6月1日(木)
朝の読書は昨晩ベッドに持ち込んだ『週刊文春』最新号を読む。猿之助自殺幇助(?)事件・長野の殺人事件・ジャニーズ事件続報・岸田首相阿呆一族事件…などの週刊誌ネタが並んでいたが一番阿呆臭いのが最後に記した一件。日本はこんな堕落した世の中になってしまったのか…とベッドのなかで嗤うか嘆くか落ち込むか…首相は何やら大層に「異次元」を連発。つまり我々の暮らす四次元の世界には生きてらっしゃらないわけですなぁ。続けて『現代スポーツ評論』(創文企画)最新号(5月20日発行)の特集「部活の地域移行を考える]のなかから名古屋大教授の内田良さんとジャーナリストの島沢優子さんの対談「部活はどこへ行くのか-地域移行政策の可能性と課題」を読む。学校の部活に関して非常に示唆に富んだ興味深い対談で内田先生が「ニューズ・オプエド」に出演してもらったときは「まだまだ難しい問題が…」と言われたスポーツベッティングについて「教育界には絶対に受け入れられないと思う」と言いながらも「保護者負担を減らす時に(略)すごいアイデア」と言われたのには注目。スポーツベッティングも部活財政の討論テーマにするべきですね。また島沢優子さんが部活の地域移行と同時に部活の「活動量の規制」(要するに多すぎる試合数=全国大会等を減らすこと)を主張されたのには納得。ご両人には近々オプエドにも再出演していただきましょう。そして部活としての高校野球についても語っていただきましょう。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。嵐の前の静けさ?犬の散歩の人に次々と出逢う。どんな颱風になるのかな…ワン。終日デスクワークでパソコン内部の整理や請求書書きの雑務…これを雑務と言ってはいけませんね。請求書書きは大事な仕事です…とは言え昔は物書きには要求されなかった業務ですけどね。午後5-7時半まで第五期スポーツ立国推進塾(第1回)の「シンポジウム:スポーツ団体のガバナンスコードを考える」をオンラインで視聴。非常に勉強になりました。特にJリーグ前チェアマンでバドミントン協会副会長に就任された村井満氏の話は大注目でどんなスポーツ団体も女性理事を50%にすることも可能だとわかりました。またスポーツ団体の「男性村社会」のなかで格闘されてる人が(男性にも)多いことも興味深かったですがこーゆーシンポがメディアにまったく注目されず高野連とも無縁に進んでいるのは甚だ残念ですね。アカデミズムとジャーナリズムの距離は遠い?いやアカデミズムにもジャーナリズムにも問題が……?
6月2日(金)
朝の読書は昨日に続いて週刊誌。今日は『週刊新潮』。猿之助の警察への供述内容よりも片山杜秀氏の連載コラム「夏裘冬扇」のほうが面白かった(興味深かった)。猿之助はカトリック系のミッションスクールの小中高卒業で片山氏の後輩なんですね。《暁の星とは聖母マリアのこと》で《母に甘えて懺悔して許しをこいながら生き延びてゆく男の子の流儀を12年居ればかなり刷り込まれると思うのだが暁の星がもっと見えていれば!》ナルホド。しかし「カトリック→仏」」のルートはかなり太いパイプがあるように思うのですね。ワン。ベッドから出て小雨のなか黒兵衛と散歩。颱風はまだ遠いけど徐々に強風が増してきたカナ。終日イロイロ準備の末夕方から『ニューズ・オプエド』。今日はオンエア開始から9周年に当たりノーボータ-の上杉隆社主が挨拶。9年となるとイロイロありましたね。来年で10年か…と思いながら今日のテーマは《「真夏の甲子園はいらない」出版記念第8弾!常識で考えてもオカシイ高校野球!》とのタイトルでゲストは小林信也さんと小林さん推薦のジャーナリスト嶋中労さん。『コーヒーの鬼が行く』(中公文庫)や『おやじの品格』(ルックナウ)などの著書のある小生と同い年の元某出版社編集長。野球やスポーツは素人とおっしゃりながらもキャッチボールの素晴らしさを文章にされていて(キャッチボールは映画監督の黒澤明氏が俳優と行ったコミュニケーションの手段ですからね)こーゆーナチュラルな意見の持ち主が『真夏の甲子園はいらない』を読んで絶賛してくれたのでお招きしました。オプエドのあとは映画『グリーンブック』を見ながら晩飯と酒。1960年代初頭黒人ピアニストがイタリア人運転手と共に黒人差別の酷いアメリカ南部を演奏旅行する話。2度目ですが本当にイイ映画ですね。実話というのがスゴイですね。そう言えば今月実在だったゲイの黒人ボクサーの生涯を描いたオペラがメトロポリタン歌劇場で上演されて日本の映画館でも上映されるそうです。1950年代に活躍したエミール・グリフィスというボクサーを描いた『チャンピオン』というオペラ。ゲイであることを嗤った対戦相手をリングで殴り殺したボクサーは呟く。《俺は男を殺した。世界は俺を許した。俺は男を愛した。世界は俺を殺したがる》「ジャズとオペラの奇跡的な融合!実在した黒人スター・ボクサーの葛藤を描く」作品で作曲はテレンス・ブランチャード(ジャズ・トランペット奏者)。指揮は巨匠ヤニック・ネゼ=セガン。メチャメチャ興味深いオペラですけどいったいどんなオペラになるのかな?https://www.shochiku.co.jp/met/program/4679/
6月3日(土)
現代ビジネス編『日本の死角』(講談社現代新書)は大学の先生方の机上論と思える論が散見されて少々残念だったがオモシロイ論も発見。藤田祥平(小説家)の『日本が中国に完敗した今26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと』はオモシロかった。中国のタクシーが猛スピードの巧みな運転で走る助手席に座って今は60歳代になった父親の昔の若い頃の運転を思い出す。そして高度経済成長とはそういうものだと納得するのは正しい見方ですね。日本のタクシーも高度成長期には「カミカゼタクシー」と呼ばれてました。それが今は「あおり運転」という陰湿ないじめに堕落。これが昔と今の日本の元気さと元気のなさを表してるかもしれなですね。またこの小説家の《(現代は)疫病を経て右に寄った世界でNATOとロシアが経済を回すために戦争をしている》とか日本の防衛費予算の増大を《もうすぐ台湾でやる予定の戦争のためだ》と書いていることに拍手。こーゆー鋭い断定を口にする(書く)作家は最近消えてしまいましたから若い作家が頑張ってください。さらに鈴木裕之(国士舘大学教授)の『「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私が今考えること』もオモシロかった。差別は必ず存在し《あらゆるレベルでの差別を告発し社会の仕組みを変えてゆくことは必要》と書きながらも《制度よりも「心の動き」が大切》であり誰の心にも存在する《差別という「憑き物」をどう落とすか》が重要と説く。その《落ちる瞬間》を体験から例を挙げて書かれていることに納得。ワン。ベッドを出て大雨のなか黒兵衛と散歩。少し小やみになったと思って出かけたら急に激しい雨に変わった。颱風+前線を馬鹿にしてはイケマセンね。
6月3日(土)つづき
本HPを読んでくださってる読者の方からデジタル版のスポニチ紙に江川卓氏がメジャーの「ピッチクロック」よりも有効な試合時間短縮の方法として「2ストライク3ボール制」(2ストライクで三振アウト/3ボールで一塁へ出塁)を主張しているとのメールをいただいた。メールの送り主はコレはかつて三原脩氏(多くの球団の監督を経て日ハム球団の社長も務めたプロ野球界の重鎮)が主張していたことなのに江川氏はまるで自分の意見のように主張していてスポニチの担当者もその「誤り」を指摘しないのはオカシイとの主張だった。小生もデジタル版スポニチ紙を確認したがメールの送り主とまったく同意見。三原氏の主張を受けてパ・リーグ(日ハム?)では過去に一度練習試合で「2ストライク3ボール制の野球」をやってみたことがあったとも聞いたように記憶している。江川氏は知らなかったのかもしれないけどスポーツ新聞のジャーナリストが過去の歴史を知らないようでは困りものですね。もっとスポーツの勉強をしてほしいなあ…。過去を忘却することは日本のプロ野球をますます「文化」から遠ざけることになりますよね。嗚呼。晩飯はTBS『報道特集』で国民の貧困を顧みず軍事衛星を打ち上げる独裁政権北朝鮮の様子を見ながら。この困った状況に日本のパトリオット配備が本当に有効なんでしょうかねえ?
