かつて「アンポハンタイ」あるいは「フンサイ」を唱えていた人々の多くが、条約の本文を読んでいなかったという。「行動」とは、そんなものなのかもしれない。
靖国問題も教科書問題も、あるいはイスラム問題も、「読まず」(知らず)に動いている人が多いのかも・・・?
菅野覚明・著『神道の逆襲』(講談社現代新書)は、《日本の伝統思想の中でも(略)あやしく荒唐無稽で、取るに足らぬ幼稚なものとして、批判される以外ほとんどまともに相手にされてこなかった》神道を、そのアニミズム的発祥から、度会(わたらい)神道、吉田神道、本居宣長まで、さらに現代日本人の無意識のうちの神道的感覚まで、じつにわかりやすく解説した名著といえる。
記紀や神皇正統記や《秘密の経典》の解説はもちろん、『浦島太郎』『花咲爺』といった昔話から萩原朔太郎、『鉄腕アトム』『ひょっこりひょうたん島』まで引き合いに出し、日本人の心の奥に根付く神道の原理を説き起こした本書は日本人必読の書といえるようにも思えた。
タイトルの『逆襲』という言葉について、著者は《鳴り物入りで弓鉄砲をふりかざすことばかりが逆襲であるとは限らない。ただ、石の地蔵のようにそこにあるということでも、それはそれで一つの決起の形であると思う》と書いている。
この一文が改めて心に浮かんだのは、貿易センタービルにジェット機が飛び込む映像をテレビで見たときのことだった。すぐに物理的反撃をすることばかりが「逆襲」ではあるまい。
遠山美都男『天皇誕生 日本書紀が描いた王朝交代』(中公新書)は、戦前の《万世一系でも》なければ、戦後の《王朝交替でもない、新しい古代天皇の歴史を描》くため、『日本書紀』が《どのような歴史観・歴史認識をもっていたのか》を分析した一冊。
書紀の書かれた律令時代や、影響を受けた中国(隋)の王朝興亡が、そのまま投影され、《神武から応神まで》と《仁徳に始まり武烈に終わる(略)二大王朝の交替という構想》が読みとれるという。
日本書紀のダイジェストとしても面白い。こういうことこそ教科書に載せて、日本人の共通認識にすればいいのでは?
田中明『物語韓国人』(文春新書)は、《頭のいい人がそろっているのに、なぜ韓国はうまくいかないのだろう》という疑問から出発し、日本人に馴染みやすい古代の韓国から、徐々になじみにくくなる韓国史を、わかりやすく解説した好著。
《やわでにやけた俗儒たち(略)が世を支配するようになってから韓国はうまくいかなくなった》ということが、著者は《おぼろげながらでも見えてきた》と遠慮して書く。
が、読者にはその事実がじつによくわかる。《巨大な中国と激烈な日本――その間に挟まってわれわれの先祖の苦労は・・・》という書き方を韓国人がする、ということを知るだけでも、韓国通の著者による本書は、一読の価値がある。
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みなさん! もっと本を読みましょう! 我がスポーツ・ジャーナリスト塾では、一日一冊本を読むこと、を奨励しています。誰も実行してへんやろけど(笑)。 |