12月1日(日)
『素数の音楽』が面白いのは天才数学者たちのなかにも意外と俗人感覚を見せる連中が存在するからだ。《数学自体は世俗を超越しているしているとしても数学者にはおだててもらわないといけないエゴがある。自分の名前が定理として後世に残り不滅の存在になるという考えは創造の最も強い原動力なのだ》しかしソレは一部の一流の数学者に当てはまることで超一流の数学者はもちろん多くの一流の数学者にもには当てはまらないようにも思える。フィールズ賞以外の賞は全部もらったというM君もそんな俗っ気は感じられませんからね。そしていよいよチューリングとコンピューターの登場まで読み進む。《素数を理解するには少なくともあと100万年はかかるだろう》と俗っぽい一流の数学者が残した言葉を「頭脳機械」は粉砕するのか?本は益々オモシロくなってきた。ワン。ベッドから出て黒兵衛と散歩。植物は葉や枝の位置でフィボナッチ数列や分割数列と共に生きている。巻き貝の巻き方や隼が獲物を狙うときの飛び方もフィボナッチ数列らしいけど黒兵衛の歩き方には数学的所見は見当たりませんね。ということは哺乳類の中の人類は忘れ去った原理を取り戻すために数学を始めたのかな?ワン。終日ホームページの更新原稿作り。今年最後の原稿を(株)bitさんのスタッフに送って…晩メシは久し振りにイタリア・オペラ。プッチーニの『ラ・ボエーム』を見ながら。ブレゲンツ湖上音楽祭のビデオですが二幕のクリスマスのパリの町のシーンは圧巻。100人以上のダンスも圧巻ならマリリン・モンローそっくりのムゼッタが網タイツのバニー姿でアリアを歌うのは見事ですね。三幕の恋人たちの別れのシーンで土砂降りの雨になるのは演出?あ。二幕&三幕は歌舞伎では「にまく」「さんまく」と言ってはいけないのですね。「ふたまく」「みまく」と言わないといけないと小生も近所の婆さんから餓鬼の頃に教わりました。サンフレッチェが勝ってJリーグ優勝は最終節の3試合が見逃せなくなりましたね。ラグビーの早明戦は小生にとってはあまり意味がないですね。
12月2日(月)
『素数の音楽』が面白いのは自分の仕事と全く関係がないから…と何日か前に書きましたが小生の仕事と関係がある…という以上に大いに参考になる一文を見つけました。ソレはドイツが第一次大戦に負けたあとヒルベルトが…あ。時間がないのでのちほど。
12月2日(月)つづき
第一次大戦の後1924年に開かれた国際数学者会議に敗戦国ドイツの数学者は招かれなかった。それに腹を立てて1928年にボローニャで開かれた国際数学者会議に招かれたときも参加を拒否すべきだと主張するドイツの数学者が多くいたなかでヒルベルトはドイツの《数学者67名からなる代表団を率いて会議に参加》拍手で迎えられるなかヒルベルトは次のような演説をしたそうです。《民族や人種などを理由に差別を行うのは我々が携わる科学を誤解しているからでこのようなことが行われてきた理由は実に卑しむべきものである。数学に人種は関係ない。数学にとっては文化的な世界全体が一つの国なのだ》この演説は世界のスポーツ界にも生かせるはずですね。ワン。
12月3日(火)
『素数の音楽』はついにコンピュータの時代に突入。「世界の地図は4色あれば塗り分けられる」という「4色定理」が1852年に提起されてから様々な数学者がソレを証明しようと試みたが果たせなかったが1976年になってコンピュータがソレを証明した。がソレはイリノイ大学の二人の数学者が《無限にある地図全ての色分けという不可能な作業の代わりに1500種類の地図の色分けを考えれば十分であることを示したからだった》その1500種類の色分けの計算をコンピュータが1200時間かけて行い「4色問題」は解決したのだがソレは《1500種類の基本的な地図さえ考えれば全ての地図のことがわかる》という《人間の巧みな思考力とコンピュータの荒っぽい腕力が相まって成功した》という指摘は重要ですね。さらに《4色定理が成り立つとわかったところで別に何か利益があるわけではない》という指摘には笑ちゃいますね。《我々人間の二次元空間の理解がこの程度の問題を解けないくらい浅い》ことがわかっただけなんですね。コンピュータは人間にはできない膨大な計算をやってくれたけど他に何の意味もないのですね。《しかしリーマン予想は違う》というわけでコンピュータにも証明できないあらゆる素数の成り立ちがわかれば様々な謎が解けるそうです。読み進まなければ。ベッドを出て黒兵衛との散歩をサッサと済ませて大船駅へ東海道線で品川経由新幹線で名古屋へ。栄中日文化センターで約40人の聴衆を相手にオペラ講座。テーマはワーグナーの『ニーベルンクの指環』。続けて演奏すれば15時間の大作をバレンシア歌劇場の舞台を見ながら2時間で解説。アルベリヒがラインの黄金を盗み→ヴォータンが指環を盗み→ワルハラの城を建て→指環の呪いで巨人族の兄弟が殺し合い→ブリュンヒルデがジークリンデを助け→ヴォータンの怒りと別れ…のあとジークフリートが死んで→世界はすべて滅亡…というワーグナーの終末観を解説。アァしんど。しかしオペラを語るのは愉しいですね。帰りの新幹線は爆睡。帰宅して晩メシと酒で再び爆。。
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『現代スポーツ評論51』創文企画 坂上康博「戦争と同時進行で開催された平和の祭典ーパリ五輪が問いかけるもの」はスポーツ関係者&ジャーナリスト必読の論文です
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12月4日(水)
『素数の音楽』はチョット休んで創文企画から送られてきた『現代スポーツ評論』の最新号51号に目を通す。なかでも『ニューズ・オプエド』にもよく出演していただいている一橋大学名誉教授の坂上康博さんの文章に仰天。『戦争と同時並行で開催された平和の祭典−パリ五輪が問いかけるもの』というタイトルでもちろんロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻をキッカケにオリンピックの休戦協定について書かれたものなのだが世界の武力紛争は《ロシア・ウクライナ戦争以外で計70にのぼる》とIOCが指摘しているというのだ。世界中でこれほど多くの武力戦争が起こっているとは坂上先生も「知らなかった」と書いておられるが小生も知らなかった。そんななかでの五輪の休戦協定をどう考え実施すれば良いのか?この坂上先生の興味深いレポートは多くの人に読まれるようベッドから起きてすぐにスキャンする。そして黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは野球殿堂の話。イチロー氏が日米の殿堂入りが同時に決定するのは確実でアメリカの殿堂のあるクーパースタウンでは既にイチロー氏殿堂入りの準備が始まってるという福島良一さんの最新情報を紹介。さらにアメリカの野球殿堂が黒人リーグや女子リーグをどんどん取りあげてきたのに日本の殿堂は何故か東京ドームにあり(以前は後楽園球場に併設)国民リーグなどの現在のプロ野球以外の日本の野球の多くが無視されていると批判しました。ワン。ラジオのあと黒兵衛と散歩。そしてそろそろ以前ロームシアター京都で見たラシッド・ウランダンのダンス・パフォーマンスに関する原稿に手を付け始める。現代舞踊としての身体パフォーマンスというのは現代音楽と同じでナカナカ批評・評論が難しいですね。でも頑張って書かねば。……それに加えて……緊急報告……と言うほどオーバーなものじゃないですけど川崎フロンターレの算数ドリルの一番下(4番目)をクリックするとフロンターレの選手が小学生とのリフティング競走で、算数の平均値を教えるYuTubeがでます。コレはメッチャイ良いですよ。
12月5日(木)