6月4日(日)
『日本の死角』にまだオモシロイものがあった。大前治(弁護士)『自然災害大国の非難が「体育館生活」であることへの大きな違和感』ナルホド。気がつかなかったけどそーですよね。日本と同じ地震国であるイタリアの被災者などは多くが国の公費で借り上げられたホテルが避難場所となるそうです。国際赤十字の「人道憲章」にも被災者が援助を受けることは《被災者の「権利」と明記》され《被災者を援助することは国家の「義務」》とされている。ということは《劣悪な避難所をあてがうことは(国家の)義務の不履行として批判されなければならない》のですね。ところが《災害大国日本》では《「災害対策基本法」をみても住民が「自ら災害に備えるための手段を講ずる」とか「自発的な防災活動への参加に努める」という自助努力を定める規定はあるが住民が援助を受ける権利を有するとの規定は存在しない》避難所の体育館の《プライバシーのための間仕切りも国が責任をもって用意するのではなく「あると便利です」と案内して自費で用意させようとしている》日本の「御上」は国民に対してどこまでも上から目線で自分たちだけが公費で建てられた邸宅でパーティなどを開いて喜んでいるのですね。嗚呼。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあとチョイとパソコンの整理など仕事をして午後からは颱風で荒れた庭やベランダの落ち葉の整理や枝の整理。すぐに腰が痛くなるのは歳のせい?トホホと思いながらも肉体労働のあとのビールを期待して頑張ったあとまずは風呂。そしてビールとワインと晩ご飯。チョイと休んだあとテニス界の改革を企図している人たちの「テニスを語る会」にZOOM参加。テニスのファンの観戦の仕方について話し合う(最近の全仏でも大騒ぎする観客が現れたとか)。応援団が生まれるスポーツは近代以降に生まれたり輸入されたスポーツ(アメリカのアメフトやバスケ。日本の野球など)で前近代から続いているスポーツ(日本の相撲やアメリカのベースボールやヨーロッパのサッカー)などは「飛び入りの自由(見る人とやる人が同種)」の伝統が残り応援団は生まれないという中村敏雄氏の理論を紹介。日本の輸入スポーツでもフットボール(サッカーやラグビー)やテニスのように見る人とやる人の多くが重なっていた場合はサポーターは生まれても応援団は生まれなかったわけですね。さてテニスの観客は今後どのように導くのか?日本のプロ野球のように観客のほぼ全員が歌って踊るようになった観客席には小生なんかはもう馬鹿らしくて入れなくなりましたけどね。ゆっくり野球を見られないのですから。
6月5日(月)
朝のベッドでの読書は昨日大リーグ評論家の福島良一さんから送られてきた『もっと知りたい!大谷翔平SHO-TIME観戦ガイド』(小学館新書)。第1章の「まだまだ眠ってる前人未踏の歴史的大記録」を読んでるだけで楽しい気持ちになる。シーズン2桁勝利&打率3割&本塁打30本&30盗塁&100打点とかサイ・ヤング賞&MVPなんて想像するだけで楽しいですけど小生は元NHKスポーツセンター長の杉山茂さんが「見たい」と言った大谷の1試合5三振を見てみたいですね。しかし「プロ野球→米メジャー」の道筋の固定化はこれでいいのかな?日本の野球界はマスメディアの支配から解き放たれればもっとマーケット(市場価値)が広がると思えますが…ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。颱風やら前線やらで少なくなった春の青空を満喫。ワン。終日デスクワーク。晩飯は月曜恒例テレビ神奈川の吉本新喜劇を見ながら。今日のは平均点でしたね。
6月6日(火)
自分が何度か執筆依頼を受けたから書くのではないがUC Card magazine『てんとう虫』は企業PR誌のなかで最もオモシロイと言えるかもしれない。6月号の特集「司馬遼太郎が教えてくれた」も読み応えがあった。まずは対談が江夏豊と原田眞人の両氏。江夏さんとは以前TVでご一緒したときにCM中に「やっぱり一番お好きな小説は『燃えよ剣』ですか?」と訊いたら「いや。そうでもないなぁ。司馬さんなら全部好きよ」とおっしゃってた。対談では原田監督がベストワンに『燃えよ剣』をあげたので江夏さんは「じゃあ僕は『新撰組血風録』で(笑)」。関川夏央氏の司馬解説も納得。『坂の上の雲』を取りあげて《資源のない「まことに小さな国」は日露戦争後その貧しさを磨いた技と精神主義でカバーしようとして当然のごとく失敗しました/司馬遼太郎は日露戦争後の日本をついに書きませんでした。しかしその後の日本の運命はすでに『坂の上の雲』に書かれていたのです。まことに「成功は失敗の母」でした》確かに。近代日本では大成功が大失敗を招いたのですね。また冒頭の『「青春」の「物語」を書いた作家》という文章で関川氏は《筋金入りの「戦後民主主義者」であった司馬遼太郎の不在に付け込まれたかのように日本と日本人はかつての昭和戦後的活力を失い(略)あらためて私たちは自分たちがどれほど大きな失いものをしたか痛感するばかりです》と書いている。他の作家や歴史学者の書いた『国盗り物語』や『世に棲む日々』などに関する文章も全て読み応えがあって満足しました。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩の後終日デスクワーク。金曜の『ニューズ・オプエド』のゲストに『真夏の甲子園はいらない』出版記念企画第9弾として小林信也さんと名古屋大学内田良教授(金髪先生ですね)が決まったことに満足。「高校野球は学校の部活と言えるのか?」というテーマで話し合います。乞御期待!
6月7日(水)
『てんとう虫』の司馬遼太郎の記事に触発されて昨晩寝る前に彼の文庫本を何かベッドに持ち込もうとして本棚を探したが見つからない。『燃えよ剣』『新撰組血風録』『太閤記』『龍馬がゆく』『坂の上の雲』などを読んだのは相当前の学生時代だから文庫本をなくしていても仕方ないと思ったが大好きだった『大阪侍』や『街道をゆく』のシリーズくらいは見つかってもいいのに本棚の奥にもない。そう言えば昔ウチに遊びに来た友人が机の上の『大阪侍』を発見して「今頃司馬遼太郎を読んでたら老後の楽しみがなくなりまっせ」と言ったのを思い出した。それも30年前くらい前の話。70歳になった今本屋に行くついでに司馬遼太郎を老後の楽しみに買い直すか…いや関川夏央さんの解説によれば司馬文学はエンターテインメントではなく日本論/近代日本批判ですよね…と思いながらベッドへは岩波文庫の内村鑑三『代表的日本人』を持ち込んで西郷隆盛を読み返す。何度読んでもオモシロイ本はいっぱいありますね。ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。テーマはメジャー野球。ただし大谷ではなくベネズエラ出身マイアミ・マーリンズのルイス・アラエス(アライズ)選手。月曜の時点で3割9分9厘。1941年のテッド・ウイリアムスの4割6厘以来の20世紀13人目の4割打者は出るか?という話。何しろ4割を打つには3打数1安打ではダメ。ジョー・ディマジオが56試合連続安打したときの連続試合安打中の打率がやっと4割8厘ですからね。シーズン最後のダブルヘッダー2試合を残して3割9分9厘5毛だったT・ウイリアムスは監督から試合を休めと言われたけど四捨五入で繰り上げ4割打者と言われるのがイヤで試合に出て8打数6安打。打率を4割6厘にしたのは見事ですね。日本のプロ野球でも4割に近づいた打者としてバース&クロマティ&イチローなどを紹介。現在ベイスターズの宮崎選手が打率3割9分近くで頑張ってるけど右打者は辛いですね…しかし野球の記録の話は楽しいですね。ワン。黒兵衛と散歩の後終日デスクワーク。昼のNHK-BSでアパルトヘイト時代の南アフリカを描いたアッテンボロー監督の『遠い夜明け』をやっていたので途中まで見て録画。録画が沢山溜まって見るのを忘れてるかな?トホホ。
6月8日(木)
