コラム「ノンジャンル編」
HOMEへ戻る
 
表示文字サイズ選択:
標準
拡大
掲載日2012-11-14

この原稿は、某編集プロダクションの依頼を受け、いろんな執筆者が執筆し、某出版社から発売されたNHK大河ドラマに関するオムニバス本に書いたものです。私自身、オモシロイいい本のなかに、一人の筆者として加えていただき、喜んでいたのですが、この本がある事情により、発売早々に絶版になってしまいました。たいへん残念ですので、小生の原稿だけでも、ここに“蔵出し”します。御一読ください。

大河ドラマは世に連れ、家族は大河ドラマに連れ……

 私は、自分のことを、間違いなく「日本で最初のテレビっ子」だと自覚している。

 1952(昭和27)年。生まれたところは京都祇園町の小さな電器屋。世の中のほとんどの人が街頭テレビに映し出された力道山のプロレスや、長嶋茂雄のホームランに興奮していた頃から、我が家にはテレビがあった。

 もちろん白黒。角が丸い14インチのブラウン管。とはいえそれは、忙しく仕事に励む両親に放っておかれた餓鬼にとっては、飽きの来ない宝の箱だった。

 そのテレビでプロレスや野球の他、アメリカ製の漫画やドラマを見続けた餓鬼が、連続大型時代劇と出逢ったのは、もちろん第一回の『花の生涯』(確か、まだ「大河ドラマ」という名称は存在しなかったと記憶している)。

 主役が親父の大好きな歌舞伎役者の尾上松緑だったこともあり、当時小学5年生となっていた餓鬼は、日曜の夜は必ず親父の晩酌の横で、松緑の井伊直弼に付き合わされた。

 その中味は雪の中の暗殺シーン(桜田門外の変)に興奮したことくらいしか記憶に残ってない。いや、それだけではない。そのころ、平凡社の国民百科事典とともに、親父が買い揃え始めた河出書房の日本文学全集のなかに、舟橋聖一『花の生涯』が含まれていて、この「本」があの「テレビ」になったのかと思うと、子供心に何か不思議な気持ちになり、わけもわからず「凄い!」と叫びたくなったことも憶えている。

 しかし翌年の『赤穂浪士』には、あらゆる意味で興奮させられ、今もいろんなシーンをはっきりと憶えている。

「おのおのがた……」と少し掠れ気味の声で話した長谷川一夫の大石内蔵助は、「声帯模写」をする芸人が、テレビの演芸寄席番組で、何度も繰り返し演じて見せた。滝沢修は吉良上野介を見事に憎々しげに演じた。

 それに宇野重吉の蜘蛛の陣十郎と、その陣十郎に「堀田さん……」と江戸の町角で呼びかけられる林与一の堀田隼人。その二人の粋でニヒルなカッコ良さは、今も忘れられない。

 さらに芦田伸介の小林兵七や内藤武敏の清水一角は、子供心にも、「敵方」となった男も美しいことを感じさせてくれた。

 そのドラマでの年末の討ち入りは、東京オリンピックと並ぶその年の二大事件となった(他にシンザン初の三冠馬という事件もありました)。小林平七と清水一角が斬られ、吉良上野介が死んだ夜、小学6年の餓鬼は、力道山とルー・テーズの一戦を見た夜と同じように興奮して眠れなかったことを憶えている。

 さらに次の年の大河ドラマ(この3作目から、そう呼ばれたような記憶があるのですが……)『太閤記』は、中学1年になった少年を大興奮させてくれた。

 まず最初に新幹線ひかり号の疾走するシーンが映し出され、大阪城の鬼瓦のアップがドッカーンと目に飛び込み、(現在の知識で表現するなら『スターウォーズ』のテーマを作曲したジョン・ウィリアムスが作ったような)音楽がジャジャーンと流れるという、そのオープニングだけで興奮させられた。

 いま思えば、そのシーンは、『幕末太陽伝』の冒頭に、品川駅の電車を走らせた川島雄三監督のアイデアのパクリだったようにも思えますが……それはさておき、主役の秀吉役の緒方拳が、当時としてはまったく無名。

