コラム「ノンジャンル編」
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掲載日2004-04-05
この原稿は、かつて(数年前まで)『札幌イエローページ』というタウン誌に連載していた「遊びをせんとや生まれけむ」というコラムで書いたものです。

尚、文中に出てくる蓄音機を手に入れたのは、東京神保町にある『梅屋』(http://www.eniwa.co.jp/umeya/)という蓄音機屋さんです(ほかに、オルゴールとライカのカメラも売ってます)。右の写真は、そこで、何年か前に小生と梅屋さんで主催した「蓄音機コンサート」の模様です。聴衆に誰がいるかは、読者の皆さんの「眼力」におまかせします(笑)。

SPレコードは生演奏と同じ
 〜蓄音機にはまってしまった!

 我が家に「宝物」が出現した!
「蓄音機」を買ったのである。
 何のこっちゃ? と思う人も少なくないと思うので、説明しよう。

 SPレコードというのをご存じだろうか?いまをときめくCDやMDの出現する以前には、直径30センチで1分間に33回転するLPレコードと、直径17センチで1分間に45回転するEPレコードというのがあった。レコード盤に音の振動が溝として刻まれていて、それをダイヤモンドやサファイヤの針で響かせ、アンプを通して音を増幅してスピーカーで聴く装置である(こんな説明をするのは、最近、レコードというものを知らない若者が増えたからである)。

 そのLP、EPが出現する前に、25センチくらいで1分間に78回転するSPレコードの全盛時代があった。そのSPレコードを聴く装置が、蓄音機である。
 SPは、LPと同じように、レコードに刻まれた音の振動を針でなぞって取り出すのだが、その方式はLP(音の振動を刻んだ溝から針をふるわせて音を取り出す)と、CD(デジタル信号化された記号をレーザー光線で取り出す)の違いほどにかけ離れている。

 LPは、レコードを回転させるのにモーターを用い、録音や再生するときも音の振動を電気信号に変換して、増幅したり、混合したりする。が、SPは、基本的に電気をまったく使用しない。レコードを回転させるのはゼンマイである(もっとも、これはさほど重要な問題ではなく、電動モーターを使用する電気蓄音機=略して「電蓄」もある)。
 重要なのは、音の記録の仕方で、演奏者(歌手)は大きな筒に向かって音楽を演奏し(歌をうたい)、その奥にある紙をふるわせ、その紙の振動を針の振動に力学的に変換し、その針の振動でレコードに溝を刻む。

 逆に音を再生するときは、レコードに刻まれた溝を針で振動させ、その振動で小さな紙(人間の耳の鼓膜のようなもの)をふるわせ、その紙のふるえを大きなメガホンのような筒で増幅し、音を再生する。
 したがって基本的に電気を使わないSPは(戦後の録音では電気信号に変換したものもあるが)、「ナマの空気の振動」=「ナマの音」=「ナマの音楽」が蓄積され、再生されるのである。

 早い話が、演奏者や歌手が、目の前で演奏したり歌ったりしているかと思えるほどに、ナマナマしい音が響くのである。だから、「音」を「蓄える」「蓄音機」という。英語の「グラモフォン」も同じ意味である。
 もちろん、基本的に電気信号への変換による圧縮や増幅をしないため、音として蓄積される情報量はきわめて少ない。だから、オーケストラの音などは、LPやCDとは較べものにならないほど貧弱である。が、弦楽器や管楽器の独奏、歌手の歌声などを聴くと、ナマの音に加えて、その息づかいまでが感じられ、生演奏に接しているような感覚にとらわれるのである。

 じつは、わたしも、SPがこれほどすばらしいものだとは思わなかった。針の音がシャアアシャアアと響き、古めかしい音楽がかすかに流れるだけのものと思っていた。ところが、昨年、ある人物の紹介で、蓄音機ばかりを取り扱っている骨董品店を紹介され、そこでじっさいにSP蓄音機の音を体験し、けっして大げさにいうわけでなく、ほんとうに腰を抜かすほど驚いた。
 パブロ・カザルスが箱のなかで実際にチェロを弾いているとしか思えない音が聴こえた。マリア・カラスが目の前でうたっているとしか思えない歌声が響いた。ビリー・ホリデイが、ルイ・アームストロングが、目の前に立っていた。それは仰天すべき体験だった。

 科学の進歩とは、いったい何なんだ? ということまで、ふと考えてしまった。たしかに、測定機器を使ってデータをとれば、SP蓄音機はCDにかなうわけがない。音量も、雑音の割合(S/N比)も、音の透明度も、再生できる周波数も、音量の幅も、すべてCDのほうが上だろう。しかし、SP蓄音機から流れ出る音は、空気全体が響く。臨場感に充ち満ちている。