ベッドのなかで内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)の西郷隆盛読了。西郷が藤田東湖に心酔していたり彼の好んだ言葉「敬天愛人」の「天」からキリスト教に近づけすぎるのには少々違和感を感じましたが人情家で(情に厚く&弱く)素朴な人柄の描き方には共感しました。《いにしえの聖人は民を恵み与えることを得とみてたもから取ることを損とみた。今はまるで反対だ》と西郷は明治時代に書いたそうですが令和の政府の日本政府の苛斂誅求はさらに非道いですなぁ。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと仕事。フランスで行われていたテニスのローランギャロス(全仏オープン)での女子ダブルスで失格になった選手がテレビで話題になっている。巨額のお金が動く現代スポーツの実情のなかでは誰もが「必死」になって相手を許すことができなくなるのですね。西郷隆盛の精神と真逆ですね。嗚呼。昼のNHK-BSでヒッチコックの『サイコ』をやっていたので有名な浴場の殺人のシーンまで見てしまう。やっぱりこのカメラワークはスゴイですね。夕方郵便物をチェックすると『學鐙』が送られてきた。季刊で「Vol.120No.2夏号」とあったことを少々不思議に思い(Vol.120ということは120年間続いてる?)ページを開くと「ご挨拶」として『學鐙』は《明治三十年に創刊し途中関東大震災と戦時下・戦後に発行中断を余儀なくされた時期もありましたが現在まで続く国内最古の企業PR誌です》とあった。いやはやスゴイものですね。創刊の発行元は丸善株式会社。それが十数年前から丸善出版株式会社となり今号から丸善雄松堂株式会社となったためのご挨拶だった。そー言えば何年か前に何度か原稿を書かせてもらったときに明治時代の外国人英語教師F.W.ストレンジの『西洋戸外遊戯法』触れたところが編集者から「ご参考までに」として『丸善百年史』のコピーが送られてきてソノ発売所が明治18年の丸善だったことを教えてもらった。「歴史」の存在とは大きいモノですね。尚その本にはフットボールを「蹴鞠」ベースボールを「打球おにごっこ」ローン・テニスを「球打ち」ハードルを「超籬競走」と訳してあったそうです。
Blu-ray |
|
『荒野の決闘』 このJ・フォードの名作はワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)よりドク・ホリデイ(ヴィクター・マチュア)が主人公。主題歌も彼の恋人クレメンタイン
|
6月9日(金)
早朝読書inベッドは丸善雄松堂のPR誌『學鐙』の特集「いま私たちが学ぶべきこと」から養老孟司氏や内田樹氏の文章。養老氏の「好きで学ぶこと」「学びは人生そのもの」という指摘に納得。内田氏の「学び」は知識の「補充」ではなく「別人になること」という指摘も非常にオモシロかった。特に内田氏の「教育は商取引ではない」という最近の風潮の全面否定&根本批判に納得。また「修行という言葉は英語になくtrainingでもexerciseでもpracticeとも違う」という指摘にも目鱗。それらは《目標が事前に開示されている》が「修行」は到達点がわからないわけですね。だから「学び」も「修行」と捉えると自分でも気付かなかった「別人になる」のですね。う〜む深い。けど納得。ワン。ベッドから出て黒兵衛と雨中の散歩。早く雲古をさせてソソクサと帰宅。イロイロ仕事の途中昼食時にNHK-BSがジョン・フォード監督の『荒野の決闘』をやっていたのでドク・ホリデイが酒場でシェイクスピアのハムレットの有名な独白を蕩々と述べるシーンまで見たかったけどナカナカ出てこないので録画にして夕方の『ニューズ・オプエド』の準備。今日のゲストは小林信也さんと名古屋大学教授の茶髪先生の内田良さん。3人で思い切り「高校野球は部活か?」というポイントを徹底的に話し合う。番組冒頭で内田先生が高校野球の甲子園大会は「学校の部活改革の本丸」という指摘は重いですね。今スポーツ庁と文科省は中学の部活のアウトソーシングを進めようとしていますが内田先生も小林さんも「それにはダウンサイジング(全国大会の廃止など)も必要」という意見で一致。非常に内容の濃い話し合いができたので多くの人に見てほしいですね。よろしく!https://op-ed.jp/冒頭だけでも非常にオモシロいので是非とも見てみてください。
6月10日(土)
早朝読書は内村鑑三『代表的日本人』から上杉鷹山。財政破綻も甚だしかった米沢藩を倹約と道徳的善政で立て直した名大名の話。正直言って真面目すぎるキリスト教者の書いた真面目すぎる大名の話は読んでオモシロイものではない。こーゆー話は阿呆銅鑼息子と馬鹿親族友人たちを叱責すらできず陳謝もしない封建的血族首相が読むべきですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。梅雨の慈雨をたっぷり受けて紫陽花が一段とデカくなったように思える。ワン。チョイと仕事をしたあと久しぶりにかかりつけの医者へ。血圧は無問題。犬の散歩もイイが犬ナシの散歩も進められる。納得。そー言えば以前NHKの番組でツール・ド・フランスで何度も優勝したサイクリストが引退後に若年性骨粗鬆症にかかった番組を見た。脚の筋肉を異常に発達させたアスリートも座ってばかりの筋肉運動では骨の運動(刺激)にならず骨の発達に異常を来したのですね。要注意。犬の散歩でなく自分の散歩をしなくては。ワン。医者の帰りにヨメハンの買い物に久し振りに付き合って帰宅。そー言えば昨日の『ニューズ・オプエド』は非常に内容の濃い実りの多い討論となったが学校部活改革の強固なネック(本丸)となっている高校野球(甲子園)の改革は本当に困難だけどやらねば…という話になったとき小生が『學鐙』の養老孟司氏の文章を紹介。《現在の時点でかなり確実に言えることは2038年に予測されている南海トラフの地震であろう。東海地震が伴って東南海地震となるはずでそれに前後して首都圏直下型地震と富士山の噴火が併発するのが最悪の予測である。こうした天災は現在の状況で当然とされている「常識」を変えてしまうはずである》。そのときには日本のスポーツ界もやっと変わるのか…そんなときにならないと変わらないのか…と言い出したら内田良先生は「それでも変わらないかもしれないですよ。世界的パンデミックのコロナでも甲子園もスポーツ界も何も変わらなかったのですから」確かに。小林信也さんも「変える力よりも元の姿に戻そうとする力が強いですよね」…嗚呼。その通りですね。晩飯&酒は『報道特集』を見ながら。入管法の改定は日本の現状の最も見苦しい面を示しているのかもしれませんね。嗚呼。気分転換に久し振りにワーグナー『ニーベルンクの指環』をダイジェストで見る。舞台はメトロポリタン歌劇場。そう言えば指揮者のレヴァインは少年への性的問題で消えましたね。日本はこの面の規制でもオクレテル?デジタルも入管法も性的加害問題も一人あたりのGDPも政治家の矜持も…何から何までオクレテル国になりました。司馬遼太郎さんが生きてたらどんなエッセイを書くのかな?
6月11日(日)
本を読むのは大好きだが「文字を読む」のが時々嫌になる(疲れてるのかな?)。そんなときは「絵を読む」ことにしている。宮下規久朗『しぐさで読む美術史』(ちくま文庫)は愛読書の一冊。「走る・踊る・殴る…」から「脚を組む・腕を組む・天を指す・沈黙する」まで40項目の仕種から見た名画や彫刻やポスターなどを紹介。「殴る」は紀元前14世紀のミケーネ文明の壁画に描かれたボクシングから1924年にジョージ・ベローズが描いた世界王者ジャック・デンプシーの試合まで。さらにリキテンシュタインのアメリカンコミックのような男の顔を殴る拳の絵「スウィート・ドリームズ・ベイビー」や鳥山明の漫画ドラゴン・ボールの格闘シーンも。《殴る行為の描写を最も得意とするのは音や動きまでヴィジュアル化できる漫画家もしれない》との解説もオモシロい。「天を指す」の項目ではラファエロの「アテネの聖堂」でのプラトンやダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」やダヴィッドの「ソクラテスの死」といった「人差し指で天を指してる絵」と並んで『サタデー・ナイト・フィーバー』でのジョン・トラボルタの「決めポーズ」が紹介されていてソレが奈良東大寺の「誕生釈迦仏立像(天上天下唯我独尊)」にそっくりと書いてあったのには写真を見て一人で大笑いしてしまった。《サッカーでゴールを決めたときなど欧米のスポーツ選手が天を指すことがあるがソレは神に感謝し報告することなのである。ソレが転じて何かを成し遂げたときの決めポーズにもなった》というわけですね。高校野球で優勝したチームの選手たちが人差し指を「上」に突き立てて集まるのは「神への感謝」でなく「自分たちが一番(天上天下唯我独尊?)」と自慢しているようで見苦しいですね。ワン。梅雨のジメジメ小雨のなか黒兵衛と散歩。大きく花を膨らませた西洋紫陽花よりも日本の固有種の紫陽花のほうが可憐でイイと思うのは自分が日本だからかな?ワン。終日デスクワーク。晩飯はNHKスペシャル『ヒューマンエイジ人間の時代第1集「人新世 地球を飲み込む欲望」』を見ながら。地球上で圧倒的な発展を遂げた人類の行為はついに化石燃料やプラスチックの残骸を地層にまで残して「人新世」と呼ぶべき時代を創ったのですね。そしてゲストの先生が「滅亡しないモノはありませんから」と言ったのがオモシロかった。そうなんですよね。いずれ太陽系も太陽の暴発で亡びて地球も亡びる。その前に人るが亡びる?その前に日本が…?そう言えば養老孟司先生が「2038年に予測されてる南海トラフ地震」と平然と書かれていたのはホントにホント?