 同じく信長役の高橋幸治も、まったく知られてない役者だったが、ドラマが始まった直後に私の親父が、「信長は早死にするからええけど、歳とった秀吉は、役者が変わるのやろ」と言ったのを、いまも憶えている。

 ところがその1年が経つと、緒方拳が年老いた秀吉も見事に演じきり、「さすが新国劇の役者は、よう鍛えられてる」と、親父はつくづく感心し、私は、緒方拳の大ファンとなり、翌年の尾上菊之助(現在の菊五郎)主演の大河ドラマ『源義経』も、緒方拳演じる弁慶に注目し、最後の最後にカアーッと両目を見開いたまま何本もの矢を受けて死んだ「弁慶の立ち往生」に感激したのだった。

 しかし――
 私の「大河ドラマ体験」は、そこでパタリと幕を閉じることになる。

 ここまでの原稿は何の資料も見ずに書くことができた。が、『花の生涯』『赤穂浪士』『太閤記』『源義経』と続いた大河ドラマの次が何だったか……ということすら思い出せない。いや、そもそも知らないし、興味もない。

 それでも必死に考えて『三姉妹』だったか……と思って資料を見れば記憶に違いはなく、その後の『竜馬がゆく』『天と地と』『樅の木は残った』……くらいまでは、そうだったなぁ……とタイトルだけは記憶に残っているが、中味はまったく見なくなった。

 明治百年を記念して取りあげられた幕末から明治にかけての『三姉妹』の物語が、それまでの大河ドラマとは趣向が異なり女性が主人公となったことで、中学3年になった餓鬼は興味を削がれたのか、あるいは運動部系のクラブ活動(バドミントン部)が多忙になり、京都府大会で優勝し、さらに高校生になってインターハイを目指し、大学受験も近づき……で、大河ドラマどころではなくなったためか、いつしか小生にとっての大河ドラマは、餓鬼の頃の楽しかった体験へと追いやられていった。

 しかし、いま振り返ってみても、わずか4年間の体験だったとはいえ、それは、心の襞の最も柔らかかった時期の貴重な体験として、深く心に染み込んでいる。

 親父が大好きな歌舞伎役者の尾上松緑は、『花の生涯』とともに小生にとって最高の役者として心に深く刻まれ、その後、『勧進帳』の弁慶や『菅原伝授手習鑑』の松王丸、『熊谷陣屋』の熊谷直実だけでなく、日下武史や玉三郎や木の実ナナと共演したシェークスピアの『オセロー』にも足を運び、日本の伝統芸能の力強さ、奥行きの深さを教えてもらった。

 また、『赤穂浪士』で名演技を見せた滝沢修や宇野重吉は、京都で公演のあるときは我が電器屋の得意先でもあり、近くにあった『多助』という名の割烹料理店に立ち寄ることが多かった(『多助』は現在はなくなったが、日本で初の鉄板焼きを始めた店として、池波正太郎の本にも紹介されている)。

 彼らは、当時「新劇」と呼ばれた「左翼演劇グループ」の一つである「劇団民芸」に所属する役者だったことにも留意しておいていいだろう。わたしは高校時代に、滝沢修がレーニンを演じ、ソビエト社会主義革命の成功を讃える芝居を見た(余談だが、滝沢修は、鬘をかぶることなく、レーニンにソックリだった・笑)。

 が、そのような演劇人がNHK大河ドラマの主役級の登場人物に登用されたのは、彼らに俳優としての実力があったことや、社会主義シンパの左翼がごく身近な存在だったことも事実だが、映画界の松竹、大映、東映、日活、東宝、新東宝が「五社(六社)協定」を結んでいたからでもあった。

 その協定を結び、所属俳優の相互の引き抜きの防止やテレビ出演の拒否などを申し合わせていたため、テレビが人気映画俳優(たとえば三船敏郎、田宮二郎、石原裕次郎、さらに山田五十鈴、山本富士子など)を使いにくかったから、ともいわれている。

