スポーツと音楽と料理。この三つの「人間の営み」には、素晴らしい共通点がある。
何年か前、フランスのブルゴーニュ地方にあるマニクールという田舎町へF1グランプリを見に行ったときの出来事である。予選のタイムアタックでは、ドビュッシーやラベルのピアノ曲、バッハやヴィヴァルディの音楽などがサーキットに流れていた。F1の強烈なエグゾースト・ノート(エンジン音)がふと途切れたとき、柔らかく耳に届いたそれらの音楽は、コンサート・ホールで聴くどんな名演奏よりも豊かに響いた。
ピット裏のテント村は、美しく生花で飾られ、テーブルのうえには、シャンパンやワインや、とっておきの料理が並んでいた。
フェラーリ・チームは鰯のマリネと、焼きたてのピザ。ミナルディは、スパゲッティのペペロンチーノにルッコラのサラダ。ウイリアムスのスタッフがたむろしているテントでは、ボーンチャイナのティ・カップでアールグレイがふるまわれていた。
取材記者として各チームのテントを訪れたわたしは、あらゆる料理を次々とつまむという恩恵に浴することができた。そのときミナルディ・チームのテントで口にしたモツァレーラ・チーズとバローロの味わいは、いまも忘れることができない。
そして決勝当日になると、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』のファンファーレが轟き、十万人の大観衆が、ヴェルディのオペラ『ナブッコ』の「行け! わが思いよ、金色の翼に乗って!」の大合唱をうたいあげ、フランスの夏の太陽にキラキラと輝く26台のマシンが猛烈な轟音を轟かせながら、壮絶なレースを展開した。
スポーツと料理と音楽。どれも、味わい深いものである。
が、その味わいは、あっという間に消えてゆく。思い出にしか残らない。消えてゆくから、美しい。
はかなく、美しいもの――それを、「文化」と呼ぶに違いない。 |