6月12日(月)
宮下喜久朗『しぐさで読む美術史』読了。オモシロかった。右手をまっすぐ伸ばして斜め前方上部に上げるのが古代ローマ式敬礼。ナポレオンのお抱え画家だったダヴィッドが『ホラティウスの近い』という絵に描いている。その敬礼をムッソリーニがファシスト党に取り入れてヒトラーがパクって「ナチス式敬礼」として広まったことは知っていた。《未だにこの身振りが残っているのは日本のスポーツ界くらいだろう》と書かれているが最近はやっと日本のスポーツ界も「ナチス式敬礼」をやらなくなりましたね。1972年の札幌冬季五輪では日本選手団が開会式で全員で「ナチス式敬礼」をして行進しているので篠田正浩監督の記録映画を見るとドキッとしてしまいますけどね。甲子園の高校野球の開会式での大日本帝国陸軍閲兵式的行進や自衛隊式行進は今も行われてますが…。ダヴィッドに影響を与えた画家と言われるボーフォールの描いた『ブルータスの誓い』という絵もオモシロかった。スポーツの《試合の前にチームが円陣を組んで行う身振りに近い》のだ。スポーツから「戦争」の要素はナカナカ消えませんね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。梅雨の小降りの雨が気持ちイイ。ワン。終日デスクワークは『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ時評」を書きあげる。テーマは全仏テニスでの加藤選手の「失格」について。確かに選手たちが「失格処分は厳しすぎる」と言いたくなるのも理解できるし相手のペアの執拗な抗議も見苦しかったけど処分は規則通りでしたね。選手は「危険なボールを打つこと」や「結果を無視してボールを打つこと」は禁止されているのですから。「意図的ではなかった」とうことも関係なく(野球の投手の危険球退場と同じですね)加藤選手は「不運」だったけど失格も仕方ないですね。ただ失格処分のあと大会に出続けることが許された「温情」には誰も文句を言わないし混合ダブルスで優勝したのは素晴らしかったですね。ビデオも使うのは「イン/アウト」の判定のみですからね。将来的には変わるかな?晩飯は神奈川テレビ「吉本新喜劇」を見ながら。この日はスッチーさん登場!!この人の「超過激で無意味なマルクス・ブラザース的演技での笑いの誘発」はスゴイ迫力ですね。素晴らしい!
6月13日(火)
朝の読書は『週刊現代』佐藤優氏の「ロシア・ウクライナ戦争の正しい理解の仕方」を読む。確かに多くの市民を死に至らしめている戦争の即時停戦も理解できるしアメリカが自分は参戦せずに戦争の拡大も望まず長期化を望んでいるというのも理解できるけど直接的な大規模攻撃を始めたプーチン・ロシアをこのままにしておいていいのかという疑問は残る。『週刊新潮』では片山杜秀氏が連載コラム「夏裘冬扇」で《世界大戦はこれまで東欧発でしか起きていない。二度あることは三度あるとも言います》と書いていた。一番困るのは日本には国会で原稿を読むことしかできない政治家しかいないということですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。LGBTQ理解増進法案は(という名称もケッタイナ表現だが)「差別は許されない」という文言が「不当な差別はあってはならない」に変更された。ということは「正当な差別はあっても良い」と言うことになるの?!イヤ〜な感じがしますね。かつてベルリンで社会から「身障者が消え…同性愛者が消え…ユダヤ人が消え…ナチスの世の中になった」というような詩を書いた人がいたけど…そう言えば小生はベルリンを訪れたときにユダヤ人の墓標を模した広大なモニュメントを見学しましたがソノすぐ近くに同性愛者への差別と迫害を反省するモニュメントもありました。日本の政治家たちは海外出張の時に訪れてないのかな?この国の首相は少子化の「対策」をするのではなく少子化を「止めよう」トシテイルヨウデスネ。それに逆に子供を増やそうと考えているようですがそれが可能だと本気で思っているのでしょうか…?。国会は「新しい国のカタチ」を考えて方針を打ち出す討論を始めなければならないはずですが…そういう政治家・国会議員はいるのかな?嗚呼!もしも解散選挙をするなら争点はソコでしょ!!
6月14日(水)
朝のベッドでの読書は宮下規久朗『モチーフで読む美術史』。オモシロイ。犬・豚・猿・驢馬…から鴉・鷲・孔雀・月…まで。さらに仮面・手紙・鉄道…から血・心臓・裸・性愛…まで。みんな様々な意味があるのですね。《ナチスの強制収容所の内部の壁に爪や石で刻んだおびただしい蝶の絵があった》という。《死を前にした収容者たちは蛹から脱皮する蝶に自らをなぞらえ魂の永生を切に願ったのである。それはまさに美術を超えた美術であるといえよう》たしかに。ベッドから出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。テーマはテニスの全仏オープン女子ダブルスでの加藤選手の「失格問題」。アンパイア(判定者)の判定→相手選手の抗議→レフェリー(仲裁者)の仲裁という順序も「失格」という判定も問題はどこにもないわけですね…という話。相手選手の抗議は少々見苦しかったですけどね。ついでにテニスは何故テニスと呼ぶのか?1本目の打球を何故サーヴィスと呼ぶのか?などについても少々触れる。スポーツにはわからないことが多いですね。それをわかりたいと思った人は小生の書いた本をお読みください(._.)。ラジオのあと黒兵衛と散歩。曇り空で涼しく思える朝も歩いたり運動したりすると汗をかく季節になりましたね。ワン。原稿を送ったり仕事をしていると『スポーツゴジラ59号』が送られてくる。特集は「スポーツはもっと面白く味わい深い」と題して4月下旬に行われたシンポジウムの概要が掲載されています。やくみつるさんのオモシロイ絵や杉山茂氏の「大谷5打席5三振に期待」の過激発言も。小生が直接知ってるミスター(長嶋茂雄)面白エピソードも載っています。都営地下鉄の駅などで無料で手に入りますから「スポーツ好き」の人はど!!!!
6月15日(木)
『モチーフで読む美術史』オモシロイ。「チーズ-身近なご馳走」の絵では《チーズが豆腐のように見える》と書かれたあとに《そもそも豆腐自体中国人が唐の時代に北方民族のチーズを模倣して大豆で作ったものであり味も食感も似ているのは当然である》とあった。知らなんだ。長く生きていても知らないことは多いですね。ゴルゴンゾーラのような味と臭いの豆腐ができないかな?「ジャガイモ-最下層の食べ物」の項目では北朝鮮の画家が描いた(政治ポスター以外の)絵を初めて見た。《ジャガイモを量る農民たちの明るく健全な姿》は《西洋の油彩画法を習得した描写力は見事で古今と財の油彩画と較べても遜色がない》が《北朝鮮の社会状況を知っている目から見るとこの情景が現実と離れた理想的な状況にすぎないことはあきらか》で《社会主義リアリズムの伝統を感じさせる》けど「リアリズム」とは言えないですね。2000年に韓国の講習ビエンナーレに出展された絵らしいけど北朝鮮の人々はコノ山盛りのジャガイモを収穫している底抜けに明るい笑顔の農民女性たち見てどう思うのでしょう?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。紫陽花は百花斉放。昔毛沢東は百花斉放をスローガンにして言論の自由を宣言。そこでいろんな意見が出たあと宣言を撤回して意見を出した人々の多くを反共産党思想者として逮捕したそうですね。様々な紫陽花の色彩を見ながらそんなことを思いました。どんなことがあっても言論表現の自由だけは守られるべき基本と言えますね。ワン。イロイロ仕事したあと夜はサッカー日本代表vsエルサルバドル戦。三苫も久保もヤッパリ上手いなあ…と思いながらも開始間もなくエルサルバドルの選手が退場になったのは最悪でしたね。スポンサーのカップ戦でなく練習試合意切り替えて11人同士で試合再開はできなかったのかな?試合中に臨時ニュースが流れたけど北朝鮮のミサイル発射に何故Jアラートは鳴らなかったのかな?日本のEEZ内に落ちたのに…ケッコウええかげんなシステムなんですね。
6月16日(金)