 そんな映画界の偏狭な姿勢が、緒方拳の大河ドラマ・デビューにもつながったのかもしれない。が、28歳で演じた『太閤記』の秀吉と、翌年の『源義経』での弁慶の成功に続き、その後の緒方拳は映画俳優として、『復讐するは我にあり』『ええじゃないか』『楢山節考』『火宅の人』『女衒』『社葬』『大誘拐』『おろしあ国酔夢譚』そして『長い散歩』『武士の一分』などなど、素晴らしい演技でわれわれ観客を魅了し続けてくれたのは、皮肉な結果というほかない。

『太閤記』の大胆な演出は、30歳を過ぎた頃になってから、最高のTVドキュメンタリー監督である吉田直哉の演出であると知り、最近NHKで放送された彼の日本のヤクザの賭博事情を取材したドキュメンタリーを見直し、その素晴らしい才能に改めて感服した。

 なにしろ、テレビ・ドラマで使用する「偽札」を本物のヤクザに渡して、斬った貼ったの賭場を再現してもらって「ドキュメンタリー」を収録したのだから、最近のTVディレクターとは、肝の据わり方が違う!(本物のヤクザたちに「ヤラセ」をさせたのだから!)。

 そんなふうに、わたしにとっての「大河ドラマとの4年間」は、かなり充実した経験として記憶に深く刻まれている。

 その4年間のあとは、ほとんど大河ドラマを見なくなったのだが、唯一1年間を通して見て楽しんだのが、1996(平成8)年の『秀吉』だった。

 それは、私の大好きな役者である竹中直人の演技を、過去の緒方拳と較べてみたいと思ったからであり、また時代考証や劇中の舞踊や謡曲の指導を、友人である狂言師の(いまは残念ながら故人となってしまった)野村万乃丞が担当したからでもあった(その戦国時代ふうでもあり、モダンでもある踊りや歌は本当に見事だった)。

 が、それ以上に、当時15歳の我が娘が竹中直人の大ファンで、突然熱心に毎週日曜の夜、テレビの前に座るようになったからでもあった。

 時折、テレビ画面を食い入るように見つめる娘の横顔を見ながら、自分が過去に井伊直弼や大石内蔵助や吉良上野介、秀吉や信長、義経や弁慶を見つめたときもこうだったか……と思うのは、じつに楽しい一時でもあった。なるほど、ひょっとして、これが「大河ドラマ」の最も楽しい楽しみ方といえるかもしれない。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉があるが、大河ドラマは世に連れ、家族は大河ドラマに連れ……といえるのかもしれない。

 そもそも、テレビというメディアが、そういう世間(社会)と家庭をつなぐ存在であり、「大河ドラマ」のように長く続くシリーズは、テレビの特徴を具現するものといえるのだろう……というのが、「日本で初のテレビっ子」を自認する小生の結論である。

 娘は、その後、大河ドラマをまったく見てないが、自分の子供が成長したときに、また見るのだろうか……?

▲PAGE TOP
バックナンバー


蔵出し新着コラム NEW!!

パリ五輪/真価が問われる「平和の祭典」原点回帰へ理想論を愚直に掲げよ

スポーツによる「社会革命!」川淵三郎氏文化勲章受賞の意味は大きい

川淵氏の文化勲章受章が持つ意味/組織創りの「社会革命」評価

「アレ」を喜べない古い虎ファンの嘆き/阪神タイガースは、ただ勝てばいいのか!?

ちくま文庫編集部 K 様  from 玉木正之

日本スポーツ界よ!本質から目を背けず改革から逃げるな!

五輪談合ビジネスの崩壊/メディアの沈黙は不正共犯の証だ!

メディアとスポーツの関係刷新/アスリートはメディアを使った新しいカタチに逆転すべき!

日本のスポーツ界改革/未来を担うのは過去の利権と無縁の女性たちだ

日本のスポーツとアスリートを堕落させた戦犯は誰だ!?

「メディア」としてのアリを描ききった快著/『評伝モハメド・アリ』書評

2020東京オリンピック スポーツを食い物にした五輪と電通

特別対談:小林信也vs玉木正之/高校野球甲子園大会を廃止せよ!

夏の高校野球甲子園大会は、今年を最後に抜本的に改革せよ!

大甲子園の想ひ出

「速さ」は産業革命以後の価値!?

「オリンピック休戦決議」を破ったロシアに対してIOの取るべき態度は!?

