12月1日(月)
朝黒兵衛との散歩から帰って少し仕事をしていると音楽会社社長で朋友のS氏から電話。長らく癌で入院されていた奥方が亡くなったとのこと。まぁ考え得る事態だったとはいえショック。もちろんS氏も辛いだろうが言葉がない。午後から東京へ。六本木森ビルのスタバで今週末の体育協会スポーツ少年団の講演打合せ。そのあと『ニューズ・オプエド』生出演。衆院選関連の話のあとはゲストのソプラノ歌手田中彩子さんを迎えて歓談。元々ピアノをやっていたのが手が小さすぎて歌を歌ってみたら?と言われてウィーンへ留学。オペラ歌手になったとか。それまでオペラは聴いたこともなかったという日本では珍しい経歴の持ち主。おまけに美人で可愛いオペラ歌手というのも珍しい存在。22歳でベルン州立歌劇場デビュー(フィガロのバルバリーナ役)。『椿姫』はいつごろ歌うの?と訊いたら6年くらい経験を積んだら…との返事。しっかりしてる。メッチャ面白く楽しい話にオジサンは嬉しくなってしまいましたよ。こんなオペラ歌手が日本にも現れるようになったんですね。オプエドのあと新潮文庫の打合せ。普通なら編集者とイッパイ…というところだが断念してS社長の音楽事務所へ。こちらから特に励ますと言うことも出来ないけれどS社長の話を聞いて娘さんとスタッフにちょっと励ましの言葉をかけて失礼する。合掌。
12月2日(火)
朝黒兵衛と散歩。昨日から仕事の関係やらナンヤラカンヤラで慌ただしい時間が過ぎたのでゴルフ改革会議は欠席させていただく。コラム原稿の校正やら明日のテレビ朝日『TVタックル』収録の内容打合せやら来週の東海テレビ年末特番収録の打合せやら徳間書店『アサヒ芸能』の新連載打合せやらいろいろ打合せの電話やらいろいろ片付けてふううう。近しい人が亡くなるというのはそれだけでもショックだけれど近しい人の奥方が亡くなるというのはまた異なる種類のショックに襲われる。マイッタですね。しかし俺なんかより当人のショックは計り知れないから…。夕方の黒兵衛との散歩を済ませて某TV局ディレクターが録画してくれた今年のNHK深夜ドラマ『おわコンTV』を続けて見る。「おわコン」とは「終わったコンテンツ」つまりテレビのことだとか。そこで頑張る制作下請け会社を中心にテレビ業界の内幕を描いた作品でドキュメンタリーやバラエティ番組のヤラセ問題等を取りあげてなかなか面白かった。制作会社社長の千葉真一がありそうな業界人を熱演。ほかに小泉孝太郎や片瀬奈那も熱演。原作は『おっぱいバレー』の水野宗徳『チョコレート・テレビ』。徳間文庫で出ているらしい。読まねば。いしだあゆみが癌で余命短い老女を好演していたけどその気丈な姿を見てS氏の奥方を思い出してしまった。ドラマとは関係ないことですけどテレビというのはいろんな人がいろんな気持ちで見てるモンだと改めて実感。これこそ『おわコンTV』『チョコレート・テレビ』のメインテーマだったかな?
12月3日(水)
朝起きてRKB毎日放送ラジオ『インサイト・カルチャー』電話出演。プロ野球のStove LeagueとConvertについて話す。前者は元々ストーヴを囲んで今シーズンを振り返って野球の話をすること。後者は宗教を改宗させること。だからハンカチ世代で斉藤佑樹投手より実力派と言われいたの西武ライオンズ大石投手を投手から打者にコンバートさせるのが如何に難しいことか…それはストーヴ・リーグの話題ではない…てな話をしたあと段ボールや雑誌やペットボトルなどの資源ゴミを出してから黒兵衛と散歩。キチンと温和しく待ってる黒兵衛はエライ。しかも仔猫の虎太郎の相手もする(ちょっと迷惑そうですが)。飼い主に似ず優しいではないか…と思いながら散歩。午後からTBS『ひるおび!』でハヤブサ2の打ちあげを見て感激。ロケットに関わってる人は子供のようで面白い人が多いなあ…。そのあと東京へ。音楽事務所に寄ったりしたあとテレビ朝日へ。『ビートたけしのTVタックル』14日放送分のVTR収録。番組開始が平成元年とかで今年26年と如何に違うか…という話を山田五郎さん大竹まことさんミッツ・マングローブさん新川優愛さんらとワイワイガヤガヤ。そうか。平成元年の外国人力士は小錦一人。メジャーリーガーはゼロ。海外で活躍するサッカー選手はカズだけ…だったんですね。時代は変わる。今よりエネルギッシュでバブリーな過去。でも過去には戻りたくないですよねえ…などいろいろ話して収録終了。タケシさんとダルビッシュやイチローの話題を立ち話して山田五郎さんと2020東京五輪の心配をして…オヒラキ。コンビニで缶ビール買って飲みながら局の用意してくれたタクシーで帰ってテレビをつけるとNHK『ヒストリア』で真珠湾攻撃のときスパイをした日本人の話。戦後すべてにけじめを付けたエライ人だった。真珠湾の博物館でも紹介されてる。昔の人は偉かった。さて今の日本人は…ハヤブサ2は偉いけど2020東京五輪は?