『モチーフで読む美術史』非常にオモシロイ。《十字架》というのは《元は残虐な処刑器具》だったわけで古代ローマ時代は《その残虐さから忌み嫌われキリスト教徒たちもこれを表現したり自分の印にしようとはしなかった》十字架の代わりにキリストを表現したのは《魚や羊飼い》で《ローマ帝国も亡びこの刑罰もすっかり過去のものとなった五世紀頃ようやくイエスの磔刑像が表現されるようになり(略)教会堂も十字架状のプランに従って建てられ胸に十字を切る祈りの身振りも登場する》ようになったとか。「伝統」は後から生まれるモノなんですね。《日本にキリスト教がもたらされたとき宣教師たちが持ち込んだ十字架像は激しい拒否反応を引き起こしたという。当時の日本には刑罰としてまだ目を背けるような磔(はりつけ)があり拝むことなど考えられなかった》のですね。それでマリア観音が流行したのかな。「虚栄」とも訳される《ヴァニタス》という概念もオモシロイ。《この世のものは全て空しく朽ちていくという教訓》で《メメント・モリ(死を想え)という主題の同類》。要するに「色即是空」ですね。絵画では《髑髏・宝飾類・コイン・逆さの杯・消えた蝋燭・花・楽器…シャボン玉…時計…》などで表されたという。《日本では武士の魂として尊重された日本刀も高価な工芸品であるだけでなく殺傷の道具であったことからヴァニタスの仲間に加えられ》オランダの17世紀の画家ステーンワイクの「ヴァニタス」という作品に日本刀が髑髏と共に描かれている。鋭い考察ですね。筒井康隆大先生の名作『ダンシング・ヴァニティ』をもう一度キチンと読み返さねば。ワン。ベッドから出て黒兵衛と散歩。梅雨の合間か真夏の日射し。また夏が来るのは当たり前のことなのか…。コピペのように繰り返される季節。ダンシング・ヴァニティに描かれた日常…の怖さ…メメント・モリ…ワン。
6月16日(金)つづき
大投手の杉下茂さんが亡くなった。巨人のコーチ時代や解説者時代によくお話を聞いた。[ピッチャーがバッターを仕留める基本は内角で詰まらせる。外角で泳がせる。高目で誘う。低めで打ち取る」「投球動作は左右対称。右腕を後ろ。左腕は前。右腕を振るには左腕を引きつける」「フォークボールは見せ球。あまり使わなかった」彼の指は抜群に長くフォークでボールを刺すのではなくチョップスティック・ボールと呼べるくらい箸でボールをつまんでましたね。97歳。大往生ですね。合掌。北別府学さんも亡くなった。65歳。まだまだ若いのに…。解説者になられた直後にインタヴュー。投球のコントロールを良くするには?「フォームを一定にすることですね」ナルホド。夕方からは『ニューズ・オプエド』ゲストの大住良之さんには昨日の日本代表vsエクアドル戦を解説手いただき久し振りの登場となった参院議員青島健太さんには「国のスポーツ政策」や「真夏の甲子園大会」についてイロイロ喋ってもらった。上杉隆さんにも参加してもらいすべてのがメッチャ面白く有意義でした。サッカー日本代表は久保・三苫は力を発揮。中村敬斗も高評価。次のペルー戦の戦い方に注目ですね。『真夏の甲子園はいらない』について青島さんは半分大賛成。半分反対。理由は甲子園大家の盛りあがりと選手の成長は否定できないから。しかし年間の試合数が多すぎたり全てトーナメントだったりするのを変更しようとする動きに注目。大改革は必要という意味で賛成。大住さんは『真夏の甲子園はいらない』についてサッカー界のイイ面ももちろんある(選手が日本代表にまでなるルートの種類が多いことやリーグ戦が増えていることなど)が「チョット褒めすぎかな」。スポーツについて楽しむだけでなく様々な意見を出し合うのは素晴らしいですね。マスメディアでもやってほしいですね。もちろん国会でも!「オプエド」のあと「チコちゃん」見ながら晩飯。そうか…眠気はカルシウムと関係ありか…。
6月17日(土)
宮下喜久朗『モチーフで読む美術史』(ちくま文庫)読了。イロイロ面白かったです。トランプのスペードは剣=騎士。クラブは棍棒=農民。ダイヤは宝石=商人。ハートは心臓=血=聖餐式(ミサ)=聖職者。四つの階層を示しているんですね。絵を見るときは西洋史東洋史等いろんな知識を持ってるほうが楽しめるわけで知識は楽しみの素ですね。『モチーフで読む美術史A』に進む。蠅・蜂・蝗・蜘蛛・象・熊・犀・鯨…今度は動物から始まった。興味津々。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。真夏の陽射し。微風があるのに救われる。ワン。仕事をしていると講談社から今月の現代新書の新刊が5冊届く。うわっ。今月は面白そうな興味深い読みたい本ばっかり!小林武彦『まぜ人だけが老いるのか』。凄いタイトルで帯にも「人間以外の生物は老いずに死ぬ。ヒトだけが獲得した「長い老後」には重要な意味があった」とある。2年前だったか『生物はなぜ死ぬのか』というメッチャ面白い本出されて小生が共同通信書評の「今年の3冊」に選んだ著者の続編ですね。読まねば。島田裕巳『帝国と宗教』も絶対に読まねば。プーチンはロシア正教を盾にウクライナ侵攻とロシア帝国の拡大を図ってるわけですからね。な話題ですよね。斉藤美奈子『出世と恋愛』も面白そう!『三四郎』『金色夜叉』『路傍の石』などを「本読み」のプロがどう読んでるのかワクワク。志村真幸『未完の天才南方熊楠』も絶対読まねば。「なぜ熊楠は完成を嫌ったのか?」というキャッチも鋭い。水木しげる『猫楠』(角川文庫)以上の面白さ期待!轟孝夫『ハイデガーの哲学「存在と時間」から後期の思索まで』は500頁に及ぶ大部。木田元氏の哲学に関する解説やエッセイを読んだりハンナ・アーレントに興味を持ったりして以来ハイデガーは気になる存在です。サアこの大部まで読めるかどうか…しかし本を読むというのは最高の楽しみですね。午後から庭の木を切ったり庭掃除をしたり…読書と庭いじりの土曜日…歳取ったかな。晩飯はTBS『報道特集』を見ながら。ジャニー喜多川氏の「性犯罪」は最高裁で有罪が認定されてもマスメディアは報道を控えたんですね。公共の財産であるスポーツ(野球)を独占利用しているマスメディアの態度も似ていますよね。第二次大戦の沖縄戦で亡くなった沖縄の住民が日本軍の軍人と同じ「英霊扱い」されるのはオカシイという指摘ももっとジャーナリズムが強く報道すべき問題ですね。
6月18日(日)
島田裕巳『帝国と宗教』読み始める。オモシロイ。ユダヤ人が最も平穏に暮らせたのはイスラム帝国の時代だった等の目鱗指摘満載。なるほど。ムハンマドも商人でしたからね。キリスト教徒と違って《商売を蔑視する考え方が全くなかった》わけですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。梅雨はどこへ行った?昨日に続いて読書と庭いじりの日曜日。衛星放送のパラポラアンテナに巻き付いた藤の蔓を処理するだけで大きなビニール袋が満杯。ビニール袋5杯分の仕事をして夕方から風呂。風呂上がり男ビールが美味い。夜はテニスの有志らによるZOOMの集会に出て全仏で失格になった加藤選手を話題にアンパイアとレフェリーの違いを話させていただく。日本語ではどちらも「審判」で「判定者」と「仲裁人」の区別もなく体育では審判を先生が受け持つことが多かったので「審判は神聖」なんて妙な言葉も生まれましたね。録画しておいたNHK『ヒューマンエイジ人間の時代第2集「戦争」なぜ殺し合うのか』見ながら飲み直し。政治抜きで人間の本性で捉える戦争論は興味深かったけどタレントを司会者に起用する必要はないですね。最近のテレビはジャーナリストが消えて熊さん八っつぁんがしゃしゃりですぎですね。
6月19日(月)
『帝国と宗教』読み続ける。そうか。現在の中華帝国は様々な宗教弾圧と宗教団体の滅亡のなかで儒教だけが存続し華夷思想と中華思想だけが生き残った結果かもしれないのですね。そして史上初とも言える巨大な新中華帝国の誕生か…?歴史的には不可能な気もするけど…ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。犬の散歩で出逢った人に何歳ですか?と訊かれた。もうすぐ13歳と答えたら「元気ですねえ」と驚かれた。そう。年寄りのくせに元気すぎて困ってます。ワン。イロイロ仕事して晩飯のあとは『映像の世紀バタフライエフェクト』でビートルズの世界に及ぼした大きすぎる「影響(エフェクト)」を見る。ちょうどソ連が崩壊寸前で小生がレニングラードでのオペラ取材の団体行動を抜け出してタクシーの運ちゃんに100ドル渡してエストニアの首都ターリンまで走ってもらったときはビートルズの影響を受けたエストニアの国民的歌手が活躍して独立の気運を盛りあげていたのですね。そのときはエストニアやラトヴィアに向かうソ連の100台以上の戦車の横を走ったのでしたがタクシーを止めてもらってカメラを向けると3台くらいの戦車が一斉に機関銃を向けてきたときは怖かったですね。思わずホールドアップしてタクシーに戻りました。小生が銃を向けられる経験をしたのはこの時と初めてニューヨークのJFK空港に着いたとき突然FBIを名乗る男3人に腕を捕まれて壁に両手を当てさせられて脇腹にピストルを突きつけられたときの2度だけですけど銃は本当に怖いです。銃口を押し付けられた脇腹も痛かったです。このときは国際手配されていたボリビアの武装集団センデロ・ルミノソの首領に小生の顔と髭がそっくりだったのが原因でソノ後もハワイやグアムやシアトルへ仕事で行ったときにも別室で取り調べを受けました。その国際手配の男(大学教授)が逮捕されたときは自分とあまりにそっくりな顔と髭に改めて驚きましたね。今では懐かしい想い出です。