『素数の音楽』読み続ける。コンピュータとインターネットの世の中になってネット上での金銭取引などで「暗号」の重要性が増して数学者の頭の中だけに存在していた「大きな素数の発見」が重要な意味(莫大な金銭的価値)を持つようになったのか…。俗界を超越して「数の世界」を逍遙していた数学者達が俄に金儲けのための重要人物に昇格(堕落?)したのはオモシロイことですね。《ガウスが今も生きていればハッカーになっていただろう》という一文は何だか現在の世の中がデストピア(反理想郷の暗黒世界)であることを示しているようでもありますね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。黒兵衛(ペット)にとって現在の世の中はユートピア(理想郷)なのかな?デストピアとしか思えない不幸な犬猫も存在するからペットの世界も格差社会と言えるのかな?ワン。終日原稿書きはロームシアター京都で観た『CORPS EXTREMES−身体の極限で/ラシッド・ウランダン/シャイヨー国立舞踊劇場カンパニー』公演についての感想を一気に書き始める。モーリス・ベジャール&マーサ・グレアム&三島由紀夫&三代目猿之助&ピーター・ブルック&ハリー・クプファー&山海塾&暗黒舞踏&唐十郎&武満徹…などを引き合いに出しながら「20世紀の身体表現と未来の身体表現」を考える。デストピアのなかでの人間の美しい心の可視化としての舞踏…チョット理屈が勝ちすぎたかなあ…と反省しながらブラッシュアップは明日に回して酒&晩メシ&風呂&酒再び…そして寝る。
12月6日(金)
『素数の音楽』はスゴイ!何しろ素数の分布の探求から始まった研究の結果が原子核の周囲を回る電子のエネルギー励起の曲線と一致するわけですからね。リーマン予想の数学の世界と量子力学が一致…なんて自分でもワケわからずに書いてますがとにかく興奮します。手品師が54枚のトランプを8回「パーフェクト・シャッフル(半分に分けたカードを1枚ずつ重ね合わせる混ぜ方)」を繰り返せば元の並び方に戻る…なんて記述と同じくらい驚く下手の横好きの数学好きのにとっては超驚愕連続の一冊ですね。ワン。あと少しで読了。ベッドを出て黒兵衛と散歩。《真の発見の旅は新たな風景を捜すことではなく新たな視点を獲得することである》などというスゴイ言葉が引用してあったので誰の言葉かと思ったらマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』からのパクリだという。数学と量子物理学は文学とも融合するのですな。そう言えば『失われた時を求めて』を読破するにはリーマン予想を証明するのと同じくらいの時間がかかるのかな…と下手の横好きは思ってしまいますね。ワン。終日『CORPS EXTREMES−身体の極限で/ラシッド・ウランダン』の原稿のブラッシュアップをしてメール送稿。それから『ニューズ・オプエド』は五輪アナリストの春日良一さんとIOCへの就職を目指している大学院生の原実季さんを迎えて未来のオリンピックの話。来年1月のIOC会長選挙は誰が選ばれるのか面白そうですね。
12月7日(土)
『素数の音楽』にバーナード・ショーのワーグナー評が出てきた。それはリーマンが《素数に音楽がある》と言ったことへのある物理学者の反応だった。《この音楽はややもすると意味不明に聞こえるかもしれない。しかしリーマンの業績のおかげで私たちもバーナード・ショーがワーグナーの音楽を評して言ったのと同じことが言える。この音楽の良さは音だけではわからないのだ》この説明はチョットわかりにくい。ワーグナーの音楽は音だけでも十分に感激できる部分も多い。しかしワーグナーの音楽の良さは物語や歌手の声や舞台の展開などのすべてを伴って初めてワカルと言いたいのかな?リーマンが素数を波動になぞらえてさらに多くの数学者や物理学者が素数を量子物理学や確率論や統計学へと広げたすべての音をワーグナーの楽劇に喩えたのかな?ワン。ベッドから出て黒兵衛と散歩。しかし『素数の音楽』はオモシロイ。2013年に出版された文庫だけど今年出版されていたら今年のナンバーワンに選びましたね。もうすぐ読了するのが惜しいくらいですね。ワン。黒兵衛の散歩はサッサと片付けて準備をして大船へ。東海道線で東京へ出て東西線で早稲田へ。早稲田大学で行われた日本スポーツ学会の「スポーツを語り合う会」に出席。
12月7日(土)つづき
早大での日本スポーツ学会の「スポーツを語り合う会」。今日の講師はまず慶応高校野球部監督兼慶応幼稚舎(小4)教諭の森林貴彦さんの「エンジョイベースボールとスポーツマンシップ」。昨年の夏の甲子園で107年ぶりの慶応高校の優勝を果たした監督相手に『真夏の甲子園はいらない』(岩波書店)の著者として思い切り噛み付こうと思っていた(笑)けど小生の主張したいこと=高校野球批判を森林さんが先にすべて話してくれたので司会の長田渚左さんに発言を促されたときは「これからも頑張ってくださ」」とエールを送って拙著をプレゼントするだけだった(爆)。2人目の講師は東京大学先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授の「超人スポーツー身体×テクノロジーの社会変革」。これは小生も執筆した『世界思想51号』に登場された稲見氏のインタヴューでの発言が面白かったので長田さんが招かれたのだが講演もメッチャ面白過ぎるくらいに面白かった。そこで公演後すぐに勢いよく挙手してロイロ質問させていただいたのだが…たとえば現在一流のサッカー選手や野球の大谷選手はすべてビッグデータを処理したAIの指示で動くアバターのようだがそれをどう思うか?という質問に対して稲見氏はファン(観客)が応援している限りAIの利用はさらに進むでしょうね。そして選手は新しい頭の使い方をするようになる…ナルホド。近代スポーツのシンギュラリティ(限界)はファンの支持が消えるとき…か。他にも身体に装着した何本もの腕や6本目の指の活用とか(もちろん稲見氏は豊臣秀吉が6本指だったことも御存知でした)面白い話の連続でメッチャ充実した一日でありました。
12月8日(日)
マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』(新潮文庫)読了。これほど豊かな知的興奮に充ち満ちた本は久し振りに読みました。しかし数学というのは怖ろしいですね。リーマン予想に挑戦し続けて気が触れた人も少なくないらしいですからね。文系横好きくらいが数学との距離感としては安全地帯かもしれません。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。昨日早稲田まで行って慶応高校野球部森林貴彦監督の有意義な話や東大先端研稲見昌彦先生のブッ飛んだ話に毒されたせいか(笑)脳味噌が軽くなったような気がする。頭のイイ人の話を聞くと頭が軽くなるのかな?そう言えば稲見先生はVRのゴーグルを付けて剣玉の成功体験を重ねるとリアルに剣玉も上手くなるという話をされたあとVRでアインシュタインの顔を自分に張り付けて動くことを繰り返すと頭が良くなる(できなかった数学の問題が解ける)とホンマカイナと言うたくなる話もされた。ただしアインシュタインを知らない人に同じことをしても何も変化は起こらないとか。ま。そうでしょうね。ワン。ここ数日モダンバレエ(ラシッド・ウランダン)の原稿書きなどで結構頭を使って疲れたので今日はJリーグの優勝争いを楽しむ。地元ですから湘南ベルマーレを応援したけどヴィッセル神戸には歯が立ちませんでしたね。ここぞというときに糞力の出ない湘南乃海と似てるのかな?酒と晩メシはニュースや『ダーウィンが来た!』やDVDで『ニーベルンクの指環』の『神々の黄昏』を見ながら。ワーグナーの音楽劇がライトモチーフ(指示動機)の組み合わせでできているのは指示動機が素数に当たるということなのかな…などと思う程度にしておくのが数学との健康的な付き合い方なのでしょうね。
12月9日(月)
