ナンヤラカンヤラ
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タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2024年11月
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11月1日(金)
ベッドで読む本が途切れたら漱石『草枕』。パラリと開いたところを読む。《第三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も読んで面白い。芝居を観て面白い人も小説を読んで面白い人も自己の利害は棚へ上げている。観たり読んだりする間だけは詩人である》なるほど。スポーツを見て贔屓チームの勝敗に興奮する人は詩人になれない人かもしれない。ジョイス・キャロル・オーツの『オン・ボクシング』(中央公論社)の一節を思い出す。《「どうしてボクサーなんですか?」彼は答えた。「詩人にはなれない。物語を語るやり方を知らないんだ》この答えを返したボクサーは多分不幸な存在だったに違いない。芝居を観たり本を読んだりすれば詩人になれるのだから。しかし彼はリングのなかで詩人になることが出来たに違いない。それに較べればスポーツの勝敗にだけ異常に興奮する人はさらに不幸な存在かもしれない。詩人になる方法が見つからないのだから。そんな不幸な存在が賭博に走るのかな?賭けるときは詩人になれるのかな?そんな考えをめぐらせていると眠れなくなった。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。賭博に走って借金で失敗した音楽家を知っている。彼にとっての音楽は賭博が必要な程度に詩的要素が低かったのかな?ワン。終日デスクワーク。新しい書き下ろしをコツコツ。夕方から『ニューズ・オプエド』。今日のゲストは小林信也さん。彼と二人で日本の「野球文化の貧困さ」を徹底的に話し合う。タイトルは「ワールドシリーズに負ける日本シリーズ〜プロ野球の未来はどうなる?」小林さんも米メジャーの二軍に成り下がった日本球界を嘆く。その要因はメディアにあると強く長く主張し続けてきた小生の意見に加えて彼は高校大学の野球の教育的独占を批判。プロも含めて野球からもっと多額の資金を集めることが出来るはず。それをスポーツ界に還元すれば日本のスポーツ環境(野球文化)はもっと良くなるはず…と。その通りですね。半藤一利・保坂正康の両氏が『そしてメディアは日本を戦争に導いた』という本を上梓されているが小林さんと一緒に『そしてメディアは日本のスポーツを潰した』とでも題した本を創ろうかな。いや『そしてメディアは日本の野球文化をアメリカに売り渡した』のほうがイイかな?小林さんとの会話は今も聞くことができます。https://op-ed.jp/

11月1日(金)つづき
『オプエド』の後テレビを見ながら晩メシを食ってるとNHK-BSが『NHK秘蔵映像で贈るちあきなおみ55周年』という番組をやっていた。彼女は友川かずきの歌なんかもうたっていたのですね。それでかな。小生が吉祥寺に住んでいた頃に突然ちあきなおみが曼荼羅に現れて『喝采』を歌ったのはそーゆー縁があったのですね。この番組を録画しなかったのは痛恨の極みですね。

TV
『韓流スター チャン・ドンゴンと行く世界“夢の本屋”紀行』
『韓流スター チャン・ドンゴンと行く世界“夢の本屋”紀行』
コレは愉しいドキュメンタリーです。やはり街に本屋は絶対に必要ですね

11月2日(土)
ベッドで『草枕』をぱらりと開いて《蜀犬日に吠え呉牛月に喘ぐ》といった言葉に再会するのも悪くないが新しい本を手にできないのも嘆かわしい。amazonで買えば良いのだが手続きがイロイロ邪魔臭い。最近行きつけの本屋が店仕舞いしてぶらりと本を手入れることが出来なくなった。大船駅周辺で小生の通った本屋の店仕舞いは古書店も含めてこれで4店目。文化の衰退も甚だしいですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と雨のなか散歩。今日から世の中は三連休。まぁ世の中の暦とシンクロしていない我が家には無縁かな。黒兵衛も雲古をするとさっさとUターンして帰宅。ワン。午前中に連合通信の原稿を仕上げて午後からサッカー観戦。名古屋vs新潟ルヴァンカップ決勝を観る。初タイトルを狙う新潟を応援していたが前半で2-0とリードされたのでハーフタイムにチャンネルを回すとNHK-BSで『韓流スターのチャン・ドンゴンと行く世界“夢の本屋”紀行』という番組をやっていたので思わず見てしまう。パリ・ロンドン郊外・アムステルダム・ウィーンなどの素晴らしい書店や古書店が紹介されたあと韓国や中国の素晴らしい書店の紹介も。メッチャ面白かった。もちろん日本の代官山のコンセプチュアルな新しい書店も紹介されたが少々気取りすぎかな?しかし実に面白い番組で本屋さんの大切さ素晴らしさが良く理解でいました。久々に神田の古本屋街に行きたくなったなあ…と思いながらサッカーのルヴァンカップにチャンネルを戻すとナント延長で3-2と名古屋がリード!!ということは後半に新潟が2点のビハインドを追いついて延長に!しかも延長前半でリードされた新潟が延長後半に見事な同点ゴール!試合はPK戦となったが僅差で新潟は残念ながら負けてしまいました。全部をキチンと見ることができなくてごめんなさいとテレビに向かって謝って晩メシは日本シリーズが雨で順延となったのでどーしょーか…と思っていたら長女が来宅。ワイワイガヤガヤのうちに酒も進んで翌朝が忙しいのでベッドへ。

WEB
『CORPS EXTREMES-身体の極限で-ラシッド・ウランダン/シャイヨー国立舞踊劇場カンパニー』
『CORPS EXTREMES-身体の極限で-ラシッド・ウランダン/シャイヨー国立舞踊劇場カンパニー』
このダンス公演の最中は、未来のダンスについて考え続けさせられました。そういう経験も貴重ですけどね
BOOK
H.G.ウェルズ『タイムマシン』岩波少年文庫
H.G.ウェルズ『タイムマシン』岩波少年文庫
H.G.ウェルズの名作…と言われてますが面白いところも多々ありますけど少々退屈かな

11月3日(日)
昔は明治節と言った明治天皇誕生日。今は文化の日。ベッドでの読書はやめて早くベッドを出て朝食のあと長女やヨメハンと一緒に黒兵衛と散歩。ワン。3〜4日前までは熱帯性低気圧で雨との天気予報だったのが雲一つない真っ青な天高く馬肥ゆる秋晴れ。小生の晴れ男の異名はまだ健在です。ワン。イロイロ準備したあと大船駅へ。品川経由新幹線に乗り換えて京都へ。ロームシアター京都の招待で『ラシッド・ウランダンCorps extremes−身体の極限で』を見に行く。オーヴァー・ツーリズムの京都の人混みは覚悟していたけど昨日の豪雨の影響か午後イチ到着の真昼という時間帯のせいかタクシー乗り場は意外と空いていて開演1時間半前にロームシアター京都にタクシーで到着。懐かしいなぁ。昔京都会館と呼ばれていた頃は小学高学年の頃から高校3年まで大ホールでの京都市交響楽団のコンサートや小ホールでの俳優座・文学座・劇団民芸…などの演劇公演に毎月のように通っていました。通った回数は南座よりはるかにおおいですね。京響の指揮者は森忠さんや外山雄三さん若杉弘さん。二期会のオペラ・モーツァルトの『魔笛』もココで観ました。演劇では杉村春子さん市原悦子さん太地喜和子さん滝沢修さん宇野重吉さん加藤剛さん北村和夫さん田中邦衛さん原田芳雄さん…などが活躍していましたね。懐かしいなぁと外観の雰囲気を昔の京都会館の姿に残すホールを横目に明るく青い秋空の下でテントがいっぱい出ていたので見物。何やら学生たちが色々な展示物を披露したり歌をうたったりダブルダッチという縄跳びに興じていたり…。テントの一つに立命館大の学生がいたので少し話して無料配布していた『FSTNER』というフリーマガジンを何冊かいただく。副題に「Culture for Students in Kyoto」とあった。ちょっと隣のテントでは同志社女子だという女子大生と少し話して「ぐんとあがる瞬間をあなたに」という副題の『moco』というフリーマガジンを何冊かいただく。モダンバレエ(?)の見物に来てりっちゃんやドージョの学生と話するとは思わなかった(笑)。小生も短い学生時代には『駒場実験演劇』という冊子を5号ほど出した。ガリ版印刷手刷りの藁半紙ホッチキス止めだった。今の学生の創る冊子は同じ30頁程度でもカラー・オフセット印刷広告入りか…と感慨に耽ってロームシアターへ。今の学生はガリ版印刷なんて知らないだろうな。