12月4日(木)
朝起きて黒兵衛と散歩。帰って仕事&私用のスケジュールをチェックして愕然。年末が結構忙しく下手すると『バンクーバーの朝日』や『KANO〜1931海の向こうの甲子園〜』の試写会に足を運べなくなるオソレがあることを発見。以前もスケジュールはマダ大丈夫…と思ううちに『舞妓はレディ』の試写を見損なった。舞妓…の場合は祇園の友人に義理を欠くで済む話だがバンクーバーやKANOは仕事に直結してる…で今日行くことにする。どうせなら早く出てオペラシティでのザハ・ハディドの展覧会も…で東京新宿へ。立ち食い蕎麦掻き込んで初台のオペラシティへ。展覧会は……うん?????……。渡されたパンフレットの字が小さすぎて読み辛い。おまけに場内は暗く展示物には解説が一切ない。ザハの建築物の模型が並んでるだけ。メガネを外しては小さな字のパンフを読んでコレがアレかと解説を読んで…こんな不親切な展覧会は初めて。建築のことはよく知らないけどザハの設計がガウディやコラーニの流れにあるであろうことはなんとなく勝手に理解した。カッコイイこともわかった。展覧会同様独善的で押しつけがましいこともわかった。最後のブースは東京の新国立競技場に関するモノだったが仮設サブトラックの想像図はナシ。こーゆー建物はアブダビやドーハやペキンやソウルにこそ相応しいことがワカリニクイ展覧会からもよくわかった。資料としてザハの本を2冊買って有楽町へ。東宝の試写室で『バンクーバーの朝日』見る。戦争直前のバンクーバーで日系人が苦労するなか朝日という名の日系人野球チームが大活躍する話。栃木県に戦前のバンクーバーの街並みと野球場をオープンセットで創るという力の入れよう。筋書も感動的だが映画のリズムがちょっとタルイ。監督は『舟を編む』の石井裕也監督。辞書を編纂するリズムで野球を描かれても…と何度か思ったけど…まぁ戦前戦中の在外日本を描いた悪くない映画です。終わって隣の帝国ホテルで徳間書店編集者と打合せ。小生が『アサヒ芸能』に連載を書き始めると驚く人もいるかな。しかし宗教団体の雑誌に書くよりよっぽどイイし面白いはず。いやオモシロクしまっせ…で帰宅。メシ・フロ・ネル。
12月5日(金)
朝起きて黒兵衛と散歩。帰って仕事。昨日外出したので反動が…と言ってもそれほどでもなし。いろいろ仕事して夕方も黒兵と散歩して一日が終わる。じつはコレを書いてるのは8日月曜の朝。つまり3日後。3日経つとモウ何があったか忘れてる。孫と風呂入ったのは憶えてる。選挙でいろいろ電話のあったことは忘れた(憶えてるやないか…と突っ込まないで下さい)。こんなもんかいなあ……。あ。夜中に本読んでてメッチャ興奮したことを思い出した。『闘うための哲学書』のなかで萱野稔人さんがレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』を語りながら「色眼鏡を捨てるためには実はものすごい知性の働きが必要です」と語ってた。コレですよ。コレ。萱野さんは熱帯の原始的な部族を文明人は「色眼鏡」をかけて見てしまうけどソレを外すには「知性の働き」が…と語ってるけどスポーツに関しても同じ。今でもまだまだスポーツに対して「色眼鏡」をかけて見ている人は多い。ソレを外すには「ものすごい知性が必要」でその「知性」を身に付けるには「スポーツを学ぶ」ことが絶対に必要になる。つまりスポーツの歴史や文化などの知識はスポーツをやるためには何の役にも立たない知識だというのではなくスポーツがスポーツとして存在するために誰もが身に付けなければならない知識なのですよね。こーゆーことを納得できたときというのは嬉しいなあ。明後日の講演でさっそく使おう!と思いながらこの日は寝たのでした。
12月6日(土)
朝起きてメシ食って大阪へ。環状線で大阪城公園へ。大阪城ホールでの『一万人の第九』のリハ見学。指揮者の佐渡サンが未だ来てないウチに到着してしまったので佐渡サンの楽屋に鞄を置かしてもらいに入るとテーブルにマーラーの『第2番復活』の楽譜が置いてあった。来年の神戸の震災から20周年でやらはるんやね。聴きに行こうかな。『一万人の第九』は去年足を運べなかったけど去年からホールの使い方が変わった。楕円形の長軸方向に音が響くよう配置が90度動いた。このほうがナチュラルですね。総合司会は去年から羽鳥慎一さん。最近は『モーニングバード』に呼ばれないけど(笑)御挨拶。「佐渡サンとは京都つながりですか?音楽つながりですか?」と訊かれたので「スポーツつながりもありますよ」と答える。平尾や岡ちゃんつながりもありますからね。アシスタントは『ぷいぷい』で時々御一緒する豊崎由里絵さん。今年が初めてらしいけど小生が楽屋にいるのでビックリ。「スポーツ以外に音楽も…なんですね」「知っといてや」から音楽の話題で盛りあがる。彼女はクラリネットをやってたらしい。佐渡サンや音響舞台監督の小栗サンやクリスタルアーツの佐野社長やMBSチーフプロデューサーの武田サンやavexの中島社長などといろいろ話をしたり第九の1〜3楽章のリハのあと合唱団が入場。サスガに一万人はいつ見ても壮観。今年は東北被災地からも150人が参加とか。第1回から合唱指導をしてる方の素晴らしい指導ぶりも拝見したあと佐渡さん指揮で4楽章の大迫力演奏を聴いてオイトマ。出口で佐渡夫人とバッタリ。お嬢ちゃんは大きなったなぁ…で新幹線で帰鎌。いろいろ聴けて話せて良かった一日でした。
12月7日(日)
今日は日本体育協会スポーツ少年団&スポーツ安全協会&日本スポーツ法学会の主催する『ジュニアスポーツ育成と安全・安心フォーラム』で特別講演する日。ところが150人くらいの参加者に簡単なレジュメをデータで送る約束を失念してしまっていたのに昨日気づいたので朝5時に起きてレジュメ作り&150枚の印刷を自分でやる。ところがインクがなくなる。娘のコピー機を使うと使いづらくてトホホ。おまけに両面印刷で同じページを印刷したモノが30枚ほどあったことに気づきドタバタ。とほほほほ。やっとのことで仕上げて会場の品川プリンスホテルへ。『2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催を機に青少年スポーツの見直しを!』というタイトルで「体育からスポーツへの大転換」の話を講演。スポーツの知識を身に付けることがスポーツを見る色眼鏡を外すことにつながる…と一昨日気づいたばかりの言葉も使ったけど1964年の東京五輪を機にスポーツ少年団を創設した大島鎌吉の話をスッポリ抜かしてしまう。まあ午後からのシンポジウムで誰かが…と思っていたら首都大学教授でJOA(日本オリンピック・アカデミー)理事の桝本直文先生がバッチリ話して下さった。桝本先生の話も勉強になったが福島県の小児科医の菊池信太郎先生の福島の子供たちの健康状況報告もすごく勉強になる。震災と原発事故から来る運動不足等で肥満だけでなく喘息&鬱病まで併発するケースが子供に増えてるという。また座長を務められた広尾病院小児科部長の原光彦先生の子供たちを囲む環境の現状(公園が運動禁止で喫煙所になってる実情)や元ホークスのスラッガーで少年野球の指導している松永浩美さんの経験談(子供よりも母親との接し方が難しいetc)も非常に参考になり自分の講演会という以上に大いに勉強になった。やっぱりスポーツに関するこーゆー勉強会をドシドシやらないとダメですねえ。2020年に向けて動いてる人たちは全員スポーツの勉強会に参加しないと…。丸一日の勉強に満足して帰宅。日曜美術館のホドラーを見ながら晩飯。ホドラー展に行きたくなった。孫と風呂のあとウィスキー飲みながらノリントン指揮N響。フランチェスコ・ピエモンテージというピアニストは初めて聴いたけど(ベートーヴェンP協1番)イイですねえ。ノリントンもいいけど(7番)このテの演奏(ピリオド奏法)に最近飽き始めたなぁ。また新鮮に響いて聴えてくるときが来るのかなぁ…ネヨ。
12月8日(月)
朝起きて黒兵衛と散歩のあと仕事。当たり前の一日。とはいえ毎日同じことの続かないことが小生の仕事かもしれない。校正。電話。スケジュール打合せ。メール交換。原稿書き。いろいろ片付けて午後から東京六本木ヒルズへ。一つ打合せを終えて森ビル39回エニッシュへ。ネットTV『ニューズ・オプエド』生出演。今日のゲストは小生と鳩山友紀夫元総理。初めて話をさせていただくが結論から言うともっとダメな人かと思っていたけどナカナカおもしろい人だと見方が一変。ただコンナいい人では総理は務まらないのかも…とも思ってしまう(失礼)。元総理を前にして自民党に対して野党の無力を嘆き所詮は自由民主党の半分の名前でしかない民主党という名前が悪いという自論を話させていただく。どうして自由に対抗して平等という言葉を使わないのか。平等民主党なら略して平民党…というと鳩山氏がかなり反応。コミュニタリアニズムの話にも乗ってこられた。経済成長率を意識するか?ゼロ成長でも良いのではないか?と訊いたら「そのとおり」との回答。しかも原発問題普天間基地のグアム移転(辺野古中止=アメリカも意図してる)という話で鳩山復帰に賛成したくなった。しかし力業がなぁ…と思いながら番組を終えてネクタイを付け替えて代々木の代々幡斎場へ。音楽事務所クリスタルアーツ副社長で社長の佐野光徳さんの令夫人晶子さんのお通夜に列席。佐渡裕さんや小栗哲家さんや毎日放送の竹田さんやクリスタルアーツの社員の皆さんに御挨拶して焼香。今日は昼間からIOC総会でのルール変更に関する電話がガンガン入っていたので外に出て携帯電話をとってると兵庫県立芸術文化センターのGMの林さんやいつもお世話になってるNさんらに話しかけられる。数多くの人に慕われた晶子さんだっただけに多くの人が弔問。小生は元気を撮り直していったん帰宅後オリンピックに野球とソフトボールが復活か?と平昌冬季五輪に長野の会場も…というIOC総会の決定に
対してTVや新聞や雑誌の電話取材に答える。しかし野球は(プロ野球と高校野球は)五輪競技復帰を本気で喜んでるの?
