北京冬季オリンピックが閉幕した2月20日の翌日、ロシアのプーチン大統領はウクライナ東部2州のロシア人分離独立派住民が多数居住している地域を、「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として承認。3日後の24日からロシア系住民の保護と「平和維持活動」を名目に、大規模な軍事侵攻を開始した。
それが昨年秋の国連総会で議決された「オリンピック休戦協定」に違反していることは明白で、常日頃は「親プーチン」に見られてロシアの国家ぐるみのドーピング違反にも甘い裁定を下した(出場停止にしなかった)IOC(国際オリンピック委員会)バッハ会長も、今回ばかりはロシアを非難。
とはいえロシアは、「オリンピック休戦協定」の提案国でもあり、今回のロシアの軍事侵攻は、五輪の休戦協定自体が完全に形骸化している証拠と言えた。
ロシアは過去にも08年北京夏季五輪の開会式当日にグルジア(現ジョージア)に侵攻。14年のソチ冬季五輪の閉幕直後にはウクライナのクリミアに侵攻と、まるで五輪とスケジュールを合わせたように軍事行動を繰り返してきた。
それを、五輪大会に世界の耳目が集まるのを見越し、ロシアへの避難が弱まると判断しての軍事行動だという声も聞く。それはオリンピックが本来目指す「平和運動」の主旨と正反対の行為であり、ロシアはオリンピック運動を完全に否定する行為を繰り返してきた国として、IOCから永久追放処分が下されても仕方がないと思えるほどだ。
が、IOCは、この「罪」をロシアだけになすりつけるわけには行かないのも事実だ。
ロシアはソチ冬季五輪での国家ぐるみのドーピングの発覚によって、16年リオ五輪、18年平昌冬季五輪、昨年の東京五輪、今回の北京五輪と、「国としての参加」を許されず、選手個人がROC(ロシアオリンピック委員会)とRPC(ロシアパラリンピック委員会)を通して「個人参加」することになり、ロシアの国歌も国旗も使用することが許されなくなった。
そのようなロシア選手に対してIPC(国際パラリンピック委員会)のパーソンズ会長は、当初は北京パラ大会への「個人参加」を認めた。が、一日で前言を撤回。ロシア選手に加えて軍事侵攻に協力した(と見なされた)ベラルーシ選手の参加も認めないことにした。
この「朝令暮改」は、北京冬季五輪に参加する多くの関係者や選手たちから、ロシアやベラルーシの選手たちの参加は認められない、一緒に競技はできない、との声が多数寄せられ、両国選手の参加を認めれば大会が開催できなくなると判断されたからだという。
しかし、この判断は、正しかっただろうか?
たしかに今回のロシアのウクライナへの軍事侵攻の責任は、すべてロシア(という国家とプーチン大統領)にある。が、個人参加にした(させられた)ロシアとベラルーシの選手個人に、「プーチン大統領やロシア国家の責任」まで負わせることが正しいとは原理原則的には言えないはずだ。
パーソンズIPC会長がロシア・ベラルーシ両国選手の個人参加を認めたときの記者会見で、ベラルーシの記者がロシア軍の爆撃で死亡したパラ選手の写真を見せ、「攻撃している国の選手にはパラリンピックの参加機会を与えた。彼は昨日殺され(競技に)参加する機会はない。彼の親に何と声をかけるのか?」と問い糾した。
その気持ちはわかる。が、こういうときこそオリンピックとパラリンピックの第一義的な理念であり、存在理由でもある「平和」を、ロシアやベラルーシの選手も巻き込んで強く訴えることができないものか?
IOCやIPCが、本気で国際平和の実現に邁進しようとするならば、「PEACE!」と開会式で叫ぶ前に、できること、やれることは山ほどあるはずだ。
たとえば、まずは大会会場での国旗と国歌の使用を一切やめて、各NOCはそれぞれ独自の旗と歌を使用するようにするべきだろう。
そもそも国旗は日本が初参加した第5回ストックホルム大会から開会式で用いられるようになったが、当時ロシアの自治領だったフィンランドやオーストリア領ベーメン王国(ボヘミア)と呼ばれていたチェコなどは、開会式で主権国の国旗の後ろに従い、表彰式でも自分たちの国旗を使うことは許されなかった。
つまりオリンピックの国旗は、帝国主義国家の国威発揚を露骨に示すものとして出現したものと言えるのだ。
そもそもスポーツ(アスリート)と軍隊(軍人)の両者は、頑健な身体を求める点で強い親和性が存在する。世界平和を標榜するオリンピックでもクーベルタン男爵が古代五輪の五種競技(スタジオン走=短距離走、走り幅跳び、やり投げ、円盤投げ、レスリング)を真似て近代五種競技を創ったときは、種目(水泳、フェンシング、乗馬、レーザーラン=射撃+クロスカントリー)の選定を、スウェーデン陸軍に相談し、ナポレオン戦争で軍人が必要とした身体技術を競技化したものだ。
1964年の東京オリンピックでも、開閉会式で国名を記したプラカードを持って選手たちの行進を先導したのは防衛大学の学生だった。また、自衛隊は国立競技場横の神宮外苑で、大砲を並べて祝砲を放った。
最近の五輪大会では、さすがにそこまで「軍隊」の起用はなくなった。が、北京冬季オリパラでは元アスリートたちが運んできた中国国旗や五輪旗を、最後には人民解放軍の兵士たちが受け取り、ポールに掲揚した。
昨年の東京オリパラでも、同様に自衛隊が登場し、次回パリ大会のアピールにはミラージュ戦闘機が登場してフランス国旗の三色旗を空に描いてみせた。
しかし、平和を目指すスポーツ大会に「軍隊」が登場することは、本来必然性も必要性もまったくないはずだ。
北京冬季五輪の前には、ロシアの選手たちがプーチン大統領とのオンラインによる面会で、できるだけ多くのメダルをロシアのために勝ち取るよう努力します」と宣誓する様子が報じられた。が、オリンピックは国家間の競争ではなく個人の競争だと五輪憲章に明記されているのだから、IOCは、そのような行為は止めてほしいと強く申し入れるべきだった。
現在のIOCは先月号の本欄でも書いたように(「蔵出しスポーツ・五輪が反戦平和を本気で訴えるには?国家の介在排除に全力を!それがロシアへの非難以前にやるべきコトだ!」を参照してください)、「国家対抗の団体種目」を増やしたり、国別メダル獲得数を発表するなど、「国家間の競争」を禁じた憲章を自ら破るような行為に及んでいる。
が、オリンピックの究極の理念である「世界平和」を本気で目指す(国連を通した休戦協定決議を本気で守らせる)つもりなら、IOCとIPCは、とりあえず国旗国歌の使用と軍人の登場だけでも、次回パリ大会から禁止するべきではないだろうか。
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