ベッドの読書は一昨日小林信也さんから送られてきた宇城憲治・監修/小林信也・著『武術に学ぶスポーツ進化論 宇城憲治直伝「調和」の身体論』(どう出版)。これはメッチャ素晴らしい一冊で言葉に変換し難い武道の身体動作論をわかりやすく書きほぐしている一冊です。ある意味「スポーツ革命論」とも言える著作で神秘にも思える武道のパワーが実在の体験や目撃を通して言語化されている。その体験を実践した人物は著者以外にも岡田武史・小久保裕紀・緒方孝市・北島康介・古賀淳也などの面々が登場。最終的にはスポーツの意義とは何か?という疑問に行き着き商業化したオリンピック批判やマスメディアや政治権力によるスポーツ・ウォッシング批判へと自然に辿り着く。スポーツに少しでも関係している人には是非とも読んでほしい一冊だ。今週金曜の『ニューズ・オプエド』のゲストが小林信也さんだからこの美事な「調和の身体論」を詳しく説明してもらいましょう。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。いつもの散歩コースの住宅の細い隙間から美事に冠雪した美しい富士山を覗き見ることができる。以前は我が家の近所の緑地から堂々たる富士山が見えたものだがその緑地と隣接する私有地の樹木がジャングルのように生い茂って富士山をすっかり隠してしまった。著暴の消滅も残念だがこのジャングルは所有者に安全性を考慮し確保する義務をないのか?と少々心配になる。ワン。ロームシアター京都の担当者から小生のラシッド・ウランダンの原稿について少々長くてもすべて掲載するとの返事。カットする場所を指定していたけどコレは嬉しい返事ですね。校正でさらにラッシュアップしましょう。晩メシは吉本新喜劇を見ながら。スッチーさんや千葉チャンなどの舞台はレベルを保って面白いですね。面白すぎたので『映像の世紀』を見忘れて寝てしまったではないか(>_<)
12月10日(火)
頭の中がリーマン予想で満たされてしまったためか昨晩ベッドには加藤文元『物語数学の歴史 正しさへの挑戦』(中公新書)を持ち込む。2009年刊で一度読んでるがこの本を本屋で見つけたときは副題の「正しさへの挑戦」という滅法生真面目なタイトルを気に入って買った一冊だったことを憶えている。「めっぽう(滅法)」なんて古臭い形容詞を使いたくなるほど「正しさへの挑戦」という言葉は堂々たる言葉なのでもわず本屋で買ってしまったのだ。こういう本の買い方はamazonでは絶対に不可能で本屋が消えることは悲劇以外の何物でもないですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。そう言えば赤木圭一郎が歌っていた『野郎泣くねえ!!』という歌が♪俺は寂しいぜ…滅法寂しいぜ…という歌詞だったことを憶えている。作詞は水木かおる。「アカシアの雨がやむとき」などを作詞した人ですね。作曲は山本直純。『札幌冬季五輪』の行進曲の作曲者で『オーケストラがやっていた』の司会者。小澤征爾氏の盟友ですね。昔は歌謡曲も水準(レベル)が高かったと思ってしまうのは多分年寄りの愚痴でしょうね。ワン。イロイロ仕事したあと晩メシ&酒はノルウェー・オスロでの被団協(日本原水爆被害者団体協議会)のノーベル平和賞表彰式を見ながら。NHKのニュースは何故三味線による歌の披露をカットしたのか!広島や長崎の現地の反応は表彰式の全てを放送した後でもできることなのに…とテレビに向かって怒りをぶつけるが代表委員の田中熙巳さんの受賞演説は見事だったですね。核抑止論の馬鹿らしさを激しく非難して核保有のナンセンスを指摘して日本政府の対応も非難。政治と政治家たちの非人間的対応を淡々と力強く批判されたのは素晴らしかった。92歳の高齢など無関係の力強さに感激。20歳も若い小生も頑張らねば。
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『新源氏物語』 市川雷蔵が光源氏を演じた映画。寿美花代なども出演。平安ものを現代語で喋られると違和感が…
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12月11日(水)
ベッドのなかでの読書は『物語数学の歴史』。面白い。《数学を学ぶことは人間を学ぶことである》《数学するという行為においては直感の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない》ナルホド。良い言葉ですね。一度読んだはずなのに忘れている自分が情けないですね。ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマはスポーツから離れて音楽評論家としてオペラについて。オペラが1597年にフィレンツェで生まれたとき京都の三条河原では出雲阿国が歌舞伎踊りを始めたという話からオペラは所詮は男女の恋愛物語でワーグナーの『ニーベルンクの指環』は『スターウォーズ』や『指輪物語』よりも面白いという話まで。オペラも歌舞伎も大衆芸能なんですよね。あ。江本孟紀さんがワーグナーのアリアを歌えることや川淵三郎さんや森祇晶さんやパンチョ伊東さんがオペラのファンだということを話し忘れました。10分で大好きなオペラの話をするのは難しいですね。ラジオのあと黒兵衛と散歩。御近所さんに会って来月の町内でのペラを楽しむ会の確認をされる。御近所のこういうイベントは嬉しいですね。ワン。終日書き下ろし原稿書き。NHK-BSが午後の映画で市川雷蔵の『源氏物語』をやっていたけどDVDで見ているのでパス。今年の大河ドラマもそうだけど現在とのつながりを感じられる時代劇はやはり源平時代以降ですね。それ以前は異国情緒が漂いすぎますね。それはそれで面白いけど平安時代を現代言葉で話されると異国情緒が消えて面白くなくなるのでは?晩メシはニュース番組を見ながら。国会はいろいろ話してるけど議員数を減らす話は出ませんね。。
12月12日(木)
『物語数学の歴史』ベッドで楽しむ。ギリシア哲学の元祖と言われるタレスは実に面白い人物だったようですね。《一番奇妙だったものは何かという問いに「年老いた暴君」》と答えたらしい。問いの「奇妙」という言葉がどんなものか考えさせられるが現代ではプーチン・ネタニヤフ・トランプ・アサド…といった名前が浮かぶ。そんな彼の三角形の定理からピタゴラス・エウクレイデス(ユークリッド)に続くわけでかつては数学と哲学は一体だったのですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。静かな住宅街の老犬との散歩では歳末は感じられませんね。ワン。終日原稿書きは雑誌『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ批評」。大谷オータニで明け暮れた今年を振り返って「そしてメディアは日本のスポーツ(野球)を滅亡させる」と題した原稿を書く。このタイトルはモチロン半藤一利氏と保坂正康氏の対談本『そしてメディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社)からパクったもの。大谷に続いて菅野&佐々木と東京ドームでの来季ドジャースの開幕戦で日本野球は完全にアメリカMLBのマイナーリーグ(二軍)に化すのをメディアは喜んで報じるわけですからね。人口減少より遥かに速いスピードで子供達の野球人口が激減しているのを将来マスメディアが取りあげるときには今頃何を言ってるんだ!と嗤いましょう!晩メシは昨日のNHK「クローズアップ現代」の贋作特集を録画で見ながら。小生は映画『オーソン・ウェルズのフェイク』が大好きな人間で贋作作家も大好きなんですね。それに欺されて騒ぐ連中は問題をカネと結びつけるけど絵画の良し悪しとカネとは本質的には関係ないはずですからね。自分がイイ作品だと思えば本物でも贋作でもソレでイイじゃないですか。絵画だけでなく有名人のサインも贋作があるとか。大谷は素晴らしい野球選手だけど彼のサインを自分が書いてもらったわけでもないのに買って持ちたがる心境はまったく理解できませんね。投資のつもりかな?我が家にもいろいろ有名人に書いてもらったサインがるけど『なんでも鑑定団』に出してみようかな?(笑)