12月9日(火)
朝起きて黒兵衛と散歩のあと湘南新宿ラインで新宿へ。タクシーで代々幡斎場へ。クリスタルアーツ副社長で社長の佐野光徳さんの奥方だった佐野晶子さんの葬儀に女房と一緒に出席。佐渡裕さんの友人代表挨拶にも小栗哲家さんの葬儀委員長挨拶にも涙。お棺の入った美しく優しい晶子さんの顔を見ても涙。最後に朋友佐野さんの挨拶を聞いて涙が止まらなくなった。ほんとに顔も心も美しい人だった。クルマの葬列を見送って知ってる人にいろいろ挨拶して新宿へ。昼食をとったあと逆コースで帰宅。大船駅でタクシーを拾って家へ着く寸前中学1年以来の朋友で日本メディトロニクス社長の島田隆から携帯に電話。忘年会の誘いか…と思って出ると夫人の恵美子さんが突然亡くなったというただただ仰天するほかない知らせ。エミちゃんが腎臓を患って透析を続けて痩せてたのは知ってたけど元気でパーティでは一緒にワインを飲んでいつも明るかったのに…透析のあと自宅前で倒れて頭を打ってしまったとか。すぐに病院に駆けつけご遺体と面会させていただく。朋友に挨拶して動かないエミちゃん話しかけようとして号泣。マイッタ。俺以上に朋友のほうが参ってるはずなのに俺が号泣してどうするのかと思ってもこらえられない。可愛く愉しく知的な人だった。若いときは英語のインタヴューを助けてもらったこともある。ただただ合掌。しかし涙の一日になってしまった。マイッタ。帰宅後いろいろ高校時代の友人などにメールなどで連絡して寝る。マイッタ。これからどれほど見送るのか…。合掌。
12月10日(水)
朝RKB毎日放送『インサイト・カルチャー』電話出演。野球ソフトのオリンピック競技復活について。日本からの働きかけが功を奏したというよりもIOCからの働きかけ(放送権料が入りますからね)が主だったこと。2024年五輪がパリなのかボストンなのかはわからないが続く可能性はあること。しかし日本のソフトボールは五輪復活に必死でも日本の球界はホントにやってほしいの?読売と朝日は?というようなことを話してイロイロ葬儀のためのスケジュールやら何やら連絡して午後から名古屋へ。今年で4年目となった毎年恒例歳末特番VTR収録に出演。しかし去年までは『学べるスポーツ・バー』というタイトルでウィスキーを飲みながらの深夜番組だったのが今年からは『学べるスポーツ・アカデミー』となって平日夕方の放送となったため酒はなし。残念。バーのオヤジだったマスダオカダの岡田さんはスポーツ・アカデミーの校長に昇格。俺もバーの常連客から教授に昇格。生徒たちに教えるスタイルになった。教授陣はスポーツ統計学の鳥越規央さん&中京大学の湯浅景元さんという本物の教授陣に加えて元ホームラン王の山崎武司さんと俺。俺もマァ客員教授の肩書きはありますから本物ですけどね(微苦笑)。生徒は…中日ドラゴンズの大投手山本昌弘さんや…と書いてるのは翌々日の朝。仕事で外出の時間。続きはのちほど。この番組収録は面白かったですよ……。
12月10日(水)つづき
東海テレビの『学べる!スポーツ・アカデミー名古屋校』のVTR収録は愉しく終了。鳥越・湯浅・山崎各教授の話も面白かったけど生徒の山本昌投手や元十種競技日本王者の武井壮さんや女子ゴルファー三浦桃香さんの話も面白かった。それにはるか愛さんやカブトムシゆかりさんも素敵なツッコミとボケで1時間番組が(毎年恒例ですけど)2時間以上話が盛りあがって終了。司会の岡田圭右さんと武裕美アナウンサーもタイヘンやったやろけど編集するディレクターのほうがたいへんでしょうね。放送は12月27日(土)16時50分〜17時45分です。名古屋中京地区の方御期待ください。番組収録を終えて打ち上げ。このときの山本昌投手の話がマタ格別に面白かった。肘や肩を痛めない投げ方としては足を踏み出すときに「肩胛骨を開く」のがベストとか。そうすれば肘も上がるし投球がスムーズに行く…らしい。また「言葉で説明できない投球術はない」という言葉にも感動。山崎さんも鳥越教授も小生も感服。クルマで呑めない山本昌さんと元々呑めない山崎さんや未成年の桃香さんには申し訳なかったけどさんざんビールと実践的野球論&実践的スポーツ論を愉しませてもらって打ち上げ終了。名古屋泊。コテンと寝る。
12月11日(木)
昨晩酔ってコテンと寝たせいか起きるとメガネが肩の下。少々曲がっている。メガネをかけたまま寝てしまったらしい。そういえば昨夜夢の中に六条御息所と名乗る魔女が現れてうわっ怖いと思たら絶世の美女に変わってうわわわと思たら目が覚めた(笑)。メガネ以外は最高の爆睡。チェックアウトして某TV局と新番組の打合せやらコンサートの打合せやらイロイロ話して名古屋駅へ。新幹線で帰鎌。現実に戻って島田夫人逝去の連絡を使い始めたばかりのiPADで同級生たちに連絡してると中高の1年後輩にあたる吉本興行のTクンとばったり。島田夫人逝去を伝えるとやはり仰天。そら驚かない奴はらんやろけど。家に着いてからも電話連絡やらメール連絡やら…。あっと言う間に夕方の黒兵衛と散歩。明日のTBS『ひるおび』から「今年のスポーツ界を漢字一字で表すと…」との取材。「変」を選ぶ。羽生も錦織も葛西も真央も五輪も…みんな変わった…。明後日のTBS『朝チャン土曜』の電話打合せもしてメシ。サケ。フロ。ネル。
12月12日(金)
朝起きて黒兵衛との散歩を済ませて新横浜へ。新幹線で大阪へ。毎日放送『ちちんぷいぷい』生出演。その前に隣の『丸善ジュンク堂』で文庫本を漁る。池上英洋『官能美術史』(ちくま学芸文庫)を買って毎日放送へ…と思ったらクリストファー・シルヴェスター編『インタヴューズTマルクスからトルストイまで』(文春学芸ライブラリー)を見つける。これは昔全2巻の単行本で買って読んだあと「勉強しろ」と言って誰かに渡してしまったもの。もう一度読みたくなって3巻に文庫化された『インタヴューズUヒトラーからヘミングウェイまで』『インタヴューズV毛沢東からジョン・レノンまで』も買う。そのすぐ横に早川タダノリ『神国日本のトンデモ決戦生活』(ちくま文庫)というのがあったのでこれも購入。最近の社会の右傾化を考えるには戦中の庶民レベルの社会を知らなきゃなりませんからね。しかしコノ本をパラパラと見ただけですけど戦中の日本のプロパガンダはまったく今の北朝鮮ですね。あ。北朝鮮が日本のあとを継いでるのか。ついでにDVDムック『コンバット第4巻』(朝日新聞出版)も衝動買い。拷問をする今のCIAよりサンダース軍曹のほうが明らかにリベラルですね。