オペラの取材でロシアを初めて旅したのは1991年2月。ソビエト連邦崩壊の10か月前のことだった。
レニングラード(現サンクトペテルブルク)のマールイ劇場でムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』や『ホヴァンシチナ』、チャイコフスキーの『エウゲニー・オネーギン』を見た翌日、タクシー運転手に200ドル渡し、独立間近のエストニアの首都ターリンまで走らせた(その運転手は、ホントかウソか知らないが、オリンピックの射撃競技に出場して銀メダルを取った、とたどたどしい英語で話してくれた)。
美しい町タリンを見物したあとの帰り道。東京名古屋間くらいの距離の復路で百台以上の戦車と出逢い、クルマから降りて写真を撮ろうとしたら、一斉に機関銃の銃口を向けられ、ゾッとして両手を挙げた。
モスクワのボリショイ劇場では、シャンデリアの輝くなかで、プロコフィエフの『修道院での結婚』という珍しいオペラを堪能できた。が、外に出るとまたもや戦車だらけ。オペラと戦車。不思議な光景だった。
ホテルでは従業員が「テン・ダラー(10ドル)」と小声で囁きながら、厨房のキャビアの缶詰を横流し。道端ではレーニンやマルクスのバッジや、赤軍の制服や勲章の叩き売り。
隣の露天では、エリツィンの人形のなかから、ゴルバチョフ、ブレジネフ、フルシチョフ、スターリン、レーニンの人形が次々と出てくるマトリョーシュカが売られていた(明後日まで待てば、イワン雷帝からエリツィンまでが揃った、高さ1メートルくらいのマトリョーシュカが手に入ると言われたが、旅行の予定優先で、残念ながら買えなかった)。
その同じ露天で、なんとも奇妙な油絵が売られていた。それは、赤軍兵士の制服を着たブルドッグが、ソビエトの象徴である鎌とハンマーを野球のバットのように構えている油絵だった。
その構えは日本人なら一目瞭然。現役時代の王貞治選手の一本足打法そのもので、背景には日の丸のような赤い丸。左上には「ペレストロイカ(改革)が貴方をグラスノスチ(情報公開)から守る」と、意味不明の英語が書かれている。
なんとも不思議な国家の不思議な時代を象徴するワケのわからないお土産物だと思い、マルボロのタバコ5箱で購入した。
それにしてもワケのわからない絵だが、今も小生の仕事場に飾ってあり、時々この絵のブルドッグが私に話しかけてくる。スポーツのことを書いたり、オペラや演歌のことを書いたり、絵画につて書いたり(モスクワではトレチャコフ美術館でクリムスコイの「忘れえぬ女」を見れなかったのが残念だった)。ワケがワカランのはオマエのほうだ――。
絵から聞こえてくるそんな言葉を、私は結構気に入っている。
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その後ロシアへは、キーロフ歌劇場でワーグナーの『ニーベルンクの指環』を上演指揮したワレリー・ゲルギエフにインタヴューするため、再度サンクトペテルブルクを訪れた。が、その度の途中で、朋友の野村万之丞が急逝したとの連絡が入り、『ラインの黄金』と『ワルキューレ』を見ただけで、居ても立っても居られなくなり、オペラを見る心境にはなれず、『ジークフリート』と『神々の黄昏』は見ずに早々とロシアを去って葬儀に赴いた。私にとってのロシアへの旅は、強烈な印象が残る旅ばかりだ。 |