 そもそも、CDで聴こえるようなクリヤーな音の響くナマのコンサートなんてあり得ない。じっさいにナマのコンサートに足を運んだとしても、客席の咳払いが聞こえる、パンフレットを動かす音が聞こえる。そして、楽譜をめくる音が聞こえたり、指揮者の足を踏みならす音や、鼻息が聞こえるときもある。が、それでもナマがすばらしいのは、会場の空気全体がふるえる臨場感に充ち満ちていることだ。演奏者の息づかいが、肌で感じられることだ。

 CDなどの電気処理をした音は、あまりにもクリヤーにしてしまったために、そのような雑音と紙一重の息づかいまでもノイズとしてカットされてしまった。が、SPには、その息づかいが、ふくまれているのである。
 そこで――買うべきか、買わざるべきか・・・、やっぱり、これからの「時代」のことを考えて、DVDにするべきか・・・と、さんざん悩んだあげく、DVDよりもSPにすべし・・・という結論にいたり、買うことにしたのである。

 はっきりいって、これは大正解だった。
 またいずれ、DVDを買わなければならないときはくるだろう。が、思い立ったが吉日。SP蓄音機を買いそびれていたら、いつまで立っても買うことができない。それに、SP蓄音機は、丁寧に使えば、これから100年は使える(わたしの買ったのは、1920年代のイギリス・グラモフォン社製のものである)。

 DVDは、長持ちしても10年だ。その前に新製品が出現して、買い換えたくなるだろう。が、SP蓄音機に買い換えはない。値段は、安いDVD再生機が2台分くらい。ならば、どう考えても、お買い得である。
 というわけで、我が家に、SP蓄音機が運ばれてきた。これが本当にすばらしい。我が家のリヴィング・ルームで、わたしの目の前で、マリア・カラスが、わたしのために、アリアをうたってくれる。フリッツ・クライスラーが、ヴァイオリンを演奏してくれるのである。

 最初に見たときは、「これ、何? お仏壇?」などといっていた子供たちも、音が出たとたんに、馬鹿なことをいわなくなった。そのナマナマしい音の響き、声の響きに、驚いて目を丸くした。
 もちろん、SPにも欠点はある。
 レコードの片面が5分くらいしかなく、そのたびに、レコードを取り替え、ゼンマイのネジを巻き直し、針を付け替え(針は一回使うと、減ってしまってレコードの面を傷つける)、という作業をしなければならない。だから、絶対に「ナガラ音楽」はできない。

 しかし、SPの再生は生演奏のようなものだから、「ナガラ」で音楽を聴くなどというのは、そもそも音楽に対して失礼なうえ、こんなにすごい演奏がまっそばで響いているのに、そもそも「ナガラ」など、できるものでもない(「ナガラ音楽」は、やはりCDが便利で、CDとはそのためにできた機械に思える)。
 だから、5分間を集中して聴けばいいので、ゼンマイのネジや針の付け替えの手間は、あまり気にならない。

 とはいえ、残念なのは、夜に聴けない、ということである。音が大きすぎるのだ。もちろんヴォリュームなどというものはなく、音量調節は、ラッパの開口部にある扉の開け閉めで行う。扉を閉めておけば、隣家に迷惑にはならないが、やはり音が籠もってせっかくのすばらしい音の魅力が半減する。しかし、まあ、そのくらいは、仕方ない。生演奏と同じなのだから、思い切り音を出せるときだけ聴くようにしなければいけないのだ。

 その程度の欠陥に対して、長所は数え切れないほど存在する。音の素晴らしさは既に書いたが、SPレコードの全盛期は、クラシックでもジャズでもシャンソンでも、大演奏家たちの全盛期で、見事な演奏のSPが山ほど残っているのだ(いまでも市場に出回っていて、東京で6軒のSPレコード・ショップがあるという)。
 つまり、マリア・カラスやエンリコ・カルーソーなどのクラシック(オペラ)だけでなく、エディット・ピアフやマレーネ・ディートリヒ、ビリー・ホリデイ、エラ・フィツジェラルド、マヘリア・ジャクソンといった大歌手の「ナマ声」も手に入れることができるのだ。

 笠置シヅ子や美空ひばりも、フランク・シナトラやマリリン・モンローも・・・というわけで、SPの最大の欠陥が判明した。
 それは、いったん開いた財布の紐を綴じることができなくなることだ。しかし、そのカネに見合う満足度があるのだから仕方ない。
 みなさんも、CD、MD、DVDといったデジタル生活をやめて、アナログのSP生活をはじめてみませんか? はまりますよ。

      ******

この文章を書いてから数年後、蓄音機に凝った小生は、右の写真のようなポータブル蓄音機まで買ってしまった。これで、今年の花見も盛りあがったのだ(笑)。

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