この連載も、今回で最終回を迎えることになった。いったい何回続いたのか、正確には憶えていないが、約60回、5年の歳月が過ぎたことになる。
5年というのは、決して短い期間ではない。 オギャアと生まれた赤ん坊が、幼稚園に通うようになる。小学校に入学した子供も、男なら声が低くなり、女なら胸が膨らむ時期になる。大学入試を心配していた高校生は、社会人として会社に通うようになり、バリバリ働いていたOLが、家庭におさまって赤ん坊を抱いたりもする。
そういえば、札幌(北海道)も、5年間のうちに大きく変化した。
わたしがこの連載を引き受けたころは、札幌に何とかJリーグのチームをつくれないものかと、いろいろと画策していた時期だった。北海道テレビ(HTB)で「札幌にJリーグを!」という討論番組を行い、その司会者として招かれたのが、わたしが北海道と深くお付き合いするきっかけとなった。
「『朝まで生テレビ』のように、好きなことを言いっぱなしで終わるような番組では嫌だから、なんとかこの番組をきっかけに、本当にJリーグのチームを作ろう」
そんな考えから、「SJクラブ(札幌にJリーグを)」が生まれ、地元チームを育てるか、外部からチームを呼ぶか、いろいろ検討した結果、東芝チームを札幌に招くことにし、「北海道フットボール・クラブ」が誕生した。
そして、いま、コンサドーレ札幌は、監督に前日本代表監督の岡田武史氏を迎え、Jリーグのなかでも最も地元に愛されているチームとして(J2に所属しながら、毎試合1万人以上の観衆を集めるチームとして)札幌と北海道に根付きはじめている。
「札幌にJリーグを!」というTV番組の打ち合わせで、HTBのディレクター氏が我が家を訪れたとき、そのディレクター氏が我が家のリヴィングルームに並んでいたCDやLDを見て呟いた。
「レナード・バーンスタインがお好きなら、いちど、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)にもお出でになりませんか?」
以来、わたしは、毎年夏の札幌を訪れ、PMFのさまざまなコンサートを聴くことになった。そして、ウィーン・フィルのクラリネットの首席奏者であるシュミードルさんや、指揮者のティルソン・トーマス、それに佐渡裕さんらと懇意になることができた。
6年前は、芸術の森の広々とした野外ステージ会場も、ちらほらと空席が見えた(今年で10周年を迎えたPMFの1年目は、レナード・バーンスタイン自身が指揮したにもかかわらず、コンサート会場はどこも空席だらけだったという)。
が、昨年は1万人近い聴衆が入れ替わり訪れて、超満員の盛況。今年の最終日のピクニック・コンサートは、残念ながら雨にたたられながらも、レインコートに身を包んだ3千人以上の聴衆が、正午から夜9時近くまでのコンサートを楽しんだ。
この連載が続いた5年間のあいだに、コンサドーレ札幌とPMFは、札幌の町に根付き、北海道の人々に愛され、見事に成長した。そして、その間、毎年札幌を訪れるようになったわたしは、カニやイカ、それにサッポロ・ラーメンの美味に舌鼓をうち、第二の故郷と思えるほどにまで、札幌の町が好きになった。
今年も、7月最後の日曜日に札幌の町を訪れたわたしは、昼間いくつかの仕事をこなしたあと、厚別競技場でコンサドーレ対ベガルタ仙台の試合を見、そのあと芸術の森へ行って、野外ステージで佐渡裕の指揮するPMFオーケストラの演奏を聴いた。
コンサドーレは2対0でベガルタを破った。本来なら5対0くらいの差を付けるべき試合だったが、「いい試合をしながら引き分けたり、負けたりすることの多いチームが、きちんと勝利という結果を出したことには満足している。これからも、絶対に勝つという試合を続けたい」という岡田監督の言葉に納得した。
PMFの演奏会は、じつに素晴らしかった。佐渡裕の指揮は、いつものことながら驚きと迫力にあふれ(それでいてハイドンの交響曲の演奏などは実にチャーミングで)、これほど楽しいコンサートは、東京ではナカナカ聴けるモノではない、と思うほかなかった。