五輪が《オワコン》であることを明快に証明した記録/本間龍・著『東京五輪の大罪: 政府・電通・メディア・IOC』ちくま新書

今年の3冊『生物はなぜ死ぬのか』『亡国の東京オリンピック』『剣道の未来』

カオスからコスモスへ−−若者たちの形造る「小宇宙」=矢崎良一『松坂世代』河出文庫〈解説〉

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(9)「大阪タイガース來る」 / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(10)遠藤忠「長嶋茂雄ヘルメット飛ばす」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(7)ベン・シャーン”National Patime" / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(8)ナット・ファイン『The Babe Bows Out』

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(5)hoda Shrball「Casey Stengel」 / 日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(6)「Baseball scene of Batter,Catcherand Umpire」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(3)玉井力三「ジョー・ディマジオ親子とヤンキースタジアム」/同(4)「ワールドシリーズのオフィシャル・プログラム1988」

日経美の十選/アート・オブ・ベースボール(1)ニール・ライファー「シェイ・スタジアム」/同(2)「The American National Game of Base Ball.」

スポーツお薦めの一本!一冊!/『けんかえれじい』と『老人と海』

愛情あふれる「野球の素人」奮戦記/清武英利『サラリーマン球団社長』文藝春秋

戦前日本野球史の誤りを正す/坂本邦夫・著『紀元2600年満州リーグ 帝国日本とプロ野球』岩波書店

スポーツそのものを描いた小説〜ヘミングウェイ『老人の海』の凄さ、素晴らしさ!

六道珍皇寺・閻魔大王像――幼い頃に恐怖心を刻まれた閻魔様との再会

まえがき――今こそ「スポーツとは何か?」を考え直してみよう!

「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?

現在の「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?

東京五輪の遺産(レガシー)はなにか? スポーツの根源問う好機に

市川崑監督の映画1964年の『東京オリンピック』は、スポーツの素晴らしさを教えてくれた史上最高のスポーツ映画。はたして河瀬直美作品は、どんなオリンピック映画になるのか?

『彼らの奇蹟 傑作スポーツ・アンソロジー』解説

英語は難しい? 外国語とスポーツの不思議な関係

それはわずか50年前の出来事 高速道路と新幹線が初めて出現した時代の興奮

こころの玉手箱第3回「一本足打法のブルドッグ 旧ソ連、不思議な国家とその時代」

こころの玉手箱第2回「母がくれた小さな薬缶 常に一緒、激励の手紙にはマイッタ」

こころの玉手箱第1回「父の飯盒と水筒と勲章」

『ふたつのオリンピック東京1964/2020』訳者あとがき――そこにはただ風がふいているだけ……

猛暑の高校野球 改革せよ!試験期間中の予選もおかしい

政治経済問題は第1回大会から。オリンピックに未来はあるか?/ジュールズ・ボイコフ[著]中島由華[訳]『オリンピック秘史−120年の覇権と利権』早川書房

いまも京都はアンダー・コンストラクション/島田裕巳『京都がなぜいちばんなのか』ちくま新書

スポーツに映し出されたアメリカという国の本質/鈴木透・著『スポーツ国家アメリカ 民主主義と巨大ビジネスのはざまで』中公新書

スポーツ教養主義を押し進めたメディアの興亡/佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史 ベースボール・マガジン社と大衆教養主義』勉誠出版(3200円+税)

大相撲は日本文化の精華――それを「保守」することこそスポーツ(格闘技)以上の大相撲の役割なのだ

愛煙家には理解できない煙草の話 「卒煙」して初めてわかる元ヘビースモーカーの悩み

モンゴル会の実態把握を

スタジアムとは都市の文化の核となる存在である/後藤健生・著『世界スタジアム物語 競技場の誕生と紡がれる記憶』ミネルヴァ書房

2020東京五輪は環境問題も無為無策?

子規の野球への視点――それは、スポーツライターの原点

銃剣道はスポーツか? そのうちに、まさか竹槍も?