12月13日(金)
『物語数学の歴史』オモシロイ。古代ギリシア人が何故《議論好きになったのかというとそれは議論でもしていないと仕方がないくらい彼らがヒマだったから》というのだ。《プラトンの対話編などを読むとソクラテスがひねもす人と議論し続ける様子が描かれているが何しろそれで一冊の本になってしまうくらい延々と続くような議論なのだから本当に死ぬほどヒマだったのだろう》思わずプファッと吹き出してしまったが「死ぬほどの暇」を持て余して死なずに済むとその後2千5百年以上世界中で語り継がれる哲学が生まれるというわけですね。オモシロイ。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。映画『第三の男』ではスイス500年の平和と民主主義が鳩時計しか生まなかったというオーソン・ウェルズの有名な台詞があるけどコレは考えてみればスゴイ言葉ですね。戦争を生むより鳩時計を生むほうが大切ですからね。ウェルズの演じた極悪犯罪者のハリー・ライムも戦争の犠牲者と言えるわけですからね。それにスイスの平和な大学はアインシュタインを初めとする多くの天才を育てましたからね。オーソン・ウェルズはそこまで知った上でグレハム・グリーンの原作にはないアノ台詞を戦争から生まれた極悪犯罪者に言わせたのでしょうね。「ひねもす人と議論する」くらいの平和なほうが特に現代の人類にとっては実りが大きいでしょう。ワン。あ。「ひねもす=hinemosu」とパソコンに打ったら「終日」と変換されました。ナルホド。昨日送稿した『ZAITEN』の校正などをしたあと今年最後の『ニューズ・オプエド』はゲストにスポーツライターの小林信也さんと成城大の山本敦久さんを迎えて「今年のスポーツ界を振り返って未来のスポーツを考える」佐々木朗希のメジャー入りを山本さんが「もやもや感」とオモシロイ言葉で表現したが日本の最近のスポーツ界に漂ってるのは全て「もやもや感」だと納得。その他マスメディアでは話せないメッチャ面白い内容をイッパイ話しましたのでYuTubeで見てください。https://www.youtube.com/watch?v=ANdr4YyIdqM
12月13日(金)つづき
小林信也さんと山本敦久さんとの面白くも超有意義な今年最後のオプエドの放送を終えてNHKのチコちゃんを見ながら晩メシ&酒を楽しんでいたら先週スポーツ学会でお会いしたばかりの東大先端研教授の稲見昌彦教授が突然テレビに現れたので驚いた。透明人間になる装置を使いながらの登場。サスガでしたね。剣玉がすぐに上手くなる措置などもチコちゃんにはウケるでしょう。。
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『アリア』 女流監督が描いたマリアの生涯。精霊を身籠もったキリスト(救世主)聖母マリアの人間味豊かな映画です
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『ナポレオン』 リドリー・スコット監督の大作。稀代の英雄をマザコンでとらえた点は面白かった
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12月14日(土)
『物語数学の歴史』はデカルト→フェルマー→ニュートン→ライプニッツを経てオイラーに突入。オイラーの公式やゼータ関数と素数の関係の発見は凄いと思うけど数式はやっぱりパープリンでわかりません。「1/12+1/22+1/32+1/42…」の無限級数の合計がナンデ「π2/6」になりまんねん?オモシロイとは思うけど有理数を足してナンデ最後は無理数になるねん?今度Mクンに訊きまひょ。eiπ=0 ナンテのは何をどう聞いたら良いのかもワカランのでパスですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。黒兵衛を見れば幸せ無理数も虚数もπも知らぬと思えば。オソマツ。あ。たしかマサチューセッツ工科大学のフットボール部の応援歌にeもπも出てきましたよね。セヤカラナンヤネン。ワン。仕事をしていると川崎で仕事をしている長女がやって来て川崎フロンターレの算数ドリル(ナンデモカンデモ参照)の過去3年分のバックナンバーを持ってきてくれる。コレは素晴らしい!川崎出身の故・坂本九さんも2021年の算数ドリルに登場しているんですね。晩メシ前にフロンターレの今年最後の試合のあとの鬼木監督退団セレモニーを見る。竹内マリアの『♪いのちの歌』が流れて振り返る鬼木選手・監督の映像は素晴らしかったですね。地域活動もふくめて川崎フロンターレの活動も素晴らしいですね。サポーターが選手にブーイングをしないのも立派。川崎が嫌で出て行ったチームと大違いですね。いや川崎市民にとっては出ていってもらって良かったですね。晩メシのあと映画『マリア』を見る。原題は『The Nativity Story』聖母マリアがイエス・キリストを生むまでの物語。人間マリアの苦悩と精霊を身籠もった聖母としての苦労の両面を見事に描いた映画でした。監督はキャサリン・ハードウィック。サスガは女流監督の視点ですね。続けてリドリー・スコット監督の映画『ナポレオン』。ジョセフィーヌとの愛の葛藤と皇帝にまで成り上がるマザコン男の物語。サスガはリドリー・スコット監督でアウステルリッツの会戦の描写などは迫力満点。皇帝の就任式もダヴィッドの海外に劣らぬ豪華さ。しかし2本連続の映画に疲れてジョセフィーヌとの離婚式までで明日にサスペンデッド・ムーヴィー(以上の原稿の数式でパイと書いたはずの文字が何故かπに変換されます。πはパイだと思って読んでください)。
12月15日(日)
『物語数学の歴史』は下に流れるはずの水が自然に上に登って(戻って)流れるエッシャーの『滝』の絵の紹介のあと「非ユークリッド幾何学」に突入。直線上にない一点を通って引ける平行線は1本だけ…というユークリッドの公準はそもそも実在を証明されたわけでなく《我々がユークリッド幾何学を体系が実在すると感じるのは感性的なものである》のですね。だからガウスを初め多くの天才数学者が早くからユークリッド幾何学に疑問を呈していたのですね。言わばニュートンの絶対空間における質量や運動と同じでそんな世界(空間)は本当は存在せず現実の世界は非ユークリッド幾何学の曲がった空間と相対性理論で動く時空間(宇宙)のなかにあるのですね。オモシロイですねえ。ワケのわからないコトのほうがオモシロイですねぇ。ワン。昨晩我が家に泊まった長女とヨメハンと一緒に黒兵衛と散歩。黒兵衛のリードは長女が持って俺が持たないとと坂道を登るのがシンドイ。黒兵衛は引っ張りあげる老人が消えて元気そう。ワン。散歩のあと昨日の映画のつづき。リドリー・スコットの『ナポレオン』を見る。ワーテルローの会戦の場面は壮大だけれどウクライナ生まれのボンダルチュク監督によるソ連イタリア合作映画の『ワーテルロー』の迫力と変わらないですね。1970年の映画はCGなんて皆無だから昔の映画を評価したくなりますね。それにナポレオン役はロッド・スタイガー&ルイ18世はオーソン・ウェルズで音楽はニーノ・ロータですからね。しかしリドリースコットの描くマザコンのナポレオンが最後に情けなく一人で死ぬ後ろ姿は大英雄のあまりにあっさりした死で面白かったですね。『ゴット・ファーザーpartV』でマイケル(アル・パチーノ)が戸外で椅子からバタリと倒れて死ぬシーンと双璧かな。昼飯&昼寝のあと川崎フロンターレの中村憲剛の引退試合をYuTubeで見る。なでしこの選手達と試合をしたり日本代表のレジェンドと試合をしたりフロンターレの現役と試合をしたり…Jの選手の引退イベントとしては最高の盛りあがりでしたね。長女が帰ったあと晩メシ&風呂&酒&寝る。
