ある生物学者と人類学者によれば《人類が猿に似た祖先から進化したのは、アフリカのサバンナで動物を狩るために長い距離を走らなければならなかったから》だった。つまり《走ることで人類は人間になった》のだ。
そこで民俗学と文化史を専門とするノルウェー人の著者は人間の「走る」という行為に着目し、面白い人類の歴史をまとめあげた。
古代メソポタミアやエジプト、それにマヤやインカでは、軍事以外に宗教儀式とも結びついた伝令が走り、王や神官も走った。古代ギリシアではオリンポスの神々のために走り、東洋では山岳信仰の修行僧が走った。
やがて賞金目当てに走るギャンブル・ランナーや、走る姿を見せる芸人ランナーが現れ、それらを否定するアマチュアリズムと近代オリンピックが生まれ、現代社会のジョギング・ブーム、ランナーのプロ化、貧困からの脱出を目指すアフリカ人ランナーの台頭……と、「走る人類史」の概略だけを取り出せば、学校の歴史の授業と同様、少々味気ないものになってしまう。
が、「賭けレースと時計の発明」「フランス啓蒙主義も走る」「スター、ビジネス、ドーピング」…等々の興味深いタイトルで分けられた25章には、ランニングの魅力と、その魅力に取り憑かれた人間の「業(ごう)」ともいうべき営みの面白さ、奥深さが手際よくまとめられ、一瞬も飽きずに四百頁の大部を一気に読ませる。
そして読後は、フルマラソンを走りきったような……といいたくなるほどの満足感。《走り始めたときに人類になった》わたしたちは《人類であり続けるために(略)走らなくてはならないのだ。肉体的、精神的な機能を停止した、機械での移動を強いられる怠惰な生き物になってしまわないように》。
この単純素朴な結論に、心の底から首肯できることこそランニングの魅力なのかもしれない。
本書は、壮大な「走る人類史」を描きながら、走ることの魅力を(問題点も含めて)余すところなく正しく伝えている(と思える)。
さて、わたしもちょっと走ってみるか……。そんな気を起こさせる一冊でもある。 |