オリンピックは面白い。私も平昌冬季五輪での日本選手の活躍には興奮もし、感動もした。
が、その国際的超ビッグ・スポーツ・イベントが、政治的にも経済的にも様々な問題を抱えていることも、周知の事実である。
しかも、それらの問題が――たとえば平昌大会で露骨に表面化した南北問題のような政治問題も、あるいは2020東京大会での運営費の高騰のような経済問題も、本書を読めば、1896年第1回オリンピック・アテネ大会以来、延々と続いている固有の問題であることがわかる。
もともとオリンピックは、教育者であるクーベルタン男爵が、普仏戦争に敗れたフランス国内にプロシア(ドイツ)に対する復讐の声が高まるなか、古代ギリシアのオリンポスの祭典をモデルに、スポーツによる休戦(反戦)と平和を訴えるイベントとして提唱された。
ということは、戦争が「政治の延長」であるなら反戦の主張も政治的にならざるを得ず、その時々の政治に巻き込まれるのは必然の結果とも言える。
冷戦時代の西側諸国と東側諸国のボイコット合戦だけでなく、すべてのオリンピック大会が政治と無縁でなかったことを、本書は詳しく指摘する。そして肥大化が指摘されるようになる以前から、経済的危機に常に見舞われていたことも。
しかし本書の著者は、五輪の未来を否定しない。《IOCは権力にしっかりとしがみつき、特権ある人びとはオリンピックに便乗して私腹を肥やし、開催地の一般市民は大会のあとさまざまな形で隅に追いやられ、丸めこまれている》と書き、北京やソチで五輪を開催しても民主主義や人権に対する効果はなく、五輪開催地となった《民主主義国は専制主義になりがち》と書きながらも、東京五輪組織委に《歴史にしっかりと目を向け、よくないところを改めていかねばならない》とエールを送る。
IOC委員のコーツ氏は東京大会での開催費削減を求め、東京は《IOCの努力に貢献》するのが《大きな責務》とも書く。が、そのコーツ氏がシドニー五輪招致のときに裏金と思しき7万ドルを2人のIOC委員に配ったことも別の章に書かれている。
五輪の闇は深い。本書に書かれていることを反面教師として学ばなければ、オリンピックに未来はないだろう。 |