6月20日(火)
『帝国と宗教』オモシロイ。帝国で富が蓄積されて豊かになると社会が堕落するので禁欲が求められてローマ帝国ではキリスト教が国教になり生き延びたのですね。モンゴル帝国はそーゆー国教を得ることができなかったので白蓮教の起こした紅巾の乱によって短命で滅んだのですね。ナルホド。現代中国の高考(カオガオ)は隋の時代に生まれて1300年以上続いた科挙制度の伝統を引き継いだようなモノで合格率3千倍で誰でも受験できた科挙制度では馬鹿息子が政治家の後を継ぐことなど不可能なんですね。これも日本沈没の一因?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。多くの紫陽花の花が切り取られている。萎れかかった紫陽花はそうすることによって翌年も鮮やかな花を咲かせるらしい。何やら可哀想な気もするが…紫陽花はどう思っているのだろう?最近NHKスペシャルで見た『超進化論』によると植物はイロイロ情報を伝え合ってるらしいですからね。来年こそ綺麗な花を…という時間感覚が植物にあるとすれば凄いけど…ワン。終日デスクワークは北國新聞の連載コラムを書く。アンパイア(判定者)とレフェリー(仲裁者)の違いについて。英語では他にジャッジという言い方がありますね。最後の審判はThe Judge なんですね。話がヤヤコシなるからアンパイアはジャッジしてレフェリーは仲裁を求められたらジャッジするということで良いわけですね。もちろんジャッジを求めるのはアスリートなわけですね。自分で求めるのだから従わなければならない。スポーツのジャッジはソコまでで十分で「審判は神聖」なんて言い方はオカシイのですね。ふうう。晩飯はサッカー日本代表vsペルーの試合を見ながら。日本のサッカー選手は上手くなりましたねえ。日本のサッカーは強くなりましたねえ。韓国に1-0で勝ったチームに4-1の勝利か…没落する日本のなかで大谷の活躍の要因と共にきちんと考えたいですね。
Blu-ray |
|
『ザ・ファーム法律事務所』 アメリカの正義をハリウッドが料理した娯楽映画。ジーン・ハックマンが出ているだけで救われます
|
6月21日(水)
『帝国と宗教』読み続ける。世界史を改めて勉強。イスラム教のシーア派(党派)とスンニ派(慣習)の区別がやっと腑に落ちた。やっぱりペルシア人とアラブ人は決定的に異質なんですね。ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。テーマはサッカーの話。日本代表のペルー戦。強かったですねえ。アメリカ大陸は北がベースボールで南がフットボール(サッカー)。なんで?という答えは拙著『スポーツとは何か』(講談社現代新書)に出ています。ヒントを少し書いておくと南米は豊かで北米は貧しかったから。それ以上の解説は拙著をお読みください(。。)またはRKBのHPから録音再生をお聞き下さい。ワン。黒兵衛と散歩のあとイロイロ仕事をしていたらUCカードのPR誌『てんとう虫7+8月号』が届く。特集は「なでしこルネサンス」。女子サッカーの特集。来月20日から女子サッカーW杯が開幕ですからね。以前オプエドに出てもらったライターの実川元子さんが「サッカーとジェンダー」という文章を書き明後日のオプエドに出演してもらう大住良之さんが「世界の女子サッカー」「花咲け!なでしこたち」というレポートを執筆。『てんとう虫』はいつも面白い記事満載ですね。大住さんは今日の東京新聞の連載「サッカーの話をしよう」にも興味深い「用具係」の話題を書かれていた。サッカーの話題の奥行きの深さに較べて野球は個人の成績とチームの勝敗だけ?というのも寂しいですね。明後日の『オプエド』は小林信也さんと大住良之さんを交えて『なぜ日本のサッカーは野球よりも「上」になったのか?』というテーマで話し合いましょう!晩飯の前後を挟んで久し振りに映画シドニー・ポラック監督トム・クルーズ主演『ザ・ファーム弁護士事務所』を見る。まぁハリウッド的社会派サスペンス・ドラマで疲れた頭を空っぽにするには良かったですね。最後まで見続けたのはジーン・ハックマンの演技を見ることができたからですね。
6月22日(木)
島田裕巳『帝国と宗教』(講談社現代新書)読了。少々総花的で纏まりに欠けるかとも思ったけどこのテーマなら仕方ないですね。アメリカのキリスト教に山ほど分派のある理由(移民の母国が違うから)やプーチンがビザンツ帝国皇帝の末裔を自認してることなど興味深い指摘が山ほどありました。宗教不在の中華帝国は習近平が消えるとどうなるのかな?中国共産党(毛沢東主義)に宗教的パワーは引き継げるのか?しかし宗教は残っても「帝国」は全て消える運命にあることがわかりました。続けて同じ現代新書の小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』読み始める。前作『生物はなぜ死ぬのか』(それは進化するためなのだ!)に続いて面白そうだけどウチの黒兵衛も12歳。ヒトでなくても十分老い始めてるけど…ヒトと生活すると老いるのかな?ピピンコロリとはいかなくなるのかな?読みましょう。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。紫陽花が終わると次は何が咲くのかな?曼珠沙華?女郎花?都はるみさんの歌にありましたね。『千年の古都』だったかな?ワン。終日デスクワークは連合通信の連載コラムを書いたり校正をしたり…1日にコラムを2本書けなくなったのは歳のせいかな。晩飯はNHKの古いドキュメンタリーの再放送録画『城/ノイシュヴァンシュタイン城』を見ながら。ルートヴィヒは自殺じゃなかったのかも…というのは信じられないけど有り余る財産を城とワーグナーにつぎ込んだ王様が戦争をしなかったというのは凄いですね。プーチンの自宅(城)は何年かあとに観光地になるのかな?どんな音楽が似合うのかな?ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』の「ボリスの死」だったりして(笑)。知ってますか?原作はプーシキン。最後に「俺はツァーリ(皇帝)だ!」と叫んで倒れます。周囲の側近たちの陰謀で…。
6月23日(金)
小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』読み始める。mRNA→RNA→リボゾーム→DNAと進む過程をヤキソバ→あんかけヤキソバ→堅ヤキソバにたとえる表現は何もソコまでサービスする必要はないと思いながら読んだが「進化」=「変化と選択」で「生は偶然」「死は必然」で「死ぬことが進化の原動力」だと納得。声明ってオモシロイですね。サアこれから人間がピンピンコロリとは死ねずにヨボヨボダラリと死ぬほかない「必然」の話。オモシロイ本に出逢うと死ぬこともエンターテインメントとして楽しめる…とは言いすぎかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。オマエはヒトではないからピンピンコロリと逝けるのかな?ワン?終日『ニューズ・オプエド』の準備。今日のゲストはサッカー・ジャーナリストの大住良之さんとスポーツライターの小林信也さん。大住さんは今朝の東京新聞にも先日の日本代表vsペルーの試合評を書かれていた。そうか。日本のボール支配率は40%で10本のシュートで4得点。効率的な得点獲得とは言えるが次の9月のドイツ戦ではW杯のように20〜30%だった支配率をもっと伸ばさないといけない。さらにあらゆる国との試合でのボール支配率を伸ばさないとW杯ベスト8にはなれないという話。さらに来月から始まる女子サッカーW杯の話や日本のサッカーの組織が野球の組織よりも完全に「上」になったことについて様々な話で盛りあがる。日本の野球界は大谷・吉田がメジャーで活躍しプロ野球の観客がピークを迎えている「今」が頂点でソレが終わるとアトは坂道を下る以外にないのでしょうかねえ…というような危機感を甲子園大会の主催社(朝日・毎日)やプロ野球の「盟主」と言われたりもするメディア(読売)は抱いているのでしょうかねえ?子供たちの野球人口はドンドン減り続けて「草野球人口」はほとんどゼロということを知らないのかな?サッカーは日本社会の「公共の財産」だけど野球は「新聞社の私有物」のままでは…日本野球の未来は…。今日の『オプエド』はそんな話になってしまいました。番組のアト『チコちゃん』と酒と晩飯で『なぜヒトだけが老いるのか』を持ってベッドへ。観光用の深海艇は爆発したらしいけどその残骸もデブリと言うのですね。debrisというのは特に原発用語じゃないと知りました。
6月24日(土)
