その猫は鼻筋が通ったなかなかの二枚目だった。
全身がビロードのように艶やかな真っ黒い毛におおわれ、白い小さなソックスを四足はき、両目の間から口の周囲も白。それに胸元も、純白のスカーフをお洒落にふくらませたようで、次女が小学校の帰りにひろったかもらったかは知らないが、20年ほど前に我が家にやってきたときから、文句の付けようがないほどダンディだった。
生まれてまだ1か月も経ってない仔猫だったが、どこか気取った気品に溢れ、野良の部類に属するにしては、見事なまでに美しかった。
事実、2年くらい経ってから雑誌『太陽』(平凡社)の「猫好き作家の猫特集」に紹介されたときは、他のどんな作家の由緒正しき血統を誇る猫たちよりも、我が家の野良猫のほうが美男子だった。しかし、美しかっただけに、私の「怒り」は尋常ではなかった。
次女は、その美しい猫をフィガロと名付けて可愛がった。ディズニーのアニメ『ピノキオ』に登場する猫からとった名前らしく、なるほど色合いもよく似ていた。私はモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の主人公と同じ名前のところが気に入り、いつかはスザンナも見つけてやらねば、と最初のうちは思ったものだった。
ところが、その美男子猫は、アニメやオペラのフィガロ以上にいたずら好きで、我が家の襖や壁紙は、ことごとく彼の「爪磨き場所」と化し、イタリア製の革のソファにまで無数の引っ掻き傷が彫り込まれた。もちろんフィガロはすました顔で、純黒の全身に輝く真っ白い胸を張り、家の主人の怒鳴り声など、どこ吹く風と聞き流した。
しかも夏になると、家の裏にある山から蛇、蜥蜴、モグラ、雀……などを銜えて持ち帰り、戦果を自慢して我々に供さんとするがごとく、何度も白い胸を張ってみせた。
しかし、そんなこと以上にマイッタのは、静かに仕事部屋に入ってきて、机に向かって懸命になってキイボードを叩いている私の仕事ぶりをしばらくじっと眺めたあと、その場でごろりと絨毯の上に横になり、大きなあくびをひとつしたあと、うつらうつらと船を漕ぎ出すことだった。
「おまえさん、何をあくせく、毎日まいにち、字ばっかり書いて、何がおもしろいんだ? もっと気楽に生きようよ……」
私は、ふうううっと、溜息を漏らすほかなかった。
じつは、私は猫が大好き……と、思い込んでいた。ところが、フィガロのような高貴な気品にあふれ、それでいてワイルドなパワーと魅力も持ち合わせた、「猫のなかの猫」ともいうべき良くも悪くも完璧な猫と出逢って、自分の考えが間違っていたことに気付いた。
私は、猫が好きだったのではない。私が、猫になりたかったのだ。私が、フィガロのような猫になりたいと熱望していたのだ。
そのことに気付いた瞬間から、私はフィガロに猛烈に嫉妬した。彼の一挙手一投足がうらやましかった。娘どもや女房に愛されていることにも、我慢がならなかった。
そこで私は犬を愛するようになった。これまた、柴犬と甲斐犬とシェパードとダックスフントと狼を混ぜ合わせたような雑種の貰い犬で、佐吉と名付けた中型犬は、命令をよく聞き、可愛くもあるのだが、フィガロのような気品はなく、産まれたときに何か辛いことでもあったのか、かなり臆病で、フィガロと仲良くしようと近づき、強烈な猫パンチを鼻に一発見舞われて以来、猫を見れば愛想笑いを浮かべるだけで遠ざけるようになった。
そんな佐吉には、フィガロのような自尊心(プライド)を……とも思うのだが、私が嫉妬を感じることはなく、私自身の自尊心は平穏に保つことができた。とはいえ、最近少々寂しく思うのは、3年前にフィガロが他界したからかもしれない。
晩年は老衰が激しく、女房の用意した座布団の上で横になったままの大往生だった。
享年十六(推定)。次女は夜通し泣き通したので、「それはチョットやりすぎだろう、目の前の仏壇に祀られた爺さんや婆さんが嫉妬するぞ」というと、次女は泣きじゃくっていた涙をすすりながら笑った。
が、嫉妬していたのは、やっぱり私自身だったように思う。せめてもの供養に、戒名を付けてやった。
美猫院我儘勝手居士
――合掌。
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