11月3日(日)つづき
ロームシアター京都へ入るとスタッフのTさんが小生を見つけて話しかけて下さる。『ラシッド・ウランダンCorps extremes−身体の極限で』の公演にはまだ時間があったのでシアター内3階で行われていた『オペラの扉2024コミカルオペラ展』を見学。小さなスペースにオペラの舞台の模型が並べられ大きなスクリーンでは新国立歌劇場公演の『セヴィリャの理髪師』や『コジ・ファン・トゥッテ』のダイジェスト映像が流されていた。オペラ関係の本も紹介されていたが小生の本も並べてよと思わず呟く(笑)。開演時間が近づいたのでロームシアター・サウスホール(昔の京都会館小ホールの進化形か?)に入ってスポーツ+ダンスとも言われるフランスから来日した10人のパフォーマンス集団の演技を拝見。アルプスの高高度の山を繋いだ綱を渡るハイライナー(超高高度での綱渡り)や高山の岸壁登りを模したボルダリングなど…と同時に若者たちがジャンプしたり回転したり肩に乗せて3層に積み上げたり…アクロバティックな飛翔も軽々と音も出さずにやってのける…音楽はピンクフロイドのプグレッシヴか?シュトックハウゼンの電子音楽か?それらが静謐とも言える超静かな超アクロバティックなBGMでは極めて古臭く(人間的に)感じられる。日本語のナレーション(パフォーマンスの体験談)が時々入ったがソレも古臭く(極めて人間的に)響いた。ダンス・パフォーマンスの究極の進化形はこうなるのかなあ…と楽しみながら小生はH.G.ウェルズの『タイムマシン』に描かれた80万年後のデストピアのような世界を頭に浮かべていた。超人たちの超身体による超進化形のダンス・パフォーマンスは超見事でしたが超考えさせられました。それがラシッド・ウランダンの狙いなのかな?1時間の公演を観て満腹状態で帰りは地下鉄で京都駅へ。行きのタクシーの運転手が夕方は自動車が混んで動きまへんでと言ったので従ったが地下鉄は超満員。動くだけマシですね。京都駅から新幹線で品川経由帰宅。メッチャ豊かな過去に経験のない京都小旅行でした。ウランダンの公演は埼玉でも近々あるそうですから超思考好きの人には超マジで超オススメですよ。

11月3日(日)つづきのつづき
帰宅するとヨメハンに長女と孫の3人が晩飯を食べずに待っていてくれたので早速日本シリーズを見ながら晩メシ。うわっ。横浜のボロ勝ちですやんか!チョイと福岡が可哀想。しかし横浜の頑張り下克上は素晴らしかったですね。ラシッド・ウランダンの『Corps extremes−身体の極限で』を見たあとでは2連敗のあと奇跡的に4連勝した横浜も負けてしまった福岡も極めて人間的に感じました。そして博多の明太子を食べたくなったけどウランダンの公演のあとにはオペラや歌舞伎を観たあとのように美酒美食が欲しいと全然思わなかったのは何故かな…?

CD
『桂枝雀 落語大全第十集』
『桂枝雀 落語大全第十集』
もちろん枝雀師匠の「地獄八景」も面白いし好きですけど米朝師匠との主部は避けましたね

11月4日(月)
文化の日の代休。ハッピーマンデーという言葉も死語になった感がありますね。別にハッピーでもないからかな?ベッドのなかの読書は井沢元彦+千葉きよかず『コミック版逆説の日本史 幕末維新編』(小学館)。これも孫に読ませるか否かのチェックで再読を始めたが自分が楽しんで読んでしまう。ということは孫にもOKということですね。幕末から明治にかけては今日の「維新」のように国会銀になることを就職と捉えていたような不埒な人物はいなかったですね。ワン。ベッドから出て昨晩我が家に泊まった長女と孫とヨメハンと一緒に爽やかな秋空の下黒兵衛と散歩。昨日京都の人混みのなかを歩き回ったのとは対照的な長閑さですね。明治時代に芥川龍之介が京都が古都京都の長閑さを残しているのは下鴨以北と確か書いていたように記憶しているけど今では大原あたりまで行かないとダメになったかも。ワン。散歩のあと家族で庭木の剪定。若い連中が伸びすぎた木の枝を片っ端から切り落としてくれるのを小生は細かくして袋詰め。休日とはこーゆーことをする日なんですよね…と思うのは歳を取った証拠でしょうね。昨日の京都の喧噪と京の庭仕事でたっぷり疲れて昼寝は爆睡。そのうちに長女と孫は帰っていった。長女と来週来週京都と亀岡へ二条城見物と川崎フロンターレの応援に行くらしい。まぁ若いときは色んなところへ足を運んだほうがイイですね。小生は行きたいとこは行てしもた。食いたいもんは食てしもた。ほな地獄へでも行くほかない…というのは落語『地獄八景亡者之戯』の出だしですね。小生がそんなお大尽になれるわけもなく今夜の晩メシは吉本新喜劇を見ながら。土曜日の昼にNHKの『探検ファクトリー』で見た面白いシンバル作りのレポートをしていたすち子さんが大活躍。マァマァ満足してベッドへ。

BOOK
原信田実『謎解き江戸百』ヴィジュアル版集英社新書
原信田実『謎解き江戸百』ヴィジュアル版集英社新書
広重の力量に完全に圧倒されました。江戸の浮世絵師たちはハイレベル・ハイブラウですね

11月5日(火)
ベッドでの読書は原信田実『謎解き広重「江戸百」』(集英社新書ヴィジュアル版)。何週間だか何ヶ月か前に我が家の画集には北斎・豊国・歌麿…は沢山あるのに歌川広重がないと嘆いたことがあったけどコレがあったのを忘れていた。しかも数ヶ月前に買って読んだもの。しかも読み出してすぐに思い出したが安政の大地震がきっかけとなって広重が江戸の風景を絵がい始める記述がメッチャ面白いのを思い出した。《地震後にお救い米が配られて「貧家」が「潤沢」になっ》て《復興景気》が《ディザスター(災害)ユートピア》を生み出すんですよね。そして広重は震災を無視した想像力で江戸の風景『名所江戸百景(江戸百)』を描き始める。安政の大地震も東海→南海と現在盛んに危機が騒がれてるのと同じ揺れ方が続いたのですね。令和の御代も安政と同様「ディザスター・ユートピア」を生み出せるのかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。しかし江戸の人々はタフですね。いや関東大震災を生き抜いた人々も同じかな。令和の我々はどんな反応をするのかな?政治家や官僚たちは江戸幕府の幕閣たちより活躍してくれるのかな?ワン。終日デスクワークは新しい書き下ろしをコツコツと。アメリカ大統領選はどっちが勝つかとワールドシリーズのように語られるのですね。喜々として政局が語られるのは日本の総選挙も同じですね。政局は語られても政治は語られない。「政治ジャーナリスト」を名乗っている人達に日本はどんな税制どんな経済政策どんな外交をするべきなのか聞いてみたいですね。

11月6日(水)
ベッドで『謎解き広重「江戸百」』読み続ける。若いときは広重より北斎や国芳が好きだったが歳を取ると広重の静謐な深淵に魅了される。ダリやピカソが好きだったのがモネに移っていくようなものか。いや。若いときに広重の構図の大胆さやモネの厚みに気付かなかった小生が馬鹿なだけでしたね。ま。今でも北斎やピカソは好きですけどね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。若い頃は春が秋より圧倒的に好きだったのに歳を取ると秋が好きになるモノなのか?しかし桜と紅葉は較べようがないですね。ベートーヴェンとモーツァルトを較べるようなモノですから。ワン。終日デスクワークは書き下ろしをシコシコ。合間にH.G.ウェルズ『タイムマシン』を引っ張り出して80万年後の世界をチョイと読んでみる。日曜に見たラシッド・ウランダン『Corps extremes−身体の極限で』のパフォーマンスがダンスの進化と言えるのかどうか考えてみる。尤も最近は進化という言葉を進歩と同じように使うことが多いですね。しかも進歩は良いこととして19世紀的進歩発展論を抜けきっていない。寿司屋が全て回転寿司に変わり蕎麦屋が全てカップ麺に変わることは人間の文化の必然的進化なのでしょうが進歩とは言えないですよね。進化は退化も含むのですね。と言うことはウランダンはダンスの19世紀的進歩の姿でダンスの究極的進化の姿は山海塾かな?エントロピー増大の極限の姿…なんてワケのわからないことを考えてるとネットのニュースでアメリカ大統領選はトランプの圧勝とか。これはアメリカ社会の進化した姿かな?進化には退化もあり得るわけで…どう考えても民主主義の進歩した姿とは思えないですね。

DVD
『タイムマシン』
『タイムマシン』
小説より映画のほうが面白いですね

11月7日(木)
bitさんの協力で本HPが更新されましたが右側のナンデモカンデモ欄の1981年ワールシリーズのプログラムのアメリカンコミックをクリックすると1956年ヤンキースのドン・ラーセン投手がワールドシリーズで完全試合をしたときの漫画4ページを読むことができます。お楽しみ下さい。