『ぷいぷい』生出演。清水寺で発表された今年の漢字は「税」…でスタジオは盛りあがらず。その他台湾の観光客や年末の大掃除について桂吉弥さんや沢松奈生子さんや佐藤弘道さんらとワイワイガヤガヤ。弘道お兄さんのオソージテツガクが凄かった。ウチにも掃除に来てくれへんかなあ…と思っていったん楽屋へ。休んでテレビで『ぷいぷい』見てると珍皇寺のオッサンが出てきた。京都の地名物語とかで「六道の辻」をやってる。おいおい俺も出してよ…で慌ててスタジオに戻るけど台本通りに進んで終わったあとに出演者や先週『一万人の第九』で逢った豊崎アナウンサーにアノ寺にウチの墓があってオッサンはよー知ってますねんでえ…と説明。ま。エエけど。そのあと『VOICE』生出演。そうか。関西は小選挙区で公明党と共産党の候補だけ…なんて選挙区もあるのか。あと日本のバスケットボール界のヒドイ騒動を解説したりして新幹線で帰鎌。車中で偶然中高時代の同級生のMクンとバッタリ。なぜこうもこーゆーバッタリが続くのか。島田夫人逝去の話をして…あ。導かれてるのか…。合掌。帰宅後ヨメハンと娘と孫から今夜の通夜の様子を聞きながらメシ。電話で明日のテレビの打合せをしてフロ&ネル。
12月13日(土)
朝4時半起床。5時過ぎの迎えのハイヤーで東京赤坂TBSへ。『あさチャン!サタデー』生出演。IOC総会の決定で平昌冬季五輪のソリ競技(ボブスレー・リュージュ・スケルトン)が長野で開催されるかも…という話題を解説。結局は北京・アルマトイ・札幌…とアジアばかりが立候補する冬季五輪をヨーロッパでも開催しやすくするため国境を超えるのを許可する措置ですよね…と話してハイヤーでUターン。朝の黒兵衛との散歩を済ませて中高以来大学まで一緒で結婚式の司会までして家族ぐるみの朋友だった島田夫人の葬式へ。無宗教の音楽葬ということで佐渡裕さんが神戸の震災復興の願いを込めて兵庫県芸術文化センターのオケと録音した『祈り』のCDを貸してあげた。式場に着くと島田の妹のセッチャンもいた。50年ぶりくらいの再会。せいぜい中学時代の彼女しか知らないので「何でそないに歳とっとるねん?」というと今や立派な息子が3人孫も3人とか。マイッタナア…とお笑い。彼らや中高時代の野球部の同級生などと話して式が始まる寸前に朋友が「友人挨拶頼むね」…ってそれはないでぇ…せめてもっと早よ言うてくれやぁ…で気を落ち着けるためにトイレにはいると朋友の息子のJ君が「今日だけ許してやってください」ってソラマア…で葬儀が始まって夫人の中高時代の同級生が英語で挨拶。続いて小生。もちろん日本語。最後は「胸はいっぱい。頭は空っぽ」とバイロンが死んだときのハイネの弔辞が思い浮かんだので喋ろうとすると込みあげてくるモノがあって必死に何とか話すことができた。席に戻ると孫の御遊戯会の演技を見に行って遅れてきたヨメハンが隣に来て「良かった」と言ってくれた。しかしもっと早く昨日にでも言ってくれていたらモット上手く…まぁ夫人のエミちゃんは天国で笑てるやろね。葬儀が終わって親族の皆さんのあとについて火葬場へ。花を捧げたあとセッチャンと子供たちと朋友やJ君や親族の方々と話ながら待ってるとお骨が出てきて金属の箸で骨壺へ。そこで親族の皆さんと別れて帰宅。ふうううううう。これでやっと一段落。普通の歳末に戻れるかな。黒兵衛と夕方の散歩のあとヨメハンと『鮨処もり山』へ。美味しい寿司と〆張鶴で一区切り。獺祭という白ワインのような珍しいお酒もいただいて帰宅。ちょうど羽生のショート。なるほど尻餅ついてもショートは1位か…でフロ。ネル。長い一日でした。
12月14日(日)
朝起きて黒兵衛と散歩。久しぶりにちょっとゆっくりできる一日。ホンマは川崎シンフォニー・ホール・ミューザへ佐渡裕サン指揮ケルン放送響の『第九』を聴きに行く予定だったが葬儀その他で疲れてると判断して招待券は返却させていただいた。それが正解。予定のない一日とはいえヤルことイッパイ。メールと手紙の整理ノーボーダーの入稿&ホームページの原稿入稿&新連載の下書き…あ。選挙や…で女房と一緒に投票所へ。昼飯に中華を食って散歩用の靴に穴が開いたのを思い出してABCマートで靴買って…帰宅して原稿いろいろ入稿してあっと言う間に黒兵衛と夕方の散歩&晩飯&酒。次女は仕事帰りに子供連れで選挙に行って子供に魚釣りとスターウォーズとどっちが良い?と訊いて周囲に笑われながら投票を決めたとか。ま。地域密着型小選挙区の投票とはこんなもんかもしれない。我が選挙区は政策を語れる人たちが立候補してるからマシと言えるけど…選挙速報は予想通り与党圧勝。野党再編二大政党時代は訪れるのか?選挙番組があまりにツマラナイのでノリントン指揮N響のシューベルト『9番』にチャンネルを回す。この演奏のほうがよっぽどスゴイ。紅旗征戎非吾事…ではアカンのやけど…。フロ入ってネル。なんかいろいろイッパイしたようでいてなにもしなかったような一日。
12月15日(月)
朝起きて黒兵衛と散歩のあと「NIPPONスポーツ内憂内患」と題した『アサヒ芸能』新連載の原稿を書く。第1回目原稿のタイトルは「スポーツとは何か?の問いに答えられますか?」…2400字でいろいろ書いたあと「日本のマスメディアはスポーツ・ジャーナリズム(批判精神)を放棄して自社主催のスポーツ・イベントの宣伝に力を入れるだけ。その結果箱根駅伝は男子マラソン選手を潰し高校野球は野球選手の身体を壊し続ける…。そんな状況のなかでどんなスポーツのどんな批判を展開してもOK!と編集者から御墨付きをもらった新連載を始めるのは大いに意味のあることと言えるに違いない。というわけで来週から朝日や読売では絶対に読めないスポーツ批評を始めます。乞御期待!」と結んで完成。時計を見ると「うわっ!」午後1時半。昨日下書きしておいたのにけっこう時間がかかった。まぁ1回目やからチカラが入ったのでしょう。ヌード満載の庶民派エロ雑誌に井筒和幸&佐藤優&弘兼憲史&萩本欽一&みのもんた&泉谷しげる&今井舞&掛布雅之…といった面々と名前を連ねるのも悪くない。なかにはタモガミ某なんて人いるけど(苦笑)。あ。今朝ベッドで早川タダノリ『神国日本のトンデモ決戦生活』(ちくま文庫)を読了したけどコレは凄い本です。先の戦争時の日本社会の実態が凄くよくわかります。湾岸戦争終了後軍艦マーチに送られて自衛隊の掃海艇が機雷除去に赴く様子を見て小生の母親が「またアンナ阿呆な事を始めよった」と呟いた意味がよくわかりました。集団的自衛権が騒がれ安倍自民圧勝の現在多くの人に読んでほしい本ですね。夕方の黒兵衛と散歩のあとDVD『コンバット!』第4巻を見てアルトマン監督の「ニセ大佐」に笑い「父と子」に涙を流しそうになる。米国防省協力TV映画とはいえサンダース軍曹はアベよりよほどリベラルやでぇ。
