人生五十年。かつてはそうも言われた歳月を、五年もオーバーするほどに生きてみると、少しは物事がわかったような気になるときもある。
たとえば……株価が上がった下がったと、毎日テレビや新聞は伝えるが、十年二十年の長さで見てみると、別に取り立てて毎日騒ぐような問題ではないことがわかる。
あるいは……道路はつくらなければならない、いや、つくる必要のあるものだけつくればいいと、喧しく罵り合う声を聞くけれど、四十年前に較べたら、じつに多くの道路が整備されたこともわかる。
はたまた……殺虫剤入りの冷凍餃子が出まわっただの、中国製の野菜は危ないだのと騒ぐけれど、二〜三十年前にも日本近海の魚はすべて食べはいけないと騒がれたことがあった。それに、わたしが子供のころは、本当に不味くて口にするのも嫌だった食べ物がたくさん周囲にあったが、最近は美味しい食べ物ばかりが巷にあふれ、不味い食べ物に出くわさなくなったことに気づく。
いつの世も、毎日のように「事件」は起こり、マスメディアは日々の事件を騒ぐ。が、少し長いスパンで物事を見てみると、どれもこれも、そう取り立てて騒ぐほどの問題ではないことがよくわかる。
メディアが「景気が良くなった」と言ってはしゃいでも、我々の生活がすぐに良くなるわけでなし。「景気が悪くなった、貧富の差が激しくなった」と騒いでも、終戦直後や明治時代の庶民に較べれば、現代の庶民はよほど暮らしぶりが良くなっている。
とはいえ、わたし自身テレビや雑誌など、メディアで仕事をしている人間で、こういう意見は、なかなか口にすることができない。いや、口にしても、なかなか注目してもらうことができない。
わたしが本職にしているスポーツジャーナリズムの世界でも、ほんの少し前までは「若貴ブームでチケットが手に入らない。相撲協会はファンのために相撲茶屋制度を改めるべきではないか」という意見を求められ、それから少し経つと、「二子山部屋に強い力士ばかりが集まりすぎて、このままでは他の部屋が崩壊するのではないか」と騒がれ、そのうち若貴が消えて「人気がなくなった大相撲の危機」が叫ばれ、やがて「モンゴル人の横綱による国技の危機」が話題の中心になった。
そういえば、かつて小錦が大活躍して大関に昇進したときも、曙が横綱になったときも、「国技の危機」とメディアは悲鳴を張りあげていたものだ。
そんな騒ぎに巻き込まれるたびに、わたしは、「二千年間続いてきた日本の相撲が消えてなくなるわけではないが、相撲協会は、二十年先、五十年先のヴィジョンを打ち出すべきでしょう」といったコメントを口にし、原稿を書き続けてきた。
巨人が負けようが、日本ハムが優勝しようが、中日が日本一になろうが、その失敗や努力や栄光はそれぞれに語ることができるけれど、本当に大事なことは、日本の野球というスポーツ文化が健全に発展し、豊かで明るい社会づくりに貢献し、多くの人々を幸福にすることであるはず。そのためには……などという意見を述べ、原稿を書くことが多くなったせいか、最近はスポーツに関する原稿依頼がとんと減ってしまった(笑)。
が、四十歳を過ぎて人生五十年を迎えようとした頃から、それがスポーツジャーナリストにとって最も重要な仕事であると思うようにもなった。
そのちょうど同じ時期のこと、わたしが檀家としてお世話にもなり、両親の墓もある京都建仁寺の末寺のひとつ、珍皇寺で面白いポスターを目にした。
それは、臨済宗の坊さんと小さな男の子が寺の縁側に座って座禅を組んでいる写真を大きなポスターにしたもので、その横に、次のような文字が書かれていた。
「八百年間、こうしている。」
最初、このポスターの文字を目にしたときは、いかにも広告代理店のコピーライターが仕上げたような文章に、少々鼻白む思いがしたものだったが、袈裟衣を身に纏い、静かに目を閉じて座した坊さんの姿はやはり端正で、その横にちょこんと座禅を真似てる子供の姿も初々しく、その写真に惹かれるまま、「八百年間こうしている」という言葉が胸に染みこんだ。