11月7日(木)つづき
『謎解き広重「江戸百」』メッチャ面白い。いろんな江戸の名所が現在の寺社仏閣や橋や地名とつながっていることもわかる。それに構図の素晴らしさ。巨大な鯉幟・吊された鼈(すっぽん)・馬の尻のドアップ・爆撃機のように江戸を狙う鷲…全てが江戸の活力を示してますね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。江戸幕府の絵師や戯作者に対する弾圧は相当に厳しかったと思うが(井上ひさしさんの『手鎖心中』を読むだけでわかりますよね)それに負けない絵師や戯作者の気合いは見事ですね。それに較べて現代の日本のメディアは権力に対する忖度が過ぎますね。いや。権力の圧力とメディアの忖度に負けないジャーナリストが消えたのかな?ワン。終日シコシコとデスクワーク。トランプの大統領就任が民主主義の危機の直結しないように願いたいですね。民主主の基本は多数決と少数意見の尊重。この相反する二つの原理原則をどちらも成立させるのは徹底した討論ですね。消費税廃止や防衛費増額反対を唱えた少数派に対して消費税必要や防衛費増額を唱える多数派はソレが正しいと納得させるまで討論すべきなんですよね。「103万円の壁」も同様。多数派は少数派の意見を聞くこと&少数派と討論することこそ民主主義の要諦であり国会で少数派政党の質問(討論)時間を短くするのは民主主義に反する行為だと小生は考えますが如何?晩メシはトランプ大統領や国民民主党関連のニュースを見ながら。現状解説でなく日本はこーゆー方向に進むべきと話すジャーナリストはいないのかな?少々不満が募ったのでDVD映画に切り替え。H.G.ウェルズ原作ジョージ・パル監督の『タイムマシン』。1895年に書かれた80万年後のSF小説の1960年の映画化。だからウェルズの想像できなかった原水爆による地球文明の滅亡後の世界という新しい視点が入ってる。80万年後の世界はウェルズの考えに則ってデストピアになっている。半分まで観たところで諸用。続きは明日。

11月8日(金)
『謎解き広重「江戸百」』読み続ける。紐で吊されていたのはてっきり鼈だと思ったら亀でしたね。殺傷を嫌う放生会で川に放してやるため16文で買った亀。こんな風習があったのですね。その亀をアップに描く。《広重の絵の描き方は構成的である。絵を見た者が「見たままに描かれている」と実感ように工夫しているのである》凄いテクニックですね。幕府のお咎めを避けるため遊女を描かず猫にする。このテクニックも見る者の想像力を刺激しますね。ゴッホも刺激された『夕立』の絵は広重一人で生まれた傑作ではなく《絵師と彫師と摺師のコラボレーションの成果》なんですね。スゴイ!ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。寒い。来週は再び暑くなるらしいけど一気に冬模様。まぁ今後はこーゆー変化につき合わなければならなくなったようですね。アメリカ大統領もトランプですからね。ワン。終日デスクワーク。『ニューズ・オプエド』はゲストに相撲ジャーナリストの荒井太郎さんと十枝慶二さんを迎えて「九州場所は大の里時代の幕開けか?」を徹底的に楽しく話し合う。荒井さんによれば来年上半期に大の里の横綱昇進もある…とのこと。十枝さんも九州場所初日の大の里の対戦相手が平戸海で二日目が王鵬。この難敵2力士をあっさり倒せば一気に突っ走るかも…と。当面の注目ライバルは故障の治った霧島か…尊富士は10日目までを優勝争いする好成績を残せば大の里との対決も…と。他にスポーツ・ベッティングと大相撲の関係などイロイロ話しました。オプエドを終えて昨日見た映画『タイムマシン』の後半を見る。H.G.ウェルズの生きた19世紀末から映画の出来た1960年頃はまだまだ「未来」というモノが存在していたのですね。今は「未来」という認識がなくなり「現代(現在)の延長」という認識しかないですね。ユートピアの夢もデストピアの終末観もなくなりましたね。映画のあと中2の孫がやって来て一緒に食事。すると長女もやって来て明朝早く出発して一緒に京都へ行くらしい。京都サンガと川崎フロンターレの試合を亀岡に出来た新しいスタジアムで見て叔母の家に一泊。二条城を見物して帰るらしい。若い人達は「未来」のなくなった「現在」は「過去」の勉強をして「未来」を切り拓いて下さい。

11月9日(土)
ベッドの読書『謎解き広重「江戸百」』は読了寸前。私は一人の画家の絵画展が好きではない。というのは同じような画風の絵を何枚も見せられるとゲップを催すからだ。もうお腹一杯と感じて別の料理(絵)が食べたく(見たく)なる。過去に見た若冲展でもルオー展でもゴッホ展でもダリ展でも途中で抜け出したくなった。絵画展は色んな画家の絵が見られる常設展がイイですね。上野の西洋美術館でもNYのMoMAでも常設展がイイ。しかし広重の江戸は(東海道五十三次も)ゲップを催しませんね。描かれる場所が変わる連作だからかな?ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。首筋に寒さを感じる秋深し。ワン。近くの小学校の運動会。ヨメハンと一緒に見物に行く。リレーを見たり騎馬戦を見たり。楽しいけれど♪トリッチ・トラッチ・ポルカも♪道化師のギャロップも♪地獄のギャロップも流れずポップスばかりが流れるのはチョイと寂しい。子供の教育の機会を奪ってますね。ワン。帰宅して昼飯食ってTVをつけると唐橋ユミさんが司会をする『大相撲がっぷり総見』をやっていたので見てしまう。力士が楽しくグルメの話などを披露しているのを見ると大相撲が芸能の一ジャンルとして発展したことがよくわかりますね。相撲甚句もやってほしいな。そう言えば唐橋さんは文化放送の仕事で我が家へやって来て相撲談義をしたことがありましたね。晩メシは久し振りにテレ朝『博士ちゃん』を見ながら。「地獄の博士ちゃん」のお寺巡りは面白かった。そー言えば小生も子供の頃は京都六道珍皇寺の地獄絵が怖くて…でも何度も見たくて…興味を持ちましたね。極楽より地獄のほうがずっと面白いことがありますよね。想像の世界の話ですがイマジネーションは大切ですよね。極楽を想像しても何も面白いことはないですからね。

11月10日(日)
原信田実『謎解き広重「江戸百」』(集英社新書ヴィジュアル版)読了。素晴らしい一冊でした。2007年の初版本を買いながら熟読せずに「積ん読」になっていたことを後悔。しかし本に関しては「後悔先に立つ」。後になっても読めば良い。本を読む人生は急ぐ必要もない。特に自分の職種とチョイと異なる本に関しては。おまけにこの本には小さいながらも広重の「名所江戸百景」の図版が全て収録されている。この先何度も見返すことになるだろう。そう言えば昔のマッチ箱には広重の『東海道五十三次』がいろいろ印刷されていた。幼稚園や小学校に通っていた頃その空箱を集めて並べて遊んでいたのを思い出す。昔はガキの日常にも日本文化が入り込んでいましたね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。しかし「広重の江戸百」を見ていると江戸に住みたくなった。東京にはあまり住みたいと思わなくなったのは歳を取ったからかな?ワン。終日コツコツ原稿書き。『スラッガー』というネットのベースボール情報コーナーのサイトに「ベースボール今昔物語」という連載を始めた。その第2回は「大谷翔平はビッグデータ&AI(人工知能)のアバター(化身)か?」。イチローが引退会見で「MLBは頭を使わなくても出来てしまう野球になりつつある」と言ったけどVR(仮想空間)での野球でなくリアルな野球なら人間の頭の使い方が変化しただけでは?…てな原稿をザアッと書いて晩メシは録画しておいた大相撲を見ながら。尊富士も大の里もちょっと危ない勝ち方だったけどそれは強さの証拠?その後は酒を呑みながらサムライ・ジャパンとチェコの試合。勝負がどーのこーのではなくよく知らなかった選手のプレイが見られるのはイイですね。しかし日本での野球は試合時間が長いなぁ(>_<)試合が終わってNHK-Eテレにチャンネルを回すとファビオ・ルイージ指揮N響のベートーヴェン7番の第4楽章。速いテンポが見事でしたね。でも…強制徴収の視聴料でオーケストラを維持する必要があるのかな?フィギュアスケートのNHK杯も…?