12月16日(月)
『物語数学の歴史』読み進む。19世紀のヨーロッパは数学史における「19世紀革命」と呼ぶに相応しい発展を遂げた。それはフランス革命後の自由な空気も大きく影響したという。その結果がリーマン幾何学や物理学の相対性理論や量子論につながるわけですね。音楽史のうえでも19世紀ヨーロッパはベートーヴェンからブラームス・ワーグナーetcへと大きな発展を遂げますね。そして世紀末には万博もオリンピックも始まり哲学思想は精神至上主義から20世紀の肉体(身体)の「発見」へとつながるわけですね。「19世紀欧州」の「近代革命」に対する「近代の超克(ポスト・モダン)」は掛け声だけで未だに達成されてないのでしょうね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。ニーチェが「神は死んだ」と宣言してワーグナーが『ニーベルンクの指環』で「此の世の終末」と「愛の復活」を歌いあげジョン・レノンがロックで同じ近代社会の終末の想像(イマジン)を歌ったあとはシンギュラリティ後にAIの支配する世界が始まるのかな?ワン。年末進行で早い締め切りの連合通信の連載を書く。「シーズンオフのストーヴリーグが燃えてます」と言ったテレビのアナウンサーがいたので正しくはオフシーズンでストーヴリーグとはストーヴを囲んで今シーズンを振り返ることだと誤りを指摘する原稿を書いていると講談社から古市憲寿さんの新刊『昭和100年』が送られてきた。コレはオモシロそう。西暦2025年は昭和100年なんですね。帯に《万博・五輪・宇宙開発・原子力……「昭和」が終わらない。私たちの目の前に広がるのは朝日か夕日か》とある。ワーグナー的に言うなら「黄昏」で日本版「近代の超克」の不可能性が書かれてるのかな?ゼッタイ読まねば!!晩メシは吉本新喜劇を見な思ったら思ったら神奈川テレビが神奈川県議会の放送でヨシモトの番組放送は中止。仕方ないのでワーグナーの楽劇『神々の黄昏』を見ながら食事。ズービン・メータの指揮は全体的に素晴らしけど最後の「愛の復活」のテーマは完全に一拍休止してから改めて美しく流れ出てほしいですね。
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『殿、利息でござる』 タイトルは痛快爆笑映画のようだけど、真面目で少々暗い映画。カネの話は…小生はパスですね
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12月17日(火)
ベッドでの読書は一時休止。昨日講談社から送られてきた古市憲寿『昭和100年』を読み始める。面白い。という以上に絶対に失敗すると今から断言している人もいる大阪関西万博を来年に控えた今こそ誰もが読むべき本と言える。過去に万博を開催したセビリア(スペイン)ハノーファー(ドイツ)ミラノ(イタリア)の跡地(夢の跡?)を訪れた著者のレポートが極めて面白い。そしてネット社会で既にオワコンとなった万博のテーマ「いのち輝く以来社会のデザイン」を《あまりにも心許ない》と断じ《レガシーという点からも万博開催後も運用され続ける病院建設もあり得ただろう(略)もしくは日本では不可能な安楽死を特区として解禁したり万博を契機に日本の死生観やタブーに挑むこともできたはずだ》と書く。今からでも遅くはないから古市氏を大阪関西万博の実行委員に加えるべきだろう。いや。もう遅いですね。さらに成功物語として定着している1964年の東京五輪を《東京オリンピックがなくても東京を含めた日本は同じように高度成長をしていたはずだ。たまたま日本の経済成長期にオリンピックが開催されたに過ぎない》と断じ裏金や賄賂や数々のスキャンダルとパンデミックのなか無観客で開催された2021年東京五輪の「レガシー」を《この国が身の程を知ったというのは大きかったかもしれない》と鋭い見方を提示する。しかし…まだ身の程を知らないから万博に突きみ札幌東夷五輪も…と無定見に考えたのかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。
12月17日(火)つづき
黒兵衛と散歩しながらも古市氏の指摘した2度の東京五輪について考え続ける。1964年の日本人の平均年齢は29歳!と若かったのですね。それが2021年は48歳。まだまだ若さを発揮できる年齢のはずが何故か年寄りばかりが幅を効かせましたね。おまけに原発反対・軍拡反対の知識人も芸術家も五輪や万博から排除されましたからね。64年の五輪や70年の万博には様々な人が参加したのに…今日でも有能なスタッフはいるはずなのに…プロデューサーに問題があったとしか思えませんね。ワン。終日原稿秋はネット『スラッガー』の連載「ベースボール今昔物語」の第3巻回目を執筆。大谷の活躍よりもっと早く…いや野茂の活躍より早く…村上正則投手のサンフランシスコ・ジャイアンツでの活躍の時代(1963-64年)から日本の野球選手はメジャーで活躍できることがわかっていたのに何故か日本の球界は日本人選手はメジャーで通用しないという「自虐野球史観」に縛られ続けられた…という話。それはアメリカに商品(選手)を奪われたくなかったメディアの世論操作だった?という原稿を書きあげて送稿。晩メシは昼間NHK-BSでやっていた映画を録画した『殿、利息でござる』を見ながら。ウ〜ン…退屈な映画でした。それはヤハリ銭金の話が小生にはピンとこないから…かもしれないしタイトルから爆笑喜劇だと思って見たらそうではなかったから…かもしれないけど映画のリズムもイマイチ間延び感がありましたね。羽生結弦の殿様はピッタリ名演でした(笑)。
12月18日(水)
古市憲寿『昭和10年』(講談社)読了。近代(昭和)を超克できない日本の姿がよくわかって非常に面白い一冊でした。しかし不満をいくつか。昭和(近代)の遺物とも言える核燃料サイクルに関するドイツ・アメリカ・フランス・日本の失敗例には触れてあったけど核ゴミ垂れ流しの原子力発電の将来(のあるべき姿)についての考えの記述がなかったのは残念。それにオリンピック批判はあっても日本のスポーツ(産業)界とメディア(との癒着)に触れてないのも残念。マスメディアへの出演が増えるとやはりメディア批判は難しいのかな?(笑)とはいえAI社会になって「憧れの仕事」は消えて「キツイ仕事」が人間に残るとか参考になる面白い指摘も沢山あり多くの人が読んで考えて欲しいと思った本でした。ツッコミどころも少なくないですからね(笑)。著者自身が自分にツッコんでいるところは狡いですね(爆)。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩しながらも古市氏の新刊について考える。これからさらに日本の貧困化が進むとやっと日本にも革命が…なんてことは起こらないから闇バイトにより犯罪や中国社会と同じ様な行きずりの犯罪が増えるのかもしれませんね。ワン。終日原稿書きは単行本『そしてメディアは日本のスポーツをぶっ潰した(課題)』の書き下ろし。やっぱりこのタイトルは変えたほうがイイですね(笑)。「第4の権力」とは喧嘩しないほうがイイですからね(爆)。晩メシはNHK-BSでやっていたメル・ギブソン主演の『フォーエバー・ヤング』を見ながら。第二次大戦の過去から冷凍保存されて現代に生き返ったテスト・パイロットの男が急激の老化して昔結婚の申し込みに失敗した初恋の老婆にプロポーズする話。飛行機アクションあり…子供の大活躍あり…カーチェイスあり…純愛成就物語あり…でAIが脚本を書いたらこうなるだろうなと思えるハリウッド映画。退屈はしなかったけどドーデモええ映画ですね。飛行機アクション映画なら核戦争用に飛行訓練されたチンパンジーたちが大反乱を起こして飛行機を奪い操縦して生まれ故郷のジャングルへ逃げ帰るという映画『飛べ!バジル』のほうがずっと素晴らしいですね。
