私事で恐縮だが、今年(平成17年)の1月に母が他界した。享年83。その半年ほど前に体調を崩し、入院したところが大腸と胆嚢に肥大化した癌が発見され、長くても一年といわれていたのでさほどショックはなく、最後の瞬間も看取ることができた。が、前年の師走からの入院で、大好きな顔見世も見させてやることができず、最後にもう少し楽しい日々を送らせてやりたかったと後悔が残った。
そんな母が息を引き取ったあと、病院の看護師さんたちが最後の処置をしてくださった。7年前に父親が亡くなっていたので、それがどのような手順のものかはわかっていたが、すべての処置が済んだあと、わたしにとっては少しばかり驚く出来事があった。
若い看護師さんが小さなバッグから化粧道具を取り出し、母親の顔に軽くファンデーションを塗り、口紅をさしたのだ。わたしは、その様子を不思議な気持ちでぼんやりとながめた。母親が化粧をした顔を見たのは、そのときが生まれて初めてのことだった。
大正生まれの母は、とにかく働くことの好きな女で、父と一緒に徳島から京都に出て以来、小さな電器屋を一緒にきりもりした。毎日朝早く起きて店の掃除をし、学校へ通うわたしと姉の弁当をつくり、電気工事の仕事に出る父を送り出し、客の応対をし、近所へ配達もし、扇風機や電気炬燵くらいならドライバーを手にして修繕もし、とにかく働きづめの毎日を送った。
父親が亡くなって店をたたんでからは、「やることがないようなって、暇で退屈でしょうがない」と笑いながらぼやいていた。わたしは、大学へ入学して家を出るまで、自宅で埃というものを見たことがなかった。そして母親の化粧した顔というものも一度も見たことがなかった。クリームのようなものを塗り、髪の毛を丸めて後ろにまとめる姿は見たことがあったが、それだけだった。
そんな母親のうっすらと口紅をさした顔を初めて見たとき、わたしは、きれいだな、と思った。
間もなく自宅に運び込まれる準備のために姉がいなくなり、深夜の病室に母親と二人きりに残されたわたしは、母親の顔をまじまじと見つめつづけた。そして少しばかり母親に申し訳ないと思いながらも、頬が緩むのを禁じえなかった。
一生を懸命に生きた女性の最後は美しい。その美しい最後を美しく飾ってくれた看護師さんに、わたしは心から、ありがとう、といった。
漱石の名作『虞美人草』のなかに次のような一節がある。
《問題は無数にある。粟か米か、是は喜劇である。工か商か、是も喜劇である。あの女かこの女か、是も喜劇である。綴織(つづれおり)か繻珍(しゅちん)か、是も喜劇である。英語か独乙語か、是も喜劇である。凡てが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。是が悲劇である。》
考えてみれば、あらゆる小説は最後の悲劇にいたる喜劇の経緯が描かれたものばかり、という言い方ができるようにも思える。
が、本書におさめられている小林光恵さんの書かれた作品はすべて、悲劇の瞬間が描かれたものである。
もちろん、その瞬間には、残された人々の脳裏に様々な過去がよみがえる。それをすべて喜劇といってしまえるような漱石ほどの大胆さも諦念も、われわれ凡人にはとうてい持ち得ないが、誰もが同意せざるをえない決定的な悲劇の瞬間というものを小林さんが軸に据えられたのは、むろん職業柄、その瞬間を数多く経験された結果にはちがいない。
わたしは、本書を読んで、その瞬間の多彩さ、多様さに改めて驚くと同時に、誰にも避けることのできないその瞬間に、美しく幕を閉じることがいかに素晴らしく素敵なことかと思った。そして、そのことを巧みに描き出された小林さんに、感謝したい気持ちになった。 |