11月3日、文化の日。狂言師の野村万作氏、作家の塩野七生氏、経済学者の岩井克人氏ら6名とともに、日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎氏に文化勲章が授与された。 この意味は、極めて大きい。
スポーツ界からの受賞は、水泳の古橋廣之進氏(08年)、野球の長嶋茂雄氏(21年)に次いで3人目だが、この二人は、どちらかと言えば現役選手や監督時代に大人気を博し、一時代を築くほどの素晴らしい活躍で、社会に大きな影響を与えたことが高く評価されての受賞と言うことができた。
それに対して川淵三郎氏は、早大や古河電工のサッカー部で活躍したのち、サッカー日本代表チームの監督を務めたこともあったが、それ以上に、今年30年目を迎えたJリーグの創設に初代チェアマンとして尽力したことが高く評価されての受賞と言えた。
さらに、組織の分裂で国際連盟から資格停止処分を受け、20年東京オリンピックへの出場が危惧されていたバスケットボール協会の会長に就任し、組織改革に大鉈を振るい、Bリーグの発足に導いたことも高く評価された。
つまり、スポーツマンとしてスポーツの最前線でのプレイや成績が評価されたのではなく、裏方として組織創りにリーダーシップを発揮したことが評価されての受賞だった。
しかもサッカー界初のプロ・リーグであるJリーグの創設や、Bリーグ創設によるバスケットボール界の大改革は、川淵氏自身が「スポーツによる社会革命」と称したように、それまでの日本社会や日本のスポーツ界には存在しない、まったく新しい試みだった。
現在もプロ野球や社会人野球、ラグビーやバレーボール、それに駅伝(マラソン)などでは、多くのチームが名前に企業名を冠し、日本のスポーツチームの多くは親会社の企業が所有し、そのリーグ戦や試合も、チームの親会社の利益を最優先するなかで運営されてきた。
従って日本のスポーツは、常に企業の宣伝や販売促進、社員の福利厚生や団結心の向上等に利用される存在として発展してきたのだった。
また高校や大学のスポーツも、教育の一環という建前が存在したり、私学の宣伝に利用されたりで、日本のスポーツはすべてが「スポーツを行うこと」のほかに、常に「スポーツ以外の目的」が存在していたのだ(大相撲も「神事」という「格闘技=スポーツ」以外の目的が存在するなかで発展してきたと言える)。
そのようなカタチが「常識」だったためか、Jリーグの発足時にも、Jリーグを創って何をするつもりですか?」と川淵氏に問い質す記者がいた。すると川淵氏は「サッカーをします」と、答えたのだった。
その「回答」こそが、まさに「革命的」だった。 日本社会の過去にまったく存在しない新しい「革命的な試み」に対して真正面から異を唱えて反対し、川淵氏のJリーグやり方を押し潰そうとした旧勢力もあった。
その急先鋒は、今更改めて書くまでもなく、読売新聞社の渡邊恒雄社長(当時)だった。
プロ野球の読売ジャイアンツを所有し、サッカー界でも読売日本サッカークラブという自社の名前を冠したチームを所有していた読売新聞社は、旧来のように親会社がチームを所有し、企業がスポーツを利用するやり方を継続したいと考え、Jリーグの発足から2年間ものあいだJリーグの川淵チェアマンの方針に逆らい、サッカーチームの名称を企業名で呼び続け(書き続け)たのだった。
そのうえ「川淵がいる限りJリーグは発展しない」と、今となっては間違っていることが明らかな暴論まで口にして、Jリーグとは別の新たなプロ・サッカーリーグの創設までも画策したのだった。
しかし、Jリーグが所属する日本サッカー協会が、日本で唯一FIFA(世界サッカー連盟)に所属するサッカー団体であるため、「新リーグ」に加わるチームの選手は、ワールドカップやオリンピックなど、あらゆる国際試合に出場できなくなるという事実から、「新リーグ創設」はまったく実現不可能な暴論でしかないことが即座に判明した。
プロ野球で「江川事件」や「1リーグ化再編事件」などを読売ジャイアンツが起こしたときは、自らの意志が通らない場合は「別リーグを創設する」とのブラフが有効に使えたが、サッカー界ではそんな恫喝はまったく効果を発揮せず、やがて読売新聞社はJリーグのチーム運営から完全に撤退することになったのだった。
そんな反対勢力との「闘争」を経てJリーグは生まれ成長し、それをモデルにBリーグの誕生へとつながり、サッカー日本代表のW杯でのドイツ・スペインを破る大活躍や、バスケットボールの48年ぶりのオリンピック自力出場につながったわけで、川淵氏の企図した「スポーツによる社会革命」が、日本社会に明るい勇気を与えた結果に繋がったことを思えば、彼のこれまでの活動は、まさに文化勲章に値するものと言えるだろう。
また、川淵氏以外の過去の文化勲章受賞者を見ると、作家、画家、彫刻家、学者、建築家、映画監督、音楽家、役者、俳優……などなど、個人の成し得た文化活動に対して評価されたものばかりだが、川淵氏の成し得た「文化活動」は、まさに英語の「カルチャー」という言葉に当てはまるものと言えた。
欧米から「カルチャー」という言葉が伝播した明治時代、日本人は「文化」という訳語を当てた。文化とは本来「武化」(武断政治)の反対語で、為政者が武力を使わず人々を収める文治政治を指す言葉で「上から」の行為を指す。
が、「カルチャー」とは、本来「(みんなで/社会で)実らせたもの/創りあげたもの」という意味。つまり川淵氏は、「企業が所有して(上から)発展させるスポーツ」ではなく、「みんなで創りあげるカルチャー(文化)としてのスポーツ」を日本で初めて創りあげたのだ。
そのことが評価されての文化勲章であることを、読売新聞を初めとするマスメディア(ジャーナリズム)は報道するべきだろう。
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