一昨年(2021年)2度目の東京オリンピックが開催された。が、スポーツの社会的影響は、1度目1964年の東京五輪が圧倒的だった。
そのとき私は小学6年生。10月10日に始まった大会の期間中2週間は、学校で連日2〜3時間がテレビの五輪観戦。大人たちも、重量挙げを見て(力が入って)「肩が凝った」とか、体操やバレーボールを見て「ハラハラドキドキ疲れてしまった」などと、挨拶代わりにスポーツ(五輪観戦)を話題にした。
なかでも強烈な印象を残したのは、マラソンで優勝したエチオピアのアベベ・ビキラだった。
マラソン全コースをTV中継したのは、このときが世界初の快挙。しかし折り返し点を過ぎてアベベが独走状態に入ったため、まだ技術的に未熟だったテレビ中継は、アベベ一人の走るを30分間以上も映し続けた。 それは、見事な姿だった。
筋肉質の細く伸びた脚は、腕の動きに合わせて少しの乱れもなく、力強く前後に動き続けた。黒く頬の痩けた彫りの深い精悍な顔つきで、眼は遠く一点を見つめ、黙々と走る顔つきは、まるで哲学者が深い思索に耽っているようだった。
その姿を見続けた日本人の心には、「走る」ということが人間にとってこれほど意義深いことなのかと、驚きとともに深く刻まれたのだった。
アベベに続いて円谷幸吉が3位に入ったのも見事だったが、ゴールインして倒れる選手が続出するなか、アベベ一人が元気に身体を動かし、体操し続けたのも驚異だった。
その後全国に市民マラソンが生まれ、日本人が大のマラソン好きになったのも、アベベの超人的な姿の影響と言えそうだ。
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