BOOK
宮崎学『近代ヤクザ肯定論』ちくま文庫
宮崎学『近代ヤクザ肯定論』ちくま文庫
山口組の誕生から滅亡まで。日本近代の歴史なんですね。田岡一雄氏も一日警察署長を務めたくらいですから
宮崎学『ヤクザと日本』ちくま新書
宮崎学『ヤクザと日本』ちくま新書
狐眼男のヤクザ史観はスゴイです。これ抜きに日本の近現代史は語れません

11月11日(月)
ベッドでの読書は宮崎学さんの『ヤクザと日本−近代の無頼』(ちくま新書)を読み始める。これは生前の宮崎さんから純銀製で赤ルビーと本人が言っていた(?)「狐眼バッジ」と共に直接頂いたもの。『近代ヤクザ肯定論 山口組の90年』(筑摩書房)を読んでいたのでマァいいか…と思って熟読せずに積ん読だった一冊(宮崎さんスイマセン)。ところが読み出したらメッチャ面白い。近代ヤクザ誕生の前段階を室町時代後期のカブキ者や婆娑羅大名から説き起こし江戸時代の旗本奴や町奴や町火消しなどの近世ヤクザと任侠の世界をまず解説する。そー言えば現在の歌舞伎の演目はヤクザ者や親分衆が山ほど登場しますね。江戸の歌舞伎小屋は町火消しに防火(火の用心)を頼みソレが客の世話を始め芸能とヤクザの密接な関係が生まれたという。なるほど。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。宮崎さんによると「近代ヤクザ」とは単なる《近代に生まれたヤクザ》とか《近代的な奴ら》ではなく《近代社会や国家が生み出さざるをえなかったヤクザ》であり《近代社会や国家のあり方に存立の根拠をもってるヤクザ》だと定義している。なるほど。では「半グレ」とか闇バイト強盗の指示役は「ポストモダンの社会が生み出さざるをえなかった存在」と言えるのかな?違いますね。「ポスト近代社会が生み出してしまった存在」と言えるのでしょうね。ポストモダンは任侠とは無縁の社会ですね。ワン。デスクワークは『スラッガー』の「大谷=人工知能のアバターか?」という記事を清書してメール送稿。『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ批評」で「スポーツベッティングはスポーツを面白く見るほうへ誘導できるか?」と題した記事を書き始める。晩メシは録画しておいた大相撲を見ながら。面白い勝負は多く力士はみんな頑張ってるけど下克上(ヤクザ者のパワー)が見られないのは残念ですね。テレビのニュースで俺の名前が不倫事件の張本人として連呼されるのは気分がイイモノじゃないですね(苦笑)。

DVD
『ベルリン・オペラ・ナイト/ケント・ ナガノ/ベルリン・ドイツ・オペラ』
『ベルリン・オペラ・ナイト/ケント・ ナガノ/ベルリン・ドイツ・オペラ』
有名歌手がオペラの名曲を次々に歌います。愉しくお腹イッパイになります

11月12日(火)
宮崎学『ヤクザと日本』読み続ける。面白いという以上に日本社会の成り立ちがよくわかる名著です。《相撲と芸能はもともとヤクザと密接な関わりを持っていた》その理由もよくわかった。相撲取りも芸能者も幕藩制度の「制度外の民」として存在しそれらを「顔」で纏めたのが同じような「制度外の民」である近代の最下層労働者(港湾労働者)を「暴力と顔」で纏めていたヤクザの大親分だったのですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。そう言えば宮崎学さんと一緒にある大学のシンポジウムに参加したとき(2004年のプロ野球のストライキがあった時でした)聴衆のなかから某学生が立ちあがって「プロ野球はヤクザとの関係が深かったのですか?」と質問した。すると宮崎さんは「関係なんてもんじゃない。興行というのはプロ野球も相撲も芸能も全てヤクザがやっていた。そこから始まったんだ」と答えた。なるほど。興行がヤクザと離れたのは興行団体が努力したと言うよりヤクザ組織が色々な事情で限界を迎えたのですね。ワン。終日デスクワークは昨日書いた『ZAITEN』連載のブラッシュアップとフォーラムエイトの社誌『Up and Coming』の連載原稿を執筆。晩メシは大相撲の録画を見ながら。今場所は番狂わせはないけれど熱戦が多くて面白いですね。続けてニュース番組を見ようとするとどのチャンネルもタマキがどうした…タマキの不倫は…タマキは…と五月蠅いのでDVDでヴェニスのフェニーチェ座のニューイヤー・コンサートやベルリン・ドイツ・オペラのガラコンサートを楽しむ。前者の指揮は今は亡きロリン・マゼール。後者の指揮はケント・ナガノ。久し振りに一流歌手の歌声を堪能。やっぱりイイモノですね。

11月13日(水)
『ヤクザと日本』メッチャ面白く学習。日本の各港に下層肉体労働者を集めた「口入れ屋」や彼らの遊び場としての「賭場」がヤクザの「組」を形成する。日露戦争のころの横須賀には《博徒の目兼(めがね)組と鳶の小泉組》が《縄張り争い》をして《小泉組を率いていた鳶の親分・小泉由兵衛が跡目を継がせた息子の又次郎がこの帰趨を決定的にして小泉組は軍港のヤクザとして一大組織を築くことになった。この又次郎こそが後の首相小泉純一郎の祖父であった》なるほど。こーゆー構造の流れから日本の政治家も顔役や腹芸に加えて義理人情の任侠の世界のようになってきたのですね。ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは先月の「スポーツ政策学生会議」で立命館大学の学生たちが唱えた「ギャンブル依存症にも八百長にもつながらないスポーツベッティング」を紹介。彼らは試合の勝敗や成績(成否)を賭けの対象にするのでなく「スポーツの面白さそのものを賭けの対象にする」ことを主張。例としてバスケの試合の3ポイントシュートの成功数を挙げていたがその例を広げて…例えば大相撲の複数の取り組みの勝敗予想に決まり手の予想を加えるとか…サッカーの1試合にゴールすが決まる時間帯を加えるとか…選手交代の時間と人数を加えるとか…野球の試合に両チームのリリーフ投手の人数を加える…などのアイデアを話す。要するにスポーツの勝敗だけでなく試合の展開を考えさせる賭けを取り入れてスポーツそのものの面白さに気付かせようとするもの。「賭けの勝敗」に熱くなるのではなくスポーツの展開に熱くなるようギャンブル(ベッティング)が仕向けるわけですね。どうでうか?ワン。ラジオを終えて黒兵衛と散歩して昨日書いた2本の原稿をブラッシュアップして送稿。明日の成城大学での授業の準備をしたあと録画の大相撲を楽しみながら晩メシ。うわっ。大の里が阿炎に土。大の里の若さが悪い方に出ましたね。明朝は早起きなので早く寝る。

11月14日(木)
ベッドのなかで宮崎学『ヤクザと日本』読み進む。面白い。《ヤクザの組は共同体の職業安定所だった。これを否定的な面から見ると手配師・中間搾取者ということになる。どちらにも一面の真理がある》《明治維新の時は人口の9割が農村に住んでいた。(略)都市人口が4割に近づいた1940年代においても日本人の8割は農村で生まれ育った(略)近代日本において「村は人間形成の鋳型」であった》そんな村で村から外れたヤクザの組が必然的に生まれて村から外れなかった村人たちも村独自の閉鎖的な共同体を作り今日まで続くわけですね。永田町村・霞ヶ関村・建設業村・原子力村・スポーツ村…。新聞社村・テレビ局村…といったメディア村もありますね。そこからはみ出たフリーランスはヤクザ者なのでしょうね。ワン。常より1時間早く起きて早く黒兵衛の散歩を済ませてヨメハンと一緒にタクシーで藤沢へ。チクショー。よく知らない運転手が遠回りの道を選んで常なら2千円程度が3千円もかかった。ま。早く着いたからイイか。ヨメハンは藤沢で買い物。俺は小田急の快速で登戸乗り換え成城学園駅まで。少し早く着いたので改札口での待ち合わせではなく成城大学へ歩いて行くと山本敦久教授が正門まで迎えに出てくれて教室へ。30人くらい学生相手にスポーツの取材を続けてきた小生のジャーナリズム論を約1時間半にわたって講義。学生たちはみんな真面目に熱心に聞いてくれたようでした。彼らは19歳で2002年の日韓W杯を知らない世代だとか。若いですね。未来が広がっますね。その広がってる未来を生かすためには過去を勉強して欲しいですね。講義のあと山本先生と山本先生の助手と「一緒に行っても良いですか?」といった学生と4人で駅近くの蕎麦屋へ。学生を除く3人で生ビールを飲み天麩羅盛り蕎麦を食べながら歓談。奢ってもらって気分よく小田急とJRで帰宅。久し振りの若い学生相手の講義は新鮮でした。