先人たちの語る日本マラソン低迷の理由/折山淑美『日本のマラソンはなぜダメになったのか−日本記録を更新した7人の侍の声を聞け!』文藝春秋社

元ボクサーたちの痛快な再起:沢木耕太郎『春に散る』朝日新聞出版・書評

2016年は没後400年〜シェイクスピアは未来永劫生き続ける超人(スーパースター)である

無駄でなかった小池提起〜しかし、問題はまだ山積

半歩遅れの読書術第5回/五輪とは何か 文明化を表象する平和運動

半歩遅れの読書術・第4回/五輪で何を撮るか ドイツの女性監督と市川崑

半歩遅れの読書術・第3回/ユーロ・サッカーとシェイクスピア 原作者の意図を超える面白さ

半歩遅れの読書術・第2回/モハメド・アリと南部麒六 悲歌の似合う雄々しい人生

半歩遅れの読書術・第1回/ドナルド・キーンとイチロー 伝統の魅力思い出す

猫ブームの日本で好かれている猫〜それはドラえもんのような「犬的な猫」?

大相撲こそ江戸の華。昔も、今も、都の華。

大相撲は「お国自慢」の文化――琴奨菊の優勝を日本人として喜ぶ

大学スポーツを考える

大相撲は日本の国技――と同時に、ユーラシア大陸全体に広がる格闘技文化なのだ

スポーツライターを引退しました

エンブレムがプロブレム〜創作とは過去を超えること

NHK視点・論点 「体育からスポーツへの変化を」

槇文彦グループの提言:低いキールアーチ構造がコスト高・長工期の原因である。

『スポーツ・アンソロジー彼らの奇蹟』(新潮文庫)は、何故か「死」と関わりを持つ作品が多くなってしまった。

スポーツと文学第5回/「人間ドラマ」礼讃の気風/競技描いた名作も多く

スポーツと文学第4回/運動会 躍動するパワー/壮士も近代女性も熱中

スポーツと文学第3回/思想を宿し物語る肉体/20世紀 覆る「精神優位」

スポーツと文学第2回/近代民主主義と武道/国際化と反時代2つの道

スポーツと文学第1回/古典に描かれた競技・日本人の個人技好みを映す?

日本の作家はスポーツが好き!?/数多い「日本のスポーツの本」に改めて注目しよう!

夏の甲子園・投手の酷使……最大の問題点は?

世界最強のブラジル・サッカーは、史上最悪の敗北からスタートを切った!(沢田啓明『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』新潮社)

京がたり 俺の祇園 いやで捨てたけど、好き

スポーツの正しい発展のために指導者ライセンス制度の確立を!

東京の新しい歌舞伎座が完成オープン/歌舞伎はナンデモアリの最高に楽しい大衆芸能ナノダ

あけましておめでとうございます。

スポーツする身体 十選/第9回スポーツする身体 パブロ・ピカソ『マタドールの死』/第10回スポーツする身体 ベン・シャーン『ハンド・ボール』

スポーツする身体 十選/第7回スポーツする身体エドガー・ドガ『観覧席前の競走馬』/第8回スポーツする身体ルネ・マグリット『迷える騎手』

スポーツする身体 十選/第5回ボナール『ボクサー』/第6回モネ『アルジャントレイユのレガッタ』

スポーツする身体 十選/第3回ディスコボロス(円盤を投げる人)/第4回クールベ『レスラー』

スポーツする身体 十選/第1回アルジェリアの洞窟壁画/第2回マチス『ダンス』

東京オリンピック〜戦後日本のひとつの美しい到達点

「黒人選手」は本当に速くて強いのか!?〜スポーツと五輪の過去・現在・未来

「美」で誘惑した女の一生――ライナー・ローター著『レーニ・リーフェンシュタール 美の誘惑者』(ライナー・ローター/瀬川裕司訳/青土社・2,800円)

プロ野球ビジネスの未来〜球界全体の新戦略を

日本体罰論〜いま改めて考える「スポーツ」と「教育」と「体罰」

東京の新しい歌舞伎座が完成オープン/歌舞伎はナンデモアリの最高に楽しい大衆芸能ナノダ

六道珍皇寺・閻魔大王像――幼い頃に恐怖心を刻まれた閻魔様との再会

大河ドラマは世に連れ、家族は大河ドラマに連れ……

京都駅の思い出

スポーツ振興くじ(toto)は「ギャンブル」や「金集め」だけでは語れない!