12月16日(火)
朝黒兵衛と散歩のあと請求書とか領収書とかいろいろ書きまくってこーゆーのは秘書の仕事ではないかといつものようにウンザリして昼飯食って新横浜へ。新幹線で大阪へ。毎日放送へ入る前に隣の丸善ジュンク堂へ。半藤一利『昭和史探索全6巻』(ちくま文庫)を買おうと思っていたのだが棚になかったので同じ著者の『昭和史残日録』の戦前編と戦後編を買う。ついでに目に付いたので『英文対訳日本国憲法』も。さらに吉本隆明『私の「戦争論」』も。続けて棚を眺めていると以前『世界史の誕生』を読んで大感激した岡田英弘氏の本が並んでいたので『日本史の誕生』『倭国の時代』も購入。さらに昔講談社版で持っていて古本屋に売って酒に変えてしまった岡本太郎全集の文庫版があったのでうわあああーと思ったけど我慢。しかしちくま文庫はいろんな全集もあって結構充実してるなあ…と思いながら隣のMBSへ。『VOICE』生出演。そうか。伏見工校が洛陽工との合併で名前が消えるのですね。高校ラグビー名門校の名前が…とはいえ少子化と高校ラグビーの競技人口の現象では仕方ないし施設は以前より良くなるとか。そー言えば昔俺のオヤジは俺を洛陽工高の電子工学科へ入学させたがってたなあ。それが神学校の進学校へ進んで道を間違えた?(苦笑)ほかに大阪市の刺青裁判の話なんかをして(これは橋本市長のヤリスギですよ)番組を終えて新幹線でビール飲みながら帰鎌。明日は大寒波大雪らしい。
12月17日(水)
朝起きてRKB毎日『インサイト』電話出演。サッカー日本代表アギーレ監督の八百長疑惑について。八百長疑惑の真相はわからないけど起訴されたら監督を続けるのは無理でしょうね。それとは別にサッカー・チームの「指揮官」を監督と呼ぶのは辞めたほうがイイですね。監督というのは「フィールド・マネジャー」という野球用語。日本ではその言葉があらゆるスポーツに広がったけどフットボール系のスポーツのチームの指揮官は英語ではコーチ(指揮官・指導者)と呼ぶのが普通。ドイツ語ではトレイナー。スペイン語やポルトガル語ではディレットーレ(ディレクター)。野球では作戦を指示する以上に気分よくプレイさせることが大事だからコーチやヘッドコーチの上に管理者・監督すなわちマネジャーが必要なのだろうけどフットボール系やその他の競技(スポーツ)では戦略的な作戦さえ決めればあとは選手が判断して動く。管理監督は無用…というか不可能。なのに日本のスポーツは陸上競技を初めあらゆるところに監督が出てくる。言葉は正しく使いましょう。それが正しいスポーツへの第一歩でしょうねえ…てなことを話して黒兵衛と散歩のあと東京赤坂TBSへ。『ひるおび!』生出演。やはりアギーレの話題。ラジオほど監督論は話せなかったけど事実関係の詳細がわかる。2011年スペイン一部リーグ最終戦の前にサラゴサのチーム側からアギーレ監督ら選手たちに合計96万5千ユーロが銀行振込。アギーレは8万5千ユーロを引き出す。のちにレバンテの選手たちが96万5千ユーロを引き出し高級車など高額の買い物。つまりチームへのボーナス名目で相手チームへの八百長賄賂に使ったかも…というわけ。アギーレは名前を使われただけなのか…しかし個人の銀行口座が…。これはヤバイですよ…という話。
12月17日(水)つづき
『ひるおび!』終了後時間が空いたので渋谷のタワレコへ。クラシックDVD輸入盤安売りコーナーを見てるとカルロス・クライバーのベートーヴェン4&7番があったので買う。LDで飽きるほど見聴きしたコンセルトヘボウとの名演だが1500円ならやはり持ってたい。隣のボスコフスキー時代のウィーン・フィルNYコンサート2枚組DVDがあったのでコレも購入。カラヤン指揮ミラノ・スカラのヴェルディ『レクイエム』もパヴァロッティ&コッソット&ギャウロフ&プライスの独唱陣に惹かれて購入。映画のコーナーへ移動してメジャー初の黒人選手ドジャースのジャッキー・ロビンソン物語を見てなかったので購入。日本のタイトルは『42〜世界を変えた男』。このDVDが3枚3千円の安売りだったので他にミッキー・ロークの『レスラー』と学生時代に東京新聞に映画評を書いたことのある1973年版ノーマン・ジェイスン監督ロイド=ウェバー音楽のミュージカル映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』も購入…したところでフラフラ眺めていた棚から『バージニア・ウルフなんかこわくない』を発見。エドワード・オールビーの名作戯曲。小田島雄志先生が彼についてレポートを書いた学生はオールエーにしようかななんてギャグを口にした名作(?)エリザベス・テイラーがアカデミー主演女優賞&リチャード・バートン共演。すぐに購入…と思たらコレも3枚3千円の廉価版だったので他にポランスキー監督の現代版『バージア・ウルフ』ともいえる『おとなのけんか』とメリナ・メルクーリ『日曜はダメよ』購入。この映画の主題歌でアカデミー賞歌曲賞を取ったハジダキスはたしか『ゾルバ』やベジャールが舞踏に使った『鳥』なんかも作曲してますよね。これで1枚千円の安売りばかりでイイ買い物をした…とは思うものの合計6千円。クラシックと合わせて1万500円。まあ自分へのX’massプレゼントですから…と自分への言い訳。
12月17日(水)つづきのつづき
タワレコを出て山手線で池袋へ。地下鉄で護国寺講談社へ。週刊現代『戦後立派だった日本人100人』の企画でノンフィクション作家の後藤正治さんと対談。政治・経済・文化学術…などに別れたジャンルでスポーツ界のなかから20人を選出。長嶋・王など誰が考えても確定の人物も選びながら愉しく対談させてもらっていろいろ特色ある選び方ができたのは良かった。後藤さんも選んだ20人には満足されたようで詳しい結果は週刊現代(新年号?)を見てもらうとしてフレッド和田・坂田好弘・大下弘・江夏豊…なども二人の話し合いでバッチリ合意して選びました。そのなかで「戦後」という範囲の捉え方を話し合ったのが面白かった。経済の世界では昭和31年に「もはや戦後ではない」などという言葉も生まれたが小生はバブルで完全に「戦後」が終わったと思う。バブル以降は「戦後」ではなく「バブル後」いや「新戦前」か…。ビール飲みながら帰宅。クライバーやボスコフスキーなど買ってきたDVD見ながらバンメシ。孫とフロ入ってウィスキー飲みながら1973年の『JCスーパースター』を見るとヒッピー・スタイルが懐かしい。この頃は世界もまだ「戦後」でしたね。