とりわけアンコールに演奏されたラヴェルの『ボレロ』は、「超」の字をつけて語るべき大名演で、雨のなかで聴き続けた3千人の聴衆は(もちろん、わたしも)、ロックコンサートのように総立ちになって大きな拍手を贈り続けた。
その夜は、札幌の友人とともに、岡田監督や佐渡さんと一緒に(それに新婚の佐渡さんの夫人も交えて)、酒を飲んだ。ちょうど赤煉瓦ジャズ・コンサートで札幌に来ていたジャズ・ピアニストの世良譲さんも、わたしと同様、昼間はコンサドーレの試合を楽しみ、夜はPMFのコンサートというスケジュールで、一緒に酒を飲んだ。
そのとき、世良譲さんが、しみじみといった。「札幌のひとは幸せだなあ。こんなに素晴らしいサッカー・チームがあって、こんなに素晴らしいコンサートもあって……」
すると、岡田監督が、こういった。
「札幌の観客は素晴らしいですよ。いつも、どんな試合でも、本当に大勢のひとが応援に来てくれて……」
佐渡裕さんも、「札幌の聴衆は、最高です。雨のなか、みんな立ちあがって拍手をしてくれて。いいコンサートができるのも、そういう聴衆がいてくれるからです」といった。
そんな会話を聞きながら、わたしは、コンサドーレもPMFも、本当にすばらしいと改めて思った。札幌と北海道におけるコンサドーレとPMFは、ひょっとして、市民とスポーツ、市民と文化という関係のうえで、理想的な姿をつくりあげつつあるのではないだろうか……。
もちろん、それらに数え切れないほどの問題、難題があることは、百も承知している。コンサドーレ(北海道フットボール・クラブ)の経営基盤は、まだまだ万全といえず、この先何度も経営危機におそわれることだろう。
また、野村証券や松下電器といった、いくつかの大企業の援助に支えられているPMFも、不況を理由にそれらの企業の支援が途絶えるようなことになれば、その存立が一気に危ぶまれるようになる。
しかし、そんなことがあってはならない。
おそらく、北海道の大地は、この先長らく揺るぎなく我々の生活を支えてくれることだろう。が、その大地のうえに、北海道ならではの文化を築きあげてこそ、北海道に暮らすひとびとの、より大きな幸福があるにちがいない。生き甲斐が生まれるにちがいない。プライドが生まれるにちがいない。
もちろん、札幌(北海道)の文化は、コンサドーレとPMFだけではない。「雪祭り」は、いまや札幌、北海道だけにとどまらない日本の冬の風物詩というべき存在になっている。「よさこいソーラン祭」も、ここ数年のうちに大きく発展した(正直いって、わたしには、あの単純な「踊り」と暴走族から生まれたような「ファッション」が、まだ理解できないでいるのだが、回を重ねるうちに、そこから真に斬新な舞踏やファッションが生まれてくることを期待している)。
北海道は、大きい。札幌の町も、大きい。それは、物理的な規模の話だけではない。これからまだまだ発展するという意味において、大きな可能性を秘めている。それは、東京をはじめとする本州以南の都市や地域には存在しない大きさといえる。その可能性とは、おそらく、高速道路やダムを造って経済的に発展することではないだろう。本州のやってきたことを踏襲して、経済成長をめざすことではないだろう。北海道の大地、大自然は、北海道ならではの文化を育んでくれるはずである。そして、それは、21世紀の日本の進むべき道標ともなるはずである――。
というわけで、今回で最終回。長らくのご愛読、本当にありがとうございました。もっと小生の文章を読みたい、と思われる御奇特な方々は、8月20日に発売される小生の新刊『スポーツとは何か』(講談社現代新書)をどうかお買いあげのうえ、お読みください。と、最後に自己宣伝をさせていただき(笑)みなさまとはお別れします。
本当に長いあいだ、ありがとうございました。
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ウムムムムム……懐かしい文章やなぁ……。
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