不世出のボクサー、モハメド・アリが亡くなった。彼の闘いは、けっしてリングの上だけではなかった。
黒人差別に抗議し、ローマ五輪の金メダルを彼が故郷の川に投げ捨てた頃、紳士的な黒人王者パターソンが、逮捕歴19回の黒人挑戦者リストンを相手に、「善対悪」の闘いを繰り広げていた。
リストンの筋肉は「仕事ばかりでなく、快楽によってつくりあげられているように見えた。彼は明らかに何か非常に愉快な経験をしてきた男らしかった」
「一方、パターソンの筋肉にはまだ貧しさがあった。(略)献身的に打ち込んだ肉体であって、レジャーの面影は少しもなく、はるかに多くジムを連想させた」(ノーマン・メイラー『一分間に一万語』新潮社)。
しかし、試合は1RKOで圧倒的に「悪」の勝利。
メイラーは、「第一回戦は、悪についていちばんよく知っている人間が勝利した」と、実存主義的不条理を感じつつ、次は「善についてだれがより多く研究したかを明らかに」する王者の出現を期待した。
そこへ「蝶のように舞い、蜂のように刺す」若者カシアス・クレイが現れたのだ。
彼は「殺し屋リストン」を7RKOし、世界中が「善」の勝利を喜んだ。が、それも束の間、クレイはアリと改名し、黒人モスレム教団に入信。反ベトナム戦争を唱え徴兵を拒否。アメリカ政府と闘う道を選んだ。
そして王座もライセンスも剥奪されて収監され、4年近くのブランクの後、リングに復帰。何人もの黒人選手が差別に反対し、表彰台で黒い手袋の拳を星条旗に向かって突きあげたメキシコ五輪で、金メダルを獲得したあと星条旗を打ち振った「体制側」最強の王者フォアマンを黒人の故郷アフリカでKOし、見事王者に返り咲いたのだった。
アリは最後にはアトランタ五輪の聖火最終点火者にも選ばれ、「体制側」にも認められる存在となった。
しかし……私は、鈴木隆の名作『けんかえれじい』(岩波現代文庫)の主人公・南部麒六を思い出す。
常に若者らしい言い様のない焦燥感――彼自身の言葉で言えば「満身創痍感」――を抱く蛮カラ青年の麒六は、喧嘩に明け暮れ岡山旧制中学を放校処分。会津の学校へ転校しても喧嘩に熱中し続け、やがて最大の「米英との喧嘩」に挑むべく帝国陸軍に入隊。中国戦線に赴くが、そこで経験したのは不条理な軍隊規則や上官の命令。そして餓えと病気。
自身も病に倒れた麒六は、信頼する上官の言葉を聞いたのを最後に、部隊から静かに消え去る。「俺もお前も、所詮はまあ模糊とした悲歌街道を往く者よ」
痛快な青春小説をワクワクする気分で読み進むと、最後は痛烈な戦争批判の反戦小説。晩年は長年パーキンソン病に苦しんだアリの雄々しい人生も、悲歌と呼ぶべきものに違いない。 |