なるほど。八百年間、こうしているのか…。
改めてその言葉を噛みしめてみると、じつに様々な思いが去来した。
鎌倉時代に栄西禅師が禅を伝えて以来、それは何と長い年月にわたって揺らぎない真理の探求であったことか。そう思う一方、地球が誕生して四十五億年、人類が生まれて七百万年、人間が農耕文明を開始して一万年、それらに較べれば何と短い年月か、とも思えた。
おそらく「八百年間、こうして」いても、そう易々とは悟りは開かれないものに違いない。だから我々の多くは、いまだに日々の株価に騒ぎ、事件に騒ぎ、スポーツの勝敗に一喜一憂し続けている。とはいえ、そこにそうやって「八百年間、こうしている」と堂々と主張してくれる存在のあることには、素直に頭を垂れたくなるほど有難かった。
いや、そんなポスターを見る前に、わたし自身が、もっと早くそのことに気づかなければならなかった。子供のころから毎日のように見続けた建仁寺の堂々たる法堂を見て、本山のそそり立つ瓦屋根を見て、さらに苔生す石庭や松の枝振りを見て、「八百年間」にわたって、そこにそうしている存在に気づくべきだったのだ。
マスメディアは、日々変わるもの、新しいもの、新しく起きる事件を、追い求める。それは、必然的に「真理」から離れる作業にほかならない。禅にかぎらず、仏教にかぎらず、宗教は、変わらないものを追求する。それは、「真理」に接近する営為にほかならない。
はたして「真理」なるものが、本当に存在するのかどうか、わたしごとき人間にはとてもとても判断などできないことではあるが、そこに「八百年間」にわたって「真理」を探求し続けてきた存在がある、という事実は、ほんとうに素晴らしいことというほかない。
まったく喜ばしくも幸いなことに、わたしは、そのような「存在」のすぐ近くで生まれ育つことができた。といっても、建仁寺の境内は、子供のころのわたしにとっては「フィールド・オヴ・ドリームス」で、大勢の仲間と毎日のように草野球に興じ、ボールを壁にあてているところを見つかっては、坊さんに何度も叱られた。とはいえ、「一発打たせろ」と言ってバットを取りあげる修行中の若い雲水もいた(だからわたしは、いまだにパ・リーグのDH制が好きになれない)。
それらもまた「八百年間」のなかでは一瞬の出来事で、いまはもう境内で野球をやる子供もいなくなり、寺の壁からボールの跡は消え、かつての子供たちのフィールドには、多くの松が静かに見事な枝を伸ばしている。
わたしも歳をとったせいか、現在暮らしている神奈川から年に何度か京都に帰り、建仁寺を歩き抜けて珍皇寺に墓参りをするとき、その松や法堂を見て日頃マスメディアで仕事をしていることを忘れ、なるほど変わらないものは素晴らしい、変わらないものを求め続けることは素晴らしい、と改めて思う。
考えてみれば、宗教とは(とりわけ仏教とは)、現代社会の最先端を走る(ように見える)マスメディアとは対極にある存在で、それだけに、マスメディアに取りあげられることは少なく、現代社会と表だった関わりに欠けるようにも思える。
しかし、それでいいのに違いない。
揺らぎ続ける現代社会の波に乗る必要もなければ、必然性もない。これまで「八百年間、こうしてきた」ように、これからの「八百年間」も変わらず、堂々と「そうして」いてほしいと思う。
「そうして」いてくれる存在のあることの素晴らしさに、人生五十年かけないとわからなかったのは、少々時間がかかりすぎたかとも思うが、マスメディアで仕事をし続けてきたのだから仕方ない。しかし、いま、少々遅きに失しても、心の底からそう思える自分が嬉しくも思える。 |