12月19日(木)
読売新聞社代表取締役主筆の渡邊恒雄氏が亡くなった。98歳だとか。そこで想い出をいくつか。@インタヴューを何度申し込んでも受けてもらえなかったですね(笑)AJリーグのチェアマン時代の川淵三郎氏にナベツネさんが亡くなったときは流石に批判は控えなければいけないでしょうね?と訊くと「あの人は君より長生きするんじゃないか…」と言われました(この予想は外れましたね・笑)Bプロ野球の1リーグ化を彼が画策して選手達がストライキで対抗したときのこと。選手達を応援するためナベツネさんの顔面にパイをぶつける計画があった。けど年齢を考えて窒息でもされたら困るので止めたという。C同じときに選手のストライキを支持する集会で「我々の敵はナベツネです」と発言するとフジテレビの『プロ野球ニュース』がその発言を放送してくた。昔はみんな気合いが入ってましたね。D記者時代のナベツネさんのワシントン支局勤務が決まったとき英語の家庭教師に雇われたのがロバート・ホワイティング氏だった。ホワイティング氏は野球の話で英語を教えようとしたがナベツネさんは長嶋茂雄も王貞治も知らず中曽根康弘は日本のJFKだといった話ばかりしたという。E巨人のV9時代。優勝ペナントを手にした巨人選手や監督・コーチが読売本社ビルの各階を回るイベントが毎年あった。その時地下の印刷所や運動部のフロアーでは大歓迎されたが政治部のフロアーでは早く出て行けと追い出された。その時にの政治部長がナベツネさんだったらしい。FナベツネさんはJリーグの百年構想に対して「川淵がいる限りJリーグは発展しない」と断じた。Gいま渡邊恒雄氏のことをナベツネさんと「さん付け」で書いているのは以前東京スポーツ紙の1面に「ナベツネは…」と書いて批判したら「批判はイイけど"さん"を付けて」と東スポの担当記者に言われたのでソレに従ってます(笑)。H川淵三郎氏が「Jの理念」をナベツネさんに教え伝えることができないまま新潮新書で対談して「手打ち」をしたのは本当に残念でしたね。Iナベツネさんの御冥福をお祈りするとともに日本のプロ野球がメディアの企業野球から一日も早く抜け出ることを心より願います。合掌。
12月20日(金)
昨日(19日付)本欄のナベツネさんの記事で1カ所間違いがあったので訂正します。Cの「我々の敵はナベツネです」という小生の発言をキチンとテレビで放送してくれたのはフジテレビの『プロ野球ニュース』ではなく同じフジテレビの同じ時間帯の『すぽると!』でした。その発言については魚住昭さんの『渡邊恒雄メディアと権力』(講談社文庫)の末尾に収録された魚住氏と小生の対談『われらの内なる「ナベツネ」』に詳しく書かれています。37ページに及ぶロング対談で魚住氏の本文の力作と同様「ナベツネ」のことを政界・プロ野球・Jリーグとの関わりなど詳しく喋ってますので是非とも御一読ください。それにしてもマスメディアはナベツネとJリーグ(川淵三郎氏)との「死闘」と「大敗北」については誰も全く触れませんね。情けないですね。
12月20日(金)つづき 川淵三郎Jリーグ元チェアマンがかつて「不倶戴天の敵」と言われた渡邊恒雄氏の死去でコメントを出されましたね。《渡邉さんとの論争が世間の耳目を集め多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が実は最も大切な存在だったのです。まさに渡邉さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。在りし日のお姿を偲びここに謹んで哀悼の意を表します》様々なメディアに紹介されているこのコメントはチェアマン時代に「プロ野球は反面教師」と言われたのと同じ逆説的な表現とも取れますね(笑)。先にも書きましたが川淵氏に「あの人は君より長生きするんじゃないか」と言われた言葉が思い出されます。俺がここまで長生きできたのもナベツネさんを意識したおかげか?(笑)しかしプロ野球にも「Jの理念」が広がっていないのは川淵氏の言われた「Jリーグの社会革命」が未だに継続中だと小生は確信しています。プロ野球のストライキを率いた古田敦也氏も当時「プロ野球をJリーグのようにしなければ…」と言ってましたからね。
12月20日(金)つづきのつづき
加藤文元『物語数学の歴史』ベッドのなかで読了。やっぱりリーマン面とゼータ関数あたりでワケがわからなくなった。何がわからないのかもわからないので数学の天才のM君にも質問のしようがない。マァ別世界の出来事だからドーデモイイか…と思いながらひょっとして渡邊恒雄という人物も野球やサッカーについてワケがわからなかったのではないかと思った。スポーツが民主政社会から生まれた文化(カルチャー)であるということを考えもしなかっただろうし学びもしなかったのでしょうね。だからスポーツを公共の文化だとは微塵も思わなかった。一方で新聞は公共財だからと主張して軽減税率が適用されることを主張した。ナベツネ氏の「主張」はわかりやすくて全ては読売の利益だけを考えてのことなんですね。だから野球選手も野球マスコミも日本のプロ野球に見切りを付けて「大リーグを目指せ!」ということになったのですね。そのあたりの分析も魚住昭さんの『渡邊恒雄メディアと権力』(講談社文庫)での小生との対談に収められてますので御一読ください。ワン。終日原稿書き。『オプエド』も今年は先週でいったん終了したので晩メシはゆっくり『チコちゃん』を見ながら。へええ…。ジングルベルはクリスマスの音楽ではなく馬車で女性をナンパする音楽か。しかしテレビで得た知識というのはなかなか「実」になりにくいものですね。マクルーハンはラジオや映画をホットメディア&テレビや電話をクールメディアに分類したけどSNSはどっちになるのかな?やっぱりヒットラーを生んだのと同様ホットメディアのようですね。嗚呼。
12月21日(土)
ベッドでの読書は新たに大久保純一『カラー版北斎』(岩波新書)を読み始める。初期の役者絵も見事だけれど北斎の絵はやはり新書の小ささでは迫力が伝わって来ないのは仕方ないですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。昨日はフジテレビの『チャンハウス』という番組のZOOM取材を受けたがスポーツにおけるレフェリーとアンパイアの違いについて訊かれただけでナベツネに関する依頼はネットの『スラッガー』からの緊急執筆依頼のみ。まぁそんなものかな。ワン。ナベツネ原稿の構成を考えたりしていると夕方から長女が来宅。黒兵衛を連れて一緒に獣医さん宅へ。狂犬病予防のワクチンを打ってもらって帰ってくると京都の天橋立へ旅行してきたお隣さんが丹波篠山の黒豆や栗をお土産に持ってきてくれる。ウチの長女とお隣さんのパリ在住の長女が同い年で我が家で安物シャンパンで緊急パーティ。独身生活を謳歌している我が家の長女と契約パートナー生活をしている隣家の長女の交わすなかなかオモシロイ結婚観を聞かせてもらう。少子化・移民問題・政府の右傾化・フランスにもある女性差別…などなど若い人(といっても40歳だが)の交わす会話を聞くのは新鮮ですな。フランス土産のチョコレートも美味しかったです。
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『ラインの黄金』 オットー・シェンクの演出はワーグナーのト書き通りでサイテー…と若いときは思っていたけど歳取るとコレデイイノダと思えますね
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12月22日(日)
