今年はシェイクスピアの没後400年。その記念の年のサッカー欧州選手権を見て、スポーツはシェイクスピアと競うほどの素晴らしいドラマだと確信した。
優勝したポルトガルをはじめ、どのチームも綿密に考え抜かれた戦略(筋書)と臨機応変に変化する戦術(演出)、そして最高度の技術(演技)を共有。イレヴンは一瞬にして同じ狙いの動きを演じた。
相手チームも、そのドラマ(戦略・戦術・技術)を瞬時に見抜き、ボールを奪い、逆襲に転じる。その素早く美しい攻防に何度も目を瞠った。
スポーツは筋書のないドラマ、という表現は明らかに間違いだ。完璧な戦略(筋書)を持たないチームが、戦術(演出)と技術(演技)だけで勝てるわけがない。
逆にシェイクスピアの完璧な筋書は演出や演技、さらに多様な翻案で永遠に甦る。
『ロミオとジュリエット』は『ウェスト・サイド・ストーリー』、『じゃじゃ馬ならし』は『キス・ミー・ケイト』という素晴らしいミュージカルに生まれ変わった。
「じゃじゃ馬」のような女を「馴らし」て最後には夫に従う大人しい妻にする。そんな古臭い筋書も、最後の台詞「もし主人が望むなら、あたしは踏みつけられてもかまわない」(『じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ』福田恒存訳、新潮文庫)を、陰で舌を出す演出にすれば、現代女性の皮肉に変わる。
さらにバーナード・ショーは、シェイクスピアの古い女性観に異を唱え、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の原作となった戯曲『ピグマリオン』(小田島恒志訳、光文社古典新訳文庫)を書いた。
ヒギンズ教授が下町娘イライザの下品な訛を直し、立派な淑女に仕立てる物語。しかし最後の場面で問題が噴出。
買い物を命じるヒギンズに、イライザは「ただ一言『自分で買えば?』と言って出て行くことになっていた」(小田島氏の解説)が、ヒギンズがイライザにすがりついたり、怒って花束を投げつけたり…。
そこでショーは『後日譚』を書く。イライザは「一生ヒギンズのスリッパを取ってくる人生と、(彼女に惚れた若い)フレディが彼女のスリッパを取ってくる人生の、どちらを選ぶだろう?」
そして、「彼女はフレディを選ぶだろう」と断言。ならば映画『マイ・フェア・レディ』のラストシーン(イライザがヒギンズの元へ戻る)も、ショーの考えとは違っている!
作者の筋書どおりにコトは運ばない。だからドラマは面白い! その自由さからヴェルディの傑作オペラ『オテッロ』(オセロー)や『ファルスタッフ』(ウィンザーの陽気な女房たち)、黒澤明の映画『蜘蛛之巣城』(マクベス)や『乱』(リア王)も生まれた。
欧州選手権で見事な筋書(戦略)を描いていたと思えるドイツは敗退。スポーツもドラマも筋書(原作者の意図)を超えるから面白い! |