12月18日(木)
朝ゴルフ改革会議を欠席させてもらって黒兵衛と散歩。なんでか知らんけどいつの間にか仕事山積みですからね。おまけに最近はテレビの仕事がバタバタ舞い込んだもんでレギュラーとかセミレギュラーで出ているMBSとかTBSは問題ないけどソレ以外のテレビやラジオはギャラがコンスタントには振り込まれないので散歩から帰ってソノ処理をしたり原稿書いたり。午後から東京へ。一つ出版社との打合せをしたあと清武氏vs読売ナベツネの裁判判決を聞きに東京地裁へ。民事裁判の判決というのは判決を言うだけ。清武氏に百数十万のカネを読売に払えとは理解。あ。読売の全面勝訴か。ま。組織に従う人間と組織を外れた人間闘いをソモソモ組織に加われない人間が見つめていただけ。5時からの清武氏の記者会見に出たかったけど打合せがあったのでスルーして仕事して帰宅して黒兵衛と散歩して晩飯食いながら『ヴァージニア・ウルフなんてこわくない』を見る。なるほど。昔は見るのに高い理解力を要求される映画がアカデミー賞を受賞していたのですね。といってもハリウッド初のFuckというセリフが出てきたことで騒がれた映画ともいえますが。しかし面白かった。貴族を揶揄したのが『フィガロの結婚』ならコレは大学教授を…つまり現代(60年代)の特権階級を揶揄したのですね。フロ入ってサケ呑んでクライバーのウィンナワルツ聴いてネル。
12月19日(金)
朝黒兵衛と散歩のあと原稿書き。今年はあと講座のレジュメ2本とコラム原稿5本合計7本書けばすべて仕事は終わり…とはいえこれがナカナカ…で今日の忘年会も断りのメールを送って欠席。午前中に短いコラムを書きあげる。おおーっとSTAP細胞オボカタ研究員の結果についての理研の記者会見をやってたので見る。アカン。コレはアキマセン。話が難しなるのは仕方ないけど難しい話をわかりやすく話せる技術を持ってない科学者などアキマヘン。わかりやすくというのはもちろんコツとかレシピなんて言葉を使うことではない。そんな安易な言葉はゴマカシ以外の何ものでもない。オボカタという人物はおそらくコツを漢字で骨と書くことも知らずに使っていたに違いない。エライ人がエライとは限らずアタマのイイ人がアタマがイイとは限らず。そんな世の中になったのですねえ。午後からレジュメ1本書きあげる。コラムをもう1本…というところで夕方の黒兵衛と散歩。続けて原稿…書けん。明日に持ち越し。あと5本。ふううう。メシ。孫とフロ。あがって1960年代ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート見ながらウィスキー。凄いですね。このころのウィーン・フィルはクライバーがいなくてもクライバー指揮のような演奏をしていたのですねえ。寝よ。
12月20日(土)
朝黒兵衛と散歩。雨模様。降り出す寸前に帰宅。セーフ。部屋に籠もって原稿書き。アカン。進まん。年末は毎年そうですね。なんでかな?もう幾つ寝るとと数える歳でもないのに落ち着かないからかな。書けないときは本を読み出す。半藤一利『昭和残日録』が面白い。そうか。戦前用いられていた支那という言葉はやっぱり日清戦争に勝利した後頃から侮蔑的に用いられるようになった言葉だったのですね。昭和5年10月に浜口雄幸内閣が閣議で支那という名称は国名でないから中華民国を使うと決定。それをキチンと受け入れていれば日本陸軍の「支那一撃論」も《大手を振るうことはなかった》と半藤さんも書いている。イシハラさん!支那は清やChinaから来た言葉じゃないのですよ。昼飯食って尚原稿と格闘。夕方の黒兵衛との散歩もパスして格闘。『アサヒ芸能』連載第2弾をようやく仕上げてメシ。久しぶりの晩飯映画劇場は『42』。黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンの物語。しかしアメリカ白人の黒人差別も尋常がなかったですね。そんななかでロビンソンをメジャー入りさせたドジャース・オーナーのウォルター・オマリーの役をハリソン・フォードが見事に演じていた。映画としてはラストシーンなどイマイチだがやっぱりアメリカの野球映画は面白い。残念ながら『バンクーバーの朝日』よりもメジャー級の迫力。映画が終わった頃『妖怪ウォッチ』を見に行ってた孫と母親が帰宅。冒頭の大人向けパロディでスター・ウォーズが出てきて孫は大喜びだったとか。まぁ「フォースを使え!」というセリフに喜ぶ幼稚園児はあまりいないでしょうねえ…って何を自慢しとるんや。寝よ。
12月21日(日)
今年もアト残すところ10日か…と思いながら黒兵衛と散歩。帰宅後原稿書き。午前中に1本書きあげる。調子よし。昼飯食ってアト1本。これがなかなか思うようにいかない。締切がまだ先だと思うとキイボードを打つ手が進まない。おまけに幼稚園が冬休みに入って孫が自宅にいる。母親が休日のため保育園も休み。仕方ないので恐竜カルタを始める。恐竜に関する知識は近頃孫に追い抜かれつつある。スーパーザウルスの体重は?などと訊かれても即座に象8頭分などとは答えられない。孫と適当に遊んで原稿書き。残り年内2本。できれば3本。NHKの『ダーウィンが来た』で鮫の生態を見ながら晩飯。孫と風呂のアト原発事故のシビアな難しさに関するNスペを見てると長女が帰ってきたのでワイノワイノと五月蠅いなかでワイン飲んで寝る。
12月22日(月)