あなたは知ってる!? スポーツの疑問の数々…

五輪のあり方を考える〜ネット中継や交流も…/ロンドン・オリンピックはシェイクスピアに注目!?

「猫もするなり球遊び」スポーツは、世界(オリンピック)と地域社会(クラブ)をつなげる

「猫もするなり球遊び」オリンピックは人類の祭典!日本人にとっては?

二代目市川亀治郎さん(現・四代目市川猿之助)――伝統とは「変える力」

大学の教壇に立って……〜ジャーナリズムとアカデミズム

ランニングの歴史と魅力を伝える〜トル・ゴタス著『なぜ人は走るのか:ランニングの人類史』(筑摩書房)

読者からの質問への回答

『マーラーの交響曲』発売記念エッセイ〜いつか私の時代が来る、とマーラーは言った。

祇園町の電器屋の初荷

権力志向者がジャーナリストになる危険性――魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社

かつてラグビーは日本中を湧かせた!(上岡伸雄・著『釜石ラグビー栄光の日々松尾雄治とくろがねのラガーたち』中央公論社)

日本文化「大相撲」は「スポーツ」なのか?

オペラ(音楽)とスポーツの濃密な関係

塾や予備校は学校より大事?

「新道」という名前が消える寂しさ

孤立化、個別化する社会のあり方に警告(杉本厚夫『「かくれんぼ」ができない子どもたち』ミネルヴァ書房)

女心・男心…人間を描くため、肉体を描ききった本物の作家(虫明亜呂無『パスキンの女たち』清流出版)

松本修『「お笑い」日本語革命』(新潮社)書評「みたいな。」の元祖はとんねるずか!?

犬好き男の愛猫記

大魔神を巡る見事な「知的探検の旅」/小野俊太郎・著『大魔神の精神史』(角川ONEテーマ21)

企業の「所有物」と化したスポーツ・文化団体

スポーツ番組作りの「プロ」になっていただくために

「スポーツ放送はどうあるべきか?」を考える前に、考えるべきこと

書評『茶の世界史』/茶が映し出す過去の世界史&茶が匂わせる未来社会

思い出すのは仕事をしている姿

脳出血と恐怖心

現代社会の「怪物性」を説き明かす見事な一冊〜小野俊太郎・著『フランケンシュタイン・コンプレックス 人間は、いつ怪物になるのか?』青草書房

「劣等感・コンプレックス」とは、本当はどんなものなのか

あけましておめでとうございます

脳出血から復活できた理由(わけ)

「何か」を表現しようとする究極の本能

天職人〜あとがき

そばは京都にかぎる

総選挙の行方とスポーツ界

小泉首相の「趣味」と「文化政策」

行きつけの店は恋人に似てる?

アイ・ラヴ・サッポロ!アイ・ラヴ・ホッカイドウ!

日本文化の「型」と「カタヤブリ」と「カタナシ」の関係を横綱・朝青龍の「カタチ」から読み解く。

いま、ベネズエラで起きている「大事件」

「文化」の持つ本当の力

あけましておめでとうございます

煩悩の世界史〜『要約世界文学全集』(木原武一・著/新潮社)

「夢かうつつか…」逝った者へ…、残された者は…

オリンピックはスポーツではない

「天才」の多くなった世の中

『二十五時』との数奇な出逢い

わたしは猫になりたい。

紅旗征戎不有吾事 金は天下の周りの持ちもの…

アメリカ珍道中〜This is American Way

仕事人間の弁明

変わらないことの素晴らしさ

<二人袴>

女人狂言『茶壺 de Hermes』

私の行きつけの店・好きな店

島田雅彦vs玉木正之 ドイツW杯特別対談「選手を自由にさせたら高校生になっちゃった」

あけましておめでとうございます

個人的パラダイム・シフトに導かれた三冊

ゴシック・万博・ストリップ・吉本…を読む

現代と未来の世界を考えるうえでの「真の世界史情報」(井野瀬久美恵・著『興亡の世界史16 大英帝国という経験』)

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第3弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第2弾!

