読書の醍醐味は知的興奮にある。 その意味で、本書は、絶品の味わいを持つ一冊、と断言できる。
テーマは『大魔神』。それが1966年1年間に3本だけ作られた映画で、当時の大映京都撮影所長が、《美術全集の埴輪の写真をもってきて、これを動かせないかと言った》ところから生まれた、という記述を読むだけで、早くも身を乗り出してしまう。
しかも、《関わった人たちが、戦前の(フランス)映画『巨人ゴーレム』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)を観たという共通の記憶を持っていた》ということにも舌を巻く。さらに《国宝「挂甲の武人」》をモデルにした《武神像》が、多くの人の記憶に残る変身のポーズを経て《薬師如来を守るために配置された十二神将の伐折羅大将》に似ている《魔神像》に変身して大暴れする……といった解説は、「挂甲の武人」が二百円切手、「伐折羅大将」が五百円切手の図案で、《「魔神像」の顎に割れ目》が入っているのは《カーク・ダグラスを模したとされる》と自在に横道へ逸れながら、徐々に核心へと向かう。
映画に現れる《山の魔神=アラカツマ》の謎解き(《阿羅羯磨》は《荒ぶる業》といった意味)から、ダイダラボッチなどの巨人伝説、柳田国男民俗学、大江健三郎の『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』にも通底する落人伝説、連合赤軍が訓練した大菩薩峠や、逃げ込んだ浅間山荘にもつながる日本の「山」、《サンカのイメージ》へと進む。
《大魔神シリーズ全体に、水をたたえる棚田や田植えや収穫のようす、といった稲作中心の農村風景はほとんど出てこない》《一九六八年の明治百年にむけて決算するかのように、日本の社会生活の新しい変化が大規模に押し寄せていた。そのなかで、「山」を描く大魔神三部作が、「かくれ里」のようなユートピアを描いているのは、こうした変化への抵抗でもあり、失われつつあるものへのノスタルジーともいえる》
さらに大魔神を動かしもすれば止めもする《乙女の涙》の意味を探り、古代日本の《ヒメヒコ制》《ヤマトタケルとオバのヤマトヒメ》の関係へと分け入り、柳田民俗学の指摘する《妹の力》へ……。《ただ願うだけでは、どうやら武神像にアラカツマがとりついたり、山のなかから解放されて暴走はしないようだ。(略)それがリモコンの指令で動くロボットと大魔神が異なる点である》
そして『大魔神』を巡る知的探検の旅は、音楽担当の伊福部昭(『ゴジラ』の映画音楽の作曲者でもある)の出自にまで及ぶ。《奈良時代の初めには出雲地方を中心に伊福部氏の一族がいて(略)彼らは(略)金属加工の技術を持ち、北方の金属神をうやまう》《伊福部昭氏が因幡の一宮である宇倍神社の神官の末裔であることはよく知られ(略)広い意味での出雲族という意識もあり、そこに彼の響きの源がある》
旧約聖書の「怒りの神」と新約聖書の「赦しの神」の「魔神像」と「武神像」との類似性……、広島出身の脚本家の原爆体験との関連性……、ハリウッド映画と、東宝、松竹、東映の(怪獣)特撮撮影の違い……、刀文化と銃文化の相違……等々、とても紹介しきれないほどの指摘を楽しみ、そして《古代(埴輪、古墳、仏像)と中世(戦国時代の砦、刀剣や甲冑)と現代(特撮映画の着ぐるみ造形やミニチュアセット)といった日本文化が一本の映画で融合》させたのは《時代考証を欠いたファンタジーだからというよりも、かなり意図的な時代錯誤の成果》との視点から始まった知的探検の旅は一つの結論に至る。
《大魔神は、戦乱の世が生んだ悪事から「都」を、つまり日本の中心を守っていた。それは弱そうに見えるモスラが、稲作と養蚕というマテラス系神話の怪獣であるがゆえに、ゴジラに負けることがないのと同じように、こうした特撮映画に眠っているひとつの信念のようなものであろう。それは作り手たちが強く意識してはいないが、私たちの文化のそこにある枠組みでもある》
著者の『モスラの精神史』と並ぶ見事と言うほかない一冊である。
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