朝黒兵衛と散歩。そのあと年明け早々で締切のスポーツの原稿を仕上げるか週末のオペラ講座のレジュメを書くか週末締切の新聞原稿を書くか…少し迷ったあげく真ん中を選んで書くことにする。テーマは『ばらの騎士』。キイワードはハプスブルクとウィンナワルツ。それに主人公は誰か?ということ。書き出すとイロイロ止まらなくなってコレは論文にできるでえ…と思いながらしかしオペラ講座のオバサマ方にもわかっていただけるよう面白おかしく書くことに務める。ふううう。午後から東京六本木へ。森タワーの1階でサッカー・ジャーナリストの大住良之さんと待ち合わせ。さらに朋友ロバート・ホワイティングさんとも待ち合わせ。出逢って森タワー30階エニッシュへ。『ニュース・オプエド』生出演。上杉隆サンが裁判で不在。代わってアンカーをやってくれと言われたのでそもそもアンカーとは錨(いかり)のことで綱引きの一番後ろで綱を身体に巻き付けて錨のような役割をしていたところがリレーの最終走者がアンカーといわれるようになりニュースも最後にまとめる人が…といった話をしたアト大住さんにサッカーの話をしてもらう。ホワイティングさんにはプロ野球。その前に国立競技場の話をしたりバドミントンの話をしたりチャップリンの映画『独裁者』の話をして話題の北朝鮮を題材にした映画の話をしたり…。イロイロ喋ったあとホワイティング・大住両氏と焼鳥屋へ。ささやかな忘年会。そうか東京都の所有して貸し出せるサッカー・グラウンドは2か所しかないのか。オリンピックどころじゃないなぁ。ホワイティング氏ともつもる話をイロイロして今年1回目の忘年会は充実のうちに幕。六本木から東京駅経由で帰ろうしたら…うわっ。東海道線事故。満員の横須賀線で帰るハメに。昨日の記念SUICAの販売といい今日の事故処理といいJR東日本はニブイなあ。
12月23日(火)
天皇誕生日。慌ただしい年末に清涼な一日。朝の黒兵衛との散歩もどことなくゆっくりした気持ち。自宅に戻って仕事。メールの整理&スケジュールの整理をしてるとavex
classicから佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ響のベートーヴェン5番&7番のCDが届く。早速聴く。ナカナカの迫力。お見事。最近の分析臭の強い理屈の多い演奏よりやっぱりこーゆー演奏がエエなぁと納得。続けて佐渡サンと兵庫芸文オケのレスピーギの交響詩ローマ三部作を聴こうとするけどカカラヘン。何回かけようとしてもBOSEのプレイヤーからCDがはじき出される。解説を読むとこのCDはDSD(Direct
Stream Digital)方式のSACD(Super Audio CD)とかで従来のCDプレイヤーではかからないらしい。ま。音が良くなるのは悪いことではないけれど要は演奏さえ良ければハードが今以上進歩する必要はないとも思うけど…。初めてSPレコード録音を聴いたトスカニーニは目の前でオーケストラが演奏してるみたいだと言ったらしいけどそんなもんかもしれない。黒兵衛と夕方の散歩してサケ&メシ&孫とフロ&ネル。慌ただしい年末にイップクの一日。
12月24日(水)
クリスマスイヴ。朝起きて段ボールのゴミ出しに奮戦したあとRKB毎日放送『インサイト』電話出演。詐欺モドキの荒川マラソンに触れて東京マラソンやニューヨーク・シティ・マラソンにも触れてマラソンがいかに集金能力の高いイベントであるかを話す。黒兵衛との散歩は次女に任せて新横浜へ。新幹線で大阪へ。毎日放送へ入る前に隣の丸善ジュンク堂で本を漁る。目的の本(内緒・笑)が見つからないまま新潮文庫『日本文学100年の名作第4巻木の都』を買う。ついでにちくま文庫の氏家幹人『サムライとヤクザ』と小島毅『靖国史観
日本思想を見直す』も。ついでに資料として重松清+マスターズ甲子園実行委員会『夢・続投!マスターズ甲子園』も買っておく。これは朝日文庫。マスメディアはどこまでスポーツで食いスポーツを食うのかな?映画も見なければ。資料として。ついでのついでに『コンバットD』も買う。これも朝日系ですね。日本のメディアはジャーナリズムの実践よりもコマーシャリズムの実践のほうが上手い(苦笑)。毎日放送へ行って『ちちんぷいぷい』生出演。電話出演の辺真一さんの大韓航空ナッツリターンと韓国財閥の話が面白かった。そうか。韓国の財閥は貴族的特権階級で市民から怨嗟の声はあがっても北朝鮮との関係から解体不可能なんですね。と言うかある意味金王朝と同じなんですね。その他小児癌患者の子供が親と一緒に入居して治療を受けることのできる使節の話とかイロイロ楽しく話して小生はいったん楽屋へ。少し休んで『VOICE』出演。関電の値上げやら高層ビル駆け上りマラソンの話題やら。いろいろ話して今年の大阪の仕事は終了。皆さんイイお年を…といつもの挨拶をして帰鎌。次女が夜勤&孫がお泊まり保育なので大船でヨメハンと待ち合わせて『フラッと』&『クロックス』でメシとサケ&ネル。今年もあとチョット…。
12月25日(木)
メリー・クリスマス…ってマァ臨済宗の檀家の家の家長が口にしても日本ではかまわないのでしょう…と思いながら黒兵衛と散歩。朝机の周辺とコンピューターの中の掃除をして…これが結構タイヘンで一日では片付かないのですよ…トホホ…と思いながら午後から渋谷へ。タワレコにちょっと寄って…自分のためのクリスマスプレゼント…とも思ったけど預金の残額思い出して我慢(笑)。渋谷南口の試写室ショウゲートで台湾映画『KANO−カノ−海の向こうの甲子園』の試写会を見る。戦前日本の一部として台湾予選を勝ち進んで甲子園大会に出場し決勝まで進んだ嘉義農林学校野球部の話。日本人選手と漢民族選手と高砂族選手をまとめた日本人監督近藤兵太郎(永瀬正敏)の活躍&当時の台湾農業の様子(日本の技術で灌漑設備ができる)&街や農村の様子など興味深かったけど3時間は長い。野球のシーンは現役大学野球部のエースたちが演じたので不自然でなくそれなりに面白かったけど小生の記憶してた実際の試合と映画の結末が違うのでは?と違和感を感じたのも上映時間が長かったせいか。面白い物語。美しい映像。もっとストーリーのテーマを絞り込んだらさらに面白い映画になったのに…と少々残念。帰宅すれば長男がGFを連れて遊びに帰っていてクリスマス・パーティの準備が整ってる。シャーナイので白く長い髭を付けて赤い帽子と赤いマントを身につけてプレゼントを孫に渡してやる。俺からは(俺も楽しむための)BBCドキュメンタリー『ウォーキング・ウィズ・ダイナソー』のDVD。その他みんなからのプレゼントに孫は大喜び。風呂に入れたら光るイカ&カルノタウロスなど恐竜のフィギュアなどなどいろいろあったけど一番喜んだのは妖怪ウォッチのリストバンドか…とほほ。まあエエワ。ビール&ワイン飲んで長男のGFのパリ土産のアブサンに舌鼓(これは美味かった!)チキンの丸焼きを食べて臨済宗の家のクリスマスの夜は更けゆく。ナンノコッチャ。
12月26日(金)