11月15日(金)
『ヤクザと日本』読み進む。宮崎学ワールドの凄さに嵌まり込んでいる。この新書の帯に《佐藤優氏推薦「ヤクザの論理を知れば今の日本が見えてくる」と書かれていますがホントその通りですね。ただし「今の日本」が壊れ掛かっている今…ヤクザ&任侠の世界が壊れて…これからどんな未来の日本になるのか…未来を知るためには過去を学ばなければなりませんから宮崎学さんの描く「近代ヤクザ」成立の歴史を学びましょう。本書は第4章「ヤクザと芸能の世界」に突入。美空ひばりや大鵬柏戸も出てくるのかな…ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。昨日の「遠出」の疲れもなく散歩。久し振りの大学の授業で若い人達に伝えておきたいことが山ほどあることを再認識。しかし自分が大学(の教室)で学ぶことや試験の点数をつけられることが大嫌いで大学へは実質3ヶ月くらいしか授業に出なかった。そんな人間が大学の教壇に立ってもイイのかな…とは今も思うが…招かれれば行くということにしましょう。大学や大学院の授業は何度かやったことがありますが点数をつけるのは大嫌いでしたからね。だから昨日の特別授業でも正解のない話ばかりしました。自分でオモロイと思うモノが正解なんですよね。ワン。終日デスクワークは連載原稿の校正や書き下ろし原稿をボチボチ。毎週金曜の『ニューズ・オプエド』は今日はお休み。晩メシは大相撲の録画を見ながら。豊昇龍は熱海富士の勇み足でモウケましたね。大の里を破った若隆景の相撲は好きですね。大鵬も昔は山口組の山菱の紋を描いた化粧まわしを着けてましたね。そういう話題は過去の話になった…かな。酒呑みながら野球の日韓戦を楽しむ。牧&森下イイですね。しかし試合時間がもう少し短くならないモノかな。

11月16日(土)
『ヤクザと日本』の「ヤクザと芸能の世界」読み進む。面白い。明治時代《大歌舞伎を除く芝居・活動写真・寄席芸能・浪花節などの行われる劇場は総じて喧噪と危険に満ちた猥雑な空間だった。遊び人や不良青年の溜まり場となり「席亭荒らし」も出没したしイザコザ暴力沙汰も絶えなかった。劇場は伝染病の巣窟とさえ言われ「近代の悪場所」と言ってもいい場所で(略)帝劇女優としてデビューした森律子は母校跡見女学校から除籍された》昭和に入っての初期の職業野球も似たようなモノで大卒選手はみんなOB組織の三田倶楽部(慶応)や稲門倶楽部(早稲田)や駿台倶楽部(明治)などから破門され野球場(や劇場)は治安を守り売店の権利を得るためヤクザが入ることになったという。大人気を博した浪花節は政府の《民衆教化》に利用され《忠臣義士や孝女烈婦》や軍人英雄モノを語るようになる。そー言えば安倍晋三元首相も吉本新喜劇に出たりしましたね。アブナイアブナイ。いや当時のヨシモトは何故か関西万博など権力に擦り寄りましたね。アブナカッタ。ワン。終日デスクワーク。休日ですから仕事でなく出納帳をつけたり雑務。仕事のほうが愉しいですね。気分転換にサッカー日本代表のインドネシア戦をネットで見たり…大相撲を見たり。うわっ。豊昇龍がバッタリと土。阿炎は安定感はないけど面白い力士ですね。湊川親方の解説は面白かったですね。現役力士時だと顔付きも優しいか(可愛い)顔に一変してして親方としての人気も出そうですね。晩メシ&酒は日本vs台湾の野球を見ながら。勝つには勝ったけど紅林に送りバントのスリーバントをさせたのは監督の失敗ですね。しかし野球の試合は長いなぁ。

BOOK
堀川恵子『透析を止めた日』講談社
堀川恵子『透析を止めた日』講談社
腎臓専門ナースの娘が読みました

11月17日(日)
『ヤクザと日本』読み進む。《近代の大衆芸能は資本制の下で近世後期(徳川時代)とは比べものにならないほど広く深く商品化されていった》そんななかで社会体制の内部に制度化されなかった《制外の民》としての芸能者とヤクザが必然的に結びつき《近代ヤクザの典型としての山口組を見ても初代・二代目の時代に芸能興行の世界に進出。それを労働力供給業と共に事業の柱にしていった》というわけで浪曲師広沢虎造の高座の幕に「寄贈山口組三代目田岡一雄」の名前が横綱玉錦の手形と共に描かれたのですね。同様の恩義のあった美空ひばりが山口組と田岡の庇護から離れず公共施設や紅白歌合戦を初めとするテレビ番組から閉め出されても山口組への義理人情を貫いたのは芸能者として筋が通っていたわけですね。おまけに欧米の社会学者が興味を抱くように日本のヤクザはマフィアなどと違って合法的だったのですからね。暴対法施行以前は山口組も組事務所に山菱の代紋を掲げ戦後すぐの時代には田岡一雄が兵庫県警の一日署長を務めたくらいでしたからね。というわけでベッドでの読書は「第五章ヤクザと近代国家 社会的権力としての近代ヤクザ」へと進む。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。帰宅すると昨日遊びに来る予定だった次女と幼稚園児の孫が来宅。最近キングギドラから八岐大蛇に興味が出たという孫に映画『日本誕生』で八岐大蛇と戦う素戔嗚尊(三船敏郎)の場面を見せてやる。続けて大森一樹監督の『ゴジラvsキングギドラ』の闘いの場面も。看護師の次女は最近講談社から贈られてきた堀川恵子『透析を止めた日』を持って帰る。気鋭のノンフィクション作家が夫の腎臓病を見守り10年に及ぶ血液透析・腎移植・再透析の末に透析を止める決断をした壮絶な記録。看護師として腎学会に出たばかりの次女が買おうとしていた一冊。俺が完読するより次女に渡したほうがイイと思いプレゼント。昼飯食って孫たちが帰っていったあとチョイ仕事。録画した大相撲を見ながら晩メシ食ったあとは野球の日本vsキューバ。世界一を競う試合には見えないなあ…試合時間が長いなあ…と思いながらも激しい風雨のなか7対6の1点リード9回表2死満塁3ボール2ストライクでリリーバー藤平が最後に投げたフォークボールは実に美事でしたね。野球というスポーツはこういう瞬間を見るために存在しているのですね。

11月18日(月)
『ヤクザと日本』は第五章「ヤクザと近代国家」を読了。明治時代の自由民権運動以来秩父困民党の蜂起などから大正時代の米騒動まで民衆の蜂起には全てヤクザ(下層階級の非熟練労働者たちを纏めた組織)が関わっていたのですね。一方で幕末以来政治権力側についたヤクザもいる。しかし《勤王も佐幕も民権も国権も左翼も右翼もアウトローは利用するだけ利用して使い捨て。これが現在に到るまで日本における「由緒正しい」運動》なんですね。いや日本だけではない。《毛沢東の人民解放軍もアウトローを仲間に加え利用し尽くしたのちに粛正されたことが知られている》そしてアウトロー(ヤクザ)たちは利用された後に歴史から消えていくのですね。続いて第六章「義理と人情/顔と腹/日本的社会関係とヤクザ」に突入。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。テレビは猛暑酷暑に続いて雪の便りで秋が無くなったというけれど南関東では確固たる秋が存在してますね。秋深し隣は何をする人ぞ。芭蕉がこれを詠んだのは隠密としての気質が出たのかな(笑)ワン。終日デスクワーク。書き下ろし原稿と格闘していると講談社から現代新書の新刊が届く。酒井順子『老いを読む老いを書く』帯に『「老い」のニッポン精神史』とある。コレはオモシロそう。もう一冊は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』帯には『「法の支配」より「人の支配」/「人質司法」の横行「手続的正義」の軽視…なぜ「法」を尊重しないのか?』とある。さらに『名著「絶望の裁判所」から10年/規律を重んじる国の「謎」を元判事にして法学の権威が鮮やかに読み解く』と。これは『ヤクザと日本』のあとに読みましょう。数ヶ月前まではひと月に5冊くらい送られてきた講談社の現代新書が最近は2冊だけ。本は売れなく(読まれなく)なったのですね。嗚呼。晩メシは日本vsドミニカの野球を見ながら。野球はどんな試合でも(子供の草野球でも)見て面白いけどチョットしらける試合内容と長時間にウンザリ気味で吉本新喜劇にチャンネルを回したり…映像の世紀バタフライエフェクトを見たり…。おおっと。第二次大戦後の海外からの引き揚げ者の話はじっくり見る必要があるので録画。福島第一原発の事故で住居を追い出された浪江町の人々は満蒙開拓団として追い出された人達でもあったようですね。明日詳しく見ましょう。

WEB
『映像の世紀バタフライエフェクト/ふたつの敗戦国/日本660万人の孤独』
『映像の世紀バタフライエフェクト/ふたつの敗戦国/日本660万人の孤独』
満洲での敗戦流浪からブラジル移民…福島での原発難民まで…歴史はつながるのですね
BOOK
谷川俊太郎『二十億年の孤独』昭和27年初版/序:三好達治
谷川俊太郎『二十億年の孤独』昭和27年初版/序:三好達治
この詩人は映画『東京オリンピック』の共同台本作者なんですよね。その台本もスゴイ内容ですよ

