江戸時代までの日本人は走らなかった−−と書くと、誰もがウッソーと思うだろう。
飛脚は手紙を運ぶために走った。武士も忍者も農民も町人も走ったに違いない。が、彼ら(我々の先祖)の「走り」は、今日の我々の「走り」とはまったく違っていた。
飛脚は片手か両手で肩に担いだ文箱の棒を押さえ、忍者は左手で短刀を、武士は両手で大小の刀を押さえ、町人や農民は着物の裾を左手で掴みあげ、太股を上にあげることなく、誰もが摺り足で膝から下を後方に蹴って走っていた(女性は着物の裾が開かないよう、摺り足で速く歩く程度の走り方だった)。
日本人は基本的に農耕民族。鋤や鍬を使うときの身体の動きはすべて右腕(左腕)が前に出れば右足(左足)が前に出る。
それは井戸から水を汲み上げる滑車の綱を引くときの身体の動きと同じで、滑車が南蛮渡来だったため、その動きを「ナンバン→ナンバ」と呼ぶようになったらしい。
歌舞伎の『勧進帳』で弁慶が花道を去るときの「飛び六方」も、相撲の寄り身も突っ張りも、右手が前なら右足が前のナンバの動き。江戸時代以前の「走り方」も「歩き方」も基本的にナンバの動きで、これで困ったのが幕末から明治時代。藩や政府が近代的な軍隊を創ろうとしたときのことだった。
ナンバの動きでは足(太腿)を前方に上げ、手足を揃えての分列行進ができず、兵隊は匍匐前進もできない。
腹這いで銃を両手で持ち、肘と膝を使って前へ進む匍匐前進は、右肱(左肱)が前へ出るときは左足(右足)を前に出さないと素速く真っ直ぐには動けない。
そこで日本の軍隊は、太腿を前方に高く上げ、手と足を左右別々に前方に出す歩き方、走り方、行進の仕方を、徹底させた。
その動きが体育教育で日本人全員にも広まったのだが、近年スポーツ界では、あまり太腿を上にあげない「ナンバ走法」が見直され、陸上競技や各種球技で取り入れられるようになった。 進歩とは過去がモデルにもなりそうですね。
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