私事でまことに恐縮だが、今春から末っ子の長男が大学へ通うようになった。大学といっても音大のジャズ科でベースをやるというので、もう勝手にせい、というほかない。が、これで子育ては終わった、と思っている。
私自身、大学に合格して上京したとき、これで親とはオサラバという気持ちで大学もさっさと中退し、ライターの仕事を始めたものだから、子供も大学に入った時点で自分の道を歩め、というわけである。
いちばん上の長女は、そんな親を見習ってか、大学をさっさと中退し、まだモノにならないがコンピュータ・グラフィック関係の仕事を始めようとしている。看護大学に入った次女は、我が家で初の大卒者となれば就職先の心配だけはないようで、二人とも既に一人暮らしを始めている。
先に書いた末っ子も毎日ベース・ギターを抱えてライヴやコンクール荒らしに忙しいようで、家を空けることが多くなり、出て行く日も遠くない。
というわけで、いつの間にか夕食は女房と二人きりになってしまった。ま、食費の浮いた分をワイン代にまわせるのも悪くはないが、正直いって少々寂しいのは確かである。
以前なら、鍋物でもスキヤキでも、餓鬼ども三人とワイワイガヤガヤ――今日は学校でこんなことがあった、あんなことがあった、あの映画は面白かった、この映画はサイテー・・・などと、「ちょっと静かにせい!」と何度も怒鳴ったことがあるくらいウルサイ食事の毎日で、たまに関西から出てきた爺さんや婆さんも「やかましい家やなあ」と笑うくらいだった。
しかし、爺さん婆さんも他界し、子供もいなくなり、いまは「静かなのも悪くないな」と、思わず強がりを口にする日々が続く。
部屋にこもっての原稿書きや、取材や講演で地方を飛びまわったあとの我が家での食事は、もっと静かに・・・と思っていたが、そうではないことに、いまごろ気づいた。
喜ばしいこととは、そのときは気づかないもののようである。
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