、他の産業の場合と同様、既得権益を握っている「老企業」の退陣もしくは機構改革にかかっていると言えるのではないか。
プロ野球の球団数増加や高校野球の改革、関東の大学だけの箱根駅伝の全国化や女子の参加、UNIVAS(大学スポーツ協会)の発展拡大など、さらに大きなスポーツ市場を獲得できると思われるスポーツ産業の前には、日本特有のマスメディア(新聞社)や名門大学が主催者として既得権益を握っているという問題が横たわっている。
しかし、とりあえず「2020」をきっかけに、日本のスポーツ界は変化へのきっかけを掴むことはできた。次のさらなる展開は、巨大メディアが、スポーツの主催者になるのではなく、本来の仕事であるスポーツ・ジャーナリズムを発揮できるかどうかにかかっているのではないだろうか? そうすれば日本のスポーツ市場・スポーツ産業、そしてスポーツ文化は、さらに発展すると思われるのだ
が……。
|