ベッドのなかで『カラー版北斎』楽しみ続ける。広重の洒落た魅力も素晴らしいけど北斎はやはり迫力ですね。江戸から京都までの東海道を一気に鳥瞰した絵があるなんて知らなかった。こういう絵を描こうとする気迫がスゴイですね。ワン。ベッドを出て朝食のあと長女とヨメハンと一緒に黒兵衛と散歩。リードを持つのは長女で犬に引かれないと上り坂がチョット辛いかな。トホホ。散歩のあと長女の操作するNetflixその他で映画を見ようと思っても『御金蔵破り』も『人類資産』も『草枕』もアップされてない。ネットからは知識を得ることができないということかな。仕方ないのでテレビで高校駅伝を見て懐かしい京都の風景を楽しんだり有馬記念を見たり。俺はフリーの仕事を始めた頃に金欠病で年が越せなくなりそうなとき有馬記念で8歳馬のカネミノブと牝馬のインターグロリアの連複を買って万馬券に近い8千余円の配当で四畳半の家賃と電気代2ヶ月分を払ってよーやく年を越したことがあった。その後何度か競馬はオペラ関係の名前の馬を買ったがどれも外れ。ローゼンカバリー・マチカネタンホイザー・ワルキューレ・ワグネリアン…とかみんな負けましたが小生の馬券は生涯プラスです(^_^)しかし競馬馬はドイツオペラばかりですね。トラビアータとかボエームとかパリアッチとかイタオペの名前のついた馬はいないのかな?晩メシはワーグナーの『ラインの黄金』を見ながら。1990年メトロポリタン・オペラの舞台。指揮はレヴァイン。演出はオットー・シェンク。ワーグナーの指示通りの古めかしい舞台も良いですね。ラストシーンはワルハラの城に虹が架かって。あ。野球の話題でもネットの"スラッガー"で日本のプロ野球になぜ送りバント(犠打)が多いのかを分析して語ってます。それは巨人のV9時台のドジャース戦法以来と言うより1985年のタイガース・フィーバーのときのホームランで勝ったチームが最多犠打の日本記録を作ったのがキッカケと言えますね。御一読ください。https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=86427
12月23日(月)
大久保純一『カラー版北斎』(岩波新書)読了。90歳で亡くなるまで「達者に」絵を描き続けたエネルギーは見事ですね。本書ではないが以前テレビ・ドラマだか映画で見た「北斎」の最期の瞬間に娘のお栄が「何か言い残すことは?」と訊くと北斎翁が床に伏せたままただ一言「ない」と言ったのを憶えてる。それは最高に素晴らし大往生の瞬間でしたね。どんなカタチでも北斎に触れるたびに俺も仕事をしなければ…と思いますね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。寒さと富士山の綺麗な姿は冬を感じさせるけど歳末の雰囲気はありませんね。歳末の様子は商店街や繁華街の姿で住宅街では感じられないものですね。ワン。デスクワークの今年最後の原稿執筆はネットメディア『スラッガー』の依頼を受けた渡邊恒雄氏の追悼原稿。追悼ですからあまり批判ばかりはできないけど褒めるのは難しいですね(苦笑)。川淵三郎氏の「不倶戴天の敵だと思っていた相手が実は最も大切な存在」で「Jリーグの恩人として感謝」という「褒め言葉」もよく読めば反面教師としての存在のことを言ってるのですからね。小生の原稿はナベツネ氏は我々に日本のスポーツの進むべき道を示してくれた…ということにしました。晩メシはBS-TBSの『報道730』でナベツネ氏の短い特集を見たあとTVKで吉本新喜劇を見ながら。A級戦犯の靖国合祀と歴代総理の靖国参拝を激しく批判していたナベツネ氏だったが自分の意見と読売新聞の意見は使い分けていたという保坂正康氏の見解は貴重でしたね。しかし結局メディアによるスポーツ独占を批判するメディアはなかったですね。それが日本のスポーツの将来のテーマでしょうね。
12月24日(火)
ここ数日古本屋に売って処分する本を集めていたら本棚の奥からエンツェンスベルガー著『数の悪魔―算数・数学が楽しくなる12夜』(晶文社)なんて本が出てきた。中2の孫に良いかなと思ってベッドで読み始めるとなかなかオモシロイ。けど俺みたいな数学横好き文系大人は面白がるけど二次方程式に悩んでる餓鬼にはどうかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。昨日のナベツネ原稿で今年の原稿締め切りはオシマイ。サァ今日から部屋の掃除と思ったら「連合通信」の連載が残っていたのに気付く。慌てて「スポーツ博覧会」第162回の原稿を書く。テーマは最近テレビのアナウンサーが口にした野球英語のマチガイについて。メジャー・シーズンオフ・ストーヴリーグはアメリカで通用しない和製英語ですよね。ストーヴリーグという英語は通じるけど本来はストーヴを囲んで今シーズンを振り返って語り合う(リーグ戦を戦うような激論を交わし合う)ことなんですよね…等々原稿を書いて送稿。ふううう。これで今年の原稿はオシマイ。残るは明日のラジオだけですね…と思って晩飯は隣家のフランス人家族と『鮨処もり山』へ。愉しい忘年会のあと帰宅してウイスキー飲みながら昨日録画したTBS(MBS制作)の『情熱大陸』を見る。イチロー&松井秀喜の両氏が『最近のメジャーの野球は全然面白くない!」と話し合ってる。「データに頼りすぎで選手の感性が衰えるばかり」だと。イチロー氏が引退のときにも強調したことだけど…東大先端研の稲見昌彦教授に言わせると「ファンがどう判断するか」の問題だと。ファンの多くがAIデータ野球を「面白くない」と判断するかどうかの問題なんですね。ベーブ・ルースがホームランをポンポン打ち始めたときにニューヨーク・タイムズが「野手が手を伸ばしても捕れない打球を打つのは卑怯」と非難したけどファンは喜んでホームランを指示しましたからね。今のところファンはAIデータ野球を「面白くないとは言ってない」ですね。大谷のホームランやセーフティ・バントに喜んでますから…。この先はどうなるか…。
12月25日(水)
ベッドには昨日届いた筑摩書房のPR誌『ちくま』新年号を持ち込む。愛読している斎藤美奈子さんの『世の中ラボ176回』は「兵庫県知事告発と公益通報をめぐって」と題して3冊の関係書籍を熟読して分析。筆者の結論は《知事が問われているのはパワハラでもおねだりでもなく公益通報者保護法違反だったのだ》とはいえ《知事の言動はすべてパワハラ。文書をめぐる知事の対応(退職の取り消し・「公務員失格」発言・懲戒処分)もすべてパワハラに該当しよう》そして《告発文書はたしかに通報対象に該当しない事案が入っていたかもしれない。だが公益通報者保護法の趣旨は通報者の摘発ではなく保護と職場の改善なのだ》ナルホド。《定年退職間近だったA氏は退職の置き土産くらいの気持ちで文書を送った可能性もある。それに過剰反応してA氏を処分した斎藤知事はまさにパワハラ体質。おかげで自分は議会に突き上げられA氏も命を断つに至った。知事が初動でキレさえしなければこうはならなかったのではないか。残念でならない》大山鳴動してないのに鼠が…という事件らしい。第2ラウンドのPR会社との公選法違反疑惑も是非とも取り挙げてください。ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは昨日本欄に書いたイチロー&松井秀喜の両氏が「最近のメジャー野球は面白くない」と『情熱タリク』で語った言葉を取りあげ東大先端研の稲見教授の話(ファンの判断がデータ野球の良し悪しを決める)やベーブルースのホームランの話(当時の識者はそれを大非難した)まで解説。データAI野球があまりに行きすぎてファンの支持を失うと…ルール変更かな?という話までできなかったのは小生の勉強(力量)不足でどんなルール変更が待っているのかはもう少し考えます。ワン。黒兵衛と散歩のあとまずは仕事部屋の片付けから。掃除までは程遠いですね。とほほ。晩メシはメトロポリタン歌劇場オットー・シェンク演出レヴァイン指揮のワーグナー『神々の黄昏』を見ながら。歌もオケも素晴らしいのは演出がオードドックス(古臭い)だからかな?プールの水の中や空中カプセルに入れられる演出ではヤッパリ歌手も演奏者も落ち着かないのかな?…いや。昔は歌手のレベルが高かった?