黒兵衛と朝の散歩に行こうとしたら次女が行ってくれるというので任せて今年最後の締切原稿を書く。毎日新聞スポーツ欄に明日掲載の『時評点描』。タイトルは「箱根駅伝はスポーツか?」。関東の大学限定の世界規準を無視したレースで日本の大学界と長距離界に悪影響を与えている正月の馬鹿騒ぎ(最後の言葉はサスガに使いませんでしたが)について批判。こういう原稿を載せてくれる新聞は毎日だけですね。あ。日経もあるか。共同配信の地方紙もありますね。ということは日本でダメな新聞は読売と朝日だけということになるのかな?午後から電器屋さんが冷蔵庫を持ってくるというので台所周辺の片付けを手伝う。18年間使った冷蔵庫がついにダウン。ヘンな音がカシャカシャと聞こえる状態が続くようになったので買い換え。ま。仕方ないか。半日がかりで入れ替えてもらってピカピカの冷蔵庫が我が家に。妙に正月気分。扉を開けるとLEDが眩しい。なるほど。孫たちの世代が目を悪くしないかと少々心配にもなる。外壁はガラス繊維らしくナルホド綺麗ではあるがマグネットがくっつかないことを発見。女房はウッソー!と落胆。台所のどこかにマグネット・ボードを作らねば…。新しい製品はイロイロ不便ですね。黒兵衛と夕方の散歩してビール&メシ&フィギュア・スケート日本選手権。孫とフロ&ネル。もーすぐ正月か…。
12月27日(土)
年の瀬が押し詰まってもまずは日課の黒兵衛と散歩。年の瀬があるなら年の淵もあるのか?それはやっぱり盛夏の頃か…と何の役にも立たないことを考えながら散歩を終えてイロイロ「オペラ講座」の準備をして新横浜へ。うわっ。物凄い人。鬼の反吐。人だらけ。そうか。年末の帰省ラッシュか。そういえば俺も昔はこのなかに混じってヨメハンと餓鬼3人連れて帰省していたなあ…と思い出す。赤ん坊の長男を籠に入れて背中に背負って長女の手を引いて京都駅に降りると大喧嘩の真ッ最中だった巨人の広報氏とバッタリなんてこともあった。「キミもタイヘンだねえ」「いいえ巨人の中にいるアナタに較べれば天国ですよ」なんて若気の至りの憎まれ口を平気で口にしていた。今も変わらんなあ…などと思いながら満員の新幹線でヨーヤク空席を見つけて少し早めに名古屋へ到着。そして楽しく打合せ。中京テレビ主催のルーヴル美術館展とモネ展のカレンダーをイタダク。なかなかのスグレモノ。モネの薔薇の小径が凄い。80歳を超えての絵でこの迫力。しかし大きくて家に飾る場所がない。トイレかな(苦笑)。オペラ講座はリヒャルト・シュトラウス3回目。『ばらの騎士』第1幕。キイワードは@ハプスブルク家Aウィンナ・ワルツB主人公は誰?(侯爵夫人?オクタヴィアン伯爵?オックス男爵?)なんて話をしながらクライバー指揮ウィーン国立歌劇場公演を楽しむ。しかしホントに素晴らしい音楽と演奏ですねえ。帰りの新幹線は50%以下の空き席。まぁそんなもんですねえ。フィギュア日本選手権は羽生の圧勝。小塚が頑張った。町田はそれがキャラなのかもしれないけどチョット難しく考え違いをしているようで…。女子は本郷里華がショート1位。13歳の新鋭はこれからあんまり力まず素直に伸びて欲しいですね。
12月28日(日)
黒兵衛と散歩。部屋の掃除。仕事の電話。突然のTV出演依頼。部屋の掃除。ノーボーダー原稿入稿。正月用原稿準備。部屋の掃除。夕方の黒兵衛と散歩。サケ。メシ。フィギュア日本選手権。本郷里華は2位か。電話で明日の打合せ。フロ。ネル。嗚呼。慌ただしい年の瀬。ナンノコッチャ。
12月29日(月)
黒兵衛と朝の散歩のあと東京赤坂TBSへ。雨だから新橋からタクシーが拾えるかどうか心配で少々早く家を出たけど世の中既に年末年始休暇モードで駅前には空タクシーがいっぱい。TBSの控室でノーボーダー・スポーツにも解説ゐ執筆していただいてるフィギュアスケートの佐野稔さん夫妻と歓談のあと本番でフィギュア界の若手躍進の話題。さらに2020五輪に向けて若手選手がドンドン育ってる話。それはいいんですけどねえ…そのあとどん底が来るような1964年の二の舞だけは避けてほしいですね。きちんとスポーツ文化として定着させなければ…。そういえば日本が戦後赤字国債を初めて発行したのは1964年東京五輪後の不景気の結果だったですからね。お祭り経済=バブルと同じですからね。TBSからの帰りに根岸のFLORENCEに寄ってタイガース・ファンのマスターに髪の毛を短くしてもらってから帰宅。夕方の黒兵衛と散歩のあと今年唯一の忘年会。朋友のSと『鮨処もり山』へ。いろいろ今年を振り返って少々しんみり。Sは最愛の奥さんを亡くしましたからね。まあ人生は長い。3日後は63回目の正月か…。帰宅してNHK-BSを見てびっくり。俺が出てる。野村克也氏と。昨年末にVTR撮りして今年の初めに流れた番組の再放送。勝手に放送されてエエのかなあ…最近のNHKはオカシイのチャウかあ…と思いながらフロ&ネル。
12月30日(火)
大晦日イヴ。朝起きて黒兵衛と散歩。ベランダの落ち葉の掃除。玄関ドアの掃除。etc…。大掃除の一日。腰が痛い。クソッと思いながら窓ふきやらイロイロやってると山下洋輔サンから『ドファララ門』届く。あれ?確か『サンデー毎日』(だったと思うけど)に連載されていたときは『ドファラファ門』だったのではないかと思いながら(小生の記憶違いか?)ページをめくりかけて自重。いまは掃除を優先。読書は正月。昔。オソウジ・オソウジ・オソウジヨ…と歌いながら忘年会で踊った阿呆がいたなあ…とか思いながら掃除。腰が痛い。夕方の黒兵衛と散歩のあと台所とかリビングの高いところを拭きまくってダウン。テレビのレコード大賞を意味なく見ながらサケ。メシ。フロ。ネル。爆睡。
12月31日(水)
大晦日。朝RKB毎日放送『インサイト』電話出演。箱根駅伝が如何に悪質低レベルなイベントであるかということを話す。内容を知りたい方はRKB『インサイト』のホームページへ。またはネット・メディア『ノーボーダー・スポーツ』の小生の原稿をお読みください。黒兵衛と散歩のあと嗚呼大掃除。洗面所周りを綺麗にしてトイレとフロの換気扇を掃除してインスタント焼きそば食って大船へ買い物に行って鏡餅や年越し蕎麦用の天麩羅を買って正月用の花や酒を買って帰って庭の落ち葉を掃除して仕事部屋の窓ガラスを拭いて…完全に腰を痛めて…とほほ。紅白歌合戦を見ながら年越しそばを食う。こんなに紅白を見たのは何年ぶりか。やっぱり面白くなかった。当然ですね。別に新しいことがないのですから。時々チャンエルを回した内山のボクシングのほうがよほど新鮮でした。行く年来る年見て風呂入って。今年も1年が終わる。さぁ来年からは本を書かねば…。
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