『なぜヒトだけが老いるのか』読み続ける。平均寿命がだいたい50歳程度のチンパンジーやゴリラとゲノム配列が95%以上同じであるヒトも普通に生きていたら心臓の細胞の心拍数の限界がおおよそどんな生物も20億回なので平均寿命は55歳程度だそうです。癌になる(DNAに変異が生じる)のも55歳くらいからだそうで80歳を超える日本人の寿命は普通より30年程度長く生きているらしい。《日本人の平均寿命は最近100年間で毎年0.3歳ずつ延びており大正時代に比べてほぼ2倍になった》らしい。さぁ残された人生どーする日本人?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと終日庭仕事。こーゆー老後は悪くないけど何処か心が落ち着かないのはワーカホリックという現代病に罹患しているせいか?午後から沖縄慰霊の日特集で沖縄のテレビ・メディアのドキュメンタリーを2本続けて見る。非常に考えさせられました。予算が少なくて娯楽番組を創れなかった沖縄朝日放送が舗道テレビに特化して基地問題を専門に取りあげたのは見事でしたね。現在の「本土」のテレビが予算不足から報道番組を増やしてソレを芸能化している現状をどー考えれば良いのか…メディアの大問題ですね。戦前から戦中にかけてNHKパラオ放送局の局長からNHK沖縄放送局の局長に移動して米軍の猛烈な攻撃を受けて捕虜になった人物が戦中に大日本帝国軍の言いなりに放送を続けていた自分を「大馬鹿者」と書いた日記にも様々なことを考えさせられました。今のメディアを動かしている人たちは「誰の命令」で「誰のために」動いているのかを考えてるのかな?庭仕事を復活した後シャワーを浴びてTBS『報道特集』を見る。カネミ油にPCBが混入した被害者2世に対して日本政府は冷たいですね。日本の政府は今も「御上意識」が抜けないのかカネミだけでなく難民やLGBTQなどあらゆる問題で「被害者を救おう」とするより「使うカネを少なく」と思ってるようですね。ロシアでワグネルが反政府反プーチン側に回った?ワグネル(ワーグナー)が革命運動に参加するのはソノ人物の名前から当然ですよね。晩飯後久し振りにオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』を見る。今クレムリンの周辺では同様の「皇帝(プーチン)追い落としの動き」が出ているのかな?ボリショイ劇場では「ボリス」の上演は禁止かな?ロシアの歴史は全てそんな内紛(革命/クーデタ)で動いてますからね。
6月25日(日)
『なぜヒトだけが老いるのか』楽しく読み続ける。ヒトゲノムの遺伝子情報でGはCとしか結合しないのを《巨人-広島》《ガンバ-セレッソ》と憶えましょうという記述には笑ってしまったけど日本の「少子化」や「未婚率の増加」それに「定年制」という「昭和の遺物」に対する鋭い批判や「おばあちゃんとおじいちゃん」の「重要な役割」などはベッドのなかで眠気を忘れて読み込んでしまった。詳しい感想は明日読み切った後に書きますが日本で少子化対策に携わってるヒトには(もちろん馬鹿息子の親父にも)是非読んでほしい一冊ですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあとは今日も庭仕事。デスクワークよりも体には良いようですね。太陽ギラギラの昼日中は肉体労働は休んで野球見物。広島球場も横浜球場も超満員で大盛況。試合内容もオモシロイですね。『なぜヒトだけが老いるのか』のなかで社会的存在である人間は若いときの《挑戦的・競争的》なライフスタイルが年齢と共に《共存的・協調的》な生き方に変わりさらに老いて後には《公共的・奉仕的》な行動に変わると書かれていた。確かに。小生がスポーツ・ライター講座を始めたときも「なぜスポーツライターという職業を目指すのか?」との問いに対して「スポーツという公共の文化財を日本のマスメディアや企業の支配から解放するため」と答えていた。チョット格好良すぎると思いながらも本心でスポーツライターは「世のためヒトのため」に働く職業で読売が巨人を手放し朝日や毎日が高校野球や社会人野球を手放し五輪などのイベントも電通の支配から離れる方向に進むために仕事をすべしと講義した。せっかく面白い野球(スポーツ)も公共事業と呼べないために鼓笛援助(税金の援助)も受けられないのですよね。ヤンキー・スタジアムは建設費の半額がNY市と州の税金で建てられたのに…。日本のメディアで働いている人のうち何%がスポーツは「公共の文化(企業の私物ではない)」と理解しているのか…?夕方からまた庭仕事の後シャワー浴びてサッポロ・クラシックもキリン一番搾りも美味い!ロシアによくある裏切り劇のワグネルのニューズのあと『ダーウィンが来た!』でニホンザルの叡智を学び日曜美術館でマチスの素晴らしさを味わう。そして沖縄戦の悲劇…。イロイロですね。
6月26日(月)
小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)読了。第6章まで凄く面白く意義深く読み進みましたが最終の第7章で『?』が付いてしまいました。ヘミングウェイの『老人の海』を最高傑作とするのに異論はない。人の幸福な老後の余生を語る場面で人生とは「美しく虚しいもの」だという小説を紹介するのも良いだろう。小生が『老人と海』という小説の本質を理解できるようになったのは還暦が近くなってからのことで今でも世界最高の大傑作小説だと確信し日本経済新聞の連載にも書きNHKの読書番組でも話し『今こそ「スポーツとはないか?」を考えてみよう!』にも再録し『スポーツゴジラ47号(20年6月)』にもスタージェス監督の映画と共に解説して何人かの読者から『老人と海』の小説の意味がやっとわかったという感想ももらった。しかしその人物が自殺したことをどう捉えるか?強いライオンの夢を見て理想のピンピンコロリが散弾銃自殺ではないはずですよね。ヒトの老いについて書かれた本で手塚治虫の『火の鳥』の世界観のような《宇宙と一体化》するような《利他的》な悟りの果てが「自殺」ではタマリマセン。『なぜヒトだけが老いるのか』を小生は大推薦しますがWithout Chapter7 です。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと読書の口直し(といって良いのかな?)に筑摩書房のPR誌『ちくま7月号』を読む。蓮實重彦の連載『些事にこだわりNo.14 重要なのは「マイナ保険証一本化」への賛否などではなく「マイナ」という醜悪な語彙を口にせずにおくことだ』には読んでその通りだと笑い転げてしまった。病院で「あなたのマイナンバー」と言われるのを英語で書くとYour My Numberとなり My My Numberと答えることになる。両親や子供たちのマイナンバーカードはTheir My Number Cards でこれは京都弁で犬の種類を喋るギャグの「あの犬チャウチュチャウ?いいやチャウチャウチャウンチャウ?」に近い笑い話になってしまう。ハハハハハ…と笑って済ませられないのが「マイナカード」「マイナ保険証」「マイナ改正案」なんていう酷い言葉《雑駁な語彙》の怖いところだが最近大谷選手やメジャーのニュースでナ・リーグとかア・リーグと言ってる女子アナの言葉も気になりますね。ナショナル・リーグとアメリカン・リーグくらいキチンと言ってほしいですね。日本のセ・パ交流戦という言い方はあってもナ・ア・インターリーグなんて言い方は絶対にしませんよね。
6月27日(火)
斉藤美奈子『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』(講談社現代新書)読み始める。まだ序章だが早速《近代日本の青春小説はみんな同じ》と断定する著者の分類パターンがオモシロイ。《主人公は地方から上京してきた青年》で《都会的な女性に魅了され》《何もできずに結局ふられる》ハハハハハその通り!と笑うほかない。しかも《近代日本の恋愛小説もみんな同じ》で《黄金の物語パターン存在する》と断じる。《主人公には相思相愛の人がい》て《二人の仲は何らかの理由でこじれ》て《彼女は若くして死ぬ》これを著者は《死に急ぐ女たちの物語》と呼ぶ。ハハハハハその通りと笑っちゃいけないが近代日本の作家が男性でホモソーシャルな《男同士の強い結びつきの社会》で育った結果こーなってしまうんですね。今も日本の官僚・企業・議会(エリート受験校も?)などはホモソーシャルな《ボーイズクラブ》ですからね。男女平等が世界の100位以下というのも宜(むべ)なるかなですね。さあ漱石《三四郎》を読みませうと何故か文語表現になります。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。空梅雨なのかな。ワン。今週の金曜のオプエドはゲストに春日良一さんを呼んでパリ五輪の汚職捜査を語ってもらい甲子園などビッグスポーツイベントとの「悪の共通点」について探ってみようと思っていたら春日さんがテレ朝のお昼のワイドショウに出ていた。テーマはもちろんパリ五輪の汚職捜査。フランス検察が捜査したスポーツ代理店が最初は電通の100%出資だったという話は出てこなかったですね。夕方春日さんから電話。金曜は先約があるがテレビで喋れなかったことも喋りたいので…ということでオプエドへの15分遅れの出演が決定。乞う御期待。プリゴジンとワグネル(ワーグナー)がどうなろうとワーグナーの音楽と全体主義・専制主義・独裁主義の政治や戦争とはまったく無関係でワーグナーは革命派の一員だったし彼の大傑作『ニーベルンクの指環』『パルジファル』は色即是空空即是色の仏教思想に近いものだということをプーチンもプリゴジンも知らないのでしょうね。ゲルギエフは知ってるはずですよね。サンクト・ペテルブルクのマリンスキイ劇場で見た『ワルキューレ』は素晴らしい演奏でしたから…。