12月26日(木)
昨日の夕方から年末の大掃除ではないけど片付けを始めたら本棚の奥から山平重樹『実録神戸芸能社 山口組田岡一雄三代目と戦後芸能界』(双葉社)という本が出てきた。2009年初版本で熟読した記憶はあるけどベッドへ持ち込んで改めて読み出したら面白くて止まらない。鶴田浩二襲撃事件から吉本興業との確執さらに美空ひばり・力道山・大鵬・勝新太郎…など多くの芸能人がほとんど神戸芸能社(田岡)の傘下に入った理由がよくわかります。義理人情任侠の道を貫いた最後の昭和人だったのですね。昭和は遠くなりにけり…。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと2階のベランダの掃除。狭いベランダにも大量の落ち葉。掃き掃除を続けると腰が痛くなってくる。トホホ。夕方になって「スラッガー」の編集者から小生の渡邊恒雄氏追悼文の原稿が「スマニュー」に掲載されたとの連絡が入る。未だにガラケーを愛用している昭和人としては「スマニュー」という言葉が「スマートニュース」の略語と解るのに時間がかかったうえエディターにスマニューのスクショをメールで送ってもらって確認。昭和人を気取っていてもそろそろスマホに変えないとダメのようですね。不便な世の中になったものです(>_<)
12月27日(金)
『実録神戸芸能社』読み続ける。面白い。山口組の全国制覇が神戸芸能社(山口組興行部)プロデュースの芸能人の全国興行の広がりと共に達成される経緯がよくわかります。それに力道山のプロレス興行が加わわったわけですね。まさに戦後の社会はヤクザが動かしていたわけで宮崎学さんの『近代ヤクザ肯定論ー山口組の90年』のタイトルの意味が納得できます。この名著にも第5章に『大衆芸能の裏側ー美空ひばりと山口組』と題した記述がある。合わせて読み直しましょう。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。世の中は今日が仕事納めかな。住宅街は普段より静か。クルマも少ない。早くも門松を飾っている家も一軒発見。冥土の旅への一里塚めでたくもありめでたくもなし…の川柳も実感として感じる歳になりましたね。ワン。便所掃除に部屋の掃除。「コロコロ」と呼ばれる掃除道具はナカナカ凄いですね。『スラッガー』の編集部から小生の渡邊恒雄氏の追悼文は『スマニュー+』というネットメディアに掲載されたらしい。「スマニュー+」の会員限定ページらしいが「玉木正之のベースボール今昔物語」で検索すればお試しで読むこともできるらしいのでよろしく。晩メシは「チコちゃん」見ながら。番宣臭が強くてウンザリ。しかし来年の大河ドラマは蔦屋重三郎か。チョイと見てみるか。
12月28日(土)
『実録神戸芸能社』2度目の読書なのに面白すぎて困る。芸能界・ヤクザ・賭博・在日・プロスポーツ…すべてが社会の底辺の興行の世界の存在として結びついていたことがよくわかりますね。すべては昭和の産物。最近読んだ古市憲寿氏の『昭和100年』(講談社)には決定的のこの部分が欠けていたんですね。もちろん宮崎学氏の指摘する近代ヤクザが徹底的に壊滅されたあとに育った著者の視点としては仕方のないことなんでしょうが子供の頃に時折日本刀を持って走る男を家(店)の前で見るような経験を持つ者としては昭和は遠くなりにけりと言うほかないのでしょうね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。世の中は完全に正月休みに入ったようですね。この前に長女が来たときに黒兵衛に着せた川崎フロンターレのユニフォームを見て「サッカーですね」と挨拶してくれた人に初めて出会う。ヨメハンが「高井選手のですよ」と嬉しそうに答える。このあたりではベルマーレのほうが良かったかな?ワン。原稿も年内は一段落で庭の掃除をいろいろ。正月気分は町内で共同購入した松飾りを見ることくらいか…。子供頃京都の祇園町に住んでいたときは店の前を忘年会帰りの酔っ払いが歩いたり…突然親父の戦友ですと名乗る男が直立不動で敬礼して現れたり…先に書いたようにヤクザが走り回ったり…ナルホド田舎の学問より京の昼寝でしたね。その意味…わかりますよね。
12月29日(日)
『実録神戸芸能社』完読寸前。赤坂「ニューラテンクウォーター」で力道山刺傷事件→傷口悪化して国民的ヒーローが死亡→美空ひばり&小林旭の世紀の結婚→1年7ヶ月後の「理解離婚」→警察が暴力団一斉検挙開始・頂上決戦→美空ひばりの公営施設興行拒否&NHKひばりの紅白歌合戦出場拒否→田岡一雄の死…。本書には書かれていないけど全ては60年安保騒動の収束と東京オリンピックの開催という流れに沿った日本社会の大改造と言えそうだ。そしてヤクザは「経済ヤクザ→反社勢力→半グレ→闇バイト…」へと変化したのかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと大掃除は子供部屋の整理。正月には子供や孫達が3帰ってきますからね。俺の仕事部屋からはみ出た資料や本も整理。ちょっとは正月を迎える態勢が整いつつあるかな。晩メシは昨日NHKを録画したニューポート・ジャズ・フェスティバルのドキュメンタリーを見ながら。渡辺貞夫さんや山下洋輔さんの活躍を見ようと思って録画したらナント案内役が狭間美帆さんだったではないか。新しいジャズマンは全然知らない人ばかりだったけど穐吉敏子さんへのインタヴューなど2時間近い番組を面白く満喫。しかし…ジャズは既にクラシックになったのですね。昨日見たNHKの今年のスポーツの特番が素晴らしいスポーツよりもお涙頂戴ドラマが上位にランクされていたうえお笑い仕立ての番組作りが不愉快だっただけに狭間美帆さんの案内は秀逸だった。続けて大谷選手の今年のドキュメンタリーを見るが新しい発見はなかったですね。さらに好きな番組「笑わない数学」の微積分はもっと真面目に面白くできるはずなのに少々少々残念。小生が番組審査委員をしていたときからNHKは「お笑いに走るべきではない」との意見が多かったのに…残念。
12月30日(月)
山平重樹『実録神戸芸能社 山口組田岡一雄三代目と戦後芸能界』(双葉社)完読。さすがに『週刊大衆』の連載を纏めた一冊だけあって面白く読んだ。力道山以外スポーツ系の記述が少なかったのは残念。続けて宮崎学『近代ヤクザ肯定論 山口組の90年』の第五章『大衆芸能の裏側ー美空ひばりと山口組』(筑摩書房)を読み始める。さすがに宮崎氏の記述はこう始まる。《ヤクザは近世社会の「身分的周縁」近代社会の「周縁的社会集団」として同じ周縁に所属する芸能民・芸能集団と芸能商品の享受者である地域共同体との間をつなぎ仲介するコーディネーター・ネットワーカーとなっていたのである》さらに戦後まず盛り上がった浪曲ブームについても知識人の多くが《非民主的封建的な浪曲》を非難する一方《民主主義を推進しようとする人たちのなかでも浪曲精神・浪花節の美学は生きて》いて《左翼浪曲》として《浪曲「民衆の旗小林多喜二とその母》などが《演じられ観客は目を潤ませて聞き入った》うえ《共産党書記長の徳田球一も熱涙にむせび》それを演じた浪曲師《東屋若太郎に「日本共産党徳田球一」と大書した演題に掛けるテーブル掛けを贈った》という。《その後「はりつけ茂左衛門」や「民衆の詩人石川啄木」などの左翼浪曲が風靡した。GHQや進歩的知識人は否定したが浪曲は大衆のなかに生き続けていたのである》こんな記述は宮崎学さん以外には出来ないでしょうね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあとヨメハンは買い物。俺はリビングルームに積んでた本やDVDの整理や掃除。BGMはバーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェンの交響曲。カラヤンはモダンですがレニーは新古典主義…かな。カラヤンは音楽作りが見事でレニーは音楽そのもの…と言ってたウィーン・フィルの人の言葉を思い出す。掃除をしながらかつてワシントン・ポストのコラムニストだったアート・バックウォルドが家事は評価する人がいないから辛いといったことを書いていたことも思い出す。だからこそ有意義なのかもしれませんけど掃除は腰が痛くなりますね。トホホ。晩メシはレコード大賞を見ながら。五木ひろしと浜崎あゆみを除いて知らない歌手と知らない歌ばかり。風呂のあとはNHKの『未解決事件 下山事件』を見る。ディレクターズカットでも前に見たのと違いがわからなかった。しかしこのドキュメンタリーは良くできた作品ですね。国鉄総裁を殺害したのはアメリカ?そしてアメリカ諜報機関に協力した日本人?だったらアメリカ大リーグに選手を供給して協力しているのも日本のプロ野球の○○○○なのか……?嗚呼。
12月31日(火)大晦日
一日中部屋の掃除をしていると長女と次女と孫2人がやって来て夕方から酒盛りに突入。隣家のフランス人夫妻がシャンパン持って挨拶にきてくれて晩メシの鴨鍋から年越し蕎麦に突入して初音ミクと中村獅童の「義経千本桜」を見たり「紅白」の最後を見たり「ゆく年くる年」を見て子供達孫達と新年の挨拶を交わして久々の午前0時超えでおやすみなさい。
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