11月19日(火)
『ヤクザと日本』「義理と人情」読み進む。♪義理と人情秤にかけりゃ義理が重たい…というのは高度成長後の話であって以前は「義理と人情」は一体だったのですね。それに武士道とは元々《戦国的動乱の気風から生まれたものであって(略)其の根本の精神は何処までも血を見ることを好む殺伐とした気風にあって我が力を揮って我が欲望を充たそうとする熾烈な情熱と我が儘な切り取り強盗主義とに在る》つまり《ヤクザこそが元々の武士道を継いでいる》わけですね。《さらに近代になってから新渡戸稲造の『武士道』以来近代的に再解釈を加えられた武士道は原武士道とは隔たったもの「人工の日本的なるもの」「創造された伝統」になってしまったのである。だから今藤原正彦『国家の品格』が新渡戸武士道の拠りながら説いている「武士道精神の復活」などよりもヤクザの説く任侠道のほうがよっぽど本来の武士道に近いのだ》ナルホド。《創られた武士道》よりも《近代ヤクザの任侠のほうが近世に実際にあった武士道の義理人情複合体(コンプレクス)に近かったのである》ぃかし《高度経済成長期》より近代ヤクザも《共同社会型ヤクザから利益社会型ヤクザに変質》。なるほど。さらに暴対法とデフレで義理人情も任侠も完全に消滅した結果「トクリュウ(匿名流動型犯罪)」が蔓延る経過になったわけか…嗚呼。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。犬年齢13歳=人間年齢90歳でも元気だと思っていたら我が家に配達を届けた人の飼ってるレトリバーは23歳だとか。年限年齢は200歳超え?かつて動物園の恵まれた環境で育った動物たちの長寿社会を取材したことがあったけどコレハヨイコトナノカドウカと考えてしまいますね。ワン。終日デスクワークは書き下ろし原稿をシコシコ。晩メシは録画した大相撲を見ながら。大の里3敗目。勝った大栄翔は好きな力士だけど大の里はまだ若いのかな。晩メシのあと『映像の世紀バタフライエフェクト「ふたつの敗戦国 日本660万人の孤独」』をじっくり見直す。戦時中満洲に夢を見て夢破れて帰国した人達はさらにブラジル移民や浪江町の開拓と原発事故で辛酸を舐めることになったのですね。満洲からの帰還者のなかにし礼氏やちばてつや氏やポケモンGOの作者の話は心に染みました。谷川俊太郎氏が亡くなりましたね。映画『東京オリンピック』の脚本の共同執筆者であることが報じられないのはさらに寂しいです。合掌。

11月20日(水)
宮崎学『ヤクザと日本−近代の無頼』(ちくま新書)最終章「山口組概略史」読了。勉強になりました。60年安保以降《経済の面でも政治の面でも大企業と政治にとって「もうヤクザはいらない」ということになってきたのだ。かくして「暴力団一斉取締」が始まった》いわゆる「頂上作戦」だ。そして山口組は《神戸の地域社会・港湾の職域社会・芸能の共同体という共同社会との結びつきを断たれた。帰るべき共同体の懐を失ったのだ。それからの山口組は企業社会に入り込み生きていくしかなかった》しかし《純粋な利益社会型ヤクザというようなものはありえないのである。共同社会に根をもっていないヤクザはいつかヤクザではなくなる》そうして「暴力団」となった元ヤクザは80-90年代のバブル経済であだ花を咲かせた以降存在意義も失せたというわけですね。そして宮崎さんは「あとがき」にこう結ぶ。《大きく擡頭してきた中国とインドの圧力によって激動しているアジアの状況と始まってるアジアの再編のなかで官僚主義に凝り固まった国家機構や国境を超えて利潤を貪ることに専心している巨大企業に頼らず一人ひとりの日本人がどう生きてゆくのかが問われようとしているのではないか。そうしたとき日本でもそういう下からの扶助の核となる新しい「組」的団結が必要とされているのではないか。そういうものとして超近代の無頼よ出でよ!》「ルフィ」や「トクリュウ」が「無頼」であるわけもなくSNSが羅針盤になってしまう混迷の時代はまだまだ続くのか…ワン。黒兵衛の散歩は後回しにしてベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは野球のプレミア12で目立った台湾と韓国のチアガールと試合時間のあまりにも長いこと。スポーツの応援団というのは「前近代の飛び入りの自由という歴史」がない競技に表れるのですね。近代以降に輸入されたスポーツ(アジアの野球)や近代以降に創られたスポーツ(バスケやアメフト)には応援団が生まれ日本の相撲やアメリカのベースボールには応援団が生まれなかったという話。それに試合時間の長さは投手交代の多いこともあるがデータ野球(ビッグデータとAIによる分析)が進化していない面もある…という話はチョットわかりにくかったかな?ワン。ラジオのあと終日デスクワークは「スポーツゴジラ」や「連合通信」の連載原稿の下調べ。晩メシは大相撲録画を見ながら宇良vs平戸海の2度の取り直し3度目の勝敗の取り組みはサイコーでしたね。生前の宮崎学さんに「本当は狐眼の男は宮崎さんなんでしょ?」と訊いたことがある。すると「違うなら違うというし本当でも違うというから訊くだけ無駄だよ」と言って笑っておられた。ナルホド。そーですね。その時いただいた純銀製ルビーの宝石の真っ赤の眼をした「狐眼バッジ」大事に飾ってます。

4K ULTRA HD
『スピード』
『スピード』
ハリウッド映画は妙な理屈をつけないモノがオモシロイですね
BOOK
マーカス・ソートイ『素数の音楽』
マーカス・ソートイ『素数の音楽』
数学にチョットでも興味のある人にはメッチャオモシロイ一冊です

11月21日(木)
ベッドでの読書は宮崎学さんの少々ハードなヤクザ史観の勉強が続いたので今日からは愉しい遊びの本に変換。マーカス・デュ・ソートイという数学者の書いた世界的ベストセラー『素数の音楽』(新潮文庫)をベッドに持ち込む。数学というのは素人には最高に面白い遊びですからこれから少々「リーマン予想」と「素数の不思議」についてベッドで考えてみます。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあと連合通信の連載原稿「スポーツ博覧会」第161回を仕上げる。現代スポーツと人工知能(AI)の関係について。大谷翔平はAIのアバター(分身)か?というテーマは我々の未来社会を考えるうえでも重要なテーマですね。晩メシは大相撲録画を見ながら。大の里は尊富士を退けましたね。相撲界も群雄割拠のカオス状態からコスモスに纏まってきたかな。昼間にNHK-BSが映画『スピード』を上映していたのでよく知っているバスが暴走する前のあまり知らなかったエレベーター事故の部分を見直す。ナルホド。悪の代表が悪いことをしてソレを善の代表としての警察が苦労しながら闘うというパターンをハラハラドキドキ描くハリウッド映画は理屈抜きに面白いものです。後半のバスの暴走のアイデアは日本映画の『新幹線大爆破』からパクったものですね。でも日本映画のほうが少しは社会的理屈がありましたね。

11月22日(金)
『素数の音楽』メッチャ面白い。数学は人間が頭の中で考え出した抽象的な思考で宇宙全体に存在する原子の数よりも大きな数を扱ったり8次元の空間を扱ったりする。しかしあらゆる素数は《我々が素数だと考えるから素数なのではなく我々の精神の形成とは無関係に素数だから素数なのだ》ならば《数学とははたして創造するものなのか。それとも発見するものなのか?》その答えは明解になっているようだ。《数学的実在は我々の外にある。それを発見し観察することが我々の務めであり我々が証明し「創り出した」と大言壮語する定理もその観察記録に過ぎないのだ》ナルホド。そーゆーものならばスポーツも人間の身体能力を広げる(進化する)のではなく内在している能力の使い方を発見する行為と言えそうですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。近所の人に「新しい犬ですか?前の犬より痩せてますね」といわれヨメハンが「体重管理で痩せただけで同じ犬ですよ」と答えたので俺が「歳取って痩せただけですよ」。どっちが正しいのかわからないけど元気なことは確かですね。ワン。いろいろデスクワークのあと『ニューズ・オプエド』。今日のゲストは大リーグ評論家の福島良一さん。大谷翔平選手が3度目のMVPに輝いたのをキッカケにメジャーの話をイロイロ。来年の二刀流復活は過去に二度の肘の手術を受けた投手が球速を落としているところから大谷も苦労するのでは?佐々木朗希はまだ若いから焦らずゆっくりメジャーになれるように…イチローの殿堂入りは既にクーパースタウンのHaal of Fame(野球殿堂)でイチロー表彰の準備が始まってる…ロス五輪の野球のメジャー選手が出るため16か国によるグループリーグをシーズン開幕前に行い五輪期間中は決勝ラウンド4か国の試合でMLBのシーズン停止を1週間以内にすればメジャー選手の出場が可能…等々福島さんに面白いメジャー情報をイロイロ話してもらう。そのあとベネズエラvs日本の試合。牧の見事な満塁ホームランが飛び出しましたね。福島さんも言っておられたけど日本の野球のレベルは本当に高い。なのにNPBがMLBと肩を並べられないのは組織(親会社制度)の問題ということで意見が一致。

