昭和27年4月6日生まれ。57歳の誕生日を迎えて二週間が過ぎようとしていた今年(2009年)の4月19日。日曜日。その日は、青空と若葉が眩しいくらいに美しかった。鎌倉市の高台にある住宅街の一角はクルマの音も聞こえず、春の陽射しが降り注いでいた。
わたしの脳の血管が突然破裂したのは、そんな暖かい静かな朝だった。
二階の寝室から一階に降りるとき、早くも変調を感じた。右脚に力が入らず、踏ん張れないのだ。おかしいな、と思いながらもリビングのソファに腰を下ろし、テレビの『題名のない音楽会』を少し見て、トイレに立とうとした。そのとき、倒れた。
意識は、はっきりしていた。左手でソファの背を掴み、左足でなんとか立ちあがったわたしは、右脚を引き摺りながらキッチンを抜けてトイレまで歩こうと思った。が、足が徐々に前に出なくなる。それを見ていた女房が「あかん。座って」と叫んだ。事情は、女房もわたしも理解できた。いつか、こういう日が訪れるかも……。そんな意識は持ち続けていた。
血圧降下剤を毎朝夕に二錠ずつ服用。それでも上が160前後、下が100前後の血圧は、原稿依頼やテレビ出演の仕事が立て込んだときには180-120くらいまで上昇。とはいえ、血液検査はいつも正常。コレステロール値も血糖値も中性脂肪もγGTPもその他の値もすべて平均値。医者にも「血液だけはマトモなんだ」と、半分皮肉を込めていわれ続けた。180センチ100キロの身体は少々太りすぎ、メタボで煙草を一日20本……とはいえ、病気らしい病気の経験は皆無だった。
しかし父親の最期は高血圧で脳梗塞が近因。母親も最期は脳梗塞だったので、癌・心臓病・卒中の成人病のうちなら確実に卒中だろう、という妙な確信はあった。その確信が、現実になったのだ。
救急車に乗せられて病院へ搬送される最中も意識はあった。血圧220という救急隊員の言葉を聞いて、やっぱり……と思った。
じつは3月からWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)関係の翻訳出版と取り組み、テレビやラジオの出演も相次ぎ、それが日本代表チームの優勝で一段落したあと、指揮者の金聖響さんと共著の『ロマン派の交響曲』と題する本の執筆で、朝から晩まで仕事漬け。怒濤の一か月間が終わり、ヤッタァー! と、四日間毎晩飲み続けた。
昨晩もジョッキでビールを十杯以上、ウィスキーをロックで何杯だったか……と、冗談のつもりで救急隊員に話しかけようとしたが、口が動かない。身体も左手は動くが右半身はピクリともしない。そのとき初めて、コレハヤバイゾ、オレハドウナルノカ、とストレッチャーに寝かされた背筋が冷たく感じられた。
左脳視床部5cc出血。手術は不可能な場所らしく、投薬と絶対安静の一週間。その後、車椅子に乗せられて転院。動かない右半身(右手、右腕、右脚)を動かすためのリハビリに三週間。歯を食いしばることも、何度かあった。
脳という部位は本当に不思議なところで、ほとんど満足に動かすことのできなかった右手が、発病二週間後の朝、とつぜん動かせるようになった。車椅子から立つのがやっとで、歩くには引き摺るほかなかった右脚が、ある日とつぜん持ちあがるようになった。
壊れた回路にバイパスが通るのか、壊れた組織が回復するのか、気紛れに電気が通るのか、詳しいことは知らないが、退院後も、「あれ? 今日は右腕が上まで上がるぞ」「今日は右脚が軽いぞ」と思うことが何度かあり、半年以上経った今では犬の散歩に杖は不要となり、改めて自分から話し出さないかぎり、大病も後遺症も誰にも気づかれないほどにまで回復した。
つい最近も、東京都内で偶然久しぶりに出遭った友人が、杖を持ってるわたしに向かって、「草野球で骨折でもしたんですか?」と訊くので「ちょっよ病気を……」というと「えっ? 糖尿ですか?」といわれた。
1.5キロのダンベルを2個使ってのトレーニングをリハビリ入院以来ずっと続けた結果、体重は86キロ。20キロ近い減量で、腹が完全にへこんだため糖尿といわれたのだろうが、アルコールもほとんど飲まなくなり、煙草も吸いたいと思わなくなった。すなわち、健康そのもの。しかし――
健康でスマートになって毎朝体操するのがいいか、不健康で毎晩浴びるほどビールを飲むのがいいか、と訊かれると……、おれは間違いなく後者を取る、などと今でも減らず口を叩き、「いい加減にしなさい」と女房に叱られている。
が、ここまで回復できたのは、毎日交代で見舞いに来てくれ、リハビリを支えてくれた女房と三人の子供たち、つまり家族のおかげに違いない。
リハビリ入院中に、わたしを驚かそうと病院まで愛犬を連れてきてくれたり、海を近くで見たいと言うわたしを支えて崖のような道を降りるのを手伝ってくれたり……。
以前から、家族とは、困ったことも多いけど悪いものではない、とは思っていたが、これほど直接的なエネルギーだったとは、この日まで気づかなかった。ただただ、感謝の一言である。
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