6月28日(水)
斉藤美奈子『出世と恋愛』読み進む。『三四郎』で運動会の描写が紹介されてなかったのは少々残念だったが鴎外の『青年』で「青年」という言葉が自由民権運動のあとに生まれた「壮士」よりも軟弱な若者男性を表す新語だったと知って面白かった。「壮士」は暴力的なマッチョ系なら青年は草食系かな。《全共闘世代(団塊世代)のあとに無気力・無関心・無責任の「三無世代」が出てきたのと同じ》なんですね。壮士たちの運動会(壮士運動会)が《デモとスポーツ競技会と仮装と酒宴などを組み合わせたイベント》と紹介されていたのは嬉しかったですね。政治的集会を弾圧された自由民権の壮士たちは運動会を政治利用したのですよね。しかし明治のホモソーシャルな世界に育った青年は恋愛が下手でしたね。いや。今も同じか。そして少子化…ワン。黒兵の散歩は後回しでRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。テーマは7月14日に福岡で世界水泳を取りあげて何故日本のスポーツ界は戦前から「水泳ニッポン」と呼ばれるほど水泳を得意としたか?という話。答えは猛練習。水中は重力の影響を受けずに身体を痛めにくいことと長い間水に浸かって水中でも陸上と同じ(あるいはそれ以上の)思考ができるようになったこと。日本の水泳は欧米式合理的練習を取り入れて実力を落としアメリカやオーストラリアは日本式猛練習を取り入れて水に浸かる時間を長くして(食事も水の中で摂ったりして)成績を伸ばしたのですよね。そして日本も長時間練習をさらに磨いて「水泳ニッポン」が復活したというわけですね。ワン。ラジオのあと黒兵衛と散歩。終日ホームページの原稿作成。これがケッコウ時間がかるのですよね。トホホ。晩飯は昼間NHK-BSが放送していた実話をベースにした映画『遠い空の彼方へ』を見ながら。貧しい炭鉱町の高校生たちがソ連の人工衛星スプートニクの空を横切る光りに刺激されて炭鉱で働く親の反対や様々な困難を乗り越えてロケット打ち上げに成功するという話し。青春ビルドゥングスロマンでかつての文部省推薦的真面目映画ですが良かったです。昨日は『メジャーリーグ2』をやっていたのでチョイと見直して昔何度も見た映画を思い出しましたが大谷が活躍する今となってはこーゆースポーツ喜劇ドラマは馬鹿馬鹿しくて見ていられなくなりましたね。ベースボールがドラマから完全にスポーツへと進化した結果でしょうね。
6月29日(木)
『出世と恋愛』読み進む。徳冨蘆花『不如帰』の解説が面白かった。というのは我が母親が大好きな一作だったからかもしれない。といっても彼女が小説を読んでいたかどうかはわからない。彼女の若い頃徳島県の剣山の中腹にある村にも祭りとなると縁日に「覗きカラクリ」がやってきて?浪子は〜白いハンケチを〜……という解説の歌声を聴きながら覗き穴から覗いて大きな紙芝居のような板に描かれた物語を知ったようだ。?武男は〜それを受け取って〜振り振り振り回し〜……という歌を小学低学年だった頃に小生が聴かされたのを憶えている。その後小生が『不如帰』を読むこともなければ家の近所の京都南座に来た水谷八重子の新派の舞台も見ることもなく(母親は見に行ったようだ)今日に至ったが斉藤美奈子さんの解説を読んでこれは是非とも原作を読まねばと思った。『不如帰』はフランス式の個人主義の民法成立を主張する側と「民法出でて忠孝滅ぶ」と主張した「家中心」の守旧派との国家的大論争(民法典大論争)を代弁するモノでもあったのですね。結局守旧派が勝利したのは今日のLGBTQ法案と同じで日本社会の「古さ」を示すかもしれないが「浪子」に思いを寄せていた母親の?浪子は〜白いハンケチを〜……という歌声が思い出されます。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。関東南部へはまだゲリラ豪雨は押し寄せてきませんが蒸し暑いですなぁ。ワン。終日HPの更新原稿を書いて送ったりパリ五輪汚職に関する情報集め。大会開催前にフランス生まれの人気ビッグイベントでも捜査を行うフランス検察当局はナカナカのものですね。しかしコレにも電通が噛んでいたようで巨大化しすぎたIOCとともにウンザリしますね。晩飯はNHKの抜群にオモシロイ月イチ番組『魔改造の夜』を見ながら。今日の「魔改造」はトースターで焼けたパンをどれだけ高く飛ばせるかを競うもの。3組の工学系集団が参加して様々なマシンやセンサーやパソコンでトースターを「魔改造」。記録は9メートル超えで大興奮。NHKの「娯楽番組」ではこの『魔改造の夜』と『解体キングダム』と『探検ファクトリー』が最高ですね\(^o^)/その次に『ブラタモリ』と『チコちゃん』かな。
6月30日(金)
『出世と恋愛』での斎藤美奈子さんの『金色夜叉』の解説もオモシロかった。《明治20年代は金融資本主義の勃興期(略)大半の近代小説が経済を無視するなか『金色夜叉』はほとんど唯一資本主義の荒波に翻弄される男女を描いた小説といってもいいだろう》なるほど。小生のオペラ学習の師匠と言える永竹由幸氏は『金色夜叉』の貫一がお宮に向かって下駄で蹴飛ばす前に言う《名台詞》「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる…」を日本のオペラにできなかったのが「日本のオペラ界の決定的な限界」とおっしゃっていた。もっとも彼は歌舞伎や新派があるから「日本のオペラなどなくても良いのですけどね(笑)」とも言っていた。ただ原作を読んでいない小生は貫一がお宮に向かって《名台詞》と同時にくどくどとこれほど大量に言葉を発してお宮を詰っているとは知らなかった。そして他の男に走ったお宮を相手に《ついに彼はぶち切れ(略)蹴り倒す》《今日的に言えば完全なDV(ドメスティックバイオレンス)である。その像が(熱海で)観光名所になるって何なのよ》と書く斎藤さんの意見は正しいですね。お宮の気持ちを《ダイヤモンドに目がくらんだ》としか思えず「近代女性」を理解できない「前近代人」の貫一は高利貸し(悪徳金融業者)に走るのだが橋本治が『金色夜叉』の現代版『黄金夜界』なる作品を遺作として残しているとは知らなんだ。間貫一は22歳の東大経済学部4年生。お宮は美也20歳でMIYAの名前でモデルもしている女子大生。彼女が38歳のIT企業の社長に走った理由を口にする台詞「大人になりたかったの」も見事だがソレに対して貫一がお宮を蹴飛ばす熱海の海岸の「名場面」で橋本治は「現代版貫一」に素晴らしい台詞を吐かせている。「怒って済むなら簡単だよな」。コレは読まねば!『金色夜叉』のあとに漱石の『三四郎』や鴎外の『青年』が発表されるのですね。斎藤美奈子さんが《お宮に代わって叫びたい。このウスラトンカチが!》と書く「前近代的暴力的直情的マッチョ的ウザい男」の貫一の『金色夜叉』の数年後に発表されたのが漱石の『三四郎』であり鴎外の『青年』でそれらの主人公の《三四郎や純一が貫一のアンチテーゼに思えてくる》という斎藤美奈子さんの解説は見事ですね。
6月30日(金)つづき
ゲストにスポーツライターの小林信也氏と五輪アナリストの春日良一さんを迎えた『ニューズ・オプエド』でパリ五輪の汚職捜査を取りあげイロイロ素晴らしい意見を戦わせたなかで春日さんが見事な一言!2030年の冬季五輪はウクライナで開催すべし!ロシアもベラルーシも招いて行うべし!それが平和運動を展開するオリンピックの本質だ!もちろん小林氏も小生も大賛成!2030年冬季五輪を招致したい札幌と日本のスポーツ界はソレを取りやめてウクライナ冬季五輪開催に協力支援するべきですね。平和を希求するオリンピック精神を取り戻すために!春日氏はユーチューバーとなって『哲学するスポーツ』というHPとともにこの運動を展開するそうです。https://note.com/olympism/n/n6c1d4d7bbe71
|