300万ヒット記念特集・蔵出しの蔵出しコラム第1弾!

知識や情報なんて、ないほうがいい

現代日本人必読の一冊

タクシーと自家用車の違い

「天才」って何? ――まえがきにかえて

「ある女の一生」

「戦争映画」が好きな理由(わけ)

とかく京都のスポーツマンは……

道はどれほど重要なものか

祇園町の「生活」=「文化」

地獄八景万之丞乃戯(じごくばっけいまんのじょうのたわむれ)

わたしは猫になりたい。

読書日記〜稲垣足穂から梅原猛まで

アッピア街道に乾杯(ブリンディシ)!

「質より量」の読書は「質」が残る?

スポーツは究極の道楽?

久しぶりに「銀ブラ」でもするか・・・

行きつけの店は恋人に似てる?

権力志向者がジャーナリストになる危険性――魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』講談社

ロジャー・パルバース著『旅する帽子』生身のラフカディオ・ハーンが幻想のなかに甦る

作者の名前も作品の題名も消えるほどのノンフィクションの名作〜デイビッド・レムニック著『モハメド・アリ』

戦争と軍隊の歴史

スポーツと音楽を通して出逢ったトリュフ

スポーツ・ジャーナリストにはスポーツよりも大事なものがある?

お薦めの本(2003年夏〜2004年春)

日本人は元気だ――24人の元気な日本人

美しい最後の素晴らしさ

「若い国」アメリカ

京都人の溜息

経済には倫理が必要である

オススメ脳味噌のマッサージ

吉本興業は匈奴である『わらわしたい――竹中版正調よしもと林正之助伝』竹中功・著/河出書房新社

虚実の皮膜――『イッセー尾形の都市カタログPART2』イッセー尾形/森田祐三・共著 早川書房・刊

胡散臭さ礼賛――竹内久美子『賭博と国家と男と女』(日本経済新聞社)

衝撃的な笑劇――レイ・クーニー『笑劇集』劇書房

翻訳って何?――『翻訳史のプロムナード』(辻由美・著/みすず書房・刊)

脳細胞の組み替え――『世界史の誕生』岡田英弘・著/筑摩書房(現・ちくま文庫)

長老の話――堀田善衛・著『めぐりあいし人びと』を読んで

古典の楽しさ

ドリトル先生 不思議な本

京都が消える

嬉しいこと――喜びは常に過去のもの

野村万之丞 ラジカルな伝統継承者(2)

野村万之丞 ラジカルな伝統継承者(1)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第5回=最終回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第4回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第3回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第2回)

事典・辞典・字典・ジテンする楽しみ(第1回)

先達はあらまほしきか?

旅の衣は篠懸(すずかけ)の

パチンコと飢餓海峡

最近の映画はつまらない?いや、やっぱり、映画はおもしろい?

神道、天皇、韓国・・・を読む。

はかなく、素晴らしい、味わい

京の祇園の極私的元服之儀

コースケ(野村万之丞)の遺言

ミレニアム歳末読書日記 楽しい世紀末

お金と勉強

親父ゆずりの数学好き

わたしの本棚(4) スポーツを読む

わたしの本棚(3) 祭りの原型

わたしの本棚(2) ドラマの感動

わたしの本棚(1) 振動する快楽

夏休み読書日記/スポーツ・身体・ジャーナリズム

銀行は痰壺処理会社

親父の隠したエロ小説

野村万之丞――伝統と格闘するパワー

女が動く時代、男は思索せよ

バック・オーライ

二十五時――わたしの好きな世界文学

「私の京都」

わたしの東京体験

SPレコードは生演奏と同じ〜蓄音機にはまってしまった!

感銘した一冊の本〜鈴木隆『けんかえれじい』

「情報過多時代」の楽しみ方

内面より外面

不味いものが食いたい!

ああ、肩が凝る。

父の勲章

京の昼寝

祇園町の電器屋の初荷

Copyright (C) 2003-2011 tamakimasayuki.com. All Rights Reserved. Produced by 玉木正之HP制作委員会. ホームページ制作 bit.
. 『カメラータ・ディ・タマキ』HOMEへ戻る