BOOK
仲村亨『リーマン予想とはなにか 全ての素数を表す式は可能か』講談社ブルーバックス
仲村亨『リーマン予想とはなにか 全ての素数を表す式は可能か』講談社ブルーバックス
『素数の音楽』を読んでいたらこれも是非とも読みたくなりました

11月23日(土)
勤労感謝の日。新嘗祭ですね。既に農業国でなくなった日本の古い記憶としての祝日ですかね?ベッドで『素数の音楽』読み続ける。面白い。オイラー→ガウス→リーマンという大天才数学者が絶対王政時代からフランス革命を経て19世紀に到る歴史のなかで生まれているというのはある意味ショックですね。そんなに古い人々だったのかと思ってしまいます。数学というのは古代ギリシアのエウクレイダス(ユークリッド)やピタゴラス以来全員現代につながる学問(数学)を扱った現代人と言えそうですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。近所のオペラ好きのお婆さんに挨拶される。「バルセロナのリセウ劇場へ行ってヴェルディを見てきましたよ」「ヴェルディの何を?」「運命の力でした」「それはまた珍しいものを!」近所にはスゴイお婆さんが住んでるんですね。ワン。終日デスクワークはサッカー天皇杯を見ながら書き下ろしをシコシコ。宇佐美の欠場はガンバにとって痛かったですね。夕方に長女がやって来て一緒に晩飯&酒。勤め先の川崎でフロンターレやレッドロケッツと仕事をして相撲と野球に興味のない長女だが大相撲とプレミア20につき合ってくれる。豊昇龍と琴櫻が勝ち進んで明日千穐楽が両力士の優勝決定戦になりましたね。どっちが横綱への昇進候補になるのかな?大の里は来年初場所から出直しですね。野球は日本代表が選手を入れ替えても台湾を破って明日の決勝も再び台湾。しかし…もう少し面白い試合方法にならないものか?それに試合時間のあまりにも長いことにはかなり辟易ですね。その間長女からフロンターレの選手などと川崎の小学校との交流事業の話等々を聞く。Jリーグのチームの地域密着度は相当に素晴らしいですね。

11月24日(日)
『素数の音楽』面白すぎます。《数学の世界では常に美的な構成が追求される。リーマン予想も「醜い世界と美しい世界のどちらかひとつを選ぶとしたら自然は常に美しい世界を選ぶ」という数学者が広く共有する哲学の一例とみることができる。数学者たちはこのような数学の美しさにいうも驚嘆しうっとりするのだ》このような数学者の性癖がツマラナイと思えるところがオモシロイ。所詮数学者の評価する「美しい世界」とは「秩序ある世界」のことで常にコスモスを求めるわけですからね。無秩序(カオス)の美しさやダイナミックな面白さを数学者は嫌がる生真面目さが思いっ切り突っ込みたくなるくらいオモシロイですね。《「感覚による理解は感覚による欺きである」というのがデカルトのモットーだった》世の中「欺き」=「感覚による理解」で成り立っているから面白いはずですけどソレを否定する数学者の存在というのも貴重でオモシロイですね。ワン。昨晩我が家に泊まった長女とヨメハンと一緒に黒兵衛と散歩したあとサッカー日本代表のインドネシア戦と中国戦のダイジェストを見て昼飯のあと昼寝。日本のサッカーは今W杯があれば優勝かな?というのは褒めすぎですけど確かに強くなりましたね。昼寝のあとジャパンカップを見て大相撲。琴櫻初優勝。大相撲はカオスからコスモスになってきましたね。晩メシは野球プレミア12決勝台湾戦を見ながら。若くて一所懸命闘っていたチームが強者の横綱相撲をしようとして負けてしまいましたね。やっぱり短期決戦は我武者羅なチームが勝ちますね。台湾選手たちの涙は新鮮でしたね。

Youtube
嘉門達夫『地獄の運動会』
嘉門達夫『地獄の運動会』
運動会の音楽を調べてたら,こんなのが出てきました。気持ちはわかりますね

11月25日(月)
『素数の音楽』メッチャ面白すぎる。こんな何の役にも立たない本を読んで興奮していてイイのかなと思うくらいだ。するとこんな文章が飛び込んできた。《数学をしていて心が躍るのは結果を現実に応用できるからではなく数学そのものが美しいからだった》確かに。本文はついにゼータ(ζ)関数とリーマン予想へ。この本の凄さは数式をほとんど使わないことですね。文系には助かります。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。四次元の世界というのは「三次元の空間+時間」だと思っていたのに数学の世界では時間とは無関係に抽象論としての四次元の世界を考えることができるのですね。そうしてその架空の四次元空間が虚数と同じように現実の宇宙空間を物理的に考えるときにも威力を発揮するのですね。人間が想像力で創る世界(物語)を馬鹿にできませんね。ワン。終日デスクワークは『スポーツゴジラ』の連載『走』第11回を書く。テーマは前回「走る絵」につて書いたので今回は「走る音楽」ついて。『クシコスポスト』『道化師のギャロップ』『天国と地獄』『トリッチ・トラッチ・ポルカ』など。最近の運動会では聴かれなくなった音楽について書いて送稿したあと先週書き終えていた連合通信の連載『スポーツ博物館』をブラッシュアップして送稿。テーマはAI(人工頭脳)とスポーツについて。別々のテーマを2本仕上げるとサスガに疲れますね。晩メシは吉本新喜劇を見ながら。相変わらず意味なくオモシロイですね。ニュースで兵庫県知事に再当選した人物の選挙違反が話題になっていたけど広告会社と弁護士には思想信条というものが存在せずに動くことこそ問題のようにも思えますね。カネになれば何でもするのかな?

11月26日(火)
『素数の音楽』たしかにオモシロイのだけどだんだんわからなくなってきた。まぁ数式が出てこなくて文系向きの本とはいえ高校の数学で行列式だのテーラー展開だのでパープリンになった人間がリーマン予想を理解しようというほうが無理ですよね。《私だけなのかしら。この優しくも不思議なメロディを耳にしているのは…》これはリーマンが素数の全貌を捉えた様子をワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の歌詞に擬(なぞら)えたものだろうが無限に存在する素数の全体像もワーグナーの無限旋律のように美しい(ものに違いない)と著者は言いたいのでしょうね。美しいものを理解するにはソレなりの感性と知識が必要なのでしょうけど残念ながら小生には数学の知識はパープリンですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。黒兵衛(犬)も数学はパープリンだろうけど音楽はどうかな?小生にクラシック音楽(ワーグナーの音楽)などを無理矢理教え込んでくれた数学の先生だった叔父さんの飼ってたムツという名の雑種はトランペットの音楽(ムソルグスキー『展覧会の絵』ラベル編曲の冒頭など)に激しく反応してワオ〜ンワオ〜ンと吠えていました。黒兵衛にも聴かせてやろうかな。ワン。デスクワークは『スポーツゴジラ』の校正や来週の名古屋でのオペラ講座の準備。テーマはワーグナーの『ニーベルンクの指環』。さぁ14時間の長さの楽曲の面白さをを2時間でどう伝えるか?考えるだけでオモシロイですね。ワーグナーの創った登場人物や感情やモノや風景…などのテーマ(ライトモチーフ)も素因数分解みたいなモノなのかな?素数が無限の世界を創るわけですね。セヤカラナンヤネンと自分で突っ込みを入れながら川崎フロンターレが創った小学6年生用の算数ドリルをやってみる。これはオモシロイ。良くできている。あすのラジオで話すことにしましょう。数学はパープリンでも算数はオモシロイですね。

DVD
『ニーベルングの指環』世界文化社
『ニーベルングの指環』世界文化社
スペイン・バレンシア劇場の細工にオモシロイ舞台です
Math drill
『ドリル』の中味です。
『ドリル』の中味です。
これは「分数÷整数」の問題。34の問題があります

11月27日(水)
メッチャ面白い『素数の音楽』には時々ギョッと驚くことが平気で書いてある。リーマン予想と素数論の根城となったゲッティンゲン大学には様々な数学の天才が集まってきたがハラルト・ボーアには驚かされた。彼は《後に量子物理学理論の創造者として有名になるニールス・ボーアの弟》というだけでも驚くが《デンマークのサッカーチームの中心選手として有名で1908年のオリンピックで銀メダルを獲得していた》というのだ。この時の優勝チームは開催都市ロンドンのイギリス。そう言えばコンピュータの父とも言われてナチス・ドイツの暗号エニグマを解読したチューリングは怪我さえしなければ1948年ロンドン五輪のマラソン選手に選ばれていたという。数学者にはスポーツマンが多いのかなあ。小生の友人でフィールズ賞以外の賞は全てもらったと豪語していた数学者のM君もリレーの選手で京都市大会では入賞してたな。彼は中2のときに凄く分厚い英語の本を読んでいたので「凄い英語の本を読んでるんやね?」と言うと「これは数学の本やねん」と答えた男でした。そのくらいの天才でないと数学者にはなれないのですな。ワン。黒兵衛の散歩は後回し。ベッドを出てRKB毎日放送『田畑竜介GrooonUp』の『Catch Up』にZOOM音声出演。今日のテーマは川崎フロンターレが地域密着の活動として独自に製作した選手の写真満載の「6年生の算数ドリル」を製作して市内114校の小学校と3校の特別支援校に配った話。イングランドのアーセナル所属のスペイン系選手がスペイン語講座を手伝ってることをヒントに始めたらしいが2011年の東日本大震災で教科書を失った陸前高田市にもコノ「算数ドリル」を送ったとか。毎年製作して今年は川崎市市制100周年記念号。RKBのスタッフやMCさんにもメールで写真を送っておいたので大評判。こういう地域密着活動は真似て欲しいですね。ワン。ラジオのあと黒兵衛と散歩。フロンターレの「算数ドリル」をやった人のなかからリーマン予想を解決する人が出ればサイコーですね(笑)。ワン。デスクワークは来週のオペラ講座のレジュメ作り。テーマは「スターウォーズや指輪物語よりもオモシロイ『ニーベルンクの指環』」。全長15時間の楽劇を2時間で解説するのですからタイヘン…いやオモシロイですね。晩メシはリセウ歌劇場での『ニーベルンクの指環』を見ながら。ラインの乙女たちが本当の水に浸かったり潜ったりいながら歌をうたってるのはスゴイですね。SFの世界のなかで人間界に$や¥のマークが登場するのはオモシロイですね。

11月28日(木)
『素数の音楽』読み続ける。この本がある限りベッドへ入るのが楽しくなり待ち遠しくなる。現在の宇宙に存在する言視の総数は10の78乗らしい。ところが素数が出現するとガウスが発表した法則は10の100乗の34乗まで正しいことを証明した学者が現れたという。全宇宙の原子の数より多い数で正しいことがわかってもソレが「すべてに正しい法則」とは言えない数学者の脳細胞というのは凄いとも思うけどセヤカラナンヤネンとも思いますね。そー言えば小生が小学生のときに通っていた算盤塾の先生は当時の日本の国家予算を算盤の上に示して算盤はスゴイと悦に入っていた。そのときもセヤカラナンヤネンと思ったが当時の国家予算はイクサシナイ…で1兆9347億1千万円だったと記憶している。昭和39年だったと思うけど違うかな?最近は国家予算の語呂合わせがなくなりました。。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩のあとデスクワークは請求書作りなどの雑務や書き下ろし原稿をシコシコ&明日の『ニューズ・オプエド』のゲストを尚美学園大学教授の佐野慎輔さんと大和大学教授の佐々木正明さんに決定してそろそろ今年のスポーツ界を振り返る…という企画に。そう言えば今年の大晦日にも三枝成祥さんはベートーヴェンの交響曲全曲演奏をやるらしくプログラムに小生が昨年書いた原稿を再録したいとの連絡があった。面白かったと認められたのは嬉しいですね(その原稿は本HPの「蔵出し音楽」のコーナーでも公開しています)。喜んで再録OKの返事を送って晩メシは久し振りに『鮨処もり山』へ。フランス人夫婦の結婚44周年と小生夫婦の45周年を祝ってシャンパンで乾杯。森山さん夫婦は35周年でお店は開店以来30周年。みんな歳取りましたね。

11月29日(金)
『素数の音楽』600頁近くの文庫の約半分読了。面白さのヴォルテージは高止まり。インドに素人の数学者が現れて全くの素人としてリーマン予想とほぼ同じことをやってのけてケンブリッジの教授陣を驚嘆させる。もちろん驚嘆したのも超一流の数学者だけで一流程度の学者はみんな無学歴の素人を馬鹿にしたという。零の発見以来インドの数学はスゴイ伝統をキープしているのですね。もっとも《数学というのはどうやら奇人を舞台に引っ張り出すきらいがあるらしい》たしかに。《数学者たちは気のふれた数霊術論を盛り込んだ手紙を送りつけられることにすっかり慣れっこ》で《ピラミッドの謎を解いた》とか《フランシス・ベーコンがシェイクスピアの戯曲のなかに忍ばせた暗号を解いたという手紙が殺到していた》そんななかで《インドのマドラスで年給20ポンドで働くヒンズー教徒で事務員のラマヌジャン》がリーマン予想と同じ行為を書いた手紙を寄越してきたのだからハナから馬鹿にして無視した学者が多いなかでソレを認めたケンブリッジの数学者(ハーディやリトルウッド)も偉いですね。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。家の近所の紅葉も少しはオモシロイところがある。特に薄緑色を残した黄色い銀杏は美しいとヨメハンが発見した。世界は全て発見で成り立っているのであって人間が発明した(創り出した)モノは皆無かもしれませんね。ワン。いろいろ仕事をしたあと夕方からの『ニューズ・オプエド』は今年のスポーツ界を振り返って未来のスポーツ界を考えてみました。尚美学園大の佐野慎輔教授は大谷のフィフティフィフティを取りあげてみんなでAIのスポーツ界への影響を考えて大和大学の佐々木正明教授はウクライナやパレスチナで戦禍が続くなかでのオリンピックが開かれたことを取りあげてみんなでオリンピックが反戦に果たす役割を考えました。小生もオリンピックでジョン・レノンの『イマジン』が毎回演奏されるようになったことを取りあげて将来の五輪への期待を語りました。こんなスポーツ論を語り続けているメディアは他にないですね。関係ないですが最近のトクリュウ事件をテレビで語っている元埼玉県警の佐々木成三は佐々木正明教授の弟さんなんですね。顔も声もそっくりで納得。あ。川崎フロンターレの『算数ドリル』もオプエドで絶賛しておきました。

Blu-ray
R・ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』
R・ワーグナー:楽劇『ワルキューレ』
バレンボイム指揮ミラノ・スカラ座の最高の舞台と演奏です。

11月30日(土)
『素数の音楽』を読んでいると我々凡人の考えられないほど複雑鋭利な思考の持ち主が以外と阿呆なことをやっていることにも出くわす。《かつてガウスの素数定理を一般化した仮説を証明した者に"100億の階乗ドル"を賞金として提供すると言い出したエルディシュという数学者がいた。100億の階乗とは1から100億までの数字を全て掛け合わせた数字だが100の階乗ですでに宇宙の全ての原子の総数を上回る数字なる。1960年にこの仮説を証明した数学者が賞金を請求しなかったことを知るとエルディシュはほっと胸を撫で下ろしたという》しかしこの本はメッチャ面白いけど小生の仕事には何の役にも立たないことがわかってきた。だからオモシロイのかな。ワン。ベッドを出て黒兵衛と散歩。冬空か秋空かどっちかわからないペンキで塗ったような真っ青な空に雪の帽子を被った富士山が美しい。そう言えばかつて市川崑さんに映画『東京オリンピック』についてインタヴューしたとき「聖火リレーが富士山の前を通ったときは9月の初めでしたから富士山には雪がなかったはず。でも映画の富士山は雪を被って美しかったですね。あれは後から撮り直したのですよね?」と訊くと「だって富士山に雪がなきゃオカシイだろ」と笑顔で言われたあと「僕は映画を撮ったんだから」と言われたその言葉は見事だった。ワン。散歩の後チョイと仕事をしてからヨメハンと一緒に久し振りに掛かり付けのお医者さんへ。お薬をいただいて大船駅でヨメハンの買い物に付き合う。俺は文具店で来年のカレンダーを購入。毎年スケジュールを書き入れる大きなカレンダーを新潮社から送ってくれたのが今年からは廃止で小さな谷内六郎さんの卓上カレンダーだけになった。日本の経済が縮小しているのがこんなところでもわかりますね。帰宅してヴィッセル神戸と柏レイソルのサッカーを楽しむ。柏はヴィッセルには強いのですね。オモシロイ。チョイと仕事してTBS『報道特集』を見る。兵庫県知事選の背景はイロイロありそうですね。大衆というのは動かされるものなのか?動くものなのか?動かしたのは誰?動いたのは誰?何のために?続編の報道に期待。晩メシはワーグナー『ワルキューレ』第3幕を見ながらヴォータンがブリュンヒルデを「嫁に出す」別れは泣けますね。バレンボイム指揮ミラノ・スカラ座のオケはドイツ・オペラでもたっぷりと泣きが入